無題

苹@泥酔

2020/03/23 (Mon) 20:57:39

緒言:「天バカ板」の歴史
 ミッドナイト蘭様の管理する「天才バカ掲示板」は十数年の歴史を持つ。様々な人が出入りし、多い日はカウンターの数値が千に達したと記憶する。当時(初代板)参加していた面々には故人となった方も居ると聞く。離れて久しい人も多い。中には現職の大学教官も居た。交わされる議論は活発でレベルが高く、私こと「苹」も時には参加した。2011年、東日本大震災の数ヶ月後に板が突如消滅した。蘭様は知らなかったらしい。豊穣な過去の記録は尽く消滅した。
 やがて二代目の板が出来た。その頃の投稿者は概ね苹だけとなっていたので、板のタイトルにも余計な副題「苹の栞」が付いた。以後は初期を除き、拙稿の羅列が最後まで続いた。内容は初代の天バカ板、「つくる会」神奈川支援板、西尾幹二サイト付属の各種掲示板に出した拙稿が中心である。たまに他の方々の投稿が出てくる時は、全体の流れが分かる様にするためと思っていただきたい。これらは皆、ワープロの保存用/草稿用ファイルに転写した内容である。
 このまま続くだろうと思って居たら、いつしかスパム投稿が増えてきた。苹はほぼ毎日カウンターの数値をメモしているが、板の管理人ではない。ただの「過去の」投稿者である。管理人の蘭様がたまに掃除してくれる事はあったが追い付かない。そうこうするうち有害板の扱いとなったのか、二代目板は苹が2020.3.14に確認した時、既に凍結状態となっていた。そこで蘭様の本拠たる「天才バカ板」(ブログ)で相談した所、此度の三代目板が出来た次第である。
 これから再録する内容の殆どは書道ネタである。脱線ネタも少なくないが、大学関係者にも役立つ内容でありたいと心懸けながら書いてきた。従って書道の初心者向けに書いた稿はない。むしろ書道に無関心の知識人でもそこそこ楽しめる様な組み立て方を工夫してきたつもりである。
●天才バカ板(蘭様の本拠ブログ)
https://blog.goo.ne.jp/midnight-run_2007
●天才バカ掲示板(二代目の掲示板)
http://bbs1.fc2.com/forbidden.html
 手始めに再掲するのは二代目板の最初から。その後、初代板の最後に書いた拙稿=「批評と臨床」シリーズが続く。掲載順は二代目板と同じで、ワープロ転載時に4とか8とか文字化けしたタイトル部分はそのままとする。過去の数稿を一稿に纏める方針なので、かなりの長文となる事を予め御諒解いただきたい。苹頓首。

「批評と臨床」其一

苹@泥酔

2020/03/23 (Mon) 21:15:17

【天バカ板2】

4新しい掲示板をはじめます^^v ( ミッドナイト・蘭 ) New!!
2011/07/11 (Mon) 21:32:04
 先日、町田の古本屋で、伊藤桂一著「兵隊たちの陸軍史(昭和44年刊)」を買いました。

 これが、すこぶる面白い。

   ・・・[被服と兵器の授与]
 ・・・<巻脚絆・靴下>
 靴下は足型に合わさず、単にズンドウに作られていて、廻しながら穿けた。便利である。乗馬隊には手套が支給された。

 「巻脚絆」とは、ゲートルのことだね。

 「ゲートル」とは、まあ、レッグウォーマーのことだね。

 「レッグウォーマー」の進化系が、ルーズソックスだね^^

 ところで、この本、数年前に、ちょっとしたベストセラーになった保坂正康著の『あの戦争は何だったのか─大人のための歴史教科書(新潮新書)』の元ネタ本のような気がしている。

 でも、伊藤桂一氏の文章の方が面白く読める^^



8【初投稿】新板開設慶賀 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/07/13 (Wed) 00:50:26

【初投稿】新板開設慶賀
 投稿の仕方がよく分からない…と云うか慣れてないけど、何か書いたり覗いたりしてるうち、多分どうにかなるだろう。もう掲示板の時代ではなさそうなのに、お手数かけてスマソ(平伏)。ここ暫くは様子を見る事になるのかいな。しかしながら旧板創設の頃と違って、今では他に誰か来る下地そのものがなくなってるのは確からしい…。
 「Home」をクリックしたらブログの方の天バカ板に出た。あちらに時々出てた幼女ネタの子も、今では大きくなったんだろうなあ。
 こちら青森では東京から親戚きたる。うち一人が十歳くらいの女の子。母親があちこち役所を回ってる間、本家に預かって貰ってお留守番らしい。ちょいと顔を出したら苹が話し相手(?)になっちまった。ゲーム機を出して色々と解説してくるけど当方チンプンカンプン、最後はバッテリー切れにて終了。充電器は忘れてきたらしい。その後どうする事になるのやら。因みに学校では日常会話が総て英語だそうで、その影響が日本語の発話様式にも少しばかり垣間見られた。津軽弁が通じないので、数年前のローカル人気番組「いいでば英語塾」(こんな感じ↓)でも見せたらどうなるか興味深くはあるが、あちらが拙宅に立ち寄るとは限らない。
http://www.youtube.com/watch?v=ipLbH1PSQ6c
http://www.youtube.com/watch?v=3qihbZFtja0
http://www.youtube.com/watch?v=0TCfIoOjPGs
http://www.youtube.com/watch?v=K75FaGmo1gc
http://www.youtube.com/watch?v=cN-fwkk1YX0
 幼女の扱いは蘭様が師匠格。平素あちらを閲覧していると勉強になるなあ。



4苹@泥酔さんへ♪ ( ミッドナイト・蘭 ) 2011/07/13 (Wed) 22:38:49
ただ、こうして、改めて掲示板を作って、返レスしてみると、なんか、妙な高揚感が起こってきます^^

久しく、忘れていた感覚です^^

はじめは二人で、でも、次第に仲間も増えてくるんじゃないですか^^

親戚の子、10歳くらいだったら、まだまだ屈託ないですね。

是非、充電器を購入してあげてください。

私の大きな姪っ子ですが、もう高二です。

来年は大学受験で、なんと、○○大学を受験するそうです(今は大学名は伏せる。電気大学と同じく、地名が校名ではありません)。

>>因みに学校では日常会話が総て英語だそうで

これは不思議な学校ですね。

どういった教育方針なんでしょうか?

あまり良くは思えませんでしょう?

さて、この板のキャッチフレーズは、

  「文学・歴史の40!」

で、いきましょう!

文学には、もちろん、書道込みです。

まあ、学問がテーマなので、それを教える教育にも力を入れるってことです。



8Re: 苹@泥酔さんへ♪ ( ミッドナイト・蘭 ) New!!
2011/07/14 (Thu) 21:54:52
ありゃ、ツリー返信の仕方が分からなかったので、別に書いてしまっていましたが、こうして、理解しました^^

「文学・歴史の40!」ってのは、もちろん、クイズダービーの真似ですが、四十代も意味しています^^

本日は、映画「もしドラ」を見てきました。

口さがない映評ブロガーには不評でしたが、私は素直に感動しました。

で、帰りに大きな本屋に寄ったら、5月の「歴史街道」誌に続いて、8月は「歴史群像」誌でノモンハン特集です。

迷わず、購入しちゃいました^^



4【実験投稿】明晩削除予定稿 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/07/15 (Fri) 01:27:01

【実験投稿】明晩削除予定稿
 はて扨て、この後どうなるものやら。母親は件の女の子に習字をやらせたいみたいなので、予定返上ちょいとばかり起稿ホヤホヤ。うまく削除できたら万々歳。完稿は後日。

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書塾選びに関する三つの疑問(仮題)

 習字に限らず、塾はどことなくゲートルに似ている(…てな事を書くと、こじつけに見えても致し方あるまい)。学校という身体から下りる血が足でむくんでくるのを防ぎ、授業がスマートに機能する様に下支えする。就中、書道/習字の場合は嘗て二度の「大戦」を経験した。第一次は明治維新で、文明開化に伴う日本文化排斥の流れに巻き込まれた。その集大成が明治三十三年の平仮名統一で、学校教育が伝統文化の大半を切り捨てた結果、それ以前に出版された書物を日本人自身が読めなくなっていく。第二次は日本敗戦に伴う占領期以降の流れで、多くの学校/都道府県教委が正規の書道教員採用試験実施を今に至るまで嫌がり続けている。従って、学校教育から切り捨てられ弱体化した領分を補うには、民間の塾による下支え(質的な維持機能)がいっそう重要となってくる。
 …日々ボケーッとテレビ(録画を含む)を見ていると、たまに「書塾と近いもの」が出てきてガッカリする事がある。その大半が小学生の習字レベルを維持するのみで、より高度な発展的属性(遡行的免疫性?)には全く目を向けていないかの様な。教える側にそのつもりはないのだろうが、こちらから見ればそう思えるのは何故だろうか。もしかしたら私の歴史観が影響している所為かも知れない。
 ふと思う。最も手っ取り早い書塾選びの基準は嘗ての国定手本乙種系、すなわち幕末の巻菱湖を源流としては如何かと。これなら近来二百年の「縦の流れ」を遡るのが容易となるだろう。別に菱湖流を贔屓するつもりはないが、幕末の流行から明治維新後の国定化を経て敗戦に至るまでを通覧する上での基準軸にはなる。そこから様々な書風に各自の好悪を照射して行けばよいのだから、敢えて菱湖系を「学び過ぎる」必要もない。子供を通わせる書塾が全く別の書風でも、そこから国定手本時代の幹へと接続できればそれだけで充分。どんな書風が幹を形作ってきたか、或いはどんな書風が幹から分かたれていったかを判別できればよい。ところが一部の書塾では、戦前まで機能してきた伝統的な幹とは別の、西洋的かつ戦後的な幹(=芸術)を優先しがちになる傾向があるらしい。だから何かあるたび「書はアートだ」と言いたがる書塾には警戒した方がいい。書道を隠れ蓑にした、伝統文化の破壊者である可能性がある。
 そもそも「芸術」の中身が違う。昔の「芸術」には琴棊書画の他、農業や漁業、占星術等々までもが含まれていた。片や、西洋芸術を輸入する過程で一般化した翻訳語としての「芸術」に東洋芸術は元々含まれていない。そこではあくまで西洋芸術(当時の中心的用語は「美術」)が幹であり、この基準に東洋芸術を照らして「芸術であるか、ないか」を問うた(その一環に小山正太郎と岡倉天心の「書ハ美術ナラズ」論争がある)。~こうした言葉のズレは国語でも同じ事。昔は「国語」と云えば中国古典の一つを指した(孝経・詩経・書経・大学・中庸・国語・論語…)。今の一般的意味で云う「国語」(日本の共通語)が生まれたのは明治時代、教育制度上で本格的に組み入れられたのは明治三十三年である。しかも共通語としての国語それ自体が所謂「現代文」、すなわち言文一致思想と活字中心主義に示導されているとなれば事は厄介。この枠組みに古典を封じ込める上で取られた一般的ストラテジーは、変体仮名の排除、漢字からの異体字や草略体の排除、句読点の恣意的付加などであった。やがて満を持して「現代仮名遣い」が登場する。その対極で新たに位置付けられた概念が「歴史的仮名遣い」と呼ばれるものだが、これとて所詮は何ら本質と関わりのない、「国語」の枠内で相対化された結果の分類に過ぎなかった。
 そこでは教育上、小松英雄『日本語書記史原論』(笠間書院)に指摘してある様な古典的特徴、中野三敏の提唱する「和文リテラシー」といった視点が表向き存在してはならない。国語の基本はあくまで現代文の側にあり、それを背後から歴史的に権威付けるため、或る意味では古典が捏造されている。この事は~例えば入試問題で、問題文の古典(書写本や幕末以前の版本)を写真で出題すれば、誰もが骨身に沁みて分かる筈。そもそも読めない。出題対象自体が理解できない。出題だけが宙に浮く。ただ読める者だけが回答できる(もちろん正答するとは限らない)。
 ところで、書字が「読める」とはどういう事か。
 嘗て印字/活字は「書字の模倣」であった。書字が読めるなら活字も読めるのであって、その逆ではない。活字が読めても書字は読めないなどという事はなく、もしその様な事態があるとすれば、そこでの書字はもはや文字としての機能を果たさず、書字には自ずと「活字の模倣」が要請されてくる。実際、学校教育でも一般社会でも概ね動向はそちらに傾いているが、こと人名用漢字に関しては抵抗があるらしく、旧字体が新字体に置き換えられるケースはさほど多くない(渡邊→渡辺、小澤→小沢など)。鬱や彙などの字では活字の模倣に終始するケースが圧倒的に多い筈。そもそも書写体を見た事がない。それに対して、書字における書写体の優位性が保たれている字例の最たるものは之繞。小学校で最初から書写体(点の後にウネウネ)で教わるため、活字の形(一点之繞や二点之繞)で書く事はない。元々あれは二点之繞の二点目とその下を続けて書いた形ゆえ、そもそも「新字体は一点之繞」などという馬鹿げた発想をする国語学者の方がおかしいのだが(続けて書けば無点ウネウネ之繞になる)、これも「国語」をさんざっぱらいじくり回した挙句の伝統喪失に由来する所が大きい。読む方の都合ばかりを気にして活字商売に阿り、書き方を忘れたツケが国語歪曲となって現れた。
 書き方の都合は一般に、点画の連続や省略となって現れる。学・尽・図がそれぞれ學・盡・圖の草書を楷書化した形であるのも、書・車・孫の草書を楷書化した形が現代中国の簡体字に見られるのも、共に書字における草略が前提となっている。中には点画を乱暴に省いた破壊的新字体も少なくないが、そこからは字体制定当時、既に書字の伝統が失われつつあった事が窺われる。こうした点を顧慮する場合、国語(共通語)の規範化と並行して揺れ動いた行書先習論と楷書先習論との対立時点まで遡る歴史感覚が教育的立場には必要となる。さもなくば至極あっさりと国語の猛毒に冒されてしまうからだ。たかだか百年の歴史しか持たない国語を伝統文化と勘違いして、歪曲と知らぬまま書写/習字/書道に持ち込む危険を国語科教育は常に抱えている。云うなれば国語科書写は、それ自体が国語科の範疇にあるがゆえに、全国規模の未履修問題により却って救われた面もある事を否定できない。嘘を教わるのと何も教わらないのとではどちらが好ましいか、教員や保護者それぞれ判断が分かれるだろう。そうした学習指導要領上の桎梏から比較的自由な立場にあるのが書塾であった。

(以下、未完)



4祝! 教育再生機構教科書採択! ( ミッドナイト・蘭@ハリポタ鑑賞 ) New!!
2011/07/15 (Fri) 20:59:46
栃木県大田原ゲット!

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110715/edc11071520310002-n1.htm



8男と女…(紙一重?) ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/07/16 (Sat) 01:06:12

男と女…(紙一重?)
>>>因みに学校では日常会話が総て英語だそうで
>これは不思議な学校ですね。
 仰せの通り、普通の学校には通わせてないんですね。なんでも理由は母親(医学畑で博士)が英語で苦労したから…らしい。父親は三つの病院を統括する法人の理事長みたいだけど(ネットで見た)、宣伝は取り敢えずやめとくわ。
 子供の話を真に受けると、なんでも「はるな愛」だか「ほしのあき」だか、有名人が通院してるんだとさ。後者なら是非お近づきになりたいわぁ(慾情悶々、ここだけの話)。
 ゲーム機(任天堂)の充電器は別のリュックサックに入ってたみたい。代わりに百円ショップで折り紙を買ってやった。もう帰京したけど、あっちではまた地震あったのね…。



8Re: 祝! 教育再生機構教科書採択! ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/07/16 (Sat) 21:51:55

 旧板、すなわち初代の天バカ板(掲示板)が突如消滅したのを見て愕然としてから半月が経った。そんな今日は、指揮者カラヤンの命日でもある(1989.7.16)。
 …苹はカラヤンの録音が好きだった。究極の美的平凡。一つの基軸。他の演奏と比較した途端に浮かび上がる、時には嫌味なほどの恐るべき非凡さ。非凡と平凡の同居が常に別の何かを隠すのみならず、そもそも同居自体が異常である事を発見させまいとするかのごとく洗練の限りを尽くす。そんな教科書があるとしたら、授業する側はさぞ困るだろう。授業自体が生徒の中で教科書へと変貌していくタイプと違って、教科書が既に古典となっているかの様な振る舞いは時として授業を拒む。代わりにあるのはリハーサル。そして教科書が楽譜であるとは限らない。楽譜は常にリハーサルへと寄り添うが、その時点での教科書は未だ生成途上にあり、後から予言的に「教科書となっていく」。そうした意味で、教科書はむしろ稽古に近い。肝腎なのは、稽古と授業は別物だという事である。

 授業は屡々アジテーションを要請する。だから授業者は教科書を分かりやすく噛み砕くべくして工夫する一方、噛み砕き方の拠り所を自己から教科書に責任転嫁したくなる。普通は軟着陸できる筈だが、前例を見ると~例えば敗戦に伴い顕在化した「墨塗り教科書」に正面から向き合う場合は辛い。それと似通った事が所謂「歴史教科書問題」にも云えそうではある。新たな「墨塗り教科書」が出現した以上、それを採択する「外からの自発性」に対して現場が既存の教育手法をどれだけ保守できるのか。しかも今はGHQ不在である。嘗てのGHQは「墨塗り」を強いる側にあった。
 新たな「墨塗り」を要請する採択者に、嘗てのGHQほどの強権はない。ならば教科書通りに教えるのは教員・学校側の自己責任か?…そんな解釈余地を殲滅する上で、強権的な占領政策は必要不可欠であった。それを欠いた状態で教科書を現場に丸投げするかのごとき採択者の姿勢たるや、見方次第では鬼畜にも劣る所業…と映らぬでもない。教科書次第でコロコロ言動が変わる腑抜け教員に生徒が従うとしたら、生徒に腑抜け根性が伝染する事にならないか。そうなるのを避けるため、納得できない教員には勇退の道をひらいてやるべきではないのか。
 教員に出来る自己救済の道はただ一つ、勉強のみであろう。しかし教員をいっそう多忙にしたのは誰なのか。雑務に追われ、勉強する暇がない(或いは初めから勉強する気がない)。先生の勉強する姿を見て育つ生徒の時代は終わったかの様でもある。にもかかわらず、相変わらず勉強それ自体は楽しい。リハーサルの中に勉強があり、片や生徒には稽古がある。そこに楽譜と不分明な教科書が立ちはだかる。「教科書とは何か」を、もっと掘り下げる必要と責任を感じる。と云うのも私は、私のつくるだろう教科書を愛しているからだ。誰もが心の中に自分の教科書を抱えている。これを座右の銘と云う。
 採択慶賀。



8Re:苹@泥酔 ( ミッドナイト・蘭 ) New!!
2011/07/17 (Sun) 10:38:28
正直、今においては、然るべきシステムの中で、粛々と採択が決まっていくのだと思い、私は、何を記したら分からずに、ただ、教育再生機構の末端にいることしか出来ませんでした。

ホント、私は闘いの中でしか輝けない^^;

正直、再生機構の先生方は、カラヤンの如き、カラヤンとは異なる「美的平凡」の方々だと思います。

教科書も、西尾幹ニの如き挑発はありません。

だが、「美的平凡」であることが、日本を良くする秘訣だと思います^^

ところで、NHK朝のテレビ小説「おひさま」で教科書墨塗りのシーンがありまして、なかなかリアルに感じさせてもらいました。

主人公は、国民学校になった時の最初の教師で、戦後、GHQの査察を受けて、ちょいとやばい状況に陥りそうになったとき、かつての排除された英語教師が、そのGHQの通訳をしていて、ギリギリで助かったのでした。

「おひさま」は、戦時中の配給のシーンなどもあって、「配給」と言葉では理解していても、具体的にどのような様子で行なわれたのかわからないことが目で理解させてくれました。

コテコテの保守は、それでも、それらの描写に怒り狂うのでしょうが、私は、素直に、そんな描写を享受します^^



8Re: 苹@泥酔さんへ♪ ( ミッドナイト・蘭 ) New!!
2011/07/17 (Sun) 10:41:44
折り紙って、女の子の趣味のスタンダードとなっていますよね。

私の小さいほうの姪も、折り紙が大好きで、将来は折り紙の先生になりたいとのたまっています^^

公民館での折り紙教室などにも行ってます。

折り紙、かなり進化していて、古くて新しいホビーですね^^



4「批評と臨床」再掲 ( 苹 ) New!!
2011/07/19 (Tue) 05:05:04

「批評と臨床」再掲
 ぼちぼち、旧板に書いた稿の転載を始める。
 先ずは結果的に最後のシリーズ物となった「批評と臨床」から。~同じツリーにはNHKでドラマ化された漫画「とめはねっ!」のネタや、「俺の妹が書家になりたいわけがない」といったシリーズ物も含まれていたが、そちらを後回しとする理由は、もうじき青森県教員採用試験の第一次が実施されるから。どれも長文ゆえ、或いは分割投稿となるかも知れない。内容が散漫となった点についてはご容赦を願いたい。
 出来立てホヤホヤの此処=新しい天バカ板を閲覧する人は少ないらしい。余計な話に惑わされずに済む…と云えばそれまでだが、中には書き込みを真に受けた人が居てもおかしくあるまい。そうした人々の、就中「青森県のを受験する教員志望者」達に向けて一言。暗黒面に堕ちた「ダース・苹だぁ」は受験しません(キッパリ)。変な人に掻き回されずに済むので、該当するジェダイの方々(?)は安心して受験して下さい。
 当節試験事情の偵察がてら、言いたい放題の悪役モードで書教育不要論を展開する(させる?)手もあるにはあったけど、今回それはやらない。国語教育を道連れにするのはまだ先の話になる。もっとじっくり調べ上げてから、そのうち一切のタブー無しに根こそぎ揺さぶってやる。当面の敵は特別支援学校ではない。高等学校と義務教育である。~今や苹には斯くの如く空耳が聴こえる。「狂え英霊尊! 切り捨て英霊尊!」(↓)。
http://www.youtube.com/watch?v=TNEUM4F80WE
 …扨て。
 教育界批判を展開する上で屡々、高校書道教員採用試験を実施しない風潮が全国的にある事を取り上げた。しかし必ずしもその事が問題なのではない。もし関係者の誰かが「とにかく実施すればいいんだろ、いい加減に黙れ」と思っているなら大間違いである。それを明瞭に示す点で最重要投稿となったのが下記No.7081稿である。
 以下、グーグルのキャッシュに残っていた記録をサルベージする(ワープロの草稿執筆用ファイルには投稿番号や日時を記録していない)。これは高校統廃合に関する説明会の質疑応答時間に突き付ける予定だったが、シャイな性格の苹は緊張の余り、読み上げる事が出来なかった。仮に発表できたとしても御覧の通りの分量ゆえ、そのまま読み上げたら途中で必ずや「要点を掻い摘んで手短に」などの注意があった事だろう。また統廃合計画は学校数を減らすのが大前提であるから、「第三の道」を持ち出したところでまともに検討されるとは思えなかった。説明会は「説明し、納得して貰う」ために実施される。余計な意見は必要ない。それと同じメンタリティは、原発事故後の企業側対応にも窺われた通りである。

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7081 発表されなかった予定稿 苹@泥酔 2008/04/23 02:16

 年末十四日のグランドデザイン会議説明会に集まった総勢十六名の一人で御座います。その際の発言が取り留めのないものでしたので、本日はざっと纏めたものを朗読します。名前は年末に申し上げた通りです。HNは草冠に平らと書く「苹」と申します。「西尾幹二のインターネット日録」などの保守系サイトに出入りして居ります。

 では本題に入ります。
 昨日の「東奥日報」を見ました。予想通りの展開で、県教委の皆様方はさぞ御負担を感じて居られるだろう事、お察し申し上げます。正直、あれでは効果が薄いと思います。大雑把に云って、学校側の潜在願望に応えていない。昔増やした高校を振り出しに戻すだけでは将来性が感じられない。かと云ってそのまま残せば少人数教育への移行が避けられず、その分だけ県財政が悪化する。逆に云えば、財政負担がどうにかなれば少人数教育でも構わないと見る事は可能な筈です。今日はそうした視点から二つ提案します。
 今「学校側の潜在願望に応えていない」と申し上げました。細かい具体例はネット上で書きましたから省略しますが、兎に角どこの進学校も、受験に役立たない事は教えたくない。にもかかわらず高校である以上は、せめて教えたふりくらいはしなければならない。ならばいっそ、高校でなくなればよいではないか。正々堂々と予備校もしくは専門学校に改組すればよいではないか。高校のままだから角が立つ。名目は高校のままでも中身を変えれば不具合はないと考えた学校が未履修に踏み切る。それが私の見た高校側の意思、潜在願望であります。
 高校の体裁を残すにしろ、可能であれば県立予備校への改組を検討するにしろ、そこには将来性が必要です。ならば最も有望なのはどこか。私は差し当たり、生徒のほぼ全員が大学進学を目的とする三つの高校を民間資本に委ねるか、もしくは県立予備校に改組して、高等学校卒業程度認定試験を経由する方式にしてはいかがかと考えます。教育の多様性は部活動に任せる。どうせ必要なのは最終学歴ですから、結果的には大学を取り巻く方々が出身校の質をランク付けしてくれるでしょう。受験に必要ない科目の人件費、教材費、設備費も丸ごと削減できます。どうしても本来の高卒でありたい人は別の高校に入りますから、それはそれで二番手校の学力底上げが期待できます。また仮に高校のまま民営化するなら、例えば山田高校の様な東京資本の傘下にある私立高校との経営統合を打診したり、或いは有名予備校が高校を抱える形での資本協力や人材交流が期待できるのではないかとも思って居ります。
 これが第一点。「高校教育の分離分割」「高校教育からの撤退」です。

 次に、「教員採用試験の廃止」を提案します。
 そのための実験が既に済んでいる事は皆様御承知かと思います。わざわざ採用試験を実施する必要がない訳ですね。因みに、青森県教育庁県立学校課課長の肩書きで頂戴した2001年10月26日付の電子メールにはこう書いてありました。
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>書道専門の教諭がいない場合でも、他の書道免許所持者が担当しており、学校として不具合がないことから、書道専門の教員を採用して欲しいとの要望はほとんどありません。そのようなことから、書道の試験についても昭和55年度以降実施していないものです。
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 そんな訳で、或る先生から伺ったところによると、具体的には県教委の方がベテランの先生に「誰か紹介してちょ」と電話する仕組みになっているそうです。そこで紹介して貰った人が次の先生になる。この仕組みが実に面白い。
 何年か前、下北の或る高校で書道担当の先生が死にました。そこで人材を補充した。無免許の人を補充したそうです。この点は臨時免許を出せば済む話ですからどうでもいい。「東奥日報」2000年11月10日付に「県教委はここ数年、公立小中高校合わせて一年当たり約百人に交付している」との記事が出た通りであります。一つ興味深いのは、確かその高校では岩手大学書道科を出た先生が国語を担当して居た筈なんですね。学校では国語担当でも、高教研では毎年書道部会に出ていた人です。その先生でなく無免許の民間人に担当させた点が面白い。そこには地域の事情が絡んでいたのかも知れません。大抵の人は書道と云えば流派を思い浮かべるでしょうから、地域に密着した流派の方が、大学で専門の勉強をした人の学習指導要領準拠指導より信頼できるという事なのかも知れません。
 これと同じ理屈が受験教育にも通用します。大都市の場合、学校より塾や予備校の方が信頼できるのは、書道教員より書道家の方が信頼できるのと同じ構図です。因みに東京都の書道教員は「既に20年以上採用がなく、都立、国立に各1名のみ専任教員がいるだけで、110名以上が非常勤講師」だそうですが、最近では他の教科も含めて興味深い動きが見られます。
 「毎日新聞」2007年2月17日付によると、愛知県の場合「90年度には4000人前後だった臨時教職員が、06年度には約1万人と倍増」したそうです。就中興味深いのは、非常勤教員なら「1人の正規教員の人件費で3人は雇える」点であります。「全国約110万人の公立小中高校の教師のうち、少なくとも13・8%にあたる約15万人が教員免許を持ちながら、正規採用されていない臨時教員」となっているそうです。
 また「東京新聞」2007年8月24日付には、こんな事が書いてありました。
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> 大手学習塾などを運営する栄光グループの「エデュケーショナルネットワーク」(東京都中央区)には約一万六千人が登録。首都圏の私立高校を中心に約四百四十校が会員となっている。「必要に応じて、派遣を受けることで人件費を流動化させるとともに、大量退職時代に入り、幅広いルートで優秀な人材を確保したいという事情が学校側にはある」と担当者は説明する。
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 かてて加えて教育再生会議第三次報告を見ると、こんな記述が目に留まります。
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> ・教育委員会や学校は、教育内容の充実に向け、現役、OBを含む社会人等の外部人材に協力を求める事項を明確にし、一定の費用負担を含め、こうした人材を積極的に受け入れる仕組みを構築する。企業もこれに積極的に協力する。
> ・体育、芸術など人材を得にくい地域においては、これらの教員を教育委員会に配置し、複数の学校に派遣する。
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 「企業もこれに積極的に協力する」と書いてあります。「複数の学校に派遣する」とも書いてあります。こうした流れを読むと、自治体がわざわざ自前で教員採用しなくともよい筈です。人材派遣会社か予備校に「紹介してちょ」と電話すればいい。

 本県では2002年に面白い動きがありました。二十三年ぶりに教員採用試験が実施された話です。これのどこが面白いかと云うと、現職の先生方は受験していないんですね。今更試験を実施してどうするつもりでしょうか。誰が新任の先生を指導するのでしょうか。それまで試験自体が実施されなかった訳ですから、現職の先生方は専門のペーパーテストも実技も完全免除です。他の科目で受験し採用された先生が、本来の採用科目とは無関係な科目を担当する形になっている。しかも少なからぬ先生がどこかの社中に属している。喩えるなら、学校の先生が予備校で研鑽を積む様なものです。形式的には学校の先生でも、専門の立場は民間側、すなわち塾や予備校の類の先生です。
 そうした古株の先生方が、専門の試験で採用された初任者を指導する形になる。採用履歴を重視するなら、例えば国語の先生が芸術の先生を指導しても構わない。専門性を重視するなら、民間の先生が学校の先生を指導しても構わない。平たく云えば味噌も糞も一緒で、教員採用試験と教員免許が共食いしている訳ですから、今更専門の採用試験を実施しても手遅れです。
 そこにはもう一つの効果がありました。どうでもいい科目の受験機会を剥奪すれば、そのまま教科差別慣行を維持できる。仮に従来の教科差別をやめるつもりなら先ず、定年間際であろうが委細構わず、古株の先生方に専門の採用試験を受験して貰ってからにしてはどうですか。出来る筈がないでしょう。実質的には予備校や専門学校が高校教育を偽装している形ですから、どうしたって無理が生じます。早急に高校教育から進学専門教育を掬い上げ独立させないと、高校進学率ほぼ100%という異常事態は余計な歪みを抱えたまま、競争効率面でも経済効率面でも十把一絡げに疲弊し続ける事になります。
 後は本格的に人材派遣システムを導入するしかない筈です。管理職は正規雇用、一般教員は非正規雇用という構図を確立し、自ら壊した教員採用システムの後始末をするしかないでしょう。
 因みにドイツの場合は、アビトゥーアという高校卒業試験がそのまま大学入学資格試験となり、これに失敗すると無資格になるそうです。そして大学では博士号を取らない限り、高校のアビトゥーアの資格で終わる。つまり「大学を出た」という印がない。あちらは十歳の段階で高等学校、実業学校、基幹学校の三つに分かれるそうですが、これを本県に当て嵌めるなら、所謂御三家が高等学校、工業高校や商業高校などが実業学校、大学進学者の殆ど居ない普通高校が基幹学校に相当するかと思われます。本県が国際化を目指す場合、こうした事が参考になるなら幸甚と存じます。
 以上、宜敷ご検討下さい。
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8【再掲】批評と臨床(其一) ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/07/19 (Tue) 23:12:34

【再掲】批評と臨床(其一)
7951 批評と臨床(其一) 苹@泥酔 2011/04/28 19:12

 彼らは、何を考えているのやら。
 青森県で今年、書道の教員採用試験が実施されるらしい。ただし高等学校ではない。特別支援学校の高等部だそうである。これは想定外(苦笑)だった。意表を衝かれたと云うべきか。今や「青森県の高校教育を信頼していない」状態にある苹の研究テーマは、そうあるがゆえの「如何にして信頼するか」である。そのための方法を一から自前で考え続け、いつかは苹の屍を越えて教育現場に突撃するだろう人々の役に立つレベルに到達する事を願いつつ、書教育周辺の描写対象を(ネット上で表現可能な限り)構築していく事である。それも些か不都合な事に、大抵は死人の視線で書きたがっている。苹は死人であり、隠居であり、廃人であり、精神病者である(自称)。そんな厄介者をわざわざ墓から叩き起こしたがる物好きが居るとは思っていないが、正直またまた「揺れる想い」を脳味噌いっぱいに感じている。…数日前から「批評と臨床」を連載テーマにしようかと思っていた矢先だからだろうか。それを躊躇していたのは、同じタイトルの本が哲学者ドゥルーズにあり、もう何年も前に買ってあるのに未読のまま(自嘲)だからである。「ドゥルーズを読む前に書く」というアプローチで構わないか否か。そうするつもりである分だけ余計に、ともすれば今後「未読である事」に囚われる面が出てくるのをおそれる。
 批評と臨床。~苹の担当は批評の側になるのだろう。臨床に相当するのは学校で云えば授業等々だが、今や臨床の対象は(生徒であるよりはむしろ)患者たる苹自身であり、離人症や分裂症への興味に導かれた上での批評へ向かう段階にあると自己診断している。やり過ぎて「後戻りできない」面も部分的には感じている。あと何年くらい生きられるだろうか。もう授業に全力を注ぐ時間はない予感がする。先のNo.7934稿の無意識、すなわち船だの水だの死だの岩手だの長野だの、投稿翌日から始まった出来事への予感と解釈できぬではない焦りよりも強く、時間のなさを感じている。(あの稿はもう一日くらい寝かせてから出したかったが、三月十日に出したのはセレブ奥様ブログのコメント欄に僅かな痕跡が残る通り、本当に「焦っていたから」である。)
 …こんな調子で書いても仕方がない。続きは後回しとする。(聾文化や左手について旧稿で触れた記憶あり。)
 先ずは本稿タイトルを思い付く前に書いた内容から(↓)。…次稿は、これから書く。


●【No.7934補記】ただの連想。
 何気なく読んでいたところ、或る記述に目が留まった。~先ずは全文引用(↓)。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110416/edc11041608100003-n1.htm
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>【第9回産経志塾】
>作家・佐藤優氏 困難を克服できる日本人
>2011.4.16 08:09 (1/3ページ)
>第9回産経志塾 講師として作家の佐藤優・元外務省主任分析官が招かれた=26日、東京本社 (寺河内美奈撮影)
> ギリシャ人は2つの時間があると考えた。「クロノス」は時系列な時の流れ、「カイロス」はある出来事によって歴史や人生の意味が変わる瞬間。2011年3月11日は、私たち日本人のカイロスとなった。
> 新しい日本を作りつつある今、このカイロスと対峙(たいじ)して根源的に、命とは何か、日本は存在する意義があるのか、日本人とは何かを考える必要がある。日本人は、国家の危機を団結して乗り越えてきた。
> 日本が終戦後、基礎にした欧米的な近代主義には「合理主義」「生命至上主義」「個人主義」の原理がある。これらの原理では解決できないことに直面している。近代主義を超克しなくてはならない。日本人はこれを乗り越える力をもっている。今、震災の現場では、わが国のために命を差し出す人たちがいる。
> こういう時には文学の力を借りる必要がある。小説「塩狩峠」(三浦綾子著)は、暴走列車を自らを犠牲にして止めた鉄道職員の物語。考えてからではなく、体が自然と列車の前に動いた。思想即実践、実践即思想。この中に、私が考える大和魂、日本精神がある。
> 明治天皇の有名な歌に「敷島の大和心の雄々(をを)しさは 事ある時ぞあらはれにける」がある。16日の天皇陛下のビデオメッセージでも、この「雄々しさ」という言葉を使われた。天皇の言葉に人々は大和魂が揺さぶられた。日本の根源的な力を信じることが大事なのだ。
> メメントモリ(死を思え)という言葉がある。戦前の学者、田邊元氏の「死の哲学」を読むといい。原発事故が起きた。電気なしでは生活できない時代は、常に死のリスクを伴っていることを認識しないといけない。
> 戦前のエリート教育を記したものには「統帥綱領」「総帥参考」がある。こういった豊かな遺産から学び、新しい本物のエリートになってほしい。必要なのは擬古文が読めること、国際情勢の分析ができるよう数学ができること、そして英語だ。
> 今、政治に力はない。ただし政治家は、民主的な手続きで選ばれている。彼らのだらしなさには、私たち日本人のだらしなさが反映している。勉強は自分のためではなく、国家のためで民族のためだという危機意識があれば学力はのびる。地域、商業活動、研究所、役所…どの集団にも指導的な役割がある。その指導者に自覚的になっていってほしい。
>                   ◇
> ≪Q&A≫
> Q 日本の大学は、エリートとして通用する人間を育てられるか
> A 神学部のある総合大学がほとんどないのが問題だが、日本の大学教育は死んではいないと思う。基本的な哲学書を読めば急速に教養レベルがあがる。
> Q 独自の外交ルートを作れたのはなぜか
> A 仕事の上で友達を作るコツは簡単。約束を守るに尽きる。
> Q 学生は今、何をやるべきか
> A まず、きちんと寝て健康を維持する。中高生は学校の勉強をなめず基礎を固めておき、復興のために役立つ人間になること。
> Q 国をよくするために何をすればいいか
> A 税金から給料をもらう「臣」か、自分で稼ぐ「民」かで変わるが重要なのは能力と適性。一生懸命仕事をすることで社会が強くなり、それが国家を強くする。自分の居場所で、一人一人が社会に貢献していくのが大事だ。
>                   ◇ 
> ≪塾生コメント≫
> ▼明法中学、千葉陵平さん(14)「日本人の根幹をなす精神の強さと奥深さを、『塩狩峠』の話を例に教わり、感動した。何をするにも、まず勉強しなくてはならないことが分かった」
> ▼慶応大学、佐藤まい香さん(20)「日本という国にプライドを持つこと、戦前の歴史、書物を学ぶことが非常に大事だと実感。思想は、さまざまな事象に大きな影響を与える。積極的に学んでいかねばならないと痛感した」
> ▼自営業、小山貴之さん(27)「内部事情の話を聞くことができてうれしかった。『大和魂で、絶対に日本を復興させなければ』という信念で、これからの人生を歩んでいかなければと思った」
> ▼会社員、形見健太郎さん(28)「『東日本大震災において、われわれ日本人は限界を超克できることを証明した』という話にとても勇気づけられた」
>                   ◇
>【プロフィル】佐藤優
> さとう・まさる 昭和35年、東京都渋谷区生まれ。51歳。同志社大学大学院神学研究科修了。60年、外務省にノンキャリアの専門職員として入省。ロシア語を研修で選び、同年5月に欧亜局ソビエト連邦課に配属。62年、モスクワ国立大学言語学部に留学。63年から平成7年、ロシアの日本大使館に勤務、10年には国際情報局分析第1課主任分析官。また、東京大学教養学部の非常勤講師(ユーラシア地域変動論)も務めた。主な著書に「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」(新潮社刊)、「国家の自縛」(産経新聞出版刊)などがある。
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 目を引いたのは、「近代主義を超克しなくてはならない」との記述。初めはボンヤリと読み流していた。暫くすると「必要なのは擬古文が読めること、国際情勢の分析ができるよう数学ができること、そして英語だ」と書いてある。なぜ擬古文なのか。~文脈上は「統帥綱領」「総帥参考」といった書物を指す。多分それらが擬古文で書いてあるのだろう。普通に読めば、書字時代から活字時代に移った後の「古文を擬した」書物という事になる(「古文」そのものまで遡るとは限らない)。
 ここでの近代主義は終戦後に導入された。それを超克するには「文学の力を借りる必要がある」らしいのだが、そこから話は戦前へと舞い戻る。また「戦前」が近代に含まれる場合、近代は戦前と戦後に区画される事になる。どうやら苹は、「近代主義」という語彙が指し示す内容の幅に引っ掛かったらしい。~言い換えるならモダニズム。辞書を見ると対置されるのが伝統主義(トラディショナリズム)だそうな。あたしゃてっきり古典主義(クラシスム)かと思ってた。こちらはロマン主義と対置するらしいが、昔『書道講座』(二玄社)で西川寧が「クラシスム」を云々していたからだろうか、しっくり来ない面はある。またモダニズムの後にはポストモダニズムと呼ばれる区分もあり、ややこしいと云えばややこしい。なおかつ歴史で近代と云えば、後に続くのは現代。そんなあれこれが「近代主義」を迷わせる。
 昔から「英語が重要だ」と学校でさんざっぱら教えられてきた。苦手な身としては「たかが言語の一つじゃないか、ドイツ語やら何やらはどうした」と思いたくもなる。現に私は英語圏の文化を余り好きになれない。音楽は大抵ドイツかイタリア。テレビで初めて見たビゼーの歌劇《カルメン》はフランス語でなく小澤征爾の振る日本語上演だったと記憶する。差し詰めハバネラの歌詞はこうだ。「恋は気儘なの、掟なんかありゃしない、私を嫌うなら、愛してあげるわ」…すると続けて兄さんがた、「愛して!」と合唱する。続けてカルメン、「私を嫌いな男は好き、好かれた男はご用心」と歌う。ベートーヴェンの第九でも異様なFM体験をした。これも指揮は小澤だったかな。歌詞は全部、中国語に翻訳されていた(仰天)。
 言い訳にゃならぬが、ともかく外国語は会話や読書の対象にならないのが実情でござる。なにしろ様々な邦訳がある。こちとら青森の田舎者だ。会話するにも相手がいない上、喋る内容が相応の語学力を要求するとなると挨拶程度では済まない。「邦訳で『ファウスト』を読んだが、ホムンクルスがよく分からない」なんて話を(ドイツ人でなく)アメリカ人と交わすのかい。それとも三沢基地近辺にのこのこ出かけて行って、「小学生の頃に原爆や水爆の作り方を読んだけど、ウラン235を使う広島型とプルトニウム239を使う長崎型では使い勝手に違いはあるの?」なんて話でもするのかい。今なら…そうだな。「潜水艦や空母は原子力を使ってるけど、事故や攻撃でダメージがあった場合、原発とはどんな閉鎖方法の違いがあるの?」とでも問いますかね。…そう云や先日、こんなの(↓)を行きつけのブログに書いたっけ。前半略。
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>(余談)
> 「日録」読んで思い出した。日本に原潜はないけど、原船「むつ」なら昔あったんだよなあ(…あの船は今?)。真逆、あちこちに原子力発電船を浮かべたら津波対策になる…なんて事はないよね。電力の無線送信なんて技術はないだろうし(これが文字通りのデムパ発言!)、送電ケーブルの緊急切断と即時出航なんて芸当も現実的とは思えないし。まかり間違えば漁船みたいに津波上陸して破滅的危機の同時多発と相成っちまう。…米の原子力空母ならどうするんだろか(次の地震に伴う津波が横須賀寄港中の空母を襲い、ビル群を破壊しながら原子炉爆発?)。
>【2011/04/16 06:35】 | # [ 編集]
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 …閑話休題(汗)。
 どんな返事があるにしろ、外国語のそれを聞き取れるほどの耳は持ち合わせていない。ならば筆談か。漢文ならどうにかなるかも知れないが自信はない。数学も正直よくワカラン。例えば禰津和彦『書道心理学入門』(木耳社)で興味を持って、岩下豊彦『SD法によるイメージの測定』(川島書店)を買った所まではいいけれど、中身が数学だらけでチンプンカンプン、早々にお蔵入りとなった。因みに禰津氏は約二十年前の出版当時、東京都立狛江高等学校の校長(定年退職間際?)。時は現代、それだけ書道教員への要求水準は高いのだぁ。ぼちぼち各地で教員採用試験の実施要項が出揃う頃だが、かてて加えて「敢えてレベルの低い授業、もしくは歪曲教育をする」胆力、忍耐力までもが要求される。
 「メメントモリ(死を思え)という言葉がある。」~この言葉を、書教育にも適用してみたい。

 学校で研究するのではなく、学校を研究するには、時として学校が邪魔になる。学校で学校を研究する場合、時として学校の邪魔になる。その辺が難しい。学校の邪魔にならない場合に限り、学校で学校を研究できる。学校は研究者を飼育するからだ。そもそも学校で研究が許されているとは限らない。研究してもよい事と、研究してはいけない事。その境界を見定めないと、学校という組織に自分を同化するのは難しい。
 「想定外」という言葉がある。最近よく聞く常套句だが、遣い方によっては「想定内」との間に危険な断層を生じさせてしまう。割れ目にはエロティシズムが垣間見える事もある。期待される恍惚感が絶望的なまでに唆される時、そこでは絶望そのものが甘美となるだろう。つまり「想定外」と「想定内」との間に境界はなく、甘美な何かへ向かう点では共に軌を一にする。排除されるべきは断層の方であって、そこを埋める事によってのみ、言葉もまた無事に埋め立てられるだろう。断層が埋葬されるのか、断層に埋葬されるのか、共に対象を見定めるのは難しい。

(以下未執筆~続く)

「批評と臨床」其二

苹@泥酔

2020/03/23 (Mon) 21:27:10

8【再掲】批評と臨床(其二) ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/07/19 (Tue) 23:16:04

【再掲】批評と臨床(其二)
7952 批評と臨床(其二) 苹@泥酔 2011/05/05 19:03

(続ける)

 いま私は、「割れ目にはエロティシズムが垣間見える事もある」云々と書いた。この「割れ目」、ひいては断層の見え方を、ここから先は「裂け目」という言葉と共に読み替える事とする。~以下は檜垣立哉『ドゥルーズ入門』(ちくま新書)P.195の記述。引用文中の略号「LS」は『意味の論理学』原著を指す。
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> そして第三に重要な点は、こうした「裂け目」を、ドゥルーズは「死の本能」=「タナトス」と表現していることである。これは遺伝されるものが、「裂け目」である以上、それが示す無というあり方を考えれば妥当であるだろう。またこれは『意味の論理学』の表層論における、脳のスクリーンにおいて(『差異と反復』での「第三の時間」を受けながら)「裂け目」が内化されることと内容的に重なってもいる。しかし、生命であることを示すのに、死の本能をもちだすのは、これもきわめて精神分析的な色彩を帯びた展開である。死の本能とは、「他の本能と並ぶ本能のひとつではなく、その周りにあらゆる本能が群がる裂け目自身」(LS 378)なのである。他の本能が「よく話し」「雑音」を立てるのに対して、死の本能は「沈黙」している。
> 死の本能が生命そのもののことであり、それこそが、個体から個体に繋がれる「裂け目」であること、それは、生命とは死するものであるという記述としてはよく理解できる。しかしそこでの死が、たんなる空虚なイメージのみで捉えられてしまうと、それと生殖質としての遺伝の意味が、あるいはそれが自然史に繋がることの内実が、よく語られえないともいえる。
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 上記引用を敢えて拙稿にこじつける必要はない。とは云え前稿末尾に連ねた部分~これから何を書き始めるか全く定まらぬ時点で最初に書いた二つの段落~で、私は「期待される恍惚感が絶望的なまでに唆される時、そこでは絶望そのものが甘美となるだろう」とも書いた。絶望と希望の間に境界はなく、むしろ連続する流れの位相変化であり、そこに断層を見出す事で横断性が推認されたり否認されたりする。例えば一元論と共立可能な二元論を、敢えて素直な二元論へと整理する事により、共立不可能な領分が「元からそう在った」かのごとく浮かび上がる。
 或いは曲解含みかも知れない。~「漢字と仮名」と書くだけで二元論の振る舞いが想起できる様に。漢字を漢字として書いたものと、仮名を漢字の姿で書いたもの。どちらも見た目は漢字であろうが、機能は明らかに異なる。仮名の機能が漢字の姿に遺伝し、漢字の姿が仮名の痕跡・来歴となって遺伝し、仮名として書かれた姿から漢字への遡行がなされなくなった段階で機能優位の断層がリアルな既成事実となりながら、漢字と仮名の双方に「裂け目」を内包するよう「国語の論理が」押しつける。そして他方ではヴァーチャルとアクチュアル、リアルとポッシブルがそれぞれ対となって結び付く。
(註。~この辺のややこしい話は、差し当たりズーラビクヴィリ『ドゥルーズ・ひとつの出来事の哲学』(河出書房新社)巻末の「訳語対照リスト」を参照した方がよいかも知れない。訳者は小沢秋広で、こう書いてある。「actuel―virtuelとreel―possibleの連関と区別は、ドゥルーズ哲学の中心要素のひとつだが、これは日本語に限らず、通常の言語が行う区別との交錯からも、これまでのところ満足に訳し分けられていない。またドゥルーズの著作において、actualisation、effectuation、realisationは対象や文脈によって使い分けられているが、論理的には同じグループに属する語群である。ズーラビクヴィリは、realisationを避けeffectuationで一貫させている。」)
 ドゥルーズのジャルゴン(?)は見方や考え方を刺激してくれるが、フランス人の思考を忠実になぞれるほど苹に理解力がある訳ではない。もし齟齬・誤解・曲解があるとしたら、そこにこそ日本人たる苹の思考との差異がある事になり、むしろ解釈の手懸かりとしては望ましいと云えるだろう。


●「手遅れ」の自覚
 先日、セレブ奥様ブログ(↓)でこう書いた。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1100.html
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> 追記。~その後、検索してみました。
http://big5.ce.cn/kjwh/scpm/tzjb/zhgsh/zgshgd/200910/12/t20091012_20179471.shtml
http://tc.wangchao.net.cn/baike/detail_2026728.html
> これらの雅印と比べれば、真贋はよりハッキリするでしょう。よく見えませんが、私は奥様の画像を真蹟と見ました。出来は良い方と思います。上記サイトのは上の字がより小さく、下の字(対聯)がより大きい。奥様のはその中間で、かなり書きやすい大きさです。
> あたしゃ芸術系の人前で書いた事はないけれど、教育系の書風で書く半切二行や三行が実は一番ラクでして…(汗)。と云うのは、芸術臭くしなくて済むからです(悪く云えばルーティン、マンネリ)。昔は皆そんなのをやってきました。本来は実用ですから。それが今では、いかにも義務教育らしい幼稚なのばかりやらされ、中間がスッポリ抜けたまま、高校でいきなり芸術書道をやらされる。(だんだん愚痴になってきたな…ま、いいか。)
> なにしろ本来の勉強をさせる時間が想定されてませんもの。例えば最初は半紙に二字から六字で楷行草や仮名。だんだん三行、四行と増えていき、手紙文(草書や変体仮名交じり)や履歴書をやる頃には半切二行程度のや古典臨書(高校の「書道Ⅰ」レベル)が始まっている。別に初めから芸術書道と並行しても構いませんが、楷書から行書単元に入る段階では予め書写体に慣れていた方がよい。それが行書の基礎に繋がるからで、逆向きに見れば嘗ての行書先習論となる。
> こうした基礎があるのとないのとでは、真贋に関係なく質を大きく左右する。つまり良質な贋作というのもある訳で、「基礎が疎か」ってぇのは即ち「贋作をつくる能力すらなくなる」事を意味する。かてて加えて郵便局員は草書が読め、銀行員は印鑑を判別できた。そのレベルから奥様の画像を見た次第。骨董の厳密なレベルではありません。
> されど(失礼ながら)粛親王レベルなら、そもそも贋作をつくる動機にならないのでは、と。…片や、贋作が得意な支那人側から見ればどうなるか。上のサイトの解説参照(娘がどんな扱いになっているか)。
>【2011/04/23 21:02】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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 私は書教育に今、「手遅れの自覚」が必要だと思って居る。…そんなの、云われなくても誰だって分かっているだろう。だから開き直る。そこに苹はモダニズムを垣間見る。過去への追憶と訣別、もしくは過去への追憶との訣別。そこから先に近代、ひいては未来が開かれていく様な気がした。
 今世紀に入った頃、巷では「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書検定合格が話題になった。大方は危険視したらしい。軍国主義への回帰、戦前や戦争の正当化、天皇制賛美、マルクス主義への敵視。ざっと見た印象は大体そんなところか。苹のごときノンポリにとっては初耳の「マルクス主義」をどうのこうの云われてもねぇ…。残念な事に、私が超克すべき対象はモダニズム以降の方だったらしい。それより前の歴史が重要だった。そうした意味で当時の名誉会長「西尾幹二」の著作は大いに魅力的と映った。私にとっての「西尾幹二」は、最初=九十年代後半に読んだ『教育と自由』(新潮選書)の著者であって、当時の印象それ以上でも以下でもない。やがて「つくる会」が出来て、従前とは比較にならぬくらい西尾先生は有名になった模様(…と素人目には映る)。
 そんな西尾本を後々あれこれ読んでみると、歴史への視線は苹の興味範囲を遙かに遡っている。それが却ってマズかった。意識内で「モダニズム」へと至るべき言葉が「マルクス主義」とすり替えられ、つい先日まで違和感が燻り続けた。苹の中では言葉の上で意識されていなかったモダニズムに対して批判的と映った「ポストモダニズム」を、どうして保守派の方々は論難するのだろうか。そこが理解できぬまま今世紀最初の十年が過ぎていった。私が読んだドゥルーズは、必ずしも国家を否定していない。ひたすら独創的に分析している。そこに戸惑いがあった。もしかしたら日本の保守派とは、明治以降のモダニズム推進派(伝統否定派?)を指すのではなかろうかと。ならば保守派は伝統派の敵となり得る。尤もこれは、仮に苹が伝統派であるならば、の話だが。にもかかわらず苹は、(彼らに限らず敵対する立場にも)伝統を保守する態度に何かを期待しているのである。

(続く)


(補記)
 以下、前掲「2011/04/23 21:02」稿と通底する印象を持った産経記事を引用する。…ただし苹の夢想する指導に望ましき効果があるとは限らない。現代国語優位のモダニズム教育にとって歴史への回帰は不要かつ有害であり、書字を活字に翻訳した上で古典意識を根底から歪曲する方が指導の整合性は保たれる。(それを私は青森県の高校教員時代に学んだのである。)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110430/edc11043007460001-n1.htm
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>【解答乱麻】
>TOSS代表・向山洋一 効果のある指導、ない指導
>2011.4.30 07:44 (1/2ページ)
>TOSS代表・向山洋一 
> 教師の指導には、効果があるものとないものがある。効果のない指導をいくらやっても駄目である。
> 例えば、跳び箱がとべない子への指導だ。「手をもっと前について」「思い切ってジャンプして」などと指導するが、すべて効果はない。
> 私は跳び箱がとべない子を3分ぐらいでとばせられる。20年ほど前、ほとんどのテレビで実演した。誰でもできる方法だ。これを知らない教師は、不勉強といっていいだろう。
> 人気テレビ番組で、「立ち幅跳び」でたった5センチしか跳べない主婦が一日で激変した。それまで、何年も家族で応援したのに、練習したのにどうやっても5センチだった。
> TOSS体育授業研究会の根本正雄先生が2時間教えて激変したのである。2倍、5倍増えたのではない。何と29倍。1メートル43センチをとんでしまったのだ。テレビを見ていた人も多いと思うがこれが指導力である。
> 指導は、粗く言って3段階である。
> 第一は、やり方を教えること。教えられる側は「分かった」となる。
> 第二は、やり方を身につけること。「できる」という状態になる。
> 第三は、やり方が十分に身につくこと、習熟である。「大丈夫」となる。
> 大切なのは、第一と第二のステップだ。「やり方」が分かり、「できる」となることだ。力量のある教師は、そこを大切にする。力量のない教師はそこをおろそかにする。
> 「教えて、ほめる」が力のある教師、「教えないで、叱る」のが駄目な教師である。
> 「計算」や「漢字」を教えるのに、毎日「ドリル」や「プリント」をやらせて、点検する教師がいる。
> 親は「勉強している」と思うが、この方法では、学力はつかない。
> 第一と第二のステップがないからである。ソロバンの指の使い方を教えないで、毎日、宿題に練習させているようなものだ。
> 同様に百マス計算も効果がない。
> 第一と第二のステップがないからだ。「教えないで、ストップウオッチでおどしている」のである。
> 百マス計算をとり入れた全国の1千校ほどを調査したが、ほとんどなくなっている。効果がなく、算数の授業時間がつぶれ、発達障害の子供たちが反乱したからである。
> 計算も漢字も、授業の中で、できるようになる。毎回、5分ほどでいいのだ。ほとんどの子が満点をとる。私は「ドリル」の害を見て、授業中にやる「漢字スキル」「計算スキル」を発明した(商標は私が持っている)。この教材は、授業中使うのだが、全国に燎原(りょうげん)の火のように広がった。宿題なし、“のこ勉(居残り)”なしで、算数市販テスト平均90点以上が続出しているからだ。
> ここで、漢字指導に悩む母親のためにアドバイスをしよう。
> 1年間でおよそ150の新しい漢字を習う。毎日1文字マスターすればよい。この時、簡単な方法がいい。1日1回、食事前の2分間でよい。教科書の中の新出漢字を毎回2文字出題する。答えは空中に指で書かせる。その時、筆順も言わせる。
> 「山」なら「イチ、ニーイ、サン」となる。できなければ、テーブルの上で練習させて、できたら食事にする。1日2分間の指導で、苦手な漢字を克服した親子が、何千人もいる。
>                   ◇
>【プロフィル】向山洋一
> むこうやま・よういち 30年以上の教員経験。代表を務める「TOSS」(教育技術法則化運動)は全国の教員約1万人が参加。
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8【再掲】批評と臨床(其三) ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/07/19 (Tue) 23:19:43

【再掲】批評と臨床(其三)
7954 批評と臨床(其三) 苹@泥酔 2011/05/08 05:24

(続ける)

 何を以て伝統と見なすかは難しい。例えば阿国の踊りは伝承されていないが、後の歌舞伎は伝統文化の扱いを受けている。元の踊りは既に途絶えた。にもかかわらず伝統は後になればなるほど培われていくためか、その間の蓄積に伝統の在り方が内蔵されているのかも知れない。ならば起源にさしたる意味はない。ところが遠く隔てた後の世から起源をあれこれ考証し、それをさも真実であるかの様に信じ込む向きが少なくない。真実など誰も分からない。ただし人の一生に於てのみ、隠れた来歴としての真実はどうにか忖度し得るらしい。それらの集合が社会の文化的背景となる。言い換えるなら、たとい捏造された文化であっても、それが蔓延した時代にとっては、捏造されたものこそが真実である事を敢えて認めねばなるまい。しかし、だからと云って捏造を正当化する理由にはなるまい。捏造が捏造である理由が那辺にあるかを検証する所に学問は宿る。
 楷書がくずれて行書、更にくずれて草書となった。~これが嘗ての常識だった。考証が進むにつれてそうでなかった事が明らかになったのは百年ほど前であり、それ以前の常識を覆した時点で常識は破壊された事になる。ならば百数十年前の常識を顧慮する上で「今の常識」は要らない。それが私の見た「西尾幹二」の基本姿勢であった。氏から学んだのではなく、氏の姿勢と合致したのである。だから私の守備範囲でない学問については必ずしも氏を支持する必要はないし、また軽々に支持してはならない。畑違いの「つくる会」会員にならなかった理由がそこにある。学ぶ事と信じる事の間に違和感を感じたら、納得できるまで違和感の原因を考えねばならぬ。これを哲学と云う。苹にとって書道は哲学である。
 …さて。
 言葉を書いているのに、言葉で説明できない。言い換えるなら、言葉を書いているのに言葉で書けない。そこから言葉が抜け落ちて、ただ文字だけが残る。字を書いているのに字で書けなくなると、字を強引に征服する態度の方が「不言実行」の幻想と重なり始める。するとひたすら「書く」という行為が稽古の中から浮かび上がり、何も考えず無心で書くかの様な心地が感じられてくる(カンフー映画に曰く…「考えるな、感じるんだ!」)。
 そんな筈がないではないか。考えるから無心になるのが本当ではないか。書く言葉の内容に集中すると、「字形、呼吸、リズムはどうするか」など一々気にして居られなくなる。書字体験の蓄積が逆に作為を受け付けなくなり、却って「お里が出る」羽目になる。無心の中に「お里」があり、ひょっこり迂闊に顔を出す。だから抑も無心をコントロールできる訳がない。「無心で書く」のが何か重要な事に思えてくるのは、無心で書こうとしない逆説的態度が「作品」の作為に反映しているからだろう。ゆえに書を「作品」と呼ぶのは冒涜である。他方、嘗て日下部鳴鶴は「書は神術である」と云ったそうだが、どう解釈しようと~或いは冒涜と見なそうと、それが正しいとは限らない。今は「作品」という囚われの時代である。芸術を名乗る事への囚われから、「作品」は作者/筆者/著者を精神分裂状態へと誘い始める。
 こうした歴史的「手遅れ」の状態を予め自覚した上で、数多ある過去の立場に向かうか、未来志向の現実に巻き込まれるか、それ以外かの態度を決めるくらいは、たぶん許されてよい。~ところで当初、「つくる会」の歴史教科書は東京都の特別支援学校で採用された。真逆(「マギャク」でなく「まさか」と読む)とは思うが、青森ではどうだろうか。青森市では翠軒系の三人、その前は八戸市や下北などで数人が退職もしくは急逝しているのに、高校書道教員採用試験は2002年に一度あっただけ(約二十年ぶり)。その次が今回の2011年、ただし高校ではなく特別支援学校の高等部。そこに何か、異様な気配を感じる。ただの思い違いであればよいのだが、それにしては聾、盲、精神薄弱などの幅が余りにも大きい。もし赴任先が盲学校だったなら、どんなふうに書道を教えるのだろうか。それを含めて苹は今、様々な可能性に思いを馳せ始めている。

(続く)


(附録)
 先日、「其一」の自稿引用箇所で原船「むつ」などに触れた。わざわざ出す必要はないのだろうが~以下、その後に書いた関連近稿を転載して置く。ただし長くなる。この手のネタに興味がない人は読み飛ばしていただきたい。書道ネタとは全く関係がない(単に苹の発想パターンと関係があるだけ)。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1104.html
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> 名にし負う歴史認識のエクソシスト西尾幹二先生は(?)、必ずしも原発を否定していない…と私は読んでます。でなければ抑も、こんな事を書く訳がない(↓)。
>--------------------------------------------------------------------------------
>> 問題の第二は、今後、わが国の原発からの撤退とエネルギー政策の抜本的立て直しは避け難く、原発を外国に売る産業政策ももう終わりである。原発は東電という企業の中でも厄介者扱いされ、一種の「鬼っ子」になるだろう。それでいて電力の3分の1を賄う原発を今すぐに止めるわけにいかず、熱意が冷めた中で、残された全国48基の原子炉を維持管理しなくてはならない。そうでなくても電力会社に危険防止の意志が乏しいことはすでに見た通りだ。国全体が「鬼っ子」に冷たくなれば、企業は安全のための予算をさらに渋って、人材配置にも熱意を失うだろう。私はこのような事態が招く再度の原発事故を最も恐れている。日本という国そのものが、完全に世界から見放される日である。
>> 手に負えぬ48個の「火の玉」をいやいやながら抱きかかえ、しかも上手に「火」を消していく責任は企業にではなく、国家の政治指導者の仕事でなくてはならない。
>>産経新聞20113.30「正論欄」より
>--------------------------------------------------------------------------------
> 原発は生まれながらにして悪魔的かも知れない。それを「鬼っ子」に育てるのが誰か、先生は総て承知の上で書いている。鬼は否定から生まれ、なおかつ鬼子の親は鬼である。そんな親の身になってみれば、俺の鬼子がこんなに可愛いわけがない。だからと云って、鬼は鬼子を殺せるのか。鬼が鬼である事を自己証明するとしたら、それは所謂「このような事態が招く再度の原発事故」となって現れる。つまり西尾先生が危惧しているのは、「親の責任」を放棄するヒステリーに席巻される事なのではないかと。原発事故の当事者たる日本のみならず、その時は世界中が「鬼だらけ」になる?…否、そうはなるまい。日本だけが鬼として取り残されるかも知れない。そうした事態を先生は「完全に世界から見放される日」と表現している。どのみち日本が原子力を、アフターケアなき「現金な態度で」手放す事など世界が許す筈もない。
> 既に結論は出ている。生産性を失った場合の原発は、それ自体が日本の新たな負債となるのだ。先生は一見、原発に反対しているかの様に見えるかも知れない。本当に反対の立場を採ったとしても、それはそれで仕方がない。なぜならそれは、日本が新たな負債を抱えたという問題意識を直視する事に他ならないからである。後は生産性を犠牲にする覚悟を日本が持てるかどうか。…私は持てないと思う。ずるずる原発を再稼働するしかなかろう。そこが夢見る左翼と根本的に異なる。悲劇の受容に裏付けられた運命の自覚であり、この点で原発からの撤退を内包した推進が現実的には苦み走ってくる。安易な原発撤退は別の意味で日本人を鬼とし、そこから先は石油が再び鬼退治の道具となっていくだろう。
>【2011/05/03 18:05】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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> 一つ書き忘れてました。内容は前稿と似たり寄ったりですが、表現の照らす向きが違う。それは「しんがり」への眼差しという事です。負け戦で撤退する時、どれほど重要な意味を持っていたか。生きていれば次の戦で勝つ可能性もあるでしょう。そのための「しんがり」をただの犠牲、人柱として戦場に取り残す鬼畜ぶりが今も昔もある。むしろ今の方がひどいかも。軍勢の仲間意識なき人柱は、ともすれば敵に見えてきたりする。後方から迫る敵を阻んでいたら、味方の筈の自軍が前から攻めてきた…そんな立場の「しんがり」が討ち死にした直後、一体どんな戦闘が展開されるのやら。
> 原発から撤退する時、どんな形で「しんがり」は出現するのだろうか。給料を払いたくないから見殺しにするのであれば、そこでは「しんがり=鬼っ子」の構図が予定される事にならないか。軍勢には代替エネルギーで戦を始める手が残っている。ところが鬼っ子は死にきれない。怨霊、すなわち敵となって化けて出る。そう仕向けるのが誰なのか、西尾先生は原発反対派の中に見据えていながらも、自分が別の立場から反対派にならざるを得ないとしたら。~要は軍勢と「しんがり」の両方を天秤に掛ける形が、代替エネルギーと原発との間で既に出来上がっている。
> 平たく云えば二元論。そんなお膳立てにホイホイ乗せられる先生ではない。にもかかわらず傍目には、原発反対派を十把一絡げに取り纏められそうな気がせぬでもない。その方が好都合。反対自体が賛成派に利用され、警戒心が無関心へと従来通り吸い込まれていく。そこにも既に「しんがり」達は存在している。撤退するにしろ推進するにしろ、「しんがり」達の沈黙はエーテルのごとくしてそこにある。
> 私の名はメーテル…(おっと、いつもの妄想がぶり返してきやがった…ここらで擱筆。)
>【2011/05/04 05:04】 | # [ 編集]
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> 私の名はメーテル…宇宙を旅する女(冗談)…そう云や軍用衛星や宇宙探査機に、原子炉や原子力電池のがありましたなあ。カナダに墜ちた時は核燃料50kgくらい積んでたらしい。同じ原発だからって、チェルノブイリばっか引き合いに出されるのは迷惑だ(推定10tばらまき)。まして広島を持ち出すくらいなら、いっそカナダと福島を比べりゃいいのに。
> 見方を原発に限定するのは、世界中どこでも「都合の悪い事は隠したいから」じゃないのかしら。原子力潜水艦だって何度も事故を起こしてるじゃないか。それも原子力衛星も共にソ連のだった。どの国だって軍事情報は秘匿したいだろう。それを棚上げしてるくせに、どの面さげたのが「日本政府は情報を隠すから信用できない」と言ってるんだか。
> 民主党政権を庇う気はないが、政権打倒にネタを使い回す気もない。しかし情報秘匿への正しい認識(?)を阻むのが過度の平和主義だったりする点にも目配りはして置きたい。とは云え「まともなスパイ防止法ひとつない国だ、情報流出への対応が遅れたソニーに文句つけるな」って理屈が通用しない様に、原発情報をどこまで公開してよいか戸惑う場合とは、判断の迅速性に共通の問題が見られるのも事実。そこが自衛隊と違うらしい。
> スパイ防止法なき国とソニー、指導力なき政府と東京電力。どちらも並べて考えるのが躊躇われるのに、躊躇いの原因が別の感覚障碍を引き出してしまう。躊躇わずに並べればよいのか、並べる組み合わせを間違えているのか。…私の名はメーテル…妄想を旅する女…(冗談)
>【2011/05/06 19:18】 URL | 苹@ネカマ #SFo5/nok [ 編集]
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> 追記。検索し直したところ記事発見。元ネタは此処(↓)。
http://blog.goo.ne.jp/reym1234/e/7daa40518078314cf9e71f067c0e34f3
>--------------------------------------------------------------------------------
>>むつ政経文科新聞 第5号 昭和53年(1978年)2月25日発行
>>「ニュース」:原子炉衛星が墜落  人口密集地なら大惨事
>>1月24日、ソ連の原子炉衛星がカナダに墜落した。同じ日にベルギーで原子力発電所の事故があったが、原子炉衛星の大ニュースのため新聞での取り扱いも小さく、見落とされた方も多いであろう。
>>この原子炉衛星は、1カ月も前から墜落が予測されていて、大気圏に突入する際の角度によって日本に墜落する可能性もあった。しかし日・米・ソ・カナダなどの各政府は、いずれも「国民がパニック状態に陥ることを恐れて」事前に公表しなかった。わが国政府では国会の追及に答弁して、「対策の立てようもないので非常体制も取らなかった」ことを認めた。
>>ソ連では回収班の派遣を申し入れたが、カナダに拒否された。墜落と同時に米軍機がカナダに出動し大規模な捜索が開始された。カーター大統領は「人口密集地帯に墜落していれば、放射能汚染で住民に重大な影響が出たであろう」と異例の談話を発表し、米国防省では、「汚染地域を500年から1000年間、鉛で覆う必要があろう」と述べた。
>>26日にはカナダ国防相が「原子炉衛星とみられる強い放射能を検出した」と発表したが、翌27日にカナダ軍参謀長が「放射能探知は計測ミス」と訂正し、28日以降は報道管制が敷かれて、アメリカ、カナダ両国の首脳部の狼狽ぶりを軍部が押さえつけた形になった。その後次々と原子炉衛星の残骸が発見されて、「極めて危険な水準の放射能」を検出したものの無事に回収されたとして、この事件は闇に葬られようとしている。しかしこの事件勃発当時の各国首脳部の慌て振りと、軍部とCIAに操られた鮮やかな幕切れに、世界の人々は何とも割り切れぬ思いを抱いた。
>>ソ連の人工衛星は1970年にも爆発を起こして、テキサス州に金属片を降らせている。米国も過去2回、原子炉衛星の墜落を経験している。これらの事故は今回の事故があったために明らかになったことであり、その被害の程度は不明である。米国の消費者運動を推進しているラルフ・ネーダーのグループは「人口密集地に墜落した場合、40人が死亡、500人が負傷、500億円の損外と恐るべきパニック状態が出現したであろう」と語った。
>>墜落したソ連の人工衛星には60kgのウランが積まれていた。原子力船むつには2770kgのウランが積まれている。
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>【2011/05/07 02:05】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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8【再掲】批評と臨床(其四) ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/07/19 (Tue) 23:23:14

【再掲】批評と臨床(其四)
7956 批評と臨床(其四) 苹@泥酔 2011/05/13 20:03

(続ける)

●特別支援学校の話
 青森県教育委員会のサイトで受験資格の項目を見ると、「特別支援学校受験者については、小・中・高各相当の校種・教科(科目)の普通免許状を有する者(特別支援学校教諭免許状の有無を問いません。)」と書いてある。~なぜ、特別支援学校教諭免許がなくとも構わないのだろうか。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_pr_490.html
 ふと連想したのが昨年の高校家庭科教員採用試験騒動(記事画像参照↑)。受験資格にいきなり調理師免許が加わり、未取得者は事実上の「門前払い」となった。大学では教員免許を取得できるが調理師免許は想定外らしい。つまり新卒者は受験できず、新たに調理師免許を取得して次の機会を待つ事になるのだろう。また記事によると「県内の高校家庭科は、10年度採用で6年ぶりに募集があり」云々。ところが後日の記事では「調理師資格を持った教員が今回補充できた場合、当面は調理師免許を課さない従来の条件に戻したい」との見解が示され事態は混迷。
 言い換えるなら、今後は「調理師免許状の有無を問いません」の状態になるという事か。昨年は「有無を問う」当たり年だった。有無を問わないなら要項に書く必要はあるまい。それが書いてある場合(特別支援学校の様に)、これをどう解釈したらよいのやら。もしや募集そのものが「形だけ」なのではないか。民間では既に偽装請負などのノウハウが蓄積されつつある。
 例えば、こうだ。合格者以外の受験者は臨時講師になったりするだろう。つまり試験は人寄せパンダみたいなもので、本気で採用したい訳ではない(後に市教育長となった管理職によると「教育に芸術は必要ない」そうだ)。ところが採用されたい人は居る。青森では書道の場合、普通なら国語で受験すればよい。高校では皆がそうしてきた(だから試験の実施間隔が二十年以上でも、書道担当教員の多くは教諭になれる)。ところが書道の試験を実施するとなると、青森基準で考えれば既に採用予定者が決まっているか、ただの罠か、それ以外は考えにくい。~罠の場合、次の試験で必要な免許を増やせば受験させずに済むし人件費も抑制できる。
 或いは、口封じと飼い殺しを目的とする可能性もある。養護学校で普通高校レベルの授業は可能か。盲学校で書道の授業は可能か。聾学校に行くとは限らない。青森の常識では芸術科書道に「幼児のお習字レベル」が求められ、かつ国語との接続は予め否定されている。徹底して授業レベルを下げれば戦前クオリティへの接近が阻止できる(それが占領以来の伝統である)。視覚を必要としない書教育ともなれば事は重大。誰か先行研究の例を御存知ないだろうか。その程度は覚悟して置かなければ、青森の教員は務まらない。
 苹には未知の領域だが、少しずつ考えてみる…。

 盲学校。~全盲か、もしくは著しく視力が低いのだろう。
 文字としての認知に支障をきたす一方、身体運動としての可能性は残されている。高校の教科書とは別世界の指導になるだろう。生徒はどうだか知らないが、こちらは点字が読み書きできない。つまり共に読み書きできない文字を抱えている。ならば点字システムと漢字/仮名システムとの差異分析くらいはして置く方がよさそうではある。
http://www.yoihari.net/tenji/kanji.htm
 点字は「書くもの」ではない。…で、取り敢えず調べてみると驚き桃の木。点字から漢字へのアプローチも儘ならない(↑)。はっきり云ってチンプンカンプン。こんなのを白紙状態から学び始めるとなると、従来の書道絡みの研究をする暇がなくなる。仕事が研究を殺すだろう。ならば新たな仕事を研究するか。それが出来るほどの覚悟はあるか。
 相手が中途失明なら、漢字イメージの記憶に期待の余地がある。しかしどのみち、生徒は自分の書字結果を識別できないだろう。ならば結果でなく書字過程を重視する事になるのだろうか。それも結局は記憶に封じ込まれた視覚イメージの領分で、こちらが彼らの空間把握方法を知らないと空回りに終わる筈。そこで更に調べてみると…(↓)。
http://www.edu.city.yokohama.jp/sch/ss/yokomou/eyes/eye/hokou/nerai/index.html
 座標としての身体を起点とした上での、所謂「心的地図」の優位性が書道では重要となるだろう。ここでは「書く」行為に伴う書字順序(筆順記憶)と位置関係(行為記憶)共々が音楽的に消えていき、痕跡としては「見える」他者にしか残らない。そこに鍵がありそうではある。例えば、盲目オルガニストのヘルムート・ヴァルヒャは如何様にしてバッハの楽曲を覚えたのか。…想像するところ正面に数段の鍵盤があり、足下にはペダル鍵盤がある。その位置は決まっている。ならば演奏行為自体にさほど支障はなかろう。あたしゃ楽器は弾けないが、耳にする音と鍵盤との対応関係が範列的に把握されている事に変わりはあるまい。しかし書道に鍵盤はなく、むしろ記憶の中で空間は作り出される。沈黙の鍵盤(空間動作の蓄積自体)を、時には触覚で把握する事になるだろう。
 身体は空間と繋がっている。空間の中で動く身体そのものが記憶となる。ところが身体は別の道具で空間から分かたれている。その道具が毛筆で、云わば義肢の様な役割を果たすだろう。義肢の先に無数の指がある。自分の手には五本の指があるが、義肢の指は数百本。それが縺れ、ばらけ、纏まる。…私ならどうするだろうか。先ず、彼女の手を握る(「彼」とするよりは想像しやすかろう…汗)。互いに指を絡ませ、感じあい、指先に集中する。指が紙に触れ、その感覚をモデルに筆鋒を想像する。類似関係(メタファー)にある指の感触の気持ちよさは、この際おそらく性的な隣接関係(メトニミー)とならざるを得まい。それが空間で「書かれる」時、空間と筆は包含関係(シネクドキ)で結ばれる。
 …どう見ても危険である(苦笑)。教師と生徒が「触りっこ」するんだぜ。考えてもみい。巷間なぜ童貞喪失を「筆おろし」と呼ぶのかを。行為が危険なのではなく、感覚が危険なのである。一本の玉茎、五本の指、数百本の筆毛。こんな事は考えたくないかも知れない。教育者としては当然そう思ってよい筈。しかし相手は目が見えない。どうやって世界を感じるのか。どうやって感じさせたらよいのか。~ところが実際は感じさせた途端、教員は退職に追い込まれるだろう。そうなるくらいなら、初めから生徒に理解させない方がよい。つまり教育には不可避の不作為が前提される。それを苹は、罠と云っているのである。
 自分でもあれこれ考えながら書いてるうち、こんな話になっちまった事に驚いている。そんな話になる筈ではなかった。もっと品よく纏めたかった。でも仕方がない。さっさと次の話題に移ろう。

 …養護学校。所謂「精薄」。
 まだ碌に調べてない。実は調べたくもないし、考えたくもない。感情や感覚に正直なのは凡そ想像がつくものの、その点に踏み込むと苹の場合ややこしい事になりそう。よって保留。精神薄弱と精神病は違うのが、勝手の違う原因の一つである。精神分裂や病跡学の本なら手元に数十冊ある分だけ、こちらとしては却って混同しそうになるのを恐れる。

 聾学校。~これも今は込み入った話に関わりたくない。盲学校について少し考えただけで、充分「余計なお世話」となっちまった様な気がするからだ。ゆえに今回は念のため旧稿群から(No.7658と7659参照↓)、聾文化に少しだけ言及した二つを引用・抄録するに留める。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_tree?base=6785&range=1
 聾者に推察される「音声を必要としない」領分については、漢字文化が日本語/仮名文化に移行する際のフレキシビリティと絡めて考える余地があると思って居る。この場合は漢字文化の方が聾者となりゆく「予定者」であり、嘗ての大陸発音が日本との間で乖離するにつれて、聾的性格は比例増大した…と見ている。
 以下、引用開始。~なお、続きを書けるか否かは未定。それだけ当方、青森県教育界への不信は根強い。
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>142 「解放」待ちのインテルメッツォ 苹 2004/04/12 02:05
>  先日、西尾先生から「ふときずいたのは、かって唯一の共通語は文語だったことです。口語は互いに通じなかった。関係があるのでは?」との御助言を頂戴しました。今夜はこれを酒の肴に、言いたい放題やらかそう(「おちょくり板」向きの書き込みで恐縮…)。
> あれはどれくらい前になるだろう?~連続ドラマ「国語元年」の初回放送を見た時の印象が残っていたためか、その後しばらくして国語国字問題に興味を持ちました。先般のBSでの再放送もただ懐かしいだけでなく、面白いものは面白いと感じました。
> 初回放送の頃の私は確か、吉幾三が「テレビもねぇ、ラズオもねぇ…」と喚くのを聴いて居りました。「ラジオ」や「ラヂオ」ではなく、「ラズオ」か「ラヅオ」に近い発音だったと記憶しています。実際の発音に近い表記は難しく、ゲーテとかギョエテの例もさる事ながら、七年くらい前の高校英語教科書に出てきた指揮者のMitropoulosなんかは「ミタラパラス」と発音されていた様子。生地ギリシャではどんな発音になるのやら。日本のレコード雑誌では「ミトロプーロス」と表記している旨、話題を英語の先生に振ってみましたが、あまりピンと来なかった様です。
> 夢は枯野をかけ廻る。~昔、鮮魚市場に行ったら「筋子」がありました。そればかりでなく「すずこ」もあった(笑)。どうやら「筋子」は「スジコ」「スズコ」の両方で通じる様です。これには大いに感心させられました。二つの音声を一つの漢語で取り纏めるとは、なんと見事な翻訳システムだろう。方言のままの姿を包摂しながら共通語の体系に収束させる上で、漢語だらけの和文はさぞ役に立った事だろう…と。
> 当初は戸惑った「すなそば」だって、文字に起こせば「支那そば」となる。或る校長は定年退職の挨拶で、「コレカラハ、チチイヂリデモシマス」と云ったそうな。「土いじり」の単なる訛りが、色に狂って「乳いじり」するみたいに聞こえる。何年経っても忘年会の酒の肴になる。
> …ところで、文字言語には別の効用もありそうです。音声言語もまた然り。嘗て、盲人ヴァルヒャは努力して立派なオルガニストになったとか。今は日本人の盲人ピアニストも活躍中。
> これらの事例と同様に、実質的な「聾」的性格を惹起する音声言語の鏡像的差異は、間断なく~今も昔も地方も中央も飛び越えながら、文字言語を反復的・創造的・免疫的・補完的に「共通語」化し続けると思うのです…。音声言語が必ずしも文字言語を必要としない様に、文字言語だって必ずしも音声言語を必要としない。そこに私は、ロミオとジュリエットの間に生じた「憧れ」と似通った横断への動機・契機を感じ取っています。
> 具体的には~戦中・戦後のケースで云うなら、山本有三あたりが提唱したルビ廃止への動きが影響しているのかも?
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>155 二題 苹 2004/04/13 02:38
>  先ず、前稿で書いた「聾」的性格について補足します。~下記引用は『ろう文化』(青土社)P.219~220。対談「ろう演劇と言葉」(米内山明宏・多木浩二)から。
>--------------------------------------------------------------------------------
>米内山 私としては、手話が言語として確立されたものであるのか、あるいはその途中であるのかどうか、それは問題ではないと思うのです。ろう者にとっては自分の持つコミュニケーションの方法は様々ですから、つまり日本語と比較するということは考えていません。勿論、「日本語と比べて手話はまだまだ確立していない、これから沢山作らなければならない」と比較する人もいれば、「手話は言語としてきちんと成り立っている」と考える人もいます。
> 日本語と同じように、手話も次々に移り変わってきています。ろう者の手話は、手で現す語彙の問題ではなく、顔の表情・目・顎の動き方・身体全てが言葉になるわけで、そういうことに皆気がついていない。手話は「手だけで表す言葉」と考えられ、手に集中しているようです。それで語彙数を計算してみれば少ない、ということに行き着くのですが、そうではなく、手の動きは一つであっても、顔や身体の微妙な動きによって言葉の意味に違いがあるわけです。ですから、手話として確立されたものかどうか、私としてはまだ意識していません。
> 日本語、そして声の歴史は非常に長いものです。それは十分にわかっていますが、正直言って、私は声の世界が理解できません。例えば、聴こえる人は「良い」と言ったときに、その声をそのまま「良い」という言葉で活字にする。それを見ても、どういう意味なのか理解しがたいところがいくつもあります。聴こえたことによってわかる言葉が沢山あるはずです。ろう者にとっては興味のない、というよりは、かけ離れた世界のように見えるのです。でも、それを知らなければいけないし、日本にいる以上は、日本語を理解しなければならない。とは言っても、ろう者として使う日本語ではないものは、自分の中で自然と省いていく場合もあります。ろう者としては、口話は借り物で、口話を借りて覚え、また、日本語を漢字から借りて表現する、というように、借り物の言語のような感じです。それで確立するかどうかは、今後右往左往していく中で決定づけられていくのではないかと思いますが、言語としての確立は非常に難しいですね。
>--------------------------------------------------------------------------------
> …対談全体を読んだ印象では、口頭で行われたかの様な書きぶりに見えます。校正段階で目を通しているでしょうから、「良い」の箇所は多分その意味の通りなのでしょう。しかし~(「手話」抜きの)口頭での印象ならば尚更、他に「宵」「酔い」などの選択肢が言表作用の背後に隠れていても決しておかしくはなかった筈。そう捉えるなら、ここでの活字表現はもはや正確な口話の転写に留まる事ができず、却って口話表現の歪曲をも含意する結果になってしまう筈。
> 閑話休題。
> 視覚障害~いわゆる「盲」の側の場合、嘗ては「検校」の様な制度が要請されたりした模様。聴覚障害の場合は日本史上どうだったのか、どなたか教えていただけるなら幸甚です。
(以下略)
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Re: 無題

ミッドナイト・蘭  Site

2020/03/23 (Mon) 23:40:38

イェーイ!!
復活しましたね!
スパム撲滅で頑張ります!!

「批評と臨床」其三

苹@泥酔

2020/03/24 (Tue) 19:04:06

8【再掲】批評と臨床(其五) ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/07/19 (Tue) 23:26:01

【再掲】批評と臨床(其五)
7957 批評と臨床(其五) 苹@泥酔 2011/05/18 00:32

(続ける)

 あらためて高校家庭科教員採用における調理師免許の一件を振り返ると、或る意味では筋が通っている様に見えぬでもない。馬鹿正直に勉強したい奴は青森から出て行けばよい。たぶん教員の誰もが無意識に思っているだろう通り、そもそも高校教育自体が必要ないからである。むしろ邪魔で、すぐにでも廃止したいくらいではなかろうか。他方、高校と高校教育は別物とも解釈できる。ゆえに(青森に限らず)多くの高校が教育内容を高校教育に偽装(予備校化と専門学校化)した結果、先年いったん表沙汰になったのが全国規模の未履修問題であると見る事もできる。その後は衆知の通り、日教組に代表されるらしき教育界が民主党支援に回るなどして、遂に政権転覆(政権交代)が実現した。
 かてて加えて想像を逞しうするなら、こんなシナリオだって考えられなくはなかろう(セレブ奥様ブログでの旧稿抄録↓)。
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> 苹の見方では、教育界の民主党支持は「高校教育からの離脱」が動機。他方、初手から離脱してるのが朝鮮学校。つまり朝鮮学校は高校の先輩格。これまでは高校教育から内々に離脱(=予備校化)しても構わなかった筈なのに、いきなりの未履修問題で教育界を激怒させたのが自民党政権だった。
> 高校には一条校特権があるけど朝鮮学校にはない。そこで今回、先ずはバラマキ攻略から事を始める。朝鮮学校レベルの「逸脱」ぶりでも高校並みのバラマキ支給が可能なら、高校側の「逸脱」だって平等に容認されるべきだろう。日教組も北教組も、この点では見解が一致してるんじゃなかろーか。保護者は子供を出来るだけ上等な大学に入れたい。そうした心理を味方につけて、高校の予備校化(=逸脱)を推進する。文部科学省の支配に楔を打ち込み、大学との間接的癒着関係をいっそう強化しつつ経営安定をはかる。そうでなくても統廃合圧力がキツイ時代なんだから、ここは本気になって取り組まにゃーならん正念場ってこった。
> たぶん図星だろうとは思うんだけど、産経かどこかで裏を取ってくれないかなあ。その結果次第で、こちらは更に熟考するつもりなの。
>【2010/03/16 06:23】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]
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 その後は話の流れを承けて、こう追記した(抄録↓)。
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> その手の話とは別に、前稿で書いた予備校化云々には、「学校が予備校化」と「予備校が学校化」の二面あります。例えば反日予備校が学校化する場合、朝鮮学校を一条校化する方向に行くでしょう。そして反日学校を予備校化する場合は、一条校を非一条校化する手が考えられるでしょう。
> ステロタイプの印象を「北教組=反日」と見なす場合、その構成員の属する学校は概ね、程度に差のある反日学校と云えるでしょう。仮にこれを人事異動でジュースみたいに濃縮(?)して、学校を丸ごと北教組100%にすればどうなるか。濃縮果汁の原液は濃過ぎて飲めない(なんか素っ頓狂な喩えになっとるな…汗)。問題は薄め方です。従来の仕方では、薄めれば「果汁20%」てな具合になる。でも市販の100%ジュースはそうでない。教員加糖液で薄めるからパーセンテージが落ちる。ならば民間水で薄めればよいではないか。なにしろ水(民間人)は果汁(公務員)ではないのだから。
> この方式は部分的ながら、既に実用段階にあります。~非常勤講師を非公務員と見る場合、都立高校では書道担当教員122名中の内訳が公務員2名で非公務員120名。それを学校全体でやると、校長と教頭が公務員で他の全員が非常勤講師でも構わない事になるでしょう。ただし教員免許は相変わらず必要ですが。
> 尤も、それなりの手はある筈。意図的に無免許の人(塾や予備校の先生が望ましい)を集めて、全員に臨時免許を交付すればよい。…法律を整備して朝鮮学校の先生にも臨時免許を出す一方、北教組の先生が朝鮮学校に出向・研修する。事実上の「北海道立朝鮮学校高校」が出現し、既存の朝鮮学校では相対的な存在意義が薄まる。嘗て大学教育学部に「ゼロ免」課程が出来た様に、高校にも「ゼロ卒」課程を設ける。すると「卒業証書」授与課程(学校教育課程準拠)と「修了証書」授与課程(非準拠)とが共立し、やがて非準拠課程に特化した学校(?)が出現する。
> …例えばこうしたシナリオを妄想する場合、どの段階で反日教員を非公務員化すればよいのか。~とどのつまり、苹はそこんとこに興味があるんですね(汗)。悪い冗談と云えばそれまでなんだろうけど、だからと云って、頭から非現実的な話と決め付ける訳にもいかない。(玉石混淆の思考実験が諸々あって初めて、選択的かつ具体的なディフェンスが可能になる筈ですから。)
>【2010/03/17 21:18】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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 ここで云う「卒業証書」授与課程(学校教育課程準拠)は本来の高等学校を意味し、「修了証書」授与課程(非準拠)の方は「高校という形」を隠れ蓑とした公立予備校をイメージしている。大学進学を目的とする場合その方が明らかに効率的だし、現に管理職・教員・生徒の一部は「非受験科目は必要ない」と確信していた。つまり未履修問題が露見するのは時間の問題だったのである。自民党政権下の文部科学省は、教育界の逆鱗に触れた。
 ところで、いったん特別支援学校の枠組みで採用した教員を高校に勤務させる手口はどの程度までなら可能だろうか。~人事上、その辺の手練手管も少なからず気にかかる。高校から特別支援学校への転任を希望したらしき教員なら、嘗て勤務した高校に一人いたと記憶する。その先生は職員公舎で苹の隣に住み、裏庭で犬を飼っていた。
 …都会では、裏庭のある二階建てなど想像できないかも知れない。ただし便所は水洗でなく、汲み取り式の田舎である。苹にとって部屋は狭い。実家では七室に分散配置してある書物を総て官舎に持ち込む訳にはいかないから、必要に応じて勤務を早めに切り上げ六時か七時に出発。日付が変わる頃には戻れる様に往復、カーステレオでバッハのマタイやワーグナーの楽劇などを堪能した。他人を乗せた事は殆どなく、いつも助手席には数段に積み重ねたカセットテープの山が鎮座していた。

 閑話休題(汗)。
 今年の試験内訳をざっと見るところ、高校側の実施科目は以下の様に大別できよう。
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【普通科目(受験科目)】国語、公民、地理歴史、数学、物理、化学、生物、英語
【普通科目(非受験科目)】保健体育
【専門科目(職業科目)】商業、農業(作物・園芸・農業経済)、工業(電気・電子)、工業(土木)、工業(機械・電子機械)、水産(情報通信)、水産(水産工学)、看護
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 それに対して特別支援学校の高等部は「国語、数学、音楽、美術、書道、保健体育、家庭、英語」と、就中「芸術科目の揃い踏み」が極めて異常。高校のを確認するついでにボンヤリ見てきた過去二十数年来、少なくとも書道で実施された記憶はない。控え目に云っても「前代未聞」ではなかろうか。~昨年の内訳がまだネット上から削除されていないので、念のため高校と高等部のを参照すると下記の通り。
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【普通科目(受験科目)】国語、公民、地理歴史、数学、物理、化学、生物、地学、英語
【普通科目(非受験科目)】美術、保健体育、家庭
【専門科目(職業科目)】商業、農業(作物・園芸・農業経済)、工業(電気・電子)、工業(土木)、工業(機械・電子機械)、水産(水産食品)、水産(海洋生産)、水産(水産工学)、看護
【特別支援学校高等部】国語、数学、音楽、美術、保健体育、家庭、英語
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 高校家庭科は芸術や体育と同様、センター試験の受験科目ではない。しかし非受験科目の中では最も職業科目に近い。
 今春は日本テレビ系列で、実話がモデルのドラマ「高校生レストラン」が始まった(本稿を綴っている時点で第二回までの放送を終えた)。それによるとレストランは部活動の延長で、町役場主導の「村おこし」とタイアップした形らしい。主人公の元料理人は多分、調理科の臨時講師を兼ねているのだろう(それにしては授業場面がない…ただし部活レストランの指導場面てんこ盛り)。
 あれこれ書き過ぎると差し障りがあるかも知れないが~苹は普通科でも商業科でも食物調理科でも、いつもの意図的マンネリ授業で昔の仮名が読める様にゴチャゴチャやらかした。普通科では某クラスが仮名読解テストで珍しく平均八十点を突破した(担任の先生に感謝)。…書道絡みの話はともかく、その高校では今、食物調理科が熱心と聞く。昔はそうでもなかったと記憶するが、多分それなりの刺激~モデル事例が色々あったのだろう。
 前に何度か、昔の料理を扱うテレビ番組を見かけた事がある。その時チラリと映った江戸時代の料理本(木版印刷の草書変体仮名交じり表記)の字が読めるだけでも相応の違いはある筈…と苹は想像した。「読める字を書かせるのではなく、読める人を育てる」方に興味があった。癌で入院した大学教授(書道担当)を見舞った際、私は初めてハッキリそう言い切った。この方針は生涯変わるまい。隠居後の今はネット上、別の形で試みたりしている。
・当時の図版の再利用、他(↓)
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_pr_333.html
・巻菱湖「假名字源」を中心に(↓)
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_pr_359.html
 特別支援学校の場合、こうした教育史的視野を念頭に置いた基礎認識が聾学校以外でも通用するか否かは不透明である。尤も、それを云ったら聾学校の音楽教育、盲学校の美術教育も同様ではあるのだろうが。いづれにしろ勝手が違う事に変わりはない。それより採用の枠組み自体が或る種のブラックボックスと化す可能性の方が高いかも知れない。
 今年の教員採用試験を「異変」と受け止める側にとっては、相応の覚悟と対策あらずんば固より迂闊に手出しは出来まい。やるなら敢えて、採点者を手玉に取るくらいの気概や余裕がないと。相手に通じなかったなら、こちらから教育界を見限ればよかろう。県内の教育慣行に媚びる「確信犯的」覚悟があるなら話は別だが、屈辱に呑み込まれる卑屈さを重ねて甘受する道理はあるまい。しかしながら採点者は、専門の如何を問わず「百戦錬磨の強者」でござる。事は理屈(批評)でなく服従(臨床)の問題なのに、まだ採用されていない身に太刀打ちできる訳がない。
 「採点者達が持つ常識」への服従と共鳴。~それが何を意味するかを突き詰めると、畢竟「就職先の常識が大学教育の内容を支配しなければならない」という構図に行き着くだろう。不服従は海水浴でムタンガを着用するのと同じくらい荒唐無稽である。言い換えるなら、傍目に映る書道は存在そのものがムタンガ同然である。(ちょいと画像検索すれば、ムタンガは今の水泳競技に役立たない事が一目で分かる筈。)

(続く…次回投稿では最終章「批評的アナクロニズムと臨床的モダニズム」を予定)



8【再掲】批評と臨床(其六) ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/07/19 (Tue) 23:34:31

【再掲】批評と臨床(其六)
7964 批評と臨床(其六) 苹@泥酔 2011/06/14 01:36

(続ける)

 こうした場面では「役に立つか、立たないか」といった判断に、特定利益と絡みやすい「誰の」「何の」といった指標が優先的に絡み付く。例えば競泳水着とは別の領分でムタンガやビキニがファッションの一種となるだろうし、機能的な筈のスクール水着は今やフェティシズムの、すなわち「萌え」の対象となった観がある。…指標は時代と共に変化する。クオーツ革命以後の機械式時計が時代を遡り、所有者は庶民から富裕層へと逆戻りした様に。1960~70年代に普及した庶民向け機械式は先細りし、今では相対的にも実質的にも機械式と云えば高級品か「純然たる趣味の領分」をイメージするのが普通だろう。そんな具合に棲み分けが進む結果、いづれにしろ「空気を読む」方向での判断が前提となり、やがて判断自体が印象を制約していく。学校の印象にもそれぞれランクがある様に。試験の採点者や教員各々とて、学問上の良心にのみ縛られる訳ではない。その事がよく理解できるからこそ、学問との不整合を一方的に糾弾するのは自ずと躊躇われてくる。そもそも学問がしたくて学校に通う生徒は殆ど居ない筈。ならば生徒や保護者達のニーズに合わせた(媚びた?)内容の授業を歪曲する慣行にも「やむを得ない」面はあろう。教諭であれ講師であれ、現場の実態を知り、慣れてくると自然、いつの間にか「自分の判断を現場に合わせる」様になる。するとそれまで当たり前と思えていた筈の事に、却って新鮮味を覚えたりもする。
 昨年、松村茂樹『「書」を考える』(二玄社)が出版された。帯には大きく“書は学問とつながっている”と書かれてあった。それが宣伝文句になる事に苹はたじろいだ。おそらく現場では誰も本気で信じていないスローガン(?)の「書は芸術である」なら巷間いくらでも溢れているのに、「書は学問」などとよく赤面せずに言ってのけるものだと逆に感心した。そこに私自身、判断の揺らぎがある。試験段階から持論を曲げずに不合格となったり、仮に現場に入り込めたとしてもクビになっては元も子もない上、そもそもどんな教員が求められているかも分からないとあらば、気弱にならない方がおかしい。しかし或いは、それでいいのかも知れない。かと云って、過剰に開き直るとどうなるか(戯画化してみた一例↓)。
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 …書をかいてよいのは書家だけである。書が読めてよいのも書家だけである。書を観てよいのが書家である。ただ書家だけが、書を独占できる。書けもしない奴が四の五の云っても、書家の耳目には届かない。うまいやつは、黙って書くものだ。書家でないやつは、何も云わず、ただ楽しんでいればよい。「書道を楽しむ」…そう、NHKの教養番組にありそうなフレーズが、ひたすら外に、こだまする。やがてむなしく消えていき、後には何も残らない。…それは本当に聞こえたのだろうか。否。はじめから音などあるわけがない。それは幻聴だ。「書道を楽しめ」という遠吠えだ。作品は黙して語らない。だからこそ、うまいやつだけが、書を語る事ができる。うまければうまいほど、その言葉は大きい。そして、その言葉は、書家でないやつには聞こえない。書家は常に孤高であれ。
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 以上の言葉が、どう読めるだろうか。傲慢かも知れない。馬鹿げているかも知れない。納得する者が居るとしたら逆に驚きたくなる。その驚きが書をおびやかすのだろうが、大抵はなんとも思わないのではなかろうか。そうした世界が書の安全地帯である。誰にも振り向かれず、たまには振り向くふりをしてくれる人に出会い、そのくせ本気で振り向かれたら困る。とどのつまり、振り向かれる事に慣れていない。書く事だけで精一杯なのに、それ以外の仕事までしていたら身が保たない。しかし中には変人も居る。色々な事に手を染める(或いは北大路魯山人の様に?)。一部は趣味人とか知識人と呼ばれる事もあるらしいが、下手をすると傍目には「書家でなくなる」ので按配が難しい。
 かてて加えて、国際的視点を巻き込めばこうなる(↓)。~セレブ奥様ブログへのコメント抄録。
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> 以下愚痴。~ネット検索中に偶々、へんなものを見た(↓)。
http://www.transcri.be/text/Japanesethesisfinal.pdf
> 指導教官がNHK教育の高校書道番組を監修した東京学芸大学教授である点を差し引いて控え目に云うが、この外人の感想文はひどい。外人の目に映る書字文化は所詮こうなってしまうのだろうか。判断基準はあくまで西洋文化の側にあり、「字は読み書きできるのが当たり前」という視点がスッポリ抜けている。
> 尤も、今の日本人なら「俺達だって読めないんだから、昔の人も大方は読める訳がない」と言い出すのかも知れないな。それを真に受けた外人が本気で確信し始める。…たぶん連中は知らないのだろう。日本の中学校では国語科書写の授業が義務づけられているが、実際は殆ど実施されていないか、もしくは極度に低レベルの歪曲教育が常態化している事を。そしてそれを多くの人が当たり前と思って居る事を。既に書字の歴史が断絶しているのは認めざるを得ないとしても、さりとて取り返しがつかぬほどではない。半世紀前、贔屓目に見ても三十年くらい前まで、それなりに書道人口は多かった。四十年前の田舎なら確実に、猫も杓子も「お習字と算盤くらいは」と習わせた。その前の世代が珍しく書道ネタに触れている。『WiLL』2011.7号P.281辺りに記述がある渡部昇一「書物ある人生」新連載。
(以下略)
>【2011/06/01 00:32】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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 …先夜、奇妙な夢を見た。なんとなく気になって書き留めたのは三月末頃だろうか。
 その学校では、教育実習生(?)が無給で用務員をする。この実習生、どう見ても若者ではない。それもその筈、教員採用試験受験機会と同様に教員免許更新機会を政策的に奪われた人々が、実習名目で用務員化する訳だ。そこでの人事評価次第で、うまく行けば免許更新機会が与えられる。もちろん依然として採用試験はない。この用務員は通常の用務員と同じ仕事をするのではなく、教員を補助して授業に関連する雑務を引き受ける。云わば教員の負担軽減のために新設された制度における「実習生」であって、教員から命じられた通り行事や授業の準備はするが授業はしない。また無給である点は、教育実習生とボランティアの中間的存在と云えるかも知れない。
 主に、定年退職後も学校教育に関わりたい「元」先生がボランティア参加する。既に教員ではないから免許も試験も必要ない。しかしそればかりでは高齢化が目立つから、いくつかの教科・科目では予め採用試験そのものを事実上廃止し、「いつか受験できる」余地に期待する相対的若年層を含めて一括りにする。ただし授業するのは正規の教員で、そちらには免許更新機会が予め保証される。~念を押すが、これは戦後書教育の実績を踏まえた夢想モデルであって、現実の話ではない。
 例えば或る日、その県では国語の教員採用試験が実施されなくなったとする。毎年、それなりの数の定年退職者が出る。その分を英語や歴史や数学などの先生が穴埋めする。よって彼らは本来の科目の教員である一方、正規の国語教員でもある。彼らには充分な国語力があるので、現場として不都合はない。教員養成する大学側も、副免許としての国語に対応すべくカリキュラムを組むので支障はない。それが差し当たり十年ほど続くのである。
 …大体そんな夢だった。ここでは試験を実施したりしなかったりする不安定さが、或る種の「裂け目」を時間のズレに内化する。


●批評的アナクロニズムと臨床的モダニズム
 学校は教育的臨床現場である、との趣旨を「其一」で書いた。仮に臨床の側がモダニズムの立場を採るならば、その評価もまた同じモダニズムの基準でなされねばならない。生徒相手の場合は成績評価や成績評定などと呼ばれ、教員相手の場合は一般に勤務評定と呼ばれるらしい。基準次第で学習指導要領や教科書などの解釈は変わり、その解釈にどれくらい合致しているかを~つまり差異を評価する上で基準は反復して適用される。それに対して批評の立場は時に基準そのものを疑う。その意味で批評は臨床にとって禁忌となりやすい。基準に好意的な批評は準拠システムの発展や強化に役立つが、そうでない批評に於ては話が逆となる。
 古典は元々、その古さゆえにアナクロニズムを内包する。
 これまで観察してきたところ、臨床的アナクロニズムを批評的モダニズムの立場から変質させようとするのが学問の立場であり、またそうあるがゆえに、例えば書道は学問ではないらしい。学問にアナクロニズムを持ち込もうとする例…と云えば、ここ十年余りの騒動、すなわち「つくる会」の歴史教科書問題と似通った構造が思い浮かぶ。そこでは臨床的モダニズムを批評的アナクロニズムが脅かすかのごとき振る舞いと映るのか、モダニズムを保守する姿勢の良心的側面が前提されがちとなる。アナクロニズムが学問であってはならないかの様で居て、かつ学問は進歩への一本道であるかの様な。例えば歴史学なら、無限に延びる一本道を連想しやすかろう。滅びて貰っては困るから平和主義になるのは理解できるが、「生存するために滅ぼす」タイプの歴史では「滅ぼす」側面ばかりが強調され、「生存するため」の部分はいつの間にか切り離され、別の文脈に整理し直されるケースが少なくない。つまり「既に滅びた歴史」が生存を前提する必要はない。滅びは常に過去であり、現在でも未来でもない。これから起こる滅びは想定外。起こった後になって初めて「過去の文脈」と整合する仕組みになっている訳だ。
 こうした歴史意識を仮構するならば、そこにモダニズムが関与する意味を「いったん進歩的に」振り返ってみなければなるまい。歴史を反省材料と位置付ける場合、過去は未来と姦通してはならない筈だからだ。歴史を学ぶという事は歴史を反省する事であり、悪しき歴史から揚々たる未来に邁進すべく、「古い上着よ、さようなら」の姿勢を堅持せねばならぬ。「昔は良かった」式の感傷は必要ない。未来志向も感傷も、共に暑苦しいのはよく分かる。だから両方を排除したくなる。その後に何が残ろうと(残らなかろうと)我々は現代人かつ未来人、過去よりは進歩していると信じ込む事でモダニズムは宗教の様に無謬となっていく。
 …てな事をあれこれゴチャゴチャ考えていると、(前記引用と前後して)件のブログに鬱憤晴らし紛いの書き込みをしたくなる。
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> 当方このところ、批評的アナクロニズムと臨床的モダニズムを仮構してます。~昔の教育を臨床的アナクロニズムと見なした知識人が、批評的モダニズムの立場から説得し、現場を臨床的モダニズムへと変えていく。やがてモダニズムが古びてくると、モダニズム自体がアナクロニズムとなっていく(それが臨床現場を支配している)。すると臨床的モダニズムを臨床的アナクロニズムと見なした知識人が、批評的ポストモダニズムもしくは批評的アナクロニズム(?)の立場から説得し、現場を臨床的ポストモダニズムもしくは臨床的アナクロニズム(?)へと変えていく。…畢竟、中身は変わらない。ただ印象が変わるだけで、それが言葉に定着すると些かスローガンめいてくる。
> 進歩的な側から見れば時代錯誤的でも、伝統的かつ保守的な側から見ればそうでない。また進歩的な流れを保守する側から見れば、これまでの進歩的姿勢が伝統同様の時代錯誤と映る場合もあるだろう。いづれにせよ論争するのは三者三様の知識人で、一般人への影響は不透明。そして学校の場合、必ずしも学問が事を落着させるとは限らない。有り体に云えば試験や教科書、授業(臨床)などを牛耳った側が勝つ。そこでは「批評と臨床」が「傾向と対策」と交叉する。
> ともすれば放射能汚染云々も「試験に出るミリシーベルト単位の数値は1か20か」てな話に収斂しそう。或る先生は国際基準なら1だと云い、また或る先生にとっては政府基準なら20もアリって事になる(国際基準が東京裁判史観なら日本は侵略国ゆえ忽ち「ややこしさ倍増」となっちまう様に?)。チェルノブイリとフクシマの単純比較ですら判断材料が不足しているのに、軍事面での核事故隠蔽まで念頭に置いたらきりがない。そこでも中身は大して変わらない。印象を操作する場がどんなふうに用意されているか、国内外の両面で観察しないと「裂け目」は相変わらず見えぬまま過ぎ去っていくのでしょう…。
> 「日録」の方は賑わってますなあ。あたしゃ『WiLL』を買うのは『正論』が出てからにする予定。つまり残すところ三日ほど。それまではコメント欄で妄想を膨らませまっす。
>【2011/05/31 06:53】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]
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 話はここから、若干ややこしくなっていった。

(続く)



8【再掲】批評と臨床(其七) ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/07/19 (Tue) 23:38:26

【再掲】批評と臨床(其七)
7965 批評と臨床(其七) 苹@泥酔 2011/06/17 19:33

(続ける)

 どの時代も、アナクロニズムからの脱却を目指す進歩的教育には相応の大義名分がある。例えば戦前の悪しき歴史を振り払い、自分がさも進歩的であるかの様に新憲法や平和、民主主義、或いは共産主義などを賛美すればどうなるか。過去の亡霊が自分の中で甦る間もなく、有り余る教育的熱情がこれから始まる日常を広島・長崎のごとく「残らず焼き払ってくれる」だろう。すると現にそうなった。彼らが賛美したものは既に戦前からあったものばかりであるにもかかわらず、総ては戦後から始まったかのごとく振る舞う事で皆が忙殺されていった。…それは美徳である。多忙になればなるほど、仕事は美徳らしさを周囲に振りまいていく。だから他者と同様、教員にも可能な限り多忙である事が要求される。いったん立ち止まり、考え、何かを振り返ろうものなら忽ち、周囲には怠けている様に見え始めるらしい。既に出ている「結論」としての教育内容を疑ってはならない。専ら忠実に生徒へ叩き込むのが教員の仕事である。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-06-04/2006060401_04_0.html
 そんなふうに極端な覚悟を仮構すると、たとい間違っていると思える事でも平然とやってのける胆力が必要になる。例えば数年前は予算不足のため、生活保護申請を受け付けない方針の「北九州方式」が忠実に実践され、遂には餓死者が出るに至った(↑)。こうした例は公務員に限った事ではない。要するに「無い袖は振れぬ」状態では何も出来ない。しかし時には敢えてそれと似通った環境を整える事で、実害なきまま「選択と集中」を達成できるケースがある。その一つが前述した全国規模の教育偽装、未履修問題だった。履修させなかった学校が悪いのではなく、それを問題視した文部科学省が悪い。百歩譲って履修させたとしても、内容スカスカの消化授業に徹すれば生徒は勉強せずに済む。そうした授業を下支えする理論的支柱の一つが、これまで余り語られてこなかった潜在意識としてのアナクロニズム批判と云えよう。…そんな角度から纏め直すつもりでいたところ、こちら天バカ板では懐かしき常連の一人、キルドンム様から反応があった。
 氏は苹と違って正真正銘の研究者であり、中国哲学を専門とする。大学で教える傍ら教科書編集に携わるなどの多忙な日々を送っているらしい。著書も数冊あるそうな。そんな碩学と遣り取りできるのはネット掲示板あっての事。書き込みがある度、いつも有難く思っている。

 以下に一連の遣り取りを抄録する(「其三」附録のリンク参照)。~本来は原発ネタの筈なのに、書き手が二人ともアレなもんだから(?)、いったん脱線すると少なくとも苹の側では途端に面白くなっちまって、書きたい事が蛆虫の様に湧いてくる(汗)。すると困るのがブログ主たるセレブ奥様。こんな読者に付き纏われるブログは幸なのか不幸なのか、抑もの張本人たる苹は相も変わらず、とんと判断がつかぬ有様(orz)。蛹はやがて蝶となり、蛆はすぐさま蠅になる…。(ここで十数年前のお気に入りを一句。~蠅は我が友、叩いてくれろと呻き声…)
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> 正直に言おう。かなり動揺している。ことによると明日、長年にわたる「信念」が覆るかも知れないと思うと…。期待でわくわくする。
> 幼い時から豊田有恒氏の著作を読んでいたからか、それとも情緒的に原発反対を叫ぶ連中への反発からか、三里島(三里塚にあらず)を経ても苦艾(苦界)を閲しても、揺らぐことのなかった筈であった。無論、原子力が代替エネルギーとしては極めて不完全であること、結局(現在の技術水準では)国外に依存せねばならぬ点、火力と大差がないことは承知していた。それなのに…。一昨年など、敦賀湾を挟んで望見しながら夫婦して「原発万歳、関電に栄光あれ」を叫んでいたのである。
> 冷静になると知識と思考とがそぐわない状態になっていたことがわかる。明日の論議の行方次第では、ふたたび「信念」を取り戻し、安きに置くこととなるか、それとも自己存在の危機に臨むこととなるか、いずれにせよ覚悟はできている。
> うさねこさんがハイデガーに言及しておられたが、こちらも『WiLL』を読んで同じ聯想を。また色々とご示教を乞いたいと思うが、平泉先生ならどう考えるか、保田與重郎(あの義仲寺の墓銘の件、被葬者の自筆のような気がしてならないのだが確認できず)なら…と妄想は尽くることなし。
> 二週間前、帰省の帰途久方ぶりに觀峯館に寄る。錢慧安とかいう仕女画専門の画家の特展をやっていたが(そちらはともかく)常設の碑や条幅を看ているうちにかなり不安定になりつつあった心理が常態に戻ってゆくのを感じることができた。この過程どうも説明しづらい。苹さんにならうまく解説してもらえるだろうか。
>【2011/06/04 00:40】 URL | キルドンム #m7FpRJaE [ 編集]
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> 「觀峯館」って…もしや「日本習字」の原田観峰とかいう書家のアレかしら。よく知らないけど、色々それなりに蒐集してたみたいネ。因みに私の場合は、この名前を聞くと心理状態が思いっきり不安定になります(懊悩)。正直、あれは理解できない。どの辺から来ているか想像はつくけれど、それにしては異様な気配を感じる。
> ヌメッとした質感に和様を見ようとすると肝腎の御家流が抜けてるのが鼻につく(かと云って勘亭流の安定感もない)。蛇行する線に~例えば空海の崔子玉座右銘をこじつけると困った事になる(むしろ益田池碑に近い?)。まして武田双雲と比較しようものなら書家の百人が百人、みな一様に頭を抱え込む筈。この過程、確かに説明しづらい。それを仮に「自己存在の危機」と表現するなら、キルドンム様の御覧になった常設展示が私の不安を直撃するものでなかった事を切に祈りたくなるのでやんす。
> 或いは完全に解釈の方向ズレてるかも知れないけど、…こんな具合で如何?
>【2011/06/05 00:35】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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> 追記…。たとい観峰老師の書に胡散臭さを感じるとしても、小学校レベルでは習字の質が極めて高いがゆえに、落差すなわち「書道との断絶」が衝撃的なんです。それを癒してくれるのが良質な蒐集品だったりした日にゃ、アンビバレントな感情はいっそう裏切りの度を深くする。確かに優れている面は大きいんだけど、その「優れ方」自身の力(そこに寄せられる信頼)あるがゆえに後が続かなくなる。学びを享受する側は、このまま信頼し続けたい。ところが中学、高校へと進むにつれて、学びの対象が学び自体を裏切っていく。
> ムリヤリこじつけると、原発の優秀さは小学校レベルの基本(事実であれ理念であれ)でしかない。そこから先が、進めば進むほどおかしくなっていく。しかも「先に見えるもの」は、後ろ向きに振り返ればまともだから厄介だ(高度な歴史の中に基礎・基本が内包されてある)。ところが更に振り返った途端、基本は歴史を裏切ってまで過剰に前を向いてしまう。
> 私が前稿で御家流に喩えたものは、もしかしたら開国前と戦前を混同させるモダニズムの罠だったのかも知れません。日本文化は大事だから大いに初学して欲しい。そこから先は進歩を阻むので学んで欲しくない。その絶妙な両立が成し遂げられるなら、教育上これほど好都合なものはない。他方、「臭いものに蓋」へと向かうべく仕立てられた御家流は、敬遠されながらも「和」の幻想を抱えたまま持続し、やがて鰻屋の煙で飯を食う様な「つましさ」の下で自己抑制の規範となっていく。
>【2011/06/05 18:51】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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>>キルドンムさま
>私もきっと原発を目にしていたら、そう心の中で思ったかもしれません。
>
>>苹@泥酔さま
>お習字は小学生どまりでいいってことですね。
>そういえば、思い出せば、基本が出来ていないのに、応用って感じ。。。
>【2011/06/05 21:08】 URL | 奥様 #- [ 編集]
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> 拝復。
>>お習字は小学生どまりでいいってこと
> …うーん、どうかしら。お習字と云っても今と昔では中身が違うし。昔のは要するに実用書式で、具体的には往来物や女今川などが習字の「初歩」にあたる筈。ところが今は実用を前提しない手本準拠型。そんな鸚鵡返し作法を学問や仕事に持ち込めば、例えば東京電力側の模範的作文に瑕疵のありよう筈もない。事故に際し本気でああ言ったのだろうと思ってます(言い逃れでも何でもない、純粋無垢の想定外)。この手の「近代的な学び方」を日本人は明治以降やり過ぎた(渡部昇一先生が『WiLL』新連載で描写した様に)。
> 基礎基本に目が釘付けになると、その先に目を向ける余裕がなくなる。過度の準拠競争で「基礎は難しい」と逃げ腰になった挙句、基礎範囲のつましき狭隘化に向かっても己が近視眼には気付かない(教材が過度に平易となっても競争自体は相対評価のまま)。想定内の基礎はより厳密に硬直化する一方、想定外の応用は基礎からますます遠離る。そうした「硬直化」が同時に高品質(模範的)でもある姿を、「日本習字」等々へと遺伝した「優れた指導」に垣間見ている訳です。
>【2011/06/07 00:48】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]
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> 週末、色々ドタバタしていましたが、まずは「觀峯館」のことについて報告。常設の方だけど、実のところ蒐集主自身の作品は、そんなに多くなかったのね。ただ入口近くにその生涯を展示したパネルと、竹枕に行草を書いたのがいくつか、それに一昨年の大河よろしく「愛」と大書しているのが置いてあったのみ。確かに苹さんのご指摘の通り、何やらぬめっとした薄気味悪さは感じていた。パネルの年表も突っ込みどころに満ち満ちていたし、何より蒐集主の風貌が如何にも胡散くさく…。
> 張大千の例もそうですが、藝術家、それも白髯長鬚の輩には何やら得体の知れぬいかがわしさを覚えますな。いかがわしいからそういう姿をとるのか、それともその姿をとることによりいかがわしさが倍加するのかはともかく、かつて大学生の時分に書いていた未完の習作(書の方ではなく、小説)に「例の考古学者」こと「礼野大三郎」なる白髯長鬚の怪人物を造形したことがあったが(実は小生の堂号の隠されたネタ元であったりもする)、すでにあの頃からキルドンムの怪しい物好きは片鱗を見せていたということになる。…白髯長鬚か。いや、今の口髭は実用目的なのでそれとは違いますが、(放射能をものともせず)七十くらいまで無事生きのびることができたなら、また考えてみないこともない(汗)。
> 閑話休題。そういうわけで蒐集主の書には確かに本能的に危険性を感じていたが、ごく僅かな量だし旧蔵者に対する礼儀もあり一瞥するだけでそのまま先に進んでしまう。どうも五家荘のあそこは蒐集品が中心で、当人の作品の大部分は京都にある別の美術館にある模様(実家を出発する前、小生たちが觀峯館に寄るつもりだと聞いた母親から『それは京都にあるのか』と尋ねられた。何やら無駄に知られているらしい)。そちらの世界のことはよく知らないのだけど、原田観峰とか「日本習字」とかってあまり評判がよくないのかな。ある程度は想像もつくが是非とも業界の内輪の話が伺いたし。
> そういうわけで誰が持ち主だったかは一応視野の外におく。思い返してみると熱河の避暑山荘や三希堂を復元してあるのはまだしも、庭にトンガだかサモアだかの石像があったりするなど実に変な博物館ではあった。何故出身地でもない五家荘にあれが建てられたのかも(一応、門人の一人の郷里だったからだというが)、裏でドロドロしたものがあったのでは。
> 常設(?)では、書の歴史をなぞるようにして碑拓や明清代の書画(前回、独身時代に行った時には阮元や最近、尖閣がらみでも名が語られるようになった銭泳の書があった)の展示が中心。「心理の安定」云々と言ったのはそちらを看てのことです。もっとも唐玄宗の「紀泰山銘」を原寸で壁に貼ってその大きさがわかるようにしたのがありましたが、それを観た時、漢隷とのあまりの違いに愕然となったりはしましたが。
> そういえば昭和三十年代の暮らしのコーナーとか、明治以来の書写教科書の展覧もありました。遺憾ながらそっちの方の知識が乏しいので、苹さんにうまく誘導してもらえないと説明も困難です。
>【2011/06/08 00:11】 URL | キルドンム #m7FpRJaE [ 編集]
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>>苹さん
>>キルドンムさん
>この話には全然ついていけません。
>って、 苹さんの話にも最初からついていけてませんが、比喩というか、あてはめて考えるあのやり方はいつもとても面白いと思っていますが、、、
>
>お二人の世界でどうぞ・・・・
>【2011/06/08 22:29】 URL | 奥様 #- [ 編集]
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(続く)



8【再掲】批評と臨床(其八) ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/07/19 (Tue) 23:41:47

【再掲】批評と臨床(其八)
7966 批評と臨床(其八) 苹@泥酔 2011/06/20 23:25

(続ける)

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> うっ…(汗)。奥様には申し訳なく思ってます。こんなのでも少しくらいは、原発問題に絡む深層心理分析に役立てば、とは思ってるんですけどねぇ………。
>
> 念のため、先ずは「日本習字」の書きぶりについて。~子供向けの手本に限って云えば好ましい部類だと思います。ひたすら平凡で、字面の印象は教科書体活字的。そこから歴史的接点に向かえば文句なしですが、そうならないのは重要な起爆剤となる筈の小楷に入る前に皆「やめてしまう」ため…なんじゃないかと疑ってます。つまり、それを云ったら(「日本習字」に限らず)何処も同じなんですね。義務教育では最も実用的な筈の小楷を教えず、すぐさま硬筆に行ってしまう。半紙清書の左端に名前を書かせて「やった事にする」。それが戦後書教育の一大特徴ではないかと勘繰ってます。
> 抑も実用無視の「大きくのびのび」メンタリティーが悪い。あんなものは表向きの基礎、ごまかし、建前に過ぎない。「授業のノートは総て大きくのびのび書け」なんて指導してみい。学力低下が目に見えているじゃないか。どんなに手本が優れていても、応用にウソがあると「優れ方」が却って毒になる。ところが昔のは全部が応用で、下手でも一癖あっても真っ当に字の役割を果たしている。そこが安心して見ていられる。読めなくても「読める人には読める字」だと推認できる所に安心がある。読む読まないは関係なく、対象認識の前提が予めそこにある。
> 一方、小学生向きのお手本は優れたものほど「ノッペラボー」になりがちで、書く側も教える側も余計な癖をなくそうとする。証拠隠滅するかのごとき態度で書かれた手本を見せようものなら、誰だって「証拠を見つけろ」と指導するより「とにかく真似ておけ」と匙を投げる方が開き直りやすいではないか。証拠は見えないままで、見えないものは身に付かず、果ては「どの教科書を使っても同じ」となる。教科書の解説や構成はあれこれ工夫するのに、手本の字は工夫のしようがない。真面目または単純な生徒ほど「癖字はよくない」と洗脳される。歴史的根拠に由来する癖字も、歴史的根拠の欠如に由来する癖字も、共に(生理的に!)受け付けなくなる。そうなる前兆は戦前、遅くとも大正時代には既に顕在化していた(差し当たっては片鱗が窺えそうな、旧稿からの転載を含む天バカ板の記事を参照されたし↓)。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_tree?base=6785&range=1
> 『WiLL』2011.7号によると、渡部先生が小学六年の習字でビリになったのは昭和十八年との事。その頃どんな習字教育がなされていたか振り返ると、明治に比べれば実用とは程遠い代物。…こちとら競書雑誌で小学生の頃から大正時代の「尋常小學書キ方手本」(乙種)に慣れ親しんできた時代錯誤者でやんす。月例手本とは別の頁にほぼ毎月連載されていた。だからレベルの高さも低さもよく分かる。月例手本(昭和戦後)よりレベルは高いが、幕末や明治よりは圧倒的に低い。教え方も学び方も変わった。昭和初期と云えば鈴木翠軒揮毫の甲種教科書が有名だが、線の顫えの数まで一々数えて指導したエピソードが残っているくらいだから、既に教育自体が末期的だった。当時の書道は芸術扱いされようと背伸びし、もはや実用書道の時代ではなかった。
> そんな観察などを義務教育末期の趣味としていた苹にとって、高校入学直後と教育実習とでは感覚に殆ど差がない。実用書道と芸術書道の狭間で置いてきぼりにされた教育書道の残滓がどの程度まで高校書道に反映しているか、学ぶ立場で観察を楽しんだ。高校書教育に限界があるのはすぐに分かる。最初は楷書古典だが、古典学習する前の基礎は諦めねばならない。仮名は初めから平安時代の古筆。基礎となる実用書道の仮名は完全無視で、明治維新以後に壊滅的な打撃を受けた影響が如実に残る。(以下略)
>
> …で、(奥様からのレスを読んで)急遽ここから話を端折る事になるんですけど、とどのつまりは原発そのものが「戦後」の転向、すなわち「平和利用」の文脈で制度化された点が問題なのね。見立て換えるなら、嘗て日本が真っ当な国際化(植民地化に非ず)を目指す上での迎合的国語改革に及ぶ過程で、どことなく似通った面を私は双方の狭間に感じ取っている訳でんな。今や少なからぬ日本人は、自然エネルギーに日本回帰と国際化の両方を幻想しているのではないか。言葉でものを考える、その仕方を「国際人」に牛耳られている可能性に我々は盲目となって…と云うより、寧ろ自ら放棄しているのではないか。
> ここで語っている事は或る意味、言葉の奴隷論でもあるのです。そこに菅政権の根本的な見込み違いがあったのではないか。言葉は日本精神の領土である。そこを牛耳られた状況に抗おうとしたのなら、菅政権は最も皮肉な意味で愛国的だった事になりはしないか。そうした側面への踏み込みがなされぬまま、単純な愚劣政権としての扱いから愛国心がルサンチマンに変化していくとしたら。
>【2011/06/09 00:12】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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>>奥様に
> どんどん支離滅裂になっていくようで本当にすみません。勿論、苹さんのせいではなく、小生が無理やり詰め込もうとしていた結果で…。何とか結げますので、もうしばらくのご容赦を。
>
> 確かに明治の頃からの書写教科書が数はそう多くないながらも展示してあった。書者はよく覚えていないが巌谷一六とか比田井天来(もしくは岐阜ゆかりの人)とかがあったような気がする。その鈴木翠軒というのも。ただ、昭和二、三十年代ごろのを意図的かは知らぬが、目立つように置いていた。小楷の件はどうだろう。自分の記憶では「かん なおと ろくさい」(あっ、これは平仮名か)ばかりでなく、ちゃんとしたものも少しはやっていた筈なのだが。
> 「ノッペラボー」か…。先に書いた唐隷(本当は八分と呼ぶべきかも)に感じたのがまさにそれだった。実用から遊離すればそうなってゆくのか。
> 高校の時、学校図書館にあった明治以来の教科書の復刻本をめくっていると、尋常学校書写の教科書がそれこそ今(昭和五十年代末)の高校以上の水準だったのに一嘆したことがある。ことに行楷の『三字経』には狂喜して早速書き写したのだったが、あれは誰の書だったのか。明日にでもまた職場で確認するつもりなり。
> 手本で思いだしたが、一時期の大陸では毛沢東崇拝のあまり、毛の書蹟を手本として習う人が続出したという。あれって初学者にはどうなのでしょうね。少なくとも小生はこれまた心理的不安に襲われること観峰師の比にあらず。
> 毛というと(強引に話題転換)、チベットの奥地には今なお彼を文殊菩薩の化身と信じ、ダライラマと共に肖像を仏壇を祀っている家があるという(王力雄『天葬』。この本の話はいずれ「竹林」でする計画)。これは善悪いずれをも問わず、強大なパワーを発するものを「神」として崇拝するというチベットの神仏観に由来するとのことであるが、してみると福井の高速増殖炉に「ふげん」「もんじゅ」の名をつけたのは極めて適切なことだったことになる。いったいどこのアイディアマンが考えたのかは知らないが、少なくともその人は「仏力」を解き放つことの恐ろしさを無意識にでも感じていたのであろうか。
>【2011/06/10 00:13】 URL | キルドンム #m7FpRJaE [ 編集]
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>>「かん なおと ろくさい」
> うっ…。こんなAA(↓)をウッカリ思い出しちまった…(orz)。
http://guegue.blog73.fc2.com/blog-entry-1992.html
> 冗談はともかく、懐かしい話題が色々と出てくるなあ。「我日本一稱和」で始まるのは大橋順蔵(幕末)の「本朝三字経」か。例えば埼玉県で使われた明治九年三月刊の『下等小學七級六級科習字本』がそれで、筆者は高斎単山(当時は各県で教科書発行)。他に見た事あるのは村田海石の書で、どっちも巻菱湖の門流、すなわち後の国定手本時代で云うところの乙種系でした。出てくるのは神武から秀吉まで。あんなの昔やってたんだなあ。先ず下等小学校八級に入学して半年に一級ずつ上がり、下等小学一級の後は上等小学八級、そこの一級を終えたら小学校卒業で、優秀なら飛び級もアリ(明治五年の学制施行から十二年の教育令制定まで)。そんな世代が日露戦争で活躍したんだろ。同じ六歳でも、学んだ教材からして「かんなおと」や私とは大違い(苦笑)。
> 唐隷は時代性の印象が強烈でした。強いて似通った漢碑を挙げるなら乙瑛碑か。…そう云や顔眞卿の多宝塔碑の題額が唐隷で、本文の楷書に通じるクドさが初唐とは大違い(欧陽詢の九成宮醴泉銘の場合は篆額)。元代は骸骨みたいな隷書が流行り、清代に考証学・金石学絡みの篆隷ルネサンスがくる。実用から乖離と云っても色々で、ただの学力低下とは別の衒学的篆隷に~あれは属するのでしょう。尤も、細かい事を云えばここ半世紀の書法解釈では中鋒が主流の様ですが明治時代は露鋒含みや篆筆の応用が多く、あたしゃ高校時代その違いの書き分けを面白がってました。また毛沢東の書と云えば狂草くらいしか思い当たりませんが、かなりの達筆である事は認めるにしても初学者向きとは思えません。
>(以下、ふと思った事。)
> 先日『WiLL』の西尾先生稿を読み、「天使のような侵略」って表現に着目しました。薄々そこに感じていた既視感の正体が判明。あれは「日録」中の文言でした(↓)。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=788
>「西洋文化は調和と進歩、文明と破壊の二つをもつ双面神だったので、進歩と破壊だけが入ってきたのではない。背後にある調和と文明も同時に入ってきた。」
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=789
>「私はたったいま「進歩と破壊だけでなく調和と文明をもたらした」と言ったのであって、「破壊だけでなく進歩をもたらした」と言ったのではない。「進歩」と「破壊」は私の文脈では同義語なのである。」
>【2011/06/10 22:51】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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> 「かん なおと ろくさい」よりも「一ねん 六くみ かんなおと」の方が良かったかと、投稿直後に思いましたが後の祭り。
> 『日本教科書大系』であの後確認したところ、村田海石の書でした。『本朝三字経』(こちらは小楷)も同じ。他の頁をみると…。長三洲のもいくらかある。この前目睹したのはこれだったかな。
> 確かに、当時は実用的な教材が組み込まれていますね。その最たるものは書簡文。これが国定化前後から様子が違ってきて、藝術化、精神化へと傾斜してゆくというのがよくわかりました。
> ついでに今の子供たちはどんなものかともう一度棚に近寄り、某社刊の小学校書写を一年生用から開いてみると…、ああ、これは…。一貫して硬筆中心か。ようやく三年生になって毛筆が出てきたかと思うと、一瞬だけですぐに消える。四年以上も硬毛併用になって六年に至る。小生の頃は、三、四年の間に毛筆に完全移行していた筈なのですが、記憶違いかも。いずれにせよ、「かん なおと ろくさい」の世代の場合も毛筆ではなく、フェルトペンとあいなることに。それはともかく、いつから毛筆を使い始めたにせよ、管さんも今は職務上毛筆を使うことがある筈だが、どんな書風でしたかね。花押は…。
>【2011/06/11 22:48】 URL | キルドンム #m7FpRJaE [ 編集]
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> いまどき花押なんて使う政治家いるのかなあ。訪中した小泉首相が揮毫するシーンをテレビで見た時は「世が世なら国辱物か」と思ったけれど、そんな気分は民主党の誰かが書いた色紙の「交代政権」または「政交権代」(と読めた)で吹っ飛んじまいました。国交回復時に署名する田中角栄の方が遙かに達筆に見えた。ただし中国側は例の手首をクイッと擡げた把筆で、日本側は例の「仮名も書ける」やつ。撥鐙法だか鵞頭法だか知らぬが、どうせ漢字で署名するのなら相手国の伝統と互角に渡り合う気概を把筆で示す余裕(教養?協調性?)くらいは欲しい。仕草ひとつで印象が変わる事に、田舎者の苹は少しだけ敏感(僻みっぽい?)なのかも。あたしゃテーブルマナーなんて知らないもんね。
> 「専門家」が社会的人間の権化だとするならば、「専門」は差し詰め裸の人間の営みか。その蓄積が四方八方で悪食すると怪物が生まれる。そこが素人と異なる…専門家と玄人が違う様に。怪物たる玄人に教養の実践を見た時の感動は凄まじく、そこんとこが専門家と一線を画す特徴になるのかな、と(ここで画工と文人の違いを想起)。専門家になりたくてなる訳ではあるまい。ならざるを得なくなる様な、何か宿命的な限界が専門そのものを呪縛してしまう。かてて加えて、この宿命を制度化する上で教育が一役買っている。ファウストとワーグナーを最も公平に見つめてきたのが実はメフィストフェレスだったのではないかと思うと、天使の様な誘惑に誰が抗えようか。
> そんなふうに妄想していくと、星条旗のメフィスト・ワルツに乗って踊る自分の姿から逃れたくなる気持ちも分からぬではない。鏡の向こうでは海を隔てて中国や朝鮮半島が微笑む一方、陸続の鏡を覗けばドイツとフランスが微笑み返す。(…と云っても、最初に微笑んだメフィストは日本のフクシマに宿ってたりして。)
> …唐突ですが今、久しぶりにリップス『いまなぜ金復活なのか』(徳間書店)P.228「フランスの罠にはめられたドイツマルク」近辺を読み返してます。無関係なら、それはそれ。
>(…と書いた数時間後「日録」拝読。)
> まさか追悼文に十年前の菅直人ネタが出てくるとは。~ちと気になって画像検索したら上記色紙の人は岡田克也。角栄は思ったほどでなく、また小泉も思ったほど下手でなかった。そんでもって…菅直人の書いた色紙は本文が小さく署名が大きかった。なんてこった。
>【2011/06/13 00:56】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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 なお「本朝三字経」については、高斎単山の図版を「つくる会」東京支部板に載せた(↓)。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_r_718.html

(続く)

「とめはね」其一

苹@泥酔

2020/03/24 (Tue) 19:31:08

8【再掲】批評と臨床(其九) ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/07/19 (Tue) 23:45:03

【再掲】批評と臨床(其九)
7967 批評と臨床(其九) 苹@泥酔 2011/06/23 20:11

(続ける)

 キルドンム様の指摘にある通り、明治初期は「実用的な教材が組み込まれ」、「その最たるものは書簡文」で、「これが国定化前後から様子が違ってきて、藝術化、精神化へと傾斜してゆく」。つまり現代のみならず戦前とも根本的に教育思想が違う。そこを見落とすと戦前イメージが単純に括られ、学校教育における習字が書道に変貌していった理由自体ひどく曖昧になってしまいかねない。と云うのも、当時は国語そのものが成立途上にあり、言文一致思想による「文語からの脱却」と並行して、早くから英語国語化論なども取り沙汰されてきた。日本語の効率的運用が急がれてきたのには富国強兵上の必要もあり、そうした諸々の意味で国語自体が流動的だった。
 また主に書写教育では所謂「ノメクタ」教科書以降、教材の系統性だの要素別学習だのといった論点が重視されるが、大抵そうした場所では行書先習論など蒸し返される事はない。楷書と平仮名を繋ぐ水脈から行書が排除されると、筆脈は楷書に居場所を失い、漢字は平仮名に来歴を失う。にもかかわらず行書はさも難しい書き方であるかの様に扱われ、それより難しく見えてもよい筈の草書を更に草略した平仮名がさも簡単そうに刷り込まれる。…あれは小学校に入る前だったか、朧なる記憶がある。吾輩は「あ」と書いた。縦線を左に曲げた後、ぐるりと書きながら鏡文字となった事に気付く。模倣に理由は要らない。幼児は理由を考えるべきではないかの様に、可愛らしい子供だった私は平仮名を稽古した。しかしそこに原型たる「安」の面影はない。「安」の書写体(ワ冠を「女」第一画が貫く形)もまた然り。楷書からの書写体排斥が楷書を活字体に屈服せしめ、諸々の筆脈示導システムを漢字からも筆順からも遠ざけていった。
 難しいとか簡単だとか、そんなイメージを誰が決めるのか。読めないものは難しく見える。ただそれだけの事ではないのか。小学生の頃から漢字と仮名の狭間に「排除の論理」を刷り込んでいないか。そのつもりはなくとも事実そうなっているとしたら、たちの悪さでは不埒至極と云ってよかろう。そこでは無自覚の常識教育(…洗脳?)が過去の文化を当然のごとく滅ぼしていく。しかも後になるにつれて、規律指導=躾がいっそう自覚的に強化されていく。無自覚が自覚に変わる時、その衝撃はワーグナーによる舞台神聖祭典劇の第二幕でパルジファルが悟る、あの一瞬と同じくらい劇的となるだろう(↓の動画では2:03以降、ただし英語字幕)。自覚は麻薬患者のフラッシュバックにも似た形で、今度は本格的に漢字と仮名を分かち始める。生徒は既に「虜の主体性」を己がものとして自覚しているにもかかわらず、そうした方向へと「過去に無自覚な教員」や周囲の環境が引き続き仕向けていく。この追い打ちと対比が戦前から延々と繰り返されてきたからには、もう後戻りなど出来る訳がない。敗戦に乗ずるかの様な形で戦前と戦後は連続する。漢字制限も仮名遣い変更も戦後の占領政策による強制ではなく、どれもお膳立ては戦前に概ね済まされていた。
http://www.youtube.com/watch?v=OUu0WU9BZMM
 『WiLL』2011.7号P.282で、渡部昇一先生は小学六年の習字「貼書き」でビリになった事についてこう書いている。「しかし、父は家に帰っても叱りもせず、愚痴も言わずに、ぽつりと「これからの世の中は筆の字の時代でもあるまいからな」と、自らを慰めるように言った。何しろ昭和十八(一九四三)年のはじめで、ガダルカナルから日本軍が「転進」しはじめる頃だった」と。~この時点で、明治十二年の教育令制定から数えるところ六十年以上が経過。その間に書教育は変貌を遂げていった。日高秩父の書いた国定第一期「尋常小學國語書キ方手本」は明治三十七年以降、第三期の所謂「ノメクタ」教科書(第一学年用)は大正七年以降に用いられた。かてて加えて当時の数十年間、巷間では漢字廃止論やローマ字化論、先に述べた英語国語化論などが民間から政府までのあらゆるレベルで蠢いていた。
 総ての国民が活字モダニズムの真っ直中に居た(印刷機を使う新聞社にとって漢字制限は好都合)。モダニズムと機械には密接な関係がある。軍事的には第一次大戦で登場した戦車。それをデザインした機械式腕時計のカルティエ「タンク」。軍艦は大艦巨砲主義から空母の時代へ向かう。戦争交響曲ならショスタコーヴィチ。機械主義と呼ばれた音楽にはプロコフィエフの交響曲二番などがあった。機械が機械を作るさまを映画で描写すればチャップリンが思い当たるし、その気になれば枚挙に遑ない。こうした文脈で「ノメクタ」以降の習字・書写教科書を見ると、指導法自体が機械的原理を要請するのは自然の流れであって、それに付いて来られなかったのは「時代遅れ」の書家達の方…とは言い過ぎだろうか。ただしそこに書写書道教育原理はあるが、実用があるとは考えにくい(アナクロニズムがモダニズムを使いこなすなんて?)。
 アナクロニズムの側が自ら視野をモダニズムの領分まで拡張した所まではよい。アナクロニズムが実用を保守できなかったのは、モダニズムに実用の場を奪われ「ニーズがなくなった」所為ではないのか。…近代化の辺境では廃仏毀釈、国語の辺境では書教育衰退。私には、どちらも似通った経路を辿ったかの様に見えてくる。どちらも百年以上の歴史を経た結果、今では葬式仏教と芸術書道に至っている。前者に残されたのは「葬式という名の実用」だった。ならば後者はどうか。まさか実用書道ではあるまい。~芸術がパフォーマンスを取り込む流れについてなら先日、興味深いNHK番組があった。BSプレミアム「旅のチカラ」の「十九歳 書の心を知る」(2011.6.14放送)。ドラマ「とめはねっ!」で主演した朝倉あきが、西安交通大学の一年生達と書道パフォーマンスを紹介した。老人達が水で道端に書く「地書」や席書との対比に、番組を見るこちらは心痛と云うか羞(おっと、以下自粛…汗)

 またまた閑話休題。(内心、脱線したつもりはないけれど…)
 今更「実用性を取り戻せ」と叫んでも所詮、アナクロニズム丸出しの妄言と嘲笑されるのが落ちだろう。大抵は「書く事」しか見ていない上、「読まれる」対象の方は共食いが前提となっている。先ず活字・楷書・現代仮名が他の書体や変体仮名を食ろうた後、次は食った側が食われる側に回った。すなわち、嘗て活字は書字の模倣だった。それが今では、書字が活字を模倣する様に予め仕組まれている。活字そっくりに書けば書写体の入り込む余地はないし、活字をヘタクソに書けば「味わい深き書道となる」(皮肉)。どうして学校は九成宮醴泉銘みたいなヘタクソな字を倣わせるのか。レタリングの様なウマイ字をやらせればいいのに。多くの人が内心そんなふうに感じているのではないか。そうとでも考えない限り、「書ける人を育てるのではなく、読める人を育てる」てな具合に道を踏み外した苹が反省(自己批判?)を深めるのは難しい。
 「卵が先か、鶏が先か。」~この問いは難しい。しかし「書くのが先か、読むのが先か」なら、教育上は「読むのが先」と相場が決まっているだろう。少なくとも国語教育、漢字の書き取り学習では大概そうなっている。ただし国語教育には重大な欠陥がある。「読む」対象は文章であって、文字は置いてきぼりを食らう傾向にあるからだ。ややこしい文字など誰も読みたくないし、不都合な事は教えたくない。例えば活字の形が「鬱」なら、黙ってその通り読み書きすればよい。書けないなら交ぜ書きで充分。誰も「書写体で書け」とは指導しない。そこでは「書字が活字を模倣する」(関連稿はこちら↓)。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_p_468.html
 戦後、同一の文字意識に属する字体群のバラバラ殺字事件が起こった。その一つが新字体の制定で、これにより字体に新旧意識を持ち込む壮大な国民洗脳が実現した。新字体(モダン)と旧字体(アナクロ)を別物と捉えると、相対的には書写体の立ち位置までもが変化する様に、過剰な整理整頓指向の延長上に波及効果が連鎖すると、より広範囲に文字意識の群体的同一性が損なわれていく。この出来事が活字の規範性強化に役立つのは云うまでもない。当時、最初の障碍は既に克服されていた(明治三十三年の変体仮名廃絶)。
 文章だけが「読む」対象ではない。文字を読み、字画を読むタイプの読み方もある。中には、音声を必要としない読み方もある。もし漢字が音声を必要とするならば、元からある音声と新たに接続された音声との混交文字として、先ず音訓分析が優先される事になるだろう。しかしそれでは「読み方は分からないが、字面で意味は分かる」タイプの読み方が論外となってしまう。~こうした音声優先主義の言語観は西洋から入ってきた。そこに無理矢理「日本語を準拠させようとする」研究者や教育者も登場した。すると必然的に、副次的な意味で「字面を読む」タイプの読み方はアナクロニズムへと追いやられていく。大学では「分相応に」なら研究してもよいが、義務教育や中等教育には相応しくないものとして、ぞんざいに扱われていく。
 …「其一」末尾で先日、こう書いた(↓)。
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> 学校で研究するのではなく、学校を研究するには、時として学校が邪魔になる。学校で学校を研究する場合、時として学校の邪魔になる。その辺が難しい。学校の邪魔にならない場合に限り、学校で学校を研究できる。学校は研究者を飼育するからだ。そもそも学校で研究が許されているとは限らない。研究してもよい事と、研究してはいけない事。その境界を見定めないと、学校という組織に自分を同化するのは難しい。
> 「想定外」という言葉がある。最近よく聞く常套句だが、遣い方によっては「想定内」との間に危険な断層を生じさせてしまう。割れ目にはエロティシズムが垣間見える事もある。期待される恍惚感が絶望的なまでに唆される時、そこでは絶望そのものが甘美となるだろう。つまり「想定外」と「想定内」との間に境界はなく、甘美な何かへ向かう点では共に軌を一にする。排除されるべきは断層の方であって、そこを埋める事によってのみ、言葉もまた無事に埋め立てられるだろう。断層が埋葬されるのか、断層に埋葬されるのか、共に対象を見定めるのは難しい。
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 この「断層」について、キルドンム様との遣り取りを契機に再認識させられたものがある。書教育側から見れば若干の疑念は残るが、ともかく日本人は(曲がりなりにも)国語を大切にしてきた事を。国語に依拠する事でたとい書字文化が滅び行くとしても、活字文化に憑依した国語はしぶとく生き続ける。その証拠が古文・漢文指導における記述様式の捏造。あれを活字に置き換える事で変体仮名は円滑に一掃され、現代国語との接続が却って容易になるのだから。平たく云えば、古典を現代国語の書記様式へと「翻訳」する事により、現代国語が古典を馴致できる様になる。硬筆だの毛筆だのといったマテリアルの差異は(この場合)どうでもいい。それより活字マテリアルを隠れ蓑にした上での、円滑な接続から弾き飛ばされた書字マテリアルの方が、逆に翻訳を要請するタイプの「学術化」に席巻されつつ高等教育側に占有されていく。その場は小さな学術社会。小さな社会が大きな社会を支配できる構造にある時、そうした学術社会は所謂「有識者」達の黒幕であるかの様に振る舞う事ができる筈だが、どのみち胡散臭さと後進的印象は否めまい。それを象徴するのが所謂「白髯長鬚」ではなかろうか…との不安がキルドンム様との遣り取りに過ぎった。書字そのものを想定外とする言語・文学研究が、それとなく活字論文の世界に瀰漫しているのではないか。活字というバイアスに導かれない限り即座には読めなくなってしまった、そんな他者世界が翻訳的属性をグローバルに自己化する…つまり、過去の日本語=古典は既に日本人の言語ではなくなってしまったのではないか。ここでの日本語と外国語は、いったん国語に翻訳してからでないと理解できない点で言語認識上の迂回性を共有する。

 そう考えると、多くの日本人が英語を駆使できない理由に或る可能性が浮かび上がってくるだろう。「(日本語で考えるのでなく)英語で考える」上では音声の優位性が窺われるが、その様な特徴を日本語古典はもはや必要としていない。実用されない死語集積体は専ら「読まれるため」だけにあり、そうした特徴が反面、同じ「他者の言語」たる外国語に反映していくとしたら。
 言文一致を目論む前の日本語は、文語の共通語性がありのまま実用を担っていた。片や音声言語は方言優位。それらを統合するのが言文一致思想に基づく国語であって、文字言語と音声言語の双方に企てられた変化には相応の破壊的インパクトがある。前者の古文は死語化/古典語化に向かい、後者の方言は撲滅へと向かった。かつ前者は字面の姿を変えつつも国語の中に取り込まれ、後者は細々と地元民の間で引き継がれていった。もし、文字言語と音声言語のバイリンガル状態を克服するための思想が言文一致だとしたら、そこでの国語は或る意味「世界の中心」をなす共通語を目指した事になりはしないか。日本人は元々バイリンガル状態に慣れていた。東北弁の人士が九州弁を理解するよりは難しかろうが、ポルトガル語や中国語を学ぶのと大差なき水準で英語を「実用的に」学ぶニーズもそこそこあった。目的は通商と外交。勿論そのための語学力を国民全員が必要とする訳ではない。
 総ての国民が外国語を必要とするケースは日本が植民地化された場合であり、時には支配層たる外人の言葉を理解できるか否かが生死を分かつ。この意味で語学力は或る種の防衛力となる。モダンどころではない死活問題を強調すればするほど、アナクロどころではない無用の長物に冷淡となるのは~例えば(やや時代は下がるが)英語国語化論で有名な初代文部大臣の森有礼あたりにしてみれば、極めて主体的なリアリティの下で切実と映った事だろう。しかしそれは政治家の見方、庶民にも通用するとは限らない。明治初期の教育を振り返ると、世間の実情(行草変体仮名交じり書記慣行)にそぐわない学問的な「楷書先習」は傍迷惑この上ないものだった模様。況んや英語学習をや。それを小学校からおっぱじめたのでは、学ぶ方がたまらない。表向きは義務教育なのに、就学率は低かった。因みに英語が本格的な実学意識の範疇に入ったのは占領期以降。国語(活字優位)と古典的文語(書字優位)との乖離状況が全国規模で浸透した後の話と云って差し支えあるまい。文語は既に国語へと吸収されていた。ところが日本は復興を遂げ占領時代から脱した。実学英語はビジネス英語の領分となる一方、学校英語は受験英語へと傾倒していく。
 断層への自覚を阻む、「英語の分裂」と「国語の分裂」。~一方では実用と教育が乖離し、一方では実用と古典が乖離する。前者には一見アナクロもモダンもないが、後者となるとそうはいかない。歴史認識や文字認識それ自体、文化障壁となる可能性が前々から潜勢している。そこに余計なイデオロギー抜きの批評を差し挟まない限り、臨床状況の抜本的復旧は見込めないのではないかと思う。ただし復旧が改善と云えるか否かとなると、国語教育理念における見解の相違に揺さぶられがちではある。外野に追いやられた書教育側から見れば相変わらずの堂々巡り。そこのところが難しい。

(了)
 …となる予定がすっとこどっこい。この後たぶん補稿が続く。



8邪魔にならないように合いの手! ( ミッドナイト・蘭 ) New!!
2011/07/23 (Sat) 06:26:53
ガンガン、行きましょう^^
丁寧な前説で読み易くなっております!



8続・採択慶賀 ( 苹 ) New!!
2011/07/29 (Fri) 06:50:33

続・採択慶賀
 育鵬社の教科書が各地で続々と採択されている模様。これまでと比べれば(分裂前の「つくる会」時代を含め)、かなり調子はよいらしい。自由社の教科書にも大いに健闘して欲しい。保守には保守なりの「アゴーン」があろう。紋切り型の批判は似合わない。セレブ奥様ブログには小山先生側からの比較分析が載っていて勉強になった(↓)。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1136.html
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1140.html
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1141.html
 先日カラヤンを話の種にした。教師らしさ、という事ではバーンスタインの方がよさそうに思えるが、それは授業の観点であって、リハーサルとなると甲乙付け難い(両者のリハーサル風景はLDで、後者のハーバード大学講義はDVDで見た)。教師としての人間味に個人的感覚上の嫌味を覚えたとしても、内容と相性を混同しては目が曇る。ところが他方では、相性が内容への誘いとなる例も少なくない。その辺の工夫を誰もが凝らす事になるのだろう。…こんな記事が目に留まった(↓)。
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1311768617/-100
http://www.mindan.org/shinbun/news_view.php?page=11&category=2&newsid=14711
 国語教科書への参入にも期待している旨、これまで幾度か書いてきた。しかしよくよく考えてみると、その難しさは並大抵でないらしい。国語百年とそれ以前の歴史との接続に、所謂「和文リテラシー」の衰亡史が絡んでくる。書写教科書にも同時参入せねば筋が通るまい。そのための環境が整うまで、あと十年はかかりそうな気がする。去勢された書教育にも、日本語破壊(英語国語化?)を内包した国語教育にも、共にGHQ占領時代が影を落とすのみならず、明治維新の破壊性が問われる事になるからだ。
 NHKの朝ドラ「おひさま」は取り敢えず新獲の東芝BDレコーダに全部録画してあるが、怠けていたらアッという間に百回目を過ぎたのね…(汗)。蘭様のレスに慌てて初回から見始めたものの、これがなかなか進まない。塵も積もれば山となる。この週末、何回目まで行けるだろうか…(orz)。

(以下余談…いや、実は本題か?)
http://imoshiori.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7305730
 前稿(と云っても旧稿再掲↑)を出してから十日が経つ。…あれこれ考えぬでもない。このまま「とめはね」やら「俺妹」やら、ずるずる再掲を続けてよいものだろうかと。もうひとひねり必要なのではないか。さりとて、原発汚染水のごとく溜まり続ける脱線話がいったん溢れると、これはこれで始末が悪い(?)。
 てな訳で~何年ぶりになるだろうか、このところ久々に支流を2chに繋ぎ、覗き見ては「俺なら何を書くかなあ」てな具合に脳内堤防決壊を防いでいる。前にお邪魔した時は大いに盛り上がった。その時のを見たか否かは定かでないが、休刊号となった『篆刻』第80輯(東京堂出版)の「編輯後記」で先年、北川博邦ゴクアクニン大学教授(?)が思わせぶりな事を書いていたのを思い出す。以下抄録。
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○この編輯後記は、それこそ編輯最後記であるから、例によってふざけたことの一つも書かねば収りがつくまい。友人の某君、年来すっかりパソコンにはまって、逢う人ごとに一くさり講釋をする。2チャンネル中に書道の専欄がある。投稿のほとんどはゴミだが、その中のやや見るべき者をいくつかプリントアウトしてきて見せてくれた。いやあ、どこのどなた様か存じ上げませんが、いいこと言うのがいるねえ。思わず膝を拍ち一献さしあげたくなる。でも匿名だからどうしようもない。というわけでパソコンなる者をちと見直し、同君おすすめの古書の目録を人に頼んで出してもらった。先ず手始めに引いてみたのが、ホウジョウ、法帖である。いや驚いたのなんのって、最初に出てきたのが、なんと「月影忍法帖」。たしかに「法帖」の二字は入っているのだけれどなあ。淳化法帖なんてのは、おしまいの方にちょっと名が出てくるだけ。パソコンなんてこの程度のものさ。しょせんはガキのおもちゃ。なまじちと見直したりしただけに、大いに気勢を削がれた。別の友人、かつて歴史書出版の老舗の編集部にいた。さる編集会議の時、私に法帖史を書かせたらと提案したら、脇から声あり、あの人の専門は鎌倉時代だったの。北條氏と間違えられたのだ。いやはや、こういうのをシナ風にいうと、啼笑皆非、になるんだろうな。
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 この本、発行は平成十五年三月とある。拙稿とは無関係かも知れないが、これを見て「ゴミ扱いされる稿は書きたくないナ」と思っていたら、その後いつの間にか長々とした粗大ゴミだらけになっちまった気がせぬでもない(そんでもって過疎板化…orz)。今更2chで短文の練習をしても無駄、との思いが半ば過ぎる。あちらに書くとは限らない。
 こちら天バカ板に出すための稿を今、いくつか並行して書いている。多分ボツになるのが多かろう。次稿はやはり…予定通り「とめはね」ネタの再掲から始める事になるのかな。



8余談追記 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/02 (Tue) 00:12:36

余談追記
 で…その後の2chだが、一部の書道関連スレッドでは「俺なら何を書くかなあ」と、覗き見ついでに書き込み実験の最中だった訳である。スレの流れを見ると初めの方は緩やかで、やや横柄な所が面白そうなキャラのコテハン某氏が登場した頃から少しずつ活気が出てきた模様。と云っても一日に数十件の書き込み数ゆえ、千件に達するまでは暫く間がある筈。これはお誂え向きと早速便乗、私も邪魔にならぬ程度を目指して口を挟み始めた。
 短文練習と云っても苹の事、それなりの長さにはなる。書きたい中身を短く詰め込むと、どうやら傍目には難解と映るらしい。~住人方々の遣り取りを傍観するのは楽しい。拙稿への反応らしきものから話題があれこれ別方向に拡がっていくさまも興味深い。因みに下記スレの場合、三月の例外落書一件を除けばコレが拙稿の全部(↓)。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/gallery/1285312539/
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>477 :わたしはダリ?名無しさん?:2011/07/22(金) 01:23:25.63
>ざっと見ると、書道は大体こんなイメージになるのかな。
>(ここ百年は通用してる視点)芸術書道
>(うまく共存できてない視点)視覚芸術、言語芸術、教養芸術
>(蚊帳の外にある学問的視点)和文リテラシー、古文書学、東洋学、文学
>(形骸化または堕落した視点)実用書道、教育書道、習字
>(これから主導権を握る視点)パフォーマンス書道、コメンテーター兼業書家
>特に芸術書道は、文字とか余計なのを切り捨てていけば最後は前衛芸術だけが残る感じ。
>今や学者の書なんざ芸術扱いされないばかりか、巧い人ほど古臭くて見向きもされない。
>ならクラシック音楽を芸術扱いするほうがおかしい。ピンからキリまで知識だらけだし。
>となると、芸大に書道は合わない。知識も哲学も捨てた書道からは何も学べそうにない。
>もし書道を芸術扱いするなら、むしろ芸大からクラシック音楽を追放すべきじゃないか。
>すると若手音楽家が一斉に反発するだろう。ジジババの演奏を本気で尊敬してるらしい。
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>539 :わたしはダリ?名無しさん?:2011/07/27(水) 07:40:32.47
>技術(テクネー)の中で、芸術に相当するのが模倣的再現(ミメーシス)のテクネー。
>模倣や再現にとって独自性とは何か。元々「アート」概念を輸入した時点で曲解がある。
>活字依存の国語創設以降、書字を読めなくする教育の推進により模倣も再現もなくなる。
>そこに軒並み「新しい」芸術が流入、「古いものはダメ」と曲解する風潮が一般化した。
>芸術は「分からないのが当たり前」。文化の歴史的接点を捨てたのだから仕方あるまい。
>子供らしさ偏重の美術教育では、子供の天使らしさが神に繋がる宗教性を教えなかった。
>あちらでは神が創造し、人間は模倣する。ユマニスムでもルネサンスでも背景は同じ。
>そんな土壌に培われたアート、クンストから、技法を捨てて神を冒涜する方向へ行く。
>日本人がアートに踏み込む行為自体、見方次第では芸術上のテロリズムと映らないか。
>異文化交流は互いの文化が前提。その一方が「読めなくなってから」書道アートとは。
>オペラの原語上演はトスカニーニ以降で、作曲時点ではモーツァルト以降だったかな。
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>575 :わたしはダリ?名無しさん?:2011/07/28(木) 01:16:45.57
>昭和の後期、ぼちぼち老成期に入った頃の重鎮書家達による臨書集が続々と出版された。
>それまで主導権は流派側にあった。師匠の臨書を基準とした近視眼が悪弊になっていた。
>様々な人の臨書を系統的に比較できると、師匠を離れた臨書の可能性が新たに拓かれる。
>臨書の役割は昔と明らかに違う。古典は権威的シンボルから世俗的ツールへと変化した。
>平成に入ると世俗化の悪弊か、表現の恣意性が漂流し始めた。権威はどこにあるのやら。
>古典と権威は機能面で不可分ながらも、世俗以外での混同は却って世俗的実用を滅ぼす。
>
>権威は模倣に霊感を与える。再現に向かうのは霊感の方であって、権威は模倣できない。
>この権威を代行したのが開国以前の師匠。その限りで、古典が貧弱でも仕方がなかった。
>古典を鑑賞できたのはごく限られた人々。ゆえに伝承者たる師匠には古典的風格が要る。
>師匠の書を模倣するのは古典的霊感を間接的に読むためであって、模倣が目的ではない。
>霊感が古典的なのは歴史的普遍性ゆえ。現代的である事の普遍性もやがて古典的となる。
>古典的である事は言葉の古典的可読性と同様、古典そのものとは役割が異なる点に留意。
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>702 :わたしはダリ?名無しさん?:2011/07/29(金) 20:40:38.86
>芸術書道の基礎は実用書道で、その模範が教育書道。つまり基礎があれば誰でも読める。
>基礎は義務教育で学ぶ。それを補助するのが民間の書塾。中卒なら草書も仮名も読めた。
>ところが基礎レベルは劇的に低下。大多数の学校が半世紀以上前から指導放棄してきた。
>学校でやらないなら塾に行く必要もなくなる。悪循環は深刻化、塾のレベルも低下した。
>基礎なき生徒が高校でいきなり芸術書道を学ぶ必要上、教員達は芸術名目の基礎を捏造。
>学校側では現実を追認する方向で学習指導要領を再解釈し、元々の基礎を隠蔽し続けた。
>国旗国歌問題とは桁違いの学校が関わっている。既に文部省の解決できる規模ではない。
>未履修問題の露見で文科省は、世界史と違い実効性のある改善策が取れない事を認めた。
>
>実用書道を実用たらしむるには、範型たる教育書道との照合による判読幅の拡張が要る。
>教育書道は硬直的で、実用は変形が前提。ゆえに美的変形は実用に芸術書道を包含する。
>範型の書風変化は実用に大きく影響。変形の個別性を支えつつ背後で時代性を区画する。
>幕末以降は御家流、菱湖流と顔法、国定手本と古典の融合、戦後教科書の順に遷移した。
>実用書道への影響は菱湖流まで。以後は急速な芸術化が進むにつれ可読性が乱れていく。
>仮名統一と漢字節減を経て、占領期の書教育禁止以降は芸術の名目が建前へと変化した。
>実用上の基礎から切断された芸術書道は、過去の鑑賞基準を失いつつ個性の遊走に至る。
>保守的個性は古典帰依、革新的個性は国際芸術、実用的個性は「読める書」へと隠れた。
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 いつもの事ながら投稿ペースは一日一稿以下を旨とし、推敲ゆるゆる何度か書き直してから出す。…そうこうしているうち、誰に巻き込まれたか「全サーバ規制」とやらに引っ掛かって投稿できなくなった。その上あちらの書き込み数は一日数十件だったのが百数十件へと増加したりする。規制解除になる頃は既に手遅れ、投稿限度の千件に達してスレ自体が消えているだろう。
 数年前の遣り取りでは、私と某氏の一騎打ちが熱かった(そして楽しかった)。それとてスレが千件に達するまでの事。今回は下記準備稿を出せそうにないので、こちらでチョイとばかり立ち小便して置く。
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>佐藤道信東京芸大教授の著書を見ると、書画が昔から芸術である事に議論の余地はない。
>技術の伝承を重ねるうち、画風や書風は自ずと分岐する。ただし急激な変化は殆どない。
>また西洋画家の工房的印象に、諸々の社中や展覧会組織、大学などを重ねる見方も可能。
>そこには個人性と集団性の差異が絡む。音楽では独奏と合奏を指揮者が束ねる例がある。
>個々の演奏技術と指揮者の楽曲解釈は別物で、技術の統一性も解釈の個性と矛盾しない。
.>書道の工房的側面に難があるとしたら、参加以前の段階で身に付けるべき基礎の不足か。
>
>頭目は展覧会の書風しか書けないのではない。様々な学書を経た結果だけが目立つのみ。
>そこでは多様な古典や現代書が基礎に相当。長年の取捨選択を経て書風収束へと向かう。
>集団には相互錬磨の機会があり好都合。また頭目を罷免する場合、多くは会が分裂する。
>団体の集金システムには稽古謝礼の他、書人同士の供出を展覧会費用に充てる面がある。
>大抵は入場無料。有料展には媒介者が絡む。カネの問題は音楽界の方がより深刻と聞く。
>ブローカー、プロモーターなどの媒介者は、メディア露出や作品売買でマージンを取る。
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8Re: 祝! 教育再生機構教科書採択! ( ミッドナイト・蘭 ) New!!
2011/08/03 (Wed) 00:21:20
転載でスマソ!!

[続々! 育鵬社、歴史公民教科書、採択決定第4号!(速報)]

☆今日も今日とて残業で、いまだに『カーズ2』も見に行けず、

「さて、今日のブログ更新は何を書くべぇ」と思案し帰宅していたら、速報メールが入りましたよ!!^^

 都立中高一貫校10校に続き、神奈川県立中高一貫校の平塚中等教育学校で育鵬社の歴史教科書が採択されました^^v

   《神奈川の中高一貫校も育鵬社採択 (2011.8.2 15:18)》

 <神奈川県教委は8月2日、県立中高一貫校のうち平塚中等教育学校(平塚市)で来春から使用する歴史教科書として、教科書改善の会(屋山太郎代表世話人)のメンバーが執筆した育鵬社の教科書を採択した。育鵬社の教科書は平成14年度から発行されている扶桑社の歴史・公民教科書を継承。東京都立の中高一貫校全10校や神奈川県藤沢市などでも採択されている。(SANKEI EXPRESS)>

 非常にいい流れです!!!

 日本の国土の輪郭をハッキリさせるために、先日、(私、挨拶し、握手したことのある)新藤義孝衆院議員ら自民党議員3人が竹島絡みの視察のため韓国を訪れ、遺憾ながらも入国拒否されましたが、

 日本の精神の輪郭をはっきりさせるための教科書改善運動は、日教組や日本共産党、特定亜細亜3国の妨害を振り切り、育鵬社教科書の採択が続々と、順調に決まっております^^

 でも、まだまだ、ですよ^^

 これからが勝負です!!!

 ゴソッと、まだまだ採択を取りますよ^^

   ◇

 我々、「真の保守」が見限った、斜陽の「新しい歴史教科書をつくる会」の自由社教科書は、さて、どーでしょーか?

 情けないことを仕出かしています・・・。

   《教科書の年表、他社から流用「つくる会」主導(2011/08/01 22:00)》

 <「新しい歴史教科書をつくる会」が主導し、今春の教科書検定に合格した自由社(東京)の中学歴史教科書の2012年度版が、日本史年表のほぼ全部を東京書籍の教科書から流用していたことが1日、分かった。文部科学省が注意し、自由社は訂正申請するという。市販本は回収を始めた。
 自由社によると、10、11年度版や、今年5月に発売した市販本でも流用していた。同社は編集著作権を侵害したことを認め、
東京書籍に謝罪。横浜市立中学校など使用中の学校や教育委員会にも謝罪と経過報告を記した手紙を送った。
 基になったのは東京書籍の02年度版の年表。旧石器時代から現代まで一部の表現を変えた以外ほぼ引き写していた。
 自由社は「当時の編集長が既に退職し、詳しい経緯は分からないが、申し訳ない」と釈明し、東京書籍は「無断で流用された
ことは大変遺憾」と話している。(日本経済新聞・共同通信)>

 まあ、この記事は、私は、こちらのブログの情報で既に知っていたよ・・・。

     《★東京書籍の年表を盗用した自由社版教科書-記述検証〈6〉(2011年05月26日)》(←クリック!!)

 しかし、保守を名乗る団体が、左翼教科書・東京書籍からパクるとは何事か!!!

 けしからんッッ!!

 しかも、「当時の編集長が既に退職し、詳しい経緯は分からない・・・」だとぉ?

 おい、「つくる会」ッ!! お前ら、全て「ハゲ松(松本謙一。前「つくる会」東京支部長:小林よしのり氏追放に暗躍した男。鉄道マニア)」の責任で済ますつもりかよ。

 で、だ。

 その「つくる会」教科書(自由社)の採択はいかがなものか?

 な、何と、現在のところ、都立特別支援学校で公民が80冊決まっただけです。

 歴史教科書に至っては、今のところ「ゼロ」です。

 ・・・やっとこさ、やっとこさ、「保守派内紛」が、こちらサイドの完勝で終わりを告げそうです。

 でも、左翼との戦いは、まだまだ続く!

 まーだまだ、ここはがめつく、採択を勝ち取るぞ!!!

 「頑張って、いきまっしょい!!」

 「しょい!!!」

                                                      (2011/08/02)

 PS.つくる会サイドは、現状をどう考えているのでしょうか・・・?



4「とめはね」再掲 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/09 (Tue) 23:56:02

「とめはね」再掲
 いつもの様に数日遅れの「書道美術新聞」が届くと、一面記事に目を通した後、毎回楽しみにしている小竹光夫「備忘言志録」連載を読む。~2011.8.1付の最新966号は書道パフォーマンスのネタだった。どうやら教え子が高校で教えているらしい。そこの生徒がやりたがったとの事で、小竹教授は当初絶句した模様。生徒達の身勝手な自己満足が一番アブナイ。これを教授は「刹那の舞」と表現するのだろう。しかしそうはならなかった模様。よかった、よかった。…でも、ほんとにそうなったのだろうか?(一寸先は闇)
 小竹先生は綴る。「大切なのは、本人たちが「良かった!」と実感するだけでなく、そのことを通じて見る者に何を与えたかであろう」と。…とんでもない。もしかしたら、そっちの方がアブナイのかも知れない。敗戦後の書道教育は「軍国主義に加担した」咎で指導禁止と相成った。その後遺症が今も残存しているからこそ、書教育が未履修レベルに至るまで堕落し続けてきたのではなかったか。この状況を却って好都合と見る向きが、教育界には~国語方面のみならず、現に、ある。

 中には「教育上不適切」やら何やらの理由で実現が難しそうな切り口もあろう。例えば「時事ネタ書道パフォーマンス」。もし岩手県立××高校書道部と早乙女ダンサーズ(仮称)が「怪しいお米セシウムさん」騒動を承けて「怒りの書道パフォーマンス」をやったらどうなるだろうか。でっかく書く字は差し詰め「抗議」辺りになるのかいな。サビの部分で早乙女達が祈る様にしずしずと歩み出ては、稲穂片手にバレエのアラベスクに近いポーズを一斉に繰り返すさまが目に浮かぶ。因みに音楽はネット上こんなの(↓)が出回っている模様。ただし出来はひどく、あたしゃ聴き過ぎたら夜中に魘された。
http://www.youtube.com/watch?v=bAZRUQJfXlU
 こんなネタを取り上げると「不謹慎だ!」「ふざけるな!」と叱られるかも知れない。或いは実行が後になればなるほど「高校生による政治批判」の色彩が濃厚に見えてきて、ともすれば教員達による阻止行動(指導名目)が起こるかも知れない。書道パフォーマンスの「学生運動」化など、色々な意味で時事ネタはこわいかも。
 あっしの場合は副作用で、初めて見た時からテレビ局のマスコット名が「セシウムさん」だと刷り込まれた。これからは誰も本名で呼ばなくなるのではないか。…ほら、見てごらん。…見れば見るほど見えてくる。…セシウムさんがいっぱい(↓)。
http://tokai-tv.com/wandaho/
 しかしこれではただの東海テレビ叩きになる。いっそ局側が件のマスコット「わんだほ」を正式に自虐キャラ「セシウムさん」へと改称して、東北応援キャンペーンに転用したらどーだろか。実際お米は今年「怪しい」のだから(再開されたコメ先物取引の結果を見よ)、一躍有名になりつつあるマスコット柄の限定パッケージでタイアップ、「局が全量検査に協力」「応募券を集めれば××プレゼント」などと宣伝費を度外視した上で大々的に売り出す手も考えられぬではない。
 そこに再び書道パフォーマンスを持ち出したなら。~これはこれで、別方面から「教育と子供の商業利用」が問題視されていくかも知れない。本気でやるなら予め、高校野球などの前例を研究して置くに越した事はない。

 …あ、ついぞウッカリ脱線しちまった。ぼちぼち本題の旧稿再掲と参ろう。
 以下に再録する「とめはね」ネタは、管理人の蘭様からのレス(No.7708)を承けて書き始めた。延々と続く大分ネタの新聞記事転載を含め、前後する補稿の扱いをどうするか暫し迷ったが総て原文通りと決めた(誤字打鍵もそのまんま)。旧板ツリーの下層投稿を優先するので時系列順の再掲とはならない。興味ある人は各自(たぶん一人も居ないだろうけど)、投稿日時に基づき順番を組み替えてから読んでいただきたい。
 No.7861の後にはNo.7870以降の「俺妹」シリーズが続き、大震災による中断後、「俺妹」最終稿No.7934で言及したモダニズム云々を承けてNo.7951以降の「批評と臨床」シリーズが始まる。



8【再掲】「とめはね」ネタ01 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/10 (Wed) 00:26:15

【再掲】「とめはね」ネタ01
7709 【瑠璃色】ほんのり染まれ…【桜色】 苹@泥酔 2010/01/09 20:13

 初回放送の「とめはね」見たけど、なんかピンと来ない。指導は石飛博光だからそれなりのクオリティはあるんだけど、あの着替えシーン(覗きシーンとも云う)どうにかならんかったのか。まあ背中からの方が萌えるのかも知れんが、それはそれとしてストーリー展開が心配(原作漫画は未読)。永字八法の解説シーン(めがねっ子♪)は仕草が可愛かった。顔のアップよりは余程よい。しかも双子キャラとは萌えるぜ。あの手の解説の盛り込み方には期待できそう。
 ところでもうじき、ヒロイン役の子の写真集が出るらしい(↓)。水着姿ならいまどき珍しくもなんともないけど、今度のはナント書道姿の写真まであるそうな。そうなると話は別で、「写真集の宣伝をドラマ仕立てにするNHK」って疑惑が脳裏をかすめる。あのドラマって、もしや通販番組の進化形なのかしら。そうした意味でも今後の放送が楽しみだ。
http://www.wani.co.jp/article.php?article=126282699298
 それより今夜は璃子だよ璃子。土曜時代劇「咲くやこの花」が百人一首ネタ。でも札の字はピンと来なかった。たぶん「あれで読めるのかよ」と突っ込まれない様に苦労したんだろーな。素直に昔風に書けばいいのに。そして天バカ板で百人一首ネタと来れば…おっと、そう云や先日、璃子の顔をウッカリ某和服姿と脳内合成したら凄い事になっちまったんだっけ。ちょっとだけ後遺症が心配。なんとなく少しキャラかぶってる様な気もするし(汗)。俺ってMじゃない筈なんだけどなあ。(o ̄∇ ̄)o

(近況)
 ここんとこ巻菱湖『假名字源』の画像を連載してます(↓)。一晩あれば準備は完了、後はちんたら小出しに。その間ゴチャゴチャ気分次第で追記したり削ったり。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_pr_359.html



8【再掲】「とめはね」ネタ02 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/10 (Wed) 00:29:42

【再掲】「とめはね」ネタ02
7711 「とめはねっ!」雑感(其一) 苹@泥酔 2010/01/18 23:35

 NHKのドラマ「とめはねっ!」が契機となって、取り敢えず原作漫画の方にも一通り目を通してみた。今のところ既刊六冊、話は所謂「書道甲子園」から仮名へと進む。
 …いつも思う事だが、この手の部活動漫画に授業シーンは出てこないんだよなあ。部活動と授業は無関係なのかしら。そうではあるまいに。勿論「授業がないから部活動で補う」って見方はあるだろう。現に芸術科目で書道を開講していない高校は少なくない(新聞画像は公立校の場合↓)。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_r_356.html
 しかしそうでない場合、授業では何をやっているのだろうか。また授業向きの先生と部活向きの先生(?)とで何か違いはあるのか。「授業が基礎で、部活が応用」って見方もあるにはある。~ならば単行本初巻第一話に出てくる台詞の後はどうなったのか。猛女ヒロイン(?)の望月結希が、新入生歓迎会のクラブ活動説明会にて曰く。「…なんて書いてあるのか、読める?」と。
 第六巻を見ると、こんな台詞がP.52にある。「でも、これはさっぱり読めません。読めないんだから、字が間違っててもわかりません。本当にこれって、上手いんですか?」と(望月)。~設定は一年生の三学期。授業で読み方を習っていないのなら、どうやら望月は芸術科目で書道を選択しなかったって事らしい(つまり音楽か美術か工芸か…まさか未履修ではないよな)。それを耳にした大臣賞受賞の京都娘がキレて言い放つ。「「かなの書」は、平安朝の日本人がキレイな書をとことん追求して出来たんや。それを、読めるか読めへんかでしか判断できないゆうのは、あまりにも浅はかなモノの見方やと思わへん?」と。
 すると或る疑惑が出てくる。その「キレイな字」の基準が元々は「読める字」ではないのかと。そして当時の「読める」基準を教えるのが古典的な「授業」だったのではないかと。学習指導要領に定められた「国語との接続」はどうなっているのか。国語が読めなくとも構わないのならそれはそれ、勝手に学力低下すればよい。実利中心の世俗欲から見れば古文も漢文も必要ない。学力低下容認の隠れ蓑として書道が逆手に取られているのなら、「読める」という過去の常識に近付こうとする姿勢を第一義と考える必要はあるまい。表現の細部を見てさえ居れば、言語としての全体を見なくとも構わない。どちらが浅はかなのか、ここは判断基準が分かれる所だろう。

 漢字だらけの中国古典と違い、日本の仮名古典は母語書記のオーソドックスな体系(文語)に属する。そうした点では仮名の方が明らかに読みやすい筈。使用される字類も数少ない。そもそも読めない状態でも「読める字」が書けるかの様に強弁する方が不自然かつ不可思議である。仮名はそれほどまでに模倣の容易な草略体系なのだろうか。草書と平仮名(変体仮名)が交錯する和文は時代が下がるにつれて増え、明治の漢文訓読調に至って更なる不調をきたした。それを解決する手段として楷書片仮名交じり表現が台頭する様になったと見る事も出来ようが、基本的な和語表現は相変わらずの草略体であった。
 それが昭和まで続く。学校教育における習字/書写が明治後半から昭和戦前にかけて維持され、敗戦後の空白期を経て急速に芸術表現へと傾いて行った。当時は写実的絵画と対比的なピカソ、モンドリアンなどが前衛的な芸術イメージを構成しつつあり、そうした牽引傾向に「芸術」の枠組みが引き寄せられるにつれて、却って訳の分からない高尚さが「分かる」事を聖別する様になって行ったかの様に思われる。そうした場所では「日常の美」の気配が希薄化し、相対的には「何か特別なもの」であるかの様に持ち上げられそうな表現が自ずと求められていく。
 にもかかわらず、仮名は古典の影響から逃れられない。それに対して逃れた領分は漢字と交ざり合って調和体だの近代詩文書だのと呼ばれ、ひいては教育上「漢字仮名交じり書」となって平成元年度版学習指導要領の頃から本格的に漢字や仮名から離脱して行く。そうした前史を承けての書道パフォーマンスなのであろう。漢字や仮名の個別表現より「漢字仮名交じり」を誇張しようと躍起になってきた書教育の精華が結実した姿と見るならば、書道パフォーマンスはすぐれて平成的な表現をあからさまに表徴する事となろう。
(続く…たぶん)



8【再掲】「とめはね」ネタ03 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/10 (Wed) 00:32:44

【再掲】「とめはね」ネタ03
7713 「とめはねっ!」雑感(其二) 苹@泥酔 2010/01/24 19:55

(続ける)
 パフォーマンスとしての書はそれなりに古くからあるらしい。文人墨客の間で交歓し、時には酒を交えて揮毫した。尤も、例えば曲水の宴をパフォーマンス扱いするのはなんぼなんでも度が過ぎるだろうし、大幟の揮毫は神社祭礼での必要あっての事。特大の字と云えば中林梧竹の「卓々」辺りが思い浮かぶものの、いかなる場面で書かれたか固より知らぬ。それに対して揮毫中の写真が残っているのは豊道春海(画像参照↓)。最近は「一年を表す字」が師走の話題となるが、あれも多分パフォーマンスに含めて構わないのだろう。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_r_412.html
 音楽や舞台演出が加わる例はいつ頃から出てきたか知らぬが、戦後の前衛書道(森田子龍や比田井南谷など)との関わりならそれなりにある模様。当時はフランスの映像作家がフィルム撮影していたと記憶する。しかしこれらは必ずしも一般的意味での可読性を前提したものではないし、「読める書」への指向は平成に入ってから本格化し始める。よってパフォーマンスの歴史と「読める書」の歴史が交差したのは、ここ十数年の所謂「ストリート書道」辺りから、という事になるのだろう。やがて学校の文化祭パフォーマンスを経て、現在の「書道ガールズ甲子園」に至る。
 テレビ版の「とめはねっ!」第四回放送では、書道甲子園にパフォーマンス部門が出来る設定となる模様。…そう云や青森でも、あの類に出品してる高校があったっけ(こちらはオーソドックスな部門)。高総文の書道部門だけでは規模に物足りなさが残るだろうから勿論やり方としてはアリだけど、肉食系かつ体育系の展覧会に費やす時間があるなら、もっと教養芸術の側面に光を当てる方が後々役立つのではないかと思えてくる。ただ、そうすると見方次第では「部活動らしさに欠ける」のかも知れない。

 授業と部活動とでは、それぞれイメージにかなりの落差があるだろう。例えば授業と云えば受験勉強、部活と云えば合宿や大会が連想されたり。~因みに第三回放送の合宿場面に出てきた黒シャツ背中の筆文字は、季刊誌『墨』(芸術新聞社)のロゴでお馴染みの米元章だった(原本の画像はコレ↓)。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_pr_409.html
 …以下追憶。
 私も昔は高校で書道部をやっていた。ただしどこから見ても紛う事なき文化部系の文化部で、体育会系のフェロモンは皆無。当初の部員は女子ばかり。そこに猛毒仕込みの苹が入部した。…苹にも一応、部活の掛け持ちに近い経験はある。卒業する先輩女子の人数分を埋めようと掛け持ち仲間を増やしたところ、今度は忽ち女子ゼロのむさ苦しさが漂っちまった。
 あたしゃ実は応援団の副団長を兼ねていたのである。この際「団長も副団長も太鼓も書道部」って状況を想像してみていただきたい。例えば弊衣破帽の野郎どもが大音声を張り上げ、太鼓の三三七拍子や応援歌に乗って空手演舞の様に書きまくる…。当時は書道パフォーマンスなんてなかった。その代わり(?)応援パフォーマンスしていたと見方をこじつける事も出来ようが、さすがに二つをミックスする気は起きなかった。
 …静と動。
 どちらかと云えばパフォーマンスは「動」の領分ゆえ、どこかに「静」が欲しい。そんなこんなを思い出すと、書道には内向ヲタがよく似合うと感じられて仕方がない。それも筋金入りのマニアに限る。「静」の領分と強弁すればそれらしく見えぬでもないが、平たく云えば「蘭亭叙のここがいいよねヒヒヒ」の類である。~例えば、昼休みになると苹が図書室の暗い片隅にいつも居る。だから生徒会新聞に図書室図解が載った時、「ここに××君がいつもいる」と矢印付きの解説が書いてあったのだろう。多分どこかの可憐な乙女が、平凡社の書道全集を読む美少年に熱い眼差しを向けていた…てな具合に妄想すると照れるなあ。(長い黒髪のシークレット貞子とか。)
 或る日、文化祭の準備で揮毫を頼みにきた人が居た。私は快く引き受けた。指示された通り担任の名前を、石に直接「××先生之墓」と書いた。お化け屋敷をやるらしい。~因みに私は高校の三年間、他の展示を一度も見た事がない。書道展示の受付名目(?)で地縛霊のごとく棲み着き、専ら至福の時を楽しんでいた(読書&臨書)。そんな居心地のよさが書道部から失われていくかと思うと、なにやら勿体ない気がしてくる。
 漫画原作は流石である。しっかり大江縁ってキャラを残してる(砂の城でヲタ趣味は合格点)。だから救われているのではなかろうか。その上ビミョーに多様な肉食女のヴァリエーションが鏤められている(ヤンキー系&参謀系&武道系)。女ばっかの書道部なんてのは、その実ひょっとしたら「ただ恐ろしいだけ」なんじゃなかろーか。応援団よ相撲部よ。弓道部に文学部に詩吟部よ。キモ…じゃなくて、君達も書道部の救世主になれるのだ。掛け持ち上等じゃん。パフォーマンスも展覧会も、エスカレートし過ぎると碌な事はない。逆説的に云うと、「筆を持つばかりが書道ではあるまい」。にもかかわらず過度の練習が正当化されるとしたら、それはやはり自ずと部活の領分に限定されてくる。

 …話を戻そう。授業と部活動とでは、イメージに相応の落差がある筈だ。書道の授業で水墨画をやるとは思うまい。漢詩や和歌を自作させるとは思うまい。そもそも書道のイメージ自体が狭隘となっているのだから、自前の経験的イメージに縛られた各々がここでは内側から空中分解していく。部活には部活のイメージがあろう。授業のイメージが欠落している例もあろう。遠い昔に書塾に通い、そこで習った小学生レベルの習字を高校の授業に当て嵌めたくなる感覚に襲われたりもするだろう。「習字と書写と書道は違う」などと強弁したところで、そうした理屈が必ずしも世間に通用する訳ではない。この手の理屈は主に授業を前提する側で組み立てられたからだ。言い換えるなら、授業を前提しない領分~つまり学校生活の辺境で組み直された理屈が逆に授業を支配するケースもあり得る。見立て方によっては実際、既にそうなっていると断言してもよい。
 学校で授業を受ける。放課後に進学者講習がある。或いは塾や予備校がある。これら講習や塾を部活動に見立てた時、その内容は学校の授業より高度だったり濃密だったりする。そこから二つの方向性が組み立てられる。一つは「授業が部活動より高度であってはならない」。一つは「授業でも部活動と互角な指導をしろ」。どうした訳か「内容そのものを棲み分けろ」てな方向性は似つかわしくないらしい。この場合は多分、それぞれが別物と捉えられるからなのだろう。
(続く…たぶん)

「とめはね」其二

苹@泥酔

2020/03/26 (Thu) 19:12:43

8【再掲】「とめはね」ネタ04 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/10 (Wed) 00:36:04

【再掲】「とめはね」ネタ04
7715 「とめはねっ!」雑感(其三) 苹@泥酔 2010/01/27 23:09

(続ける)
 実際、受験絡みの見立てを度外視すれば、授業と部活動とでは中身が別である。だから棲み分けているとも云えるのだろうが、厳密には「棲み分けを強要されている」ケースが圧倒的に多い。そこに部活動のレゾンデートルがあるとも云えよう。授業では出来ない事をやる。もしくは授業とさほど関係のなさそうな事をやる。授業と部活動との癒着を防ぐため…とまで書けば別の意味で角が立つかも知れないが、ともかく両者のニアミスは双方にとって潜在的な脅威となり得る。
 中には「部活動でやればよいから授業は不要」とするかのごとき意見の管理職も居る。後に弘前市教育長となった先生が教頭だった時、氏は苹の面前で「教育に芸術は必要ない」と断言していた。芸術科目は学習指導要領で実施しなければならぬ事になっているから、とどのつまりは管理職が率先垂範して高校教育を否定している訳である。しかし本人は多分そうは思っていないのだろう。部活動は立派な教育活動であり、それが仮に授業レベルで形骸化したとしても、包括的に見た場合の教育活動は表向き健全に行われている事になる筈だ。そもそも評価の問題と内容の問題をすり替えるのは「ゆとり教育」の趣旨に反するし、ともすれば形骸化だの学力低下だのと「誤解されやすい」面もある。そうした点も引っくるめれば、現場から見て「未履修問題をでっち上げた文部科学省の方が悪い」となるのは理の当然だろう。教育現場は「国の不当な介入を許すべきではない」。
 そう解釈するなら私にも分かりやすい。学校の方針に納得できない奴は学校から出て行けばよい。或いは初めから教員採用しなければよい。その高校で嘗て商業科教諭だった人(県教育庁生涯学習課指導主事を経て現在は知事部局)の発言を借りれば、「代わりはいくらでも居る」のである(私の記憶が正しければ、あれは確か1998年頃の発言だった)。正規の教員でなくとも学校で指導できる。それが部活動である。人材は民間にいくらでも居る。そうした見方の傍証となるのが「東奥日報」2000.11.10付記事(画像参照↓)。取材への回答に「芸術教科の場合、地域の人材活用という面もある」との文言がある。見方次第では予言的とも思える。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_p_416.html
 臨時講師の場合は常勤より非常勤の方が人件費は安く付くが、県費支出のムダ(?)を切り詰めるには更なる工夫が要る。そこで部活動の出番…と考えてみる。ただし正規の授業ではないから単位認定は不可能。それを承知の上でやるなら、部活動の教育力もまんざらではあるまい。謝礼が出るとしたら私費支出になるのかな。必ずしも顧問が指導する訳ではなく(教員の名義貸し)、具体的な指導はコーチに委嘱するケースが多かった筈。
 件の高校では最近、部活動中に生徒が急死して全国紙でも記事になったが、どう事後処理したのか外野の身には全く分からない。しかしどうあろうとも心配は御無用。何か問題があればコーチを代えればいいし、いざとなれば部活そのものを潰す手もある。~ここで漫画原作やドラマ第一話を思い起こしてみるがよい。原作第一巻P.17の台詞(日野ひろみ)に続き、P.19に「1か月以内に部員が5人以上にならないと廃部だあっ!?」(加茂杏子)とある。つまり廃部の土壌は予め年中行事のごとく受け継がれている。そこが正規の授業と大きく異なる。問題のある授業を廃する学校がどこにあるのかね。あるとしたら精々、選択科目くらいのものだろう(芸術科目の場合、書道の代わりは音楽や美術が担えばよい)。
 こんなふうに考えると、選択科目が生成途上の部活動であるかの様に思えてくる。部活動が授業を補完したり、部活動がやがて選択科目へと昇格していくのではない。むしろ逆である。高校の予備校化を既定路線とする一方で、硬直的な選択科目をよりフレキシブルな部活動へと発展=縮小させるのが、「高校教育からの逃走」すなわち「公教育から民間教育へ」と向かう、大局的見地における微視的領分の洗練なのである(そこでのスローガンは相変わらず、「民間を見習え」のヴァリエーションであり続けるだろう)。

 …高橋英樹は時代劇のヒーローだった。「三匹の侍」なども印象深いが、「桃太郎侍」の極め台詞に至っては、映画時代に扮した先達の誰もがヒデキの前に霞んでしまった(たぶん)。そのヒデキが書道の巨匠役を演じるのだから、こればかりは見過ごせない。原作第六巻を見ると木村知石系(劉蒼居系?)の書風っぽいが、ドラマの方は違う設定になるらしい。どんな具合になるのか、放送が今から楽しみである。
 そのヒデキ…じゃなくて三浦清風先生ってキャラは所詮、学校側から見れば外部の人である。書道部顧問はあくまで影山先生の方。~ただし原作第一巻P.116には以下の台詞がある。「影山先生ね、書道部の顧問なの。でも、加茂ちゃんたちにイジメられるから、部活を見てくれなくなっちゃったのよ。」(日野部長)
 これでは教育上よくないと判断したのか、NHKのドラマでは普通におとなしい独身先生の枠に収まっちまった。それはそれで構わない。気になるのは、漫画でもドラマでも「肝腎な事に触れていない」方。第一巻P.108には「ユカリや望月たち1年3組の担任」との説明があるし、また同P.103やP.156にある通り、影山先生は世界史の先生である(それもよりによって中国史ヲタらしい)。…これを書くと「所詮は漫画だ、細かい事を気にするな」と思われるのかも知れないな。ふと思い出したのは「書道美術新聞」928号(2009.12.15付)の大野修作連載で、そこにはこう書いてある。「ところが最近の学界では、「私は書がヘタで、よく分かりません」などと平気で口にする人も多く、東洋史や中国文学等のいわゆる「東洋学」関連の分野を研究している学者たちの間でさえもそうした態度が許容されているような空気ですが」云々。どうやら影山先生は「その口」ではないらしい。しかし芸術科書道を兼任している訳でもないらしい。
 …いつも思う事だが、この手の部活動漫画に授業シーンは殆ど出てこない。基礎の領分を部活動・校外活動(書塾など)・独学に依存する体質は、あからさまに高校教育の形骸化を表徴しているからだ。その実態は予備校か専門学校か託児所であって、「高校という在り方」は単なる隠れ蓑としての手続きに於てのみ巷間の互換性幻想を保つ。
 予備校的実態に関しては、先ずセンター試験が基準となるだろう。高校を経由せずに予備校から直接大学受験するには、高校卒業程度の認定試験が差し当たっての障壁となる。その部分を高校が代行する訳だ。車の運転免許は自動車学校(教習所)を経由せずとも取得できる。それと同様、高校や自動車学校は書類上の代行業を兼ねている。そこから先がセンター試験会場や運転免許試験場の出番。予備校側から見れば、高校は顧客であると同時に参入障壁でもある事になろう。試験対象外科目への予算を削れば、自ずと高校は予備校へと近付く。だからこそ高校はムダでなければならない。そのムダの部分を担保するのが部活動であるとするならば、部活動と授業との関係に於ては「必要な領分で癒着し、不要な領分で敵対する」かの様に予め校内談合せねばなるまい。
 部活動の宿主は学校である。時に学校は免疫的な振る舞いを見せるが、部活動が何らかの宣伝効果を発揮する場合、それは学校側にとって大いなるセールスポイントとなる。~私立高校が公立高校より熱心に取り組む所以であろう。興味あらば両者を比較されたし。私立側の調査資料を挙げて置く(↓)。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_r_418.html



8【再掲】「とめはね」ネタ05 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/11 (Thu) 01:02:44

【再掲】「とめはね」ネタ05
7717 「とめはねっ!」雑感(其四) 苹@泥酔 2010/01/31 22:19

 「其三」までは三稿で一続きの流れだが、今回からはそんな辛気臭い構成ではなく、ただの思い付きで書いていく。…どうせ全六回の放送だもん。残りの放送分にダラダラいちゃもん付けるくらい、どうって事はないだろう。
 第四回ではヒデキが書いた。所謂「少字数」の作品だった。字は「桃」かと思ったら「跳」だった。別に「桃」でもいいじゃん(嘗て印象深き台詞あり→「三つ醜い浮世の鬼よ、退治てくれよう桃太郎」)。私生活で書が趣味なら、何度か書いた事くらいあるだろうに。…とは云え、せめて書いた後に「フウ~ッ」と息を吐いて欲しかったなあ。去年の朝ドラに出てた方のヒデキだって、スタッフが悪乗りして事務所のセットにブーメランとか星条旗のとか、昔のヒット曲に因む小物をあれこれ飾ってたし。
 あと、篆刻についてはチョットなあ。これは原作の描写がそもそも簡易式だから仕方ないと云えばそれまでなんだけど、普通は墨と朱墨で印稿を作って、それを鏡に映して、印材にこれまた墨と朱墨で書いていく。本来は印稿を丹念に仕上げてこそ、印の完成度が高まるのである(画像は印稿の添削例↓)。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_pr_423.html
 昔…篆刻の授業に際して、ふと「こんなケースが出てきたらどうするか」と考えあぐねた事がある。もし生徒が印稿に熱中する余り、印影提出に至らなかったら。評価の期限に間に合わない。そこで印影は未提出となる。その代わり印稿を提出…どのみち減点にはなるだろうが、墨と朱墨の盛り上がりで推敲努力の程度が如実に分かる。それを見て、誰がたじろがずに居られようか。篆刻は方寸の芸術であり、神は細部に宿る。

 趙子昂の書に蘭亭十三跋ってのがある。原本は火事に遭い、上下ともかなり焼損している。しかし幸い事前に石刻され、全貌を拓本で見る事ができる(快雪堂帖など)。~「真蹟を下ること一等」って言葉がある。精緻に刻られた碑版法帖や双鉤填墨本を指す評語だが、それでもやはり真蹟には及ばないとする前提あっての事ではある。
 あれは確か今井凌雪だったと思うが、昔こんな意味の事を書いていた。趙子昂の字はとてつもなくウマイ。そこが却って学びづらい。だから真蹟よりも拓本の方が学びやすい、と。そう云われればそんな気もするが、学びやすさは所詮どう転んでも真蹟に近付くための手段でしかなく、本人も承知の上でそう書いている。だからこそ、そこが気になるのである。
 刻られたものが真蹟に及ばないとすれば、篆刻の場合はどうなのか。そこに或る種の開き直りがあるのではないか。どんなに出来映えが精妙でも、刻られざる印稿は印ではない。そこには印の印たる機能が前提にあり、機能を失った印は印ではないのである。そして無論、こう書けば同工の批判はたちどころに書そのものへと返ってくる。読めない書は書ではない、と。書かれた字が元々「読めないもの」なら論外とする事もできよう。しかし単に書き手が「読めないまま書いた」、或いは読み手が「読めないまま見た」場合はどうなるのか。
 現代ならそれでも構わないのかも知れない。すると今度はそれが印稿の評価に跳ね返ってくる。捺印されない印でも印らしさが印稿に於て保たれるとするならば、印稿はまさしく唯一無二の真蹟である。…高校生と大学生の諸君、この疑問を身近な先生にぶつけてみやがれ。そこから自前の対話が生まれ、東洋ならではの言語哲学が醸成されていくのだぁ。

 篆刻授業で印影の提出には至らなくとも、次の提出作品に捺印するまでの間にはどうにか刻り上げられるだろう。そうなって初めて本来の機能は保たれる。保たれないのは評価だ。ここでは評価が時間に制約され、大袈裟に云えば「歴史が時間に滅ぼされる」。つまり評価は歴史の問題を左右する。時間のズレ一つで評価が変わる。しかも現実には、それをひっくるめて歴史と呼ぶのであるから、評価も時間も共に歴史の中に溶解せざるを得ない。その手懸かりを複製芸術としての篆刻から学ぶ視点があってもよい。興味があれば予め、マクルーハンやベンヤミンの著述を高校時代に読んで置く手もあろう。勧める訳ではないが(他に読むべき本はいくらでもある)、その分だけ大学時代がいっそう有意義かつ余裕あるものとなるのは確実である。
 蛇足に、朱墨を使う場合の注意点を一つ。~安物の墨汁(墨液)と同様、朱墨にも朱墨液がある。これの使用は薄過ぎるため厳禁。固型墨を磨るべし。ただし安物の朱墨は液体であれ固型であれ粉っぽい代用朱なので、水銀を原料とする本朱(銀朱)でないと墨の上にうまく載らない。
 苹の場合は当時、生徒全員分のを総て自前の墨磨機で磨っていた(県費で購入できるとは初めから思っていない)。墨運堂の本朱はサイズが小さ過ぎて役に立たないから、照僊堂の大型のをかけてトロトロになるまで終日稼働、翌朝それを瓶詰めにして生徒にスプーン一杯ずつ配給した。それでも足りないので授業の合間は職員室で鬼の様に磨墨(苦笑)。傍目にはさぞ滑稽な光景だった事だろう。銀朱の練墨があればいいんだけど、たぶんチューブ一本で一万円はする筈。だからどっちみち配給制にせざるを得ないのね(orz)。
 銀朱とは「丹」の事である。朱色に塗られた由緒ある神社のそれは大抵コレ。結構カネかかってるんだぞー。苹にとっての書教育とは、半ば歴史教育でもあるのである。



8【再掲】「とめはね」ネタ06 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/11 (Thu) 01:05:33

【再掲】「とめはね」ネタ06
7719 「とめはねっ!」雑感(其五) 苹@泥酔 2010/02/03 01:46

 続きのイチャモンは、パフォーマンスについて。
 ダンスでは大抵、音楽に合わせて踊る模様。フィギュアスケートやシンクロナイズドスイミングも大体それらしい。他にも色々あるだろう。…あれらは実際、どうなっているのやら。音楽に合わせているのか、それとも音楽が合わせているのか。
 つまりパフォーマンスの主役が既存の音源に合わせて踊るのか、それとも踊りに合わせて演奏したり録音したりするのかという事だ。前者なら音源は変化しないから、演者は予めテンポなどの記憶に自身のパフォーマンスを隷属させる事ができる。それに対して後者では、踊りにくい部分のテンポなどを踊りやすい様に微調整できる。事前に調整して録音する場合もあれば、その場で咄嗟に合わせる場合もある。
 オペラやバレエは生演奏に合わせるのが普通である。そして指揮者は歌手が歌いやすい様に配慮したり、ミスを補正しようと機転を利かせたりする。それが出来るのがプロなんだそうな。演奏中に各楽器が揃わなくなる事がある。例えばワーグナーの楽劇は四時間くらいかかるから、或る程度は日常茶飯事と云ってよいのだろう。キャストの急病で代役を立てる時は練習時間が取れない場合も多いらしい。そうした一発勝負が思わぬ結果を生んだりする。
 パフォーマンス書道では、複数の書者が互いの動きを合わせる。それ自体が前代未聞の出来事である。見方次第では恐ろしい事でもある。ちょいとばかり想像して欲しい。もし王羲之と顔眞卿と黄庭堅と張旭と王鐸がアレをやったらどうなるか。書くリズムを揃えられるのか。それで何がどうなると云うのか。てんでばらばらの書風を合わせるのはひどく難しそうだ。書かれた書風の調和ばかりでなく、リズムや時間配分をも合わせるのだから、差し当たっては「皆が同じ書風で書く」のが無難な落とし所と云えよう。そう考えると、総合監督は誰になるのやら。差し詰め書流の師匠は指揮者で、部長か誰かが舞台監督って所か。
 オペラの場合は指揮者と演出家の衝突が屡々あるらしい。ヴィーラント・ワーグナーの演出が気に入らなかったハンス・クナッパーツブッシュは、舞台を見ずに指揮をした事もあったそうな。二人の衝突を恐れた関係者が、クナの要求をヴィーラントが呑んだかの様に装ったらしい。バイロイト祝祭劇場のオーケストラ・ピットの上には屋根がかかっているため、指揮者から見えない死角が結構あるそうな。尤もバイロイトはワーグナーの楽劇だけのために建てられた個人劇場の性格を持つから、代々の演出家たるワーグナーの子孫が優位に立ったのは仕方がないとも云える(ただし後年は運営体制が変わった)。~片やカラヤンの場合は、指揮も演出も総て支配した。典型的なのがザルツブルク音楽祭。他にウィーンの総監督を務めた時代もあったが、プロンプター騒動だか組合騒動だかで相当に揉めたらしい。
 そんなこんなを思い浮かべるにつけ、苹は「なんとも恐ろしい事を始めたもんだ」と戦慄するのである。漫画やドラマに出てきた○×式クイズやピンクレディーの口パクは児戯に隣るからどうでもよいが、水戸黄門の物語性を踏まえた演出となると話は別。あれを掘り下げたらとんでもない事になる。実際に行われている日テレのそれは、幸いまだ単純な集団揮毫に収まっている様だが、いっそう演劇的に踏み込み始めたら書が他の領分に食われてしまいかねない。
 書は心象風景の表現でもある。元々が象形文字なのだから、出自としてはそれなりに真っ当だ。~よくドラマで台詞ならぬ台詞が流れる。例えばテレ朝の人気ドラマ「相棒」では、水谷豊の扮する警部殿を監視するために送り込まれたミッチーがパソコンの前で独白する場面がある。その内容はパソコンに打ち込まれた文章(監視記録)を読んでいるだけなのだが、あのパソコン画面が書に置き換えられたさまを想像すればどうなるだろうか。あの独白は、文字という肉体性の消失に支えられて初めて語られ得る秘事なのに、カメラの視線がほんの一瞬パソコン画面へと向かうだけで、すぐさま強烈な遡行性が際立ってしまう。本来あれは記録された文字なのだ。にもかかわらず、台本と演技の間にある途方もない懸隔を、敢えて台本をありのまま露呈するかの様な方法で臆面もなく「ひねる」。見方次第では反則かも知れない。純然たる肉体として「言葉から切り離された」演者が言葉を発する時の衝撃が、ともすれば文字の活字化から電子情報化に至る消失の流れを踏み越えて、嘗てそこにあった「書く瞬間」の肉体性により代行されてしまいかねないのだから。
 つまり今度は、もう一つの肉体性が消失状態から復帰するのである。文字それ自体が肉体であるのみならず、それを書く者が今度は肉体のままゾンビの様に復帰するのである(ここでの肉体は、言語に憑依する「肉体性=文字性」とは別物の「人=個」である)。大袈裟に云うなら、書道パフォーマンスによる「演劇への宣戦布告」が当初の意図とは無関係に既成事実化するかも知れない。…或いは、そうならねばならぬのかも知れない。さもなくば、「書道パフォーマンスは所詮、演劇には太刀打ちできない」という二級芸術性を自己証明する結果となってしまう虞があるからである。芸術としての定着を目論むつもりだった筈の芸術科書道が、それを前提した筈の部活動側から碌な意識も自覚もないまま水の流れの様に否定されていく。~こうした些か古めかしい予測が大袈裟に過ぎるとしたら、或いは「今や芸術論の時代ではない」てな具合の判断へと、従来以上に収束していくのかも知れない。
 苹は多分、相応に意地悪である。なにしろここで、或る先生を連想したくなって居るのだから。~一人は福田幸四郎。雅号を「秋湖」と云う。明治時代の代表的書家・西川春洞の七大弟子の一人である安本春湖の弟子にあたる。その御子息が福田恆存。保守論壇では説明不要の重鎮であるらしい。その御子息が福田逸。御尊父様と同様、劇団の演出を手懸けているそうな。三代にわたって書から演出へ。何か運命的なものを感じるのは、ただの「気のせい」だけだろうか。ここでの茫漠たる予感は終始一貫して不穏なままである。



8【再掲】「とめはね」ネタ07 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/11 (Thu) 01:10:12

【再掲】「とめはね」ネタ07
7721 「とめはねっ!」雑感(其六) 苹@泥酔 2010/02/07 03:06

 放送は最終回を残すのみ。後半の放送分は原作から離れ、書道の豆知識も貧弱になり、期待したほどには面白くない。実在の女子高生による書道パフォーマンスも初めて見る人には新鮮に映るだろうが、書く過程もしくは書かれた結果のどちらかで相応の差異や深度が保たれない限り早晩飽きられる筈。そしてなにより致命的なのは、あの手のパフォーマンスが所謂「書道甲子園」の場で競技化の危険に曝される設定。何をどんな基準で審査するのか、よく考えると不明な点が多い。誰が審査員になるのか。ダンスの分かる書家に頼む手もないではないし、観客による人気投票が組み込まれるなら積極的に大衆受けを狙う方が得点しやすかろう。コスプレによるマニア受け、露出度の高さによる性的興奮、「美人過ぎる××」といった具合の下馬評、そして全く個人的な好みで大方が決まる傾向(「あそこの子が好みだから応援しる」)。
 …羞恥心をかなぐり捨ててハッキリ書こう。苹の好みなら選曲はズバリ、R・シュトラウスの楽劇《サロメ》だ。候補の一つはご想像通り「七枚のヴェールの踊り」。選りすぐりの美人女子高生が蠱惑的に書きまくり、最後は恍惚の表情を浮かべながら全裸になる。もう一つの候補はクライマックスの生首接吻。ホラー映画「リング」に出てくる貞子の扮装をするもよし、マイケル・ジャクソンの「スリラー」の様にダンスを工夫するもよし。ただしこちらは実際に歌わないとサマにならない。口パクは必ず失敗する。
 いづれにしろ書道そっちのけになるのは必定だが、そこまでするほど落ちぶれては居ないだろう。そもそも学校が許可するとは思えない。ただし大学なら話は別かも知れない。「愛のコリーダ」みたいに芸術性が問われる。~この際もっとマニアックに、シェーンベルクの歌劇《モーゼとアロン》を持ち出してみるか。音楽はいかにも現代音楽のそれだが第二幕には「性的な狂宴」がある。聴きやすいのはワーグナーの方か。《タンホイザー》なら「ヴェーヌスベルクの音楽」。《パルジファル》なら第二幕の「花の乙女」が見所で、バレンボイムが指揮したベルリン国立歌劇場のビデオではヴァルトラウト・マイアーの美乳が拝めた。現実的に考えると、上演できそうなのはバルトークの《中国の不思議な役人》辺りが(以下略)

 …ごめん、つい興奮して話が脱線した(反省)。もっとマジメに書きます。
 とにかく「其五」で書いた通り、「書が他の領分に食われてしまいかねない」のはお分かりだろう。芸術を意識すれば上記の様に(それ以外でも)演出がネックとなる。
 話題を番組に戻そう。~第五回放送。パフュームの曲に合わせて練習したらヒデキが一喝。どんなオチかと思ったら、結局は「心をこめて書く」って話になるらしい。
 実際は、そんな心など存在しない。ただの幻想だ。あるとしたら調和のみ。しかし心が調和する様に、それも複数の人が書く。…これが何を意味するか。皆が心を一つにし、一致団結して取り組む。こう書くと聞こえはいいが、全体主義、社会主義、共産主義を思い浮かべる事もできる。もちろん曲解ではある。ここで恣意的に「心」と形容したものは共通言語的性格における伝統や諸法則や書風の側面を持ち、それらのコモンセンスを分有すれば自ずと調和は保たれる。ナントカ主義の出る幕はない。しかしそれでも問題は残る。
 敢えて「心」と形容したのは、番組のそれが私的な恋心と交錯するからである。私的な領分を分有できるのは当事者間に限られ、二人の間ならまだしも三角関係以上になるとややこしい事この上ない。むろん世代間の共鳴へと拡げる(留める)事もできよう。しかしそれはあくまで私的領分の分有であって、公的領分の分有とは若干の距離がある。
 ダンカン扮する縁の父親がエボシライン云々を書くシーンは石飛博光の字とすぐ分かる。一人で全文を書いている。そこに心の分有はない。分有不可能な心を敢えて分有するとしたら、公的領分に依存するか、もしくは私的交錯のカルト的な度合いを深めるしかあるまい。~「どんなにヤな奴でも俺達は兄弟だ」と形容してみよう。これが実際の血縁関係なら逃れられない。しかし元々が逃れられる関係なら、そこでの「兄弟」は偽装である。男女の間に子供が(以下自粛)ならまだ分かる。血縁の創成により、或る意味「轍」が生まれるからだ。偶然か意図的か、朝倉あきちゃん扮する柔道娘が次回でっかい「轍」を書くのは当初の予想以上に興味深い。
 轍が伝統や自然の痕跡を暗示するならば、伝統の面では無私への視線がネックとなり、自然の面では「見えない自然」へと向かう感性が要求されるだろう。~ここでいきなりデュフレンヌ『眼と耳』(みすず書房)を持ち出せば込み入った話になる。この本の副題には「見えるものと聞こえるものの現象学」とある。パフォーマンス書道の参考になりそうなネタが含まれているので、興味あらば参照されたい。例えばP.214には、こんな事が書いてある(↓)。
「あくまでも詩であろうとする詩が私に期待するのは、まず読むことである。そして逆に、私が中国の水墨画を味わうように、日本の歌絵を味わうことができるのは、単に私がそれを読むことができないからであり、また作品を意識的に歪曲することができないからである。言葉が言葉として機能するかぎり、読むことのできる者にとって、詩的なものは元来絵画ではないのだから、そこにおいて見えるものが読みとれるものよりも優位に立つことはなく、それが読みとれるものを解体するように見えても、それは依然として読みとれるものを理解するように促すのである。」
 第五回放送の書道豆知識は金子鴎亭であった。漢字書と仮名書の古典性に問題を感じた面は確かにあろうが、それはあくまで明治以降の国語改革(「国語」創成)を土台とするものであり、「読み取れなくなったものを理解するように促す」視線はむしろ弱体化に向かっている。戦後に試みられかけた「伝統の回復」を近代詩文書の表現が阻んだ面もある事を、心の奥のどこかに留めて置いていただきたい。



8【再掲】「とめはね」ネタ08 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/11 (Thu) 01:13:36

【再掲】「とめはね」ネタ08
7723 【其六補記】サロメ余話 苹@泥酔 2010/02/09 22:29

 別に拘っている訳ではないが、「なにこれ、キモーい!」と思う人に愛をこめて。(と書けば藪蛇になるのか。)
 日夏耿之助の邦訳は兵士ナラボートの一声「今宵のサロメ公主(ひめ)の嬋媚(あでやか)さはなふ!」で始まるそうな。そんな《サロメ》の原作はオスカー・ワイルドの戯曲。元々はオペラじゃなく演劇で、日本では嘗て松井須磨子が演じて評判になったとか。

 ところで、この物語ではヘロデ王が娘のサロメに情欲の眼差しを向けている(少なくともヘロデの妻ヘロディアスは、そう疑っているらしい)。そしてサロメは囚人ヨカナーン(預言者)にただならぬ興味、もしくは思慕を抱いている。誘惑すれどもその都度ヨカナーンから拒絶され、サロメは怒ってヨカナーンを罵倒する。先ずはその繰り返し。
 ヘロデはサロメに踊ってくれるよう懇願する。片やサロメはヨカナーンに夢中で、「なに、このキモいオヤジ。そんなに私で興奮したいの?」てな感じで取り合わない。ヘロデはなんでもくれてやるからと歓心を買おうとする。…ここから先はSM女王様と奴隷オヤジの関係まっしぐら。サロメは踊りながら一枚ずつヴェールを脱ぎ捨て、ついに頂点で全裸となる。オヤジの懇願は叶えられた。するとサロメは「あんた約束したでしょ!」と詰め寄る。サロメが欲しがったのは、銀の盆に載った「ヨカナーンの生首」だった(!)。ヘロデは嫌がる。サロメは追い詰める。ついにヘロデはサロメの欲しがるものを与えよと命を下す。(この後サロメは生首相手にさんざっぱら歪んだ愛をぶちまけるんで全員ビビりまくり。ついに生首接吻と相成る。恐怖の余りヘロデは「この女を殺せ!」と命令し、槍を構えた兵士達がサロメに突進して幕。)
 大体そんな筋書き。要するに「サロメ→ヨカナーン」と「ヘロデ→サロメ」の情欲を満たすため、「サロメ→ヘロデ」「ヘロデ→ヨカナーン」の取引が行われる訳だ。ヘロディアスは夫の不埒な情欲に気付いているから娘に踊って欲しくない。しかし娘はストリップまがいの踊りを披露してしまった。娘が夫に生首を要求すると、困り果てる夫を見て妻は「娘よ、よくぞ言ってくれた!」とヒャッヒャ云って喜ぶ。
 ここでの妻は劇中の観客である。演者はヘロデとサロメ。~ところでもう一人、忘れられた観客が居る。冒頭に出てきた兵士ナラボートである。劇中では彼の事なんか誰も気にしていない。そうした意味では、劇を見る我々に近い立ち位置にある。ナラボートはヘロディアスと同様に観客でありながら、恰も劇から外れた観客であるかの様に、いつしか客席へと忍び込むのである。

 ここからが本題。
 ナラボートは物陰からサロメを見つめる。ヘロデ王の姫様と下っ端の兵士とでは言葉を交わす事も出来ぬ。そうした意味では堂々たる人畜無害のストーカー。言葉を交わそうとする所から悲劇が始まるのが本来は理に適っている(手紙を出したり、尾行に気付かれたり)。ところが相手は姫様だ。視線という「沈黙の言葉」さえ交わせない。~視線が言葉たり得るのは、遡ればゴルゴン三姉妹のメドゥーサの例で明らかだ。見つめたつもりが見つめられていた。斯くして彼は石になる。だからこそ見つめられる事よりも、それに気付く視線の方がいっそう毒々しい。ゆえに神話は繰り返される。現代のメドゥーサは彼の視線に気付き、被害者の様に振る舞いながら彼を警察の警戒・捜査対象とする。(念のため断って置く。ストーカー被害者を貶める気は毛頭ない。)
 ここには二つの過剰がある。余りにも両者は近い。サロメはナラボートに気付かない。ナラボートがサロメを見る機会も限られている。なのに現代のストーカーは、その気になれば相手の自宅を覗く事だって出来るのだ。これが第一の過剰である。そして相手は視線に気付き、逆に相手を睨み付けたり怯えたりする事ができる。これが第二の過剰である。そうした私的空間の接近を公共の場に持ち込む可能性が、AKB48などのアイドルや書道パフォーマンスする女学生達には予め用意されている。昔のジジイなら精々、テレビで全国放送されたり皇族の方々の御臨席を賜るのが関の山だった(「其二」リンクの豊道春海画像参照)。
 …ジジイは真っ当な意味でナラボートだったかも知れない。そして皇族の姫様方はサロメだったかも知れない。もしかしたら、そこには原初的視線すら存在しなかったのかも知れない。元々ストーカー行為自体がなく、ただ「そうなる手前の可能性」だけが、筆の動きを追うかの様に漂っていた。すると筆が彼の純然たる分身(演じられるドラマ)となる。なぜなら書き手にとっては、自身が演者であると同時に観客でもあるのだから。
 書道パフォーマンスは先ず分身(これから書かれる文字)の側から始まるかの様で居て、そこに後から肉体(書き手のパフォーマンス)が割り込むかの様でもある。つまりナラボート状の外的視線が肉体(パフォーマンス)を追うという事は、とりもなおさず「分身が肉体に強姦される」事を視線優位の構造下で自己限定的に意味する。ここ(=舞台外)ではジジイがサロメとなり、皇族方や観客がナラボートとなっても決して不自然ではない。この手の関係性は常に、転位可能な状態での鏡像性を「鏡の内側から」覗き込むからだ。
 ゆえに書道パフォーマンスは、重層的な意味に於て「強姦のドラマ」となる。演者と観客が寄って集って分身たる筆を強姦する構造は、強姦される筆から観客の視線を逸らす構造でもあり、畢竟そうした現場で筆を見つめるのは演者=揮毫者だけとなる(ただしそれは他者疎外的な一者間とは限らず、むしろ「多即一」の中の自己限定に於て一者となる)。~ここでは演者と筆との交歓と、演者と観客との交歓とが分かたれる。そこに二つの「交歓が強姦へと顛倒する構造」が現れる。行為自体は何も変わらない。変わるのは行為に付与される意味や視線の方だ。

 …ここで一瞬、テレビドラマ「とめはねっ!」の側へと戻る。
 何度か出てきた「お前達は書道の本質が分かっておらん!」型の台詞は、なぜか繰り返される度に色褪せてくる様な気がする。…強姦から頽廃へ。その一例をオペラの例から抽出してみよう。以下は旧稿でも出した、シェトレ『舞台裏の神々』(音楽之友社)P.21~22掲載の逸話(アネクドート)。
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> ともあれ、いたずらというといつも目のないクンツと双璧をなすのが、テノールのレオ・スレザークだった。彼は自分が舞台にいなくても、ウィーン国立歌劇場の観客を笑わせることができると仲間たちに豪語した。彼のアイデアを実行できる唯一のオペラは、よりにもよって悲劇《サロメ》だった。当日のヨカナーン役は、ウィーン子にはよく知られている奇癖のあるバリトン。彼は極度の潔癖性で、黴菌を恐れるあまり、夏でもマントと襟巻きを身にまきつけて外出し、その上耳と鼻を脱脂綿で詰めていた。スレザークはメーキャップ係を籠絡し、ヨカナーンが首を切られた後、それを盆に載せて出す首に襟巻きをつけ、耳と鼻に脱脂綿を詰めさせた。それを見たサロメは吹き出してしまった。観客も腹をかかえて笑う始末で、悲劇が喜劇となってしまい、とても演奏などつづけられる状態になく、即幕とせざるを得なくなった。
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 そこに悲劇はない。しかし悲劇がないからと云って、そのまま悲劇が消失した訳ではない。悲劇は裏側に隠れた。だからこそ「喜劇となってしまった」。ここでの悲劇は喜劇の構成要素である。そうした悲劇的本質を見失うと、逆に喜劇の方もまた成り立たなくなる。オペラ(歌劇)とオペレッタ(喜歌劇)の相補性を見据える上でロッシーニの果たした役割が示唆する様に、オペレッタはJ・シュトラウスやブラームスが活躍していた頃、オペラの発展に伴い虐げられゆく定めにあったのかも知れぬ。現にオペレッタは衰退し、やがてミュージカルへと転生していった。そんなミュージカルが悲劇を喪失していないのは、喜劇が喜劇として成り立つための構成要素を大切にしているからであろう。
 私は今のところ、テレビの「とめはねっ!」にミュージカル状の桎梏を予期している。そこでは歌の代わりに書があるかの様でもある。しかし現実の書道パフォーマンスでは今後どうなるか分からない。テレビにおける観客概念が、劇場型の観客体験にそのまま適用できるとは限らないからである。



8【再掲】「とめはね」ネタ09 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/11 (Thu) 01:21:12

【再掲】「とめはね」ネタ09
7724 「とめはねっ!」雑感(其七) 苹@泥酔 2010/02/13 20:39

 全回放送終了。やはり寄せ書き方式では限界があるらしく、「轍」云々の所謂「パフォーマンス作品」は裏方が総て一人で書き上げた模様。そこに二人の生徒役が青汁と云うか潮汁と云うか、ともかくバケツぶちまけて後から完成させたって訳だ。片やライバル校はナマの寄せ書き方式で書いた様だが、演劇臭さ丸出しで、冒頭なんざ機関銃のオモチャの脇で死んだふり。あれを見たら苹ちゃんガクッと来ちまって、思わず「誰か熊の着ぐるみ着て出て来い!」と野次を飛ばしたくなったのねー。完成度を高めようとすればするほど却って墓穴を掘っちまうのがよく分かる展開だった。高校生パフォーマンスのレベルは所詮「寄せ書きの域を出ない」からこそ良さが素直に出るのだろう。
 オレ、なんかグダグダ文句ばっか言ってるなー。要するに「予想通りでツマンナーイ」ってこった。意外性がないって事を云いたいのではなく、ツマンナイ結果が予想できて、その通りになったから二重にツマンナイのであった。ウマイとかヘタとかの問題ではない。そんなものはパフォーマンス仕立てにせずとも評価できる。書かれたものを見るのではなく、書く行為を見るという事そのものが珍しく思えるからパフォーマンスが成り立つのだとしたら、それは日常行為としての書が衰退して初めて成り立つ領分と云える筈。これが何を意味するか。そこにどんな危険が潜んでいるか。この辺を「伝統喪失者としての立場から」噛み締める必要がある。

 …この際、物騒な喩えを持ち出してみようか。
 昔の日本人が当たり前の様に筆で字を書いていた様に、昔は今より旬の味覚に触れる機会が多かった、と仮定してみよう。…例えば鯨肉。あれはウマイのだろうか(あたしゃ食った事ないのよね)。冷凍保存技術の発達していない時代はかなり臭味があったと聞く。むしろ食用以外の用途が豊富だったとも。鯨肉が美味となったのは近代化以後らしい。しかしいづれにしろ、鯨にまつわる伝統文化が豊富である事は確かである。
 鯨肉を食いたい人が食えるなら、それはそれで豊かなのだろう。こちとら捕鯨に興味を持つほど酔狂ではない。ところが「捕っちゃいけねえよ」となると、だんだん話は焦臭くなってくる。捕鯨文化は伝統文化なんだから、細々とやるくらいは別に構わないだろ。それでどうにか通用してきた。反捕鯨国がうるさくなってきても、まだ全面禁止には至っていない。捕鯨船の寄港が話題になる事もない。そもそも捕鯨は通常の意味で期待されるところの「パフォーマンス」ではない。
 しかしこれを反捕鯨の側から見ると話はガラリと変わる。…先ず反捕鯨パフォーマンスが出てきた。それがエスカレートして、今では過激な反捕鯨団体が捕鯨船に挑む。そこが傍目には面白く見えてくる。テレビや新聞でニュースになる。捕鯨パフォーマンスだか反捕鯨パフォーマンスだか分からなくなり、衝突大破するに至っては世界的な人気番組へと成長していく。ここまで来ると、「お前達は鯨食文化の本質が分かっとらん!」とジジイが叱り付けたってもうダメ。もはや鯨食の問題ではない。捕鯨にまつわるガチンコ勝負の問題なのだ。
 この手のパフォーマンスは今後も成長を続ける。今後はマグロ漁船に挑むつもりだそうな。これからはテロ自体が文化となっていくだろう。誰も傷付けないテロ。自然保護を目的とした献身的なテロ。テロは正義なり。みんな募金してネ。~そしたらホントに献金が集まった。そのカネで船を買う。衝突映像や曲解映像が世界中のテレビや映画で繰り返し流れる(一例↓)。「保護の対象を食うなんてトンデモナイ」と云わんばかりに。
http://blog.goo.ne.jp/midnight-run_2007/e/00eb89f5d3aa8b6826eada245ef4289c
 ガチンコ勝負がパフォーマンスである以上、捕鯨パフォーマンスがあるから反捕鯨パフォーマンスが成り立つのだ。同じ事が捕鮪パフォーマンスにも云える。そこに現代的な市場価値がある。

 …嘗て、美術にパフォーマンスがあった。
 今はどれくらい行われているのか知らないが、アクションペインティングだの何だのと、その程度なら近視眼的な書道ヲタでも聞いた事がある。今はもっと様々なパフォーマンスが出現しているのだろう。中には傍迷惑な落書き(もどき?)もあるらしく、青森出身の奈良美智(芸術家)は先年それらしいのをアメリカでやらかして逮捕された。それくらいパフォーマンスには危険な何かが内在している。この事は書道パフォーマンスを志す側も心に留めて置いてよい。
 パフォーマンスの一部には、意味や内容が後から付いてくるケースもある。初めから具体的な何かが予定されている訳ではない。それどころか予め空白域を残して置き、そこを後から埋めて貰うのだ。誰かに空白をそれぞれの意味で埋めて貰って初めてパフォーマンスが完成する。つまり作品が完成する。
 これは音楽でも同じ事。協奏曲のカデンツァを作曲家が書く様になったのはベートーヴェン以後と聞く。通常は演奏者がカデンツァを作曲もしくは即興演奏していた。クライスラーやレーガー、果てはシュニトケのカデンツァを用いて物議を醸した演奏家も居る(クレーメルの事ね)。演奏それ自体がパフォーマンスなのだから、これはこれで立派な正統性が認められても居る。ただし成功するかどうかは話が別。最後は先ずクオリティ、それに霊感や調和、聴衆との交歓など、様々な要素が絡み合う。たとい失敗した演奏でも、歴史的価値が残る事さえある。こうした側面で才能を存分に発揮した一人がクナッパーツブッシュ。計算を上回る霊感ならバーンスタイン。ナチスの威信が懸かった演奏という事では、シューマンのvn協奏曲を初演したクーレンカンプがテレフンケンに遺した同曲録音が有名。その他ベートーヴェンの第九なら、バイロイト祝祭劇場再開記念のフルトヴェングラーとか、「ベルリンの壁」崩壊記念のバーンスタインとか。ここまで来ると「生涯に一度の運」がものをいうので、パフォーマンスの一言では片付けられなくなってくる。
 パフォーマンスには下積み経験が含まれる。しかしそれはパフォーマンスを常態とする領分の話であって、書道は通常その範疇にない。そこにパフォーマンスを持ち込めば自家中毒の危険に見舞われる。しかし一方で、書道パフォーマンスの精華は王羲之の蘭亭叙などに結実しているのもまた確かである。ただし王羲之はその後に何度も書き直した結果、どれも最初に書いたのには及ばないと判断した。つまり書の場合、パフォーマンスは「後から想起される領分」としての過去に属するのが当たり前だった。
 ゆえに苹は、書道パフォーマンスを必ずしも否定しない。しかしながら、パフォーマンスの生々しさが危険である事に、もっと敏感であって欲しい、との思いもまた一方では去来するのである。



8【再掲】「とめはね」ネタ10 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/11 (Thu) 23:17:32

【再掲】「とめはね」ネタ10
7731 国語の領分 苹@泥酔 2010/03/05 23:29

 掛軸ってぇのは、平板な死体が隣で首を縊っている様なものだ。だから苹は人物画が大嫌い。ゲゲゲに出てくる「こなきじじい」をいっそう生々しく描いた様な羅漢図なんて誰が掛けるものか。仏閣ならともかく。この感覚は洋画でも変わらない。自分の寝室に、例えば以前「日録」に出ていたイエスの骸を飾る勇気(?)はない(↓)。
http://www.salvastyle.org/menu_renaissance/view.cgi?file=holbein_grabe00&picture=%95%E6%82%CC%92%86%82%CC%8E%80%82%B9%82%E9%83L%83%8A%83X%83g&person=%83n%83%93%83X%81E%83z%83%8B%83o%83C%83%93%81i%8Eq%81j&back=holbein_grabe
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=427
 ~こう書いて、ふと思い出すのが白隠。誰の本だか忘れたが、白隠は強過ぎて神経が滅入るんだそうな。しかし仙厓なら大丈夫、見られる。
 自分の字をぶら下げるのも抵抗がある。字の中に自分を見てしまうからだ。あたしゃそこまで図太くはない筈。まだ顔写真の方がマシである。所詮は顔だ、ナルシシズムに溺れたって構わない。それとて他人、特に異性のには及ぶまい。何十年か前は若者の部屋によくアイドルのポスターが飾ってあった。今ならアニメっぽいキャラのフィギュアかな(綾波レイとか初音ミクとか)。因みに私が部屋にポスターを貼ったのは後にも先にも一度きり。LP十枚を揃えて応募すれば貰える、指揮者メンゲルベルクのそれだった。後はグラモフォンのカレンダーだが、今世紀に入った頃にはどのレコード屋もくれなくなった(そして潰れていった)。
 昔、友人のカメラマンが撮った顔写真を大きく引き延ばして貰い、独り悦に入った事がある。苹の葬式用にはエグいかも知れないが、いい出来だった。彼の腕がいい。左右反転して加工したのを見た人は「わあ、きれい」と云ったそうな。そしてオリジナルの方を見て一言、「わあ、きもちわるーい」。…悦に入るのは苹だけでよい。彼には毛穴までクッキリ表現する腕がある。私はこれでカレンダーを作りたくなった(未遂)。
 当時、彼の自宅で一つ実験をした。定着液(って云うのかな?)で字を書いた。それをグループ展の会場で見た師匠(今は亡き大学助教授)は、「字の写真だか写真の字だか分からんな」って意味の感想を漏らしながら苦笑していた。~あの時は他に淡墨で大きく「恍惚」と書いたパネル作品も出したっけ。パネルの上下に多数の釘を打ち込むと、だんだん「惚」の字が「恤」に見えてくる。そうした内なる落差の実験作でもあった。言葉に錯覚のためのアンカーを打ち込むと、言葉がやがて分裂していく。大学二年の秋、苹は卒論にする予定で「書法の概念と人間の分裂」稿を書き始めていた(未完)。
 自前の掛軸は、自分の死体が自分の隣で首を吊っている様なものだ。云うなれば幽体離脱。度重なれば百鬼夜行。そんな言葉の渦に自分を巻き込む時、「言葉」は鬼の様に言葉か書のどちらかを貪り始める。

 先日ネット検索中、偶々こんなブログ記事が目に留まった(↓)。以下、国語側の身になって考えてみる。
http://www.m-kiuchi.com/2010/02/24/japaneseandforeignlanguages/
 国語教育を律する根本原理は嘗て「国語の改造」にあった。その段階は遅くとも大正時代に過ぎ去り、戦後の「国語改革」による改造方法の微調整を経た後、今は「改造された国語」の根幹部分を古今不易の絶対原理として信じさせ続けるのが大前提となっている。~教員自身がどう思って居ようが、たぶん彼らは嘘を教えていない。ただ生徒が誤解する様に教えているだけであって、教わった通り「真っ当に誤解した」生徒の一部がやがて教員になっていく。その連鎖を守る事が国語教育では現実に求められており、そうした国語絶対主義に合致しない古典的実態は総て黙殺されなければならない。従って、国語信仰の側から見て「異端」に相当する領分を学ぶ態度は(表向き禁止こそされていないものの)自粛するか蔑視するのが教員として当然である。そんな国語イデオローグに独占されているのが国語教育なのである。
 こんな事を書けば、殆どの人が「まさか」と思うだろう。この苹という奴は頭がおかしいのではないかと。

 先程「たぶん彼らは嘘を教えていない」と書いた。例えば、日本で昔から使われている文字には漢字と仮名がある。これは正しい。そう教わった生徒は何をイメージするか。漢字なら楷書、仮名なら現行の平仮名と片仮名だろう。それ以外は教わっていない筈だから、楷書以外の漢字書体や変体仮名は予め想定外となり、この時点で最初の誤解が完成する。そしてこの誤解をより確実なものとするために書写指導が行われる。特に毛筆指導が重要。「昔の人は筆で字を書いていた」と教えるのは差し当たり正しい。ただしそこでイメージされるのは実際に書かれていた昔の文字ではなく、あくまで楷書の漢字と現行の仮名である。ここでも明治以前の書字文化は埒外に置かれる。
 或いは「ないものねだり」に見えるかも知れない。子供にそんな高度な話が分かるものかと。そうかも知れない。まだ平仮名が現行平仮名と変体仮名に分けられていなかった時代、子供は平仮名が読めなかったのかも知れない。石井式漢字教育でスラスラ漢字を理解する子供は「存在してはいけない」のかも知れない。しかし実際は子供でも変体仮名や漢字の草書が読めた。漢字が読めたのは、漢字と仮名を貫く草略原理が身に付いていた事と、なにより振仮名の効果が大きかったからである。にもかかわらず、そんな事はどうでもよい。昔式の「前国語教育」は、近代的国語教育の信仰に反するからである。今は国語で草書を教えてはいけない。だから漢字と仮名が共通のシステムで変形生成する事実も隠蔽されなければならない。この基本的指令すら守れない様では到底、まともな国語教員としてやっていける訳がない。
 そこには書写体の問題も絡む。私が子供の頃、最初に興味を持ったのが「学校で習う漢字」と毛筆書写体との差異だった。なぜ活字の之繞にはウネウネがないのか。なぜ手書きではウネウネさせるのか。これを説明してくれた先生は一人も居なかった。だから勝手に考え、勝手に独学から学んだ。気付いた時は中学生になっていた。今にして思えば、書道に興味があったのではない。それ以前の、根底を司る理念的かつ現実的な世界の「重合するさま」に興味があったのである。
 先年、未履修問題の余波で中学国語科書写までもが槍玉に挙げられた。学習指導要領に何が書かれていようと、現実には国語で書写指導しないのが当たり前である。中学生にもなって学校お習字とは情けない。行書が既に「読めない」「読みにくい」領分に属している社会的事実を尊重すれば、書教育の形骸化は畢竟「社会的要請への配慮」って事になる。従って学校教育は文部科学省の不当な支配に屈するべきではない。そもそも学校は学問教育の場でも伝統文化教育の場でもない。歪曲教育の場である。
 今は活字の時代であり、もはや書字の出る幕はない。にもかかわらず仕方なく字を書いているのは、単に印字手段が手元になかったからだ。…これからは電子黒板の時代になる。仕方なく書いた字が即座に活字化し、読みやすく画一的な「正しい字」に置き換わる。その「正しさ」の基準が辞書であり、教育的かつ社会的な配慮を加えたものが常用漢字など。そして辞書の字が正しいのは、辞書が間違っていないからである。

 新字体が制定された時、旧字体は辞書から一掃されなかった。従って旧字体は誤字ではない。正しいか否かよりも、むしろ新字体と旧字体の分類自体に意味がある。ここに至って「漢字の神話化」が完成した。名称を相対化して新だの旧だのと呼べば、それだけで印象がガラリと変わる。
 例えば今は「萬」が旧く「万」が新しい。ところが高校授業で変体仮名を学ぶと大昔から「万」の用いられた事実が知れ、国語の認識を根底から覆してしまいかねなくなる。つまり書道は国語にとって不倶戴天の敵であるので、書写教育には予め防波堤としての機能が期待される。書写の本質が歪曲教育であるのはそのためであり、ひいては高校書道でも「読めるように教えてはならない」って事になる。美しさに目が眩めば「深層が読めなくなり」、国語にとっては却って好都合。書道は美術と並ぶ視覚芸術もしくは非芸術であり、言語芸術を意識してはならない。物事には考えて良い事と悪い事がある。
 辞書が正しいのは、辞書が予め活字化されている事による。そこには文字学の研究歪曲成果が盛り込まれている。楷書を正しく歪曲するために篆書の楷書化=創作が施された。それを基準に楷書を正しく書けば、楷書が或る種の草略書体である事までが「いつしか忘れられていく」。
 こう書くと奇異に思われるかも知れない。~例えば之繞。点が一つとか二つとか取り沙汰されるが、それは単に連綿草略されない点の数を論っているだけの話であって、誰もが手書きするウネウネ部分の連綿を切り離して書けば忽ち、隷書や篆書と同様の三本線が現れる。「学」や「実」などの字も、草書を知る者なら草略の度合いが誰だって分かる。「海」の乳房点々や「為」の上部も草略連綿の類だろう。「弘」の旁はなぜ「口」の形で書かないのか。「以」は隷書を見れば偏旁構成の字だ。草略と省略に厳密な垣根を設けず緩やかな変容・変奏と捉えるなら、楷書は紛れもなく隷・行・草の併用時代から大きな影響を受けている。
 漢字と仮名の峻別も国語歪曲の重要な手口と云えよう。漢字といえば誰もが楷書や活字漢字を思い浮かべる。平仮名の仲間に変体仮名や草書を連想する世代は概ね死に絶えているだろう。朝鮮半島で漢字が廃れていったのと同様、国語教育で漢字と仮名のシステマティックな草略の絆を教えようものなら、すぐさま国語への反逆行為が大多数の国民から袋叩きに遭うだろう。

 『左の脳と右の脳』第二版(医学書院)P.92前後を見ると、脳機能方面では漢字と仮名の認知が現代人を基準に研究されているらしい。それらの知見は「草書や変体仮名の読める世代」にも通用するのだろうか。月本洋『日本人の脳に主語はいらない』(講談社選書メチエ)P.233に「日本語は、明治以降に大きく変わった」との小見出しで始まる項があるごとく、研究者側の姿勢は相応の距離に於て慎重である。また~月本氏にこちら方面への興味があればの話だが、同『日本語は論理的である』(同)P.202に被験者募集の旨がメールアドレス入りで載っている(旧稿で言及済みのネタだけど)。なにやら「左右脳に関する脳波とMEGによる実験」だそうなので、季刊誌『墨』の編集部あたり参加者募集企画でも立ち上げていただければ、「書道ガールズ」とは全く異質の老人力ブームが…いや、さすがにそれはないのかもなー。
 ともかく、古文書レベルで読み書きできる「生きた化石」が国語の抑圧で滅び去った今となっては既に手遅れかも知れないが、少なくとも研究者をガッカリさせる程度には、国語蕩尽過程を検証する上での価値があろう。シーラカンス級の被験者がまだ生きているとは信じられないものの、世間には「万が一」という事もある。

「とめはね」其三

苹@泥酔

2020/04/02 (Thu) 22:38:43

8【再掲】「とめはね」ネタ11 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/11 (Thu) 23:20:05

【再掲】「とめはね」ネタ11
7736 【No.7731補記】牽強付会の試み 苹@泥酔 2010/03/20 18:40

 No.7731稿の末尾で、「脳機能方面では漢字と仮名の認知が現代人を基準に研究されているらしい。それらの知見は「草書や変体仮名の読める世代」にも通用するのだろうか」と書いた。この件について補足して置く。
 杉下守弘『言語と脳』(講談社学術文庫)を参照したところ、P.143~145に以下の記述がある。
--------------------------------------------------------------------------------
> 日本語の失語症例の中には、漢字が仮名より障害されにくいという症例があり、大脳と言語のメカニズムの解明にとって、大きな手がかりとなると考えられてきた。
> 楢崎氏が見出したこの現象はすでに明治三四年、日露戦争のはじまる前に、三浦氏によって報告されている(医事新聞、五八四号)。したがって、楢崎氏の報告中の「漢字が仮名より障害されにくい」という点は新しい知見ではない。しかし、仮名の学習実験という新しい試みをしており、また、次に述べる第二報告では、漢字、仮名問題について、二、三の有意義な知見を得ている。
> 第二報告は、昭和六年五月と六月、昭和八年四月に検査されたものである。
> 注目すべき結果の一つは、平仮名四八文字を一字ずつ発音して、その音に対応する平仮名の文字を指摘させると二七字しか指摘できず、しかも、その指摘時間は五~八秒であった。一方、漢字では指摘時間は一・二~二・五秒であって、平仮名の約三分の一であることである。これによって、平仮名の聴覚像と視覚像の融合は、漢字の場合よりいちじるしく弱いことが知れる。
> さらに第二の注目すべき結果がある。平仮名の文字から、これに対応する漢字の文字を指摘させる検査を行っており、平仮名四一文字については、その指摘が可能であった。たとえば、平仮名の「め」に対して漢字の「目」を、平仮名の「つ」に対して漢字の「津」を指摘することができた。また逆に、漢字からこれに対応する平仮名を指摘させる検査も三六字が可能であった。
> したがって、平仮名の大部分は漢字との連合を脳内に温存していることになる。この事実は楢崎氏によってはじめて指摘されたと考えられる。
> この平仮名と漢字の対応検査は、重度の失語症患者でも、かなり保たれていることが多い。そこで、この平仮名と漢字の対応を練習し、九〇パーセント以上できるようにし、ついで、漢字の仮名ふりを行うというリハビリテーション技法は、失語症患者の書字障害を改善するうえで有効であることを筆者は経験している。
> 楢崎氏の報告は、症例の損傷部位が十分に明らかにされていないので、その検査結果と大脳の部位を関連づけるところまで論をすすめることはできない。しかし、失語症の漢字・仮名問題を考えるうえで、言及に値する論文と思う。日本の失語症研究では、漢字・仮名問題が大きな位置を占めてきた。ただ、従来の研究のほとんどはいくつかの問題点をもっており、楢崎氏の研究も例外ではない。これについては、第十五章でふれる。
--------------------------------------------------------------------------------
 第十五章の指摘はP.233以降に書いてある。問題点が三つあるとの事。漢字・仮名の検査の不備、データの表現、症例報告の限界。

 久々に読み直して、ふと気になった。敢えて紋切り型に括るとすれば、日露戦争の前は書字時代と活字時代のどちらに属するのかと。そこで思い出したのが諭吉でござる。明治の開国と云えば、最も印象的な啓蒙書の一つがコレ(拡大図版も御覧あれ↓)。
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_title.php?id=42
 印刷史研究会編『本と活字の歴史事典』(柏書房)P.485には『学問のすゝめ』初版本文の図版、P.483~484には牧治三郎「活版印刷伝来考=九」所収「鉛活字鋳造の揺籃時代(続)」(『印刷界』156号、S.41)からの引用がある。以下抄録。
--------------------------------------------------------------------------------
>志貴はいまの銀座風月堂の前、京橋南鍋町に店舗をかまえ、30~40人の職工を使って、水牛の角に字父を彫り、これを鉛に打ち込んで字母を作っていた。
>こういう字母製作方法だったから精々一日で20~30個を打ち込むに過ぎなかった。鉛錫の合金だと熱度が高くなって、作業上困難だったのか、生鉛一本で錫を入れなかったので、字母は永く保たなかった。
>志貴は他に販売所がないことを知っているからお高く止まり、百個以下の注文は引受けないという商きない振りだった。従って需要者の反感を買ったことはもちろんだったが、正院印書局とか新聞社関係の大口需要者に販売していた。いま志貴製の活字をみることの出来る印刷物としては、日就社の英和字彙の一部(本誌第144号参照)東京日日新聞の第2号から12号迄の五号活字、福沢輸吉の学問ノススメ(図版参照)『天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト言ヘリ……』有名なこの書は全19冊59万846部を売りつくしたと称する4編から11編までが志貴製の三号活字である。
>明治5年、平野が東京に進出して、五号1本1銭で販売するようになってから、1年と過ぎぬうちに志貴は閉店して終った。(以下略)
--------------------------------------------------------------------------------
 …してみると、三浦報告を三十年ほど遡る明治初年には既に、活字の書物がそれなりに普及していたらしい。鋳造活字が普及する前は木活字や彫刻活字が用いられたし、明朝体については上海の印刷所「美華書館」の影響もある。ならば日露戦争前後における従軍者の識字環境も当然、活字対応型の教育訓練を踏まえて理解さるべきだろう。
 杉下本に言及のある楢崎報告とは、『心理学論文集Ⅲ』(1931)所収の楢崎淺太郎「前頭骨より後頭骨に貫通銃創を受けたる一負傷者の精神機能に就いての第一報告」などを指す。当時の軍事訓練と最先端の翻訳的国語環境とを勘案すれば、読字環境における漢字と仮名の峻別は既に常識と化していた筈。つまり教育国語に先立つ学問国語(実学国語?)の領分は、云わば「大人の識字環境」としての機能を充分に果たしていた事になろう。もちろん手書きの領分では(欧文表記などの比較的特殊な例を除き)相変わらず毛筆を用いるのが普通だったし、斯くあればこそ尚更、書字と読字の乖離状況には把握し難き面が少なくない。さりとて、書字と読字を貫く当時の認知メカニズムが全くの別物=分裂状態にあったとは考えにくい。この辺に関する苹の理解は浅薄らしく、アレンジメントに若干の飛躍がありそうではある。
 たぶん何かが隠されている。~私には岩田誠氏の発言が示唆的と映った(↓)。
http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02757_01
--------------------------------------------------------------------------------
> 日本語の読み書きで西洋人と違うことが起こっているという指摘は多く,立派な論文もたくさんあります。でも,どうして違うのかという点までは追究されてこなかった。私は,しつこく追究したので,逆に共通点が出てきたんです。「違う」ということだけではなくて,「どこが共通しているのか」と考えることのほうが大事だと思うんですよ。だって,脳は同じなんですから。
--------------------------------------------------------------------------------
 その編著『神経文字学』(医学書院)については差し当たり、こちら(↓)を参照されたし。
http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=31206
 なお、三浦や楢崎の名は第一章「漢字仮名問題の歴史的展開」(山鳥重)P.24以降に出てくる。

 漢字と仮名の差異は、視覚に訴える形態上の差異では必ずしもない。この事は幕末以前に普及していた木版印刷物を見れば概ね想像できよう。しかしそれはあくまで草書に不慣れな現代人の感覚に依拠した上での錯視に他ならず、或いは寧ろ「字の認知」と「語の解読」との差異に近い領野の話ではないか、とも疑われてくる。そう捉えるなら、日本語の識字環境は後から「活字に惑わされる様になった」のではないかとも。惑わされたのは斯く云う苹の方かも知れない。
 ここではどうしたって、漢字と仮名の定義が曖昧になる(たぶん)。…苹は名前一つで忽ちお手上げになる。例えば「万里」も「理香」も、どう見たって変体仮名の活字表記だが、どう見ても漢字なのが厄介と云えば厄介。うち一人が結婚して小田さんになったら「おだまり!」って呼ばれるんだろうな。でも実は昔の名前が海江田万里だったりなんかして。こちらの発音が「バンリ」なら、それは明らかに漢字の読みだろう。「里」が同じ発音でも、漢字と仮名のどちらに属するかは語の連なりによって変わる筈。…まさか、漢字と仮名の間を跨いだ「重箱読み」状の扱いって事にはならんだろ(苦笑)。
 そんな所が共通理解の通時性を遠ざける。読み書きの共時性に歴史が介入する事の困難を想う度、「歴史に騙される」事は「現在に騙される」事をも折り畳んでしまうからだ。そこには時間的位相と空間的位相の混濁があり、片や我々は大抵の場合、選択的態度を忘却しようと「必然的に」時間的位相の方を切り捨てる。と云うのも「必然たるべき振る舞い」は自ずと、空間の側に位相の優位性を認める様に仕組むからなのだろう。
(以下、いつもの牽強付会ぶりが炸裂?)
 「草書をゆっくり書く」という逆説が書論にあるごとく、時間的位相への憧憬が支那人には強いらしい。そこには更なる逆説が待ち構えている。悠久の歴史の中に国家が続かない支那と、悠久の国体の中に歴史が連なる日本とでは、懸隔もまた逆説たり得るだけの条件を「まさに間のなかに」備えているからだ。ここでは日本的語彙としての「間(ま)」が歴史の雛型となるだろう。日本人が草書を喪失するのは、おそらく「間」の中から歴史を喪失するに等しい。王朝交替という歴史を持たない日本にとって、歴史そのものが意識の脅威たり得るからである。
 たぶん日本人には、差異のない歴史を差異化するという困難がある。それは必ずしも我々のものではない。我々の前で彷徨い続ける「他者の様な歴史」を獲得した途端、差異化と差異は互いに危険な関係を結んでしまいかねない。そうした環境下で、時間を距離と認識するかのごとき美徳(?)が言語の影となって付き纏ってきた以上、今も昔も言語によって思考する身が抱えるものは予想以上に大きかったのかも知れない。



8【再掲】「とめはね」ネタ12 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/11 (Thu) 23:22:30

【再掲】「とめはね」ネタ12
7737 【補記色々】滅びの示導動機 苹@泥酔 2010/03/23 19:04

●余談其一
 ヴォルフガング・ワーグナーが死去したそうな。今夜は久しぶりにLDでも見るか…。ヴォルフガング演出のビデオはシュタイン指揮の《マイスタージンガー》と《パルジファル》が市販されていた。
 S.59に音楽之友社から出たミュージック・ギャラリー写真集『バイロイト音楽祭』には、《ニーベルングの指環》(通称「リング」…Jホラーじゃないよ)の舞台写真が載っていた。下記引用は同書所収エッセイの渡辺護「バイロイト六つの「リング」」から。合掌。
--------------------------------------------------------------------------------
> 一九五九年には「指環」の上演はなく、一九六〇年にヴォルフガング・ワーグナーがはじめてこの作品の演出に当った。ヴィーラントの完全な抽象化とことなり、弟はいくらか新しい具象化をも試みた。兄と同様、煩雑な小道具はすべて排し、配光も節約されている。しかしヴォルフガングの大きな特徴は舞台空間を立体的に構成して、そこに個々の人物や群衆の表現を生かすことである。これはヴィーラントのむしろ絵画美をねらった舞台とは著しい対象をなした。舞台の床に凹面の大きな円盤を置く。直径約十五メートルこの円盤はいわば世界を意味し、これが五つの部分に分けられ、劇の内容に応じて、重ねられたり、離れたり、沈んだりする。指環全曲をこれで押し通したことはやや単調な印象をあたえるが、しかし個々の場面においては効果のある、優れたアイデアである。登場人物の持物、例えば剣、角笛、槍などは用いられたが、ワルキューレは盾を持たない。
> この演出は一九六〇年から六四年まで五年間つづき、十二回上演された。
(中略)
> 一九七〇年にはヴォルフガングが第二回目の「指環」演出を行ない、これは一九七五年まで全部で十五回上演された。ヴィーラントの死後、ヴォルフガングは個性的な兄の束縛から離れて、自分の信ずるところを自由に表現するようになった。
> この演出では、前回のヴィーラントの徹底した暗さに対し、ヴォルフガングの舞台は概してずっと明るく、夢幻的な美しさを持つ。ヴィーラントの冷厳で、情感を突き離すような美しさに反し、ヴォルフガングは抒情的な暖さを持つことが多い。「ワルキューレ」の幕切れで、炎の背景の下をヴォータンが大きく輪を画きながら、降りて来るところは感動的であった。
> 前回同様、舞台に中凹の円盤が置かれたが、その使用はさらに巧みとなり、この円の中心が種々の意味で強調され、劇的に働きかける力を発現する。この蟻地獄のようなくぼみの中から、エルダが浮び上って、ヴォータンに警告を発する場面はことに成功した。
> この楽劇の持つおとぎ芝居的な面白さもある程度生かされ、大蛇がのそのそと現われ、煙を吹いて斃れるところはほほえましい。ヴィーラントでは出て来なかったジークフリートの葬送行進も実際に行なわれる。「たそがれ」の最終場面のスペクタクル的な展開は正にすばらしいショウとなった。
> しかし舞台装置は極端に節約されており、ホリゾントに当てられる光が大道具の代りをする。前回の演出にくらべ著るしい進歩を示したのは群衆の扱い方である。
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●余談其二
「何もかもが消滅しているのです。途中で失せてしまっている。頼りにするものは細々としています。オリジナルのテキストも、二番手のテキストも、もう何処にもない。古代末期のヨーロッパとよく似ています。」
 これは西尾幹二『江戸のダイナミズム』(文藝春秋)P.399、第十六章「西洋古典文献学と契沖『萬葉代匠記』」中の文章。そこには写本を手懸かりとせざるを得ない宿命がある。~「写本」の実際がいかなるものかを認識する上で、じかに自分で書いてみないと分からぬ事が少なくない。なぜ誤写や誤読が起こるのか。そこに意識がどんなふうに関与するのか(=関与しないのか)。
 いくつかの仕方がある。例えば「書く様に読み」「読む様に書く」と、写し手の意識が誤写・誤読に関与する一方、正確な伝移模写を心懸ける意識もはたらく。もちろん一々読まずに「見た通り書く」手もないではないが、斜に構えれば「彼にはそう見えただけ」の話だろう。時には見間違える事もあるし、記憶は嘘を吐く。そして模写対象のアフォーダンスは人それぞれ違う。歪曲書道の字が、読む事を万人にaffordするとは限らない。~この辺に関する事は、下條伸輔『〈意識〉とは何だろうか』(講談社現代新書)や佐々木正人『アフォーダンス――新しい認知の理論』(岩波科学ライブラリー)などを参照していただきたい。

●余談其三
 次は中国の活字ネタでも。
 以下は中野三敏監修『江戸の出版』(ぺりかん社)P.354~355の記述。云うまでもない事ながら、引用末尾に出てくる「今世紀」とは二十世紀を指す。
--------------------------------------------------------------------------------
> 最後に印刷形態の違いについて簡単に触れておこう。明清両代は刊本(木版製版)の時代といえるが、そればかりではなく、活字本、刊本、鈔本の三種類が並行して行われていた。
> 中国における活字印刷は、宋代にすでに発明されていたとする資料があって、それがグーテンベルグより早い、ということで大きく取り上げられてきたが、二十六文字のアルファベットで事が済むヨーロッパとはちがって、相当多くの漢字を準備しなければならない中国の場合、活字印刷というのは、実は相当効率の悪い印刷方法なのであった(活字の場合、増し刷りができないという不便もある)。それがため、活字印刷は、官府(たとえば清代の武英殿聚珍版書)や大金持ちが行った印刷手段であった。活字版のことを聚珍版とも呼ぶが、珍をあつめるというのが、いかにも特殊でかわった印刷形態であることを物語っているようである。
> 日本でも江戸時代の初期に活字版のブームがあったが、これも主として朝廷や幕府による、よほど高級な出版物であった。こうした活字本が、やがてより多くの読者を意識し、書物のより広い需要に応えなければならないという状況の到来とともに、刊本中心へと移って行く江戸時代のケースは、この活字本の位置をよく示しているといえよう。鉛活字による印刷ができる以前には、大量出版の切り札になっているのが、木版印刷なのであった。
> ところが、中国にあっては、刊本よりもさらに安価な書物が鈔本であったというケースもある。東京大学東洋文化研究所双紅堂文庫(長澤規矩也氏旧蔵)に、数十種に及ぶ「百本張鈔本」が蔵されている。これは芝居を見るために歌詞を書き記したパンフレットであって、だいたいが三四丁ほどの簡単なものである。おそらく芝居が終われば捨てられてしまうようなものなのだが、ある程度の部数が作成されたと思われるこうしたパンフレットが、刊本ではなく手書きの鈔本なのである(表紙には「百本張」のハンコが捺されている)。鈔本にも片や四庫全書のようなきわめて豪華なものもあるが、片や工賃の安さを反映して、版木を彫って印刷するよりも、手で書いた鈔本の方がより安上がりだったという場合もあったのである。
> 一般に、鈔本というものにあまり重きが置かれないのが中国の状況であった。今世紀になって奇跡的に発見された敦煌文書などは別にして、唐代から伝わって現在まで残っていたという書物は中国にはほとんどない。刊本が出たと同時に鈔本は滅んでしまったのである。日本では、刊本があったとしても、昔からの鈔本はそのまま残るし、またその価値は絶対ともされるようだが、鈔本と刊本とに対する価値観は、日本と中国とでかなり違っているのである。
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 代わりに…と云ってよいかどうか定かでないが、ともかく中国では拓本文化が発達した。そこには、書道とはまた別の視座がある。碑版法帖もまた印刷物である事を、時折あたしゃ忘れちまうのでありんした(汗)。
 そう云や昔、中国絵画史の本を見てたら見覚えのある石碑名が出てきたんだっけ。何かと思ったら李北海の書いた李思訓碑だった(この碑は江戸時代の巻菱湖も学んだそうな)。…ソリャそうだよな。李思訓と云えば絵画史に出てきた名前だし。そんでもって学生に興味あらば、そこから芋蔓式に手を伸ばして歴代名畫記だの何だのを読み漁ったりするのも一興(以下略)



8【再掲】「とめはね」ネタ13 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/11 (Thu) 23:25:06

【再掲】「とめはね」ネタ13
7741 「思い込み」の伝統美学 苹@泥酔 2010/04/16 00:46

 人は多かれ少なかれ「思い込み」で動く。自発的にそう考える場合もあれば、何らかの強要を伴う場合もある。例えば「ゆとり教育」を学力低下と結び付けると、「学力低下教育の推進」が「ゆとり教育の実践」と合致して見えてくる様に。ここでは「ゆとり教育」が先にあるのではなく、解釈の方が先に来る。もちろん解釈には色々あるが、それが必ずしも予定した方向に収束して行くとは限らない。例えば寺脇研氏の言い回しを真に受けた「学力低下させない教育」の試みが「ゆとり教育」でないかの様に判断されるのも、現場の判断の優位性を顧慮するなら強ち不自然とは云えなくなってくる。実質が形相を裏付けるのではなく、形相が実質を変質させる。
 …苹は今更、何を言い出すのか。もう済んだ話だろうに。
http://matsumitsu.exblog.jp/m2010-03-01/
 …かれこれ半年ばかり失念していたサイトがある(↑)。検索中に偶々気付いて覗いてみたら、このところ更新が活発になっているらしい。上記リンクは先月の教育ネタだが、今月は皇室絡みの西尾批判ネタがある(↓)。
http://matsumitsu.exblog.jp/m2010-04-01/
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> ともあれ、西尾氏には、皇室を敬愛してやまないという、伝統的な意味での日本人の心はない・・・と見ていいでしょう。ご本人は、「それが保守だ」と開き直っていますが、そんなものが「保守」なら、わたしは、朝日新聞も日教組も、「保守」といってよいことになるのではないか、と思っています。
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 …そうだった。よくよく考えると、日教組も負けず劣らず「保守」なのだ。筆者の松浦先生が正反対の意味で書いているのは百も承知で、にもかかわらず戦後に培ってきたものを「保守」する感覚が「そこには存在する」。こうした現実を認識するには、どうしたって避けては通れない視点がある。すると相対的に松浦先生の立ち位置も、ともすれば所謂「皇国史観」の時代区分を「保守」する側であるかの様に見えてくるだろう(これもまた「思い込み」の一つ)。狭義の区分では、少なからぬ場合~当事者の意思とは無関係に「両者の時代感覚がズレてくる」のに、歴史の方が勝手に双方を丸呑みしてしまうから、広義に見ようとすればするほど却って手に負えなくなっていく。

 …ここらで少し、話をズラしてみる。
 苹は「君が代」が歌える。(他県はどうあれ)こちらでは毎年の式典行事でやっているから、生徒も全員が歌える。
 ~あたしゃ教員時代は終始一貫、強いて云えば或る種の茶目っ気(?)のつもりで定期考査に毎年出題した。皆が知っている歌だから、素直に読めば零点なんか取れる筈がない。その時に使った画像がコレ(↓)。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_r_455.html
 難があるとすれば、冒頭が「わがきみは」であって「君が代は」ではない点くらいだろう。まさか「国歌の元ネタとなった古典は教えるな」などと言い出す教員は居ないだろうな(ただし国語イデオローグの信奉者は別)。元ネタが進化して国歌になったとするダーウィニズム的な見方を否定して、「聖書」的な古典に出戻る所から始める立場の御仁なら尚更そうだ(国語プロテスタンティズム?)。…学校は教会に似ているかも知れない。しかし必ずしも教会と学問はセットではない。にもかかわらず両方を否定するかのごとき暴挙に出れば、これまで個人的かつ風土的に若干の違和感を覚え続けてきた「マルクス主義」疑惑の方とて無傷では居られず、所謂「右翼のトンデモ言説」がじわじわと信憑性を帯びてくる。誰もが知っている歌を生徒に出題サービスして何が悪いのか。~そうした意味では、苹にとっての「君が代」は実のところ「ゆとり教育」の手札でもあった。
 しかし或る種の文盲教員に云わせれば話は別である。何が書かれてあるにしろ、読めないものは読めない。だから「読めない」とする確信に基づいて判断するなら、中身をいかに工夫したところで到底「ゆとり」への配慮とは認められないし、それどころか筆文字を持ち出す行為自体が由々しき事となる。まして中身が「君が代」ともなれば問題だらけだ。お前は右翼か。恥を知れ。…つまり国語イデオローグと政治イデオローグが脳内で握手する。しかも自明性への信頼が先に立つから「思い込み」への自覚は要らない。そこで彼らは当然ながら「保守すべきものを守る」。政治イデオローグにとって戦後民主主義の時代区分は「戦後」だが、国語イデオローグにとっての現代国語や活字古典は相変わらず戦前や開国時期の「悪しき残滓」を引き継いでいる。ゆえに時代区分を論拠とした駁論は必ずしも有効とはならないし、むしろいっそう普遍的な印象を相対的に際立たせもするだろう。それが突破口となる。戦前と戦後の連続性自体が、現代に相応しかるべき国語的純粋性の徹底を阻んでいるからだ。

 国語イデオローグ達にとって危険な材料はいくつかある。
 漢字の新字体や現代仮名遣いは戦後に制定された。つまり旧字体や歴史的仮名遣いは戦前に属する訳だが、その「戦前」イメージを保守する必要があるとしたらどうか。~所謂「戦前」が軍国主義幻想から更なる過去に向かって逃走を始めては困るのだ。すると「戦前」を日本の通史から浮かび上がらせ、近視眼的にイメージ操作=隔離する必要が生じてくる。政治面では極めて特殊な時代として「戦前」をナチス化したり、或いは侵略体質の歴史文脈として豊臣秀吉の系譜に連ねる手がある模様。
 文化面でGHQが行った工作活動は、ナチス化の手口が少なくない。例えば書道・習字は一時期、軍国主義に加担した咎により学校教育禁止と相成った。新字体や仮名遣いに関するイメージ操作も、どちらかと云えばナチス化の文脈で捉えられるケースが多いのではなかろうか。~戦前はやたらに教条的な漢語スローガンが増え、仮名遣いも基本的には昔風(歴史的/封建的/軍国的)だった。そうした「悪しき歴史言語」から脱却するため、新字体や現代仮名遣いによる国語教育がなされる様になった…と暗に教える。
 苹自身、そんな印象を持った記憶がある。そう教わった訳でもないのに、なぜか先入観を持った。何か仕組まれていた様な気がする。他の方々はどうだろうか。もし「そんな印象を持ったのはオマエだけだ」と云うなら、これはこれで単なる一例の記憶に留めよう。~ともあれ、旧字体と新字体の分類に別種の問題が伴う件はNo.7731で言及した通りだし、仮名遣い変更の経緯は共通語としての国語が成立する過程と絡む。
 六年前、「「奴は知り過ぎた。」の図」(2004/04/19 01:20)と題する稿を書いた(No.7659末尾に転載↓)。以下抄録。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=7659&range=1
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> この経緯を見ると、「陸軍が一歩先に手をつけていたことの追認にすぎませんでした」とする西尾先生の論は、かなり複雑な状況下で組み立てられた様な気がしてきます。~旧仮名遣いとして制度化された暫定的教育方針は、教育現場では恰も不変の原理であるかのごとく受容されて行った。その結果、明治時代に自ら捨てた筈の日本語の多様性は二重の意味で捨て去られる事になった。するとやがて、捨てる主体と捨てられる客体との重合により自己完結的性格は増幅され、「国定の」仮名遣い自体が神聖不可侵の伝統を表記=言挙げ=体現する上で欠かせない霊性を帯びてくる。地域差を克服すべく、国民統合の手段として教育に導入された筈の方式が、国民から国家への重心移動に伴って別の性格を獲得し始める。
> 政治的意味で云うなら、新仮名遣いは旧仮名遣いの直系と見なして構わないでしょう。どちらも言語革命の手段で、結局は両方とも漢字廃止に至らなかった訳ですから。…しかしながら、流れ自体は国家から国民へと分散しますから、共通語と方言との差異化には、原理的に自ずと無理が生ずる筈。共通語と地域語の差異は、地域語と方言との同一性の裏側で、嘗ての在り方を転倒させる筈。
> 旧仮名遣いのままでも、結果は同じだったかも知れません。…が、ちょうど(運悪く?)転倒の時期に、二つの出来事が重なってしまった。一つは昭和二十一年九月議決答申の「現代仮名遣い」。一つは同年十一月議決答申の「当用漢字表」。転倒直前に戦前的属性を保ち得た点で、旧仮名遣いは「汚れずに済んだ」のかも。嘗ての様な崇高さと美しさを求めるなら、やはり旧仮名遣いの方が魅力的でしょうし、それを歴史的仮名遣いと呼ぶ事に違和感はないでしょう(私なら、わざとらしく「神話的仮名遣い」と呼んでみたくなります)。現代仮名遣いは神聖さの在処を失っているのではないか。少なくとも私にはそう感じられます。~これは音韻や歴史の問題ではない。価値や思想の問題ではないのか。そんな具合の疑いが、現代仮名遣いの宿命であるかのごとく付き纏って離れません。
> 私が旧仮名遣いに軍国主義の気配を感じるのは、たぶん…歴史的多様性を捨てた仮名遣いとして受け止めているからなのでしょう。美と崇高に基づく優越を旧仮名遣いに感じるだけなら構いませんが、余りにも厳密にし過ぎた点が気に食わない。漢字も厳密、仮名も厳密。その一部は戦後も承け継がれている。こうなると歴史的な融通の利かせ方くらい、有り体に認めたっていいじゃないかと文句をつけたくなります。
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 先程「国語イデオローグ達にとって危険な材料はいくつかある」と書いた。国語イデオローグの現状について(と言い換えて構わないなら)、西尾先生は嘗て「整頓主義」と表現したが(No.7660参照↓)、その政治的背景には未解明の要素が他にもいくつか残されている気がしてならない。ナチス化の文脈では歴史的文脈からの抽出が前提だが、歴史文脈自体の体質問題として丸ごと再解釈する手口の方が、実のところ思考様式上のダメージは大きかろう。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=7660&range=1
 しつこくて申し訳ない。…漢字と仮名がある。
 漢字の本家と云えば中国。その中国から見れば、仮名はどんなふうに映るだろうか。昔の平仮名と今の平仮名の過半が同じに見える人は居るのだろうか。~アラビア文字と同じくらい多用される曲線が目立つものの、一音一字の切れ目はそれなりに確からしい。縦書きでも横書きでも大丈夫。それがチョイと遡ると殆どが縦書き。おまけに全部がミミズのダンスと来たもんだ。よくよく見れば、草書と似通った字面がある事に気付く人も居るだろう。しかし今では、草書が読み書きできる中国人なんて何割くらい居るのかねぇ。あちらの簡体字も日本と同様、草書を楷書化した字例が少なくない。なればこそ、いっそう仮名の異質さが際立つ。
 中国の表音システムは西洋アルファベットを借用したピンイン(1958.2公布)。そして朝鮮半島の場合は、日本の少なからぬ関与により全土で復興を遂げたハングル。どちらも仮名とは似ても似付かないし、そもそも役には立つまい。それぞれ国情に応じた表音システムとして発達した文字だし、中でも漢字との絆は日本の仮名に最も顕著な痕跡が残る。片や中国では、百年前の字がニョローンとしていて妙に印象的だった。漢字の隣に並んでいたのは満洲文字って云うそうな。首をカックンと倒して雑駁に見れば、西洋のアルファベットも雰囲気はどことなくニョローンとしている。もし学者の無意識に満洲ニョローン系の記憶/印象が刷り込まれていたとしたら…てぇのは冗談の域を出ないから余り真に受けないでネ(でも調べた人が居たら教えてちょ)。
 元の漢字を度外視すれば、昔は仮名だって充分ニョローンとしていた。それがいつしかバラバラ完了。今や漢字と縁遠い点ではハングル同然なのに、来歴は相変わらず漢字なのだ。…以前、この辺が引っかかった(No.7686参照↓)。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=7686&range=1
 漢字からも仮名からもニョロニョロ体質を掃討して、模範としての侵略体質を自ら演じてみせた上で日本が半島にハングルを推奨したとしたら、これは一体どういう事になるのやら。そこに仮構される日本の「文字侵略体質」は、予め自虐的前提の下に文明開化と共振していた…てな事になってこないか。
 嘗ての刀狩りに何か恨みでもあるのか、近・現代における秀吉コンプレックス(?)に魅入られた民草達は、言葉狩りや文字改変にも寛容であり続けているらしい。この場合、国語イデオローグの視線は戦前・戦後を超越しており、そうした系譜的視点から歴史的日本語書記を白眼視する明治以来の伝統もまた、「思い込み」の領分で己の依拠する立場を保守する態度と共振し続けているかの様に思えてくる。

 畢竟、以上を読み返してみれば目新しい事は何もない。文中で言及した旧稿を思い出そうとした訳でもないのに、ふと気付けば別の角度から見渡し直しただけの話になっていた。いつの間にか、そんなふうに「収束しちまっていた」って事なのだろう(汗)。
 こうした「想定外」の収束作用に、苹自身もまた呪縛されているらしい。元々は「成績評価の脱構築」、もしくは「書の無縁化」の題で書くつもりだったのにぃ。~してみるとどうやら、そこにはもう一つ(一つで多数?)の「思い込み」があったらしい。意識の水面下で蠢く思い込みと、そこから逃れようとする思い込みと、それらの間に鬩ぎ合う可能的世界の領分と。
 苹はそんな公的呪縛と私的呪縛の双方に、それぞれの伝統(もしくは萌芽)を~ひいては、てんでばらばらな調和錯視の下での「胡蝶の夢」を垣間見る。



8【再掲】「とめはね」ネタ14 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/11 (Thu) 23:27:29

【再掲】「とめはね」ネタ14
7776 【番外編】裏打雑感 苹@泥酔 2010/06/30 00:56

 さっき偶々テレビを見たら、NHK教育「あしたをつかめ~平成若者仕事図鑑」で文化財修理技術者の回をやっていた。うら若き美女(めがねっ子♪)が糊をこねていた。それを見て思い出した事をカキコして置く(↓)。

 高校の書道部では、裏打の仕方にも色々あるらしい。苹の高校時代は薄い裏打紙を机に水して、その上から本紙を落として行った。ところが大学時代は逆で、本紙を机に水してから裏打紙を落としていく。しかも私の居た頃は裏打紙がやたら分厚く、どう見てもアルミ額かパネル仕立ての大作品向け。もちろん仕上がりは全然違う。
 薄い裏打紙を用いる場合は、本紙の透け具合に独特のデリカシーが出る。細かい墨色の変化がよく出るので、淡墨作品や「紙の白味具合」を表現するには好都合。なにより掛軸で本領を発揮する。しかし学生が掛軸を表具するとなると、これはさすがに手に負えない。その筋の本を二十数年前に見た記憶によると、先ず糊への気遣い自体が尋常でない。新しい糊だと強過ぎるので、これを何年も寝かせて古糊(沈糊とか云ったかな?)をつくるのだそうだ。すると本格的な修復作業にも使える弱糊が出来上がる。老舗の表具店では大切にしているそうな(ウン十年物)。
 それに比べると、展覧会の大作品は遠目に見る墨の強さが紙とのコントラストを引き立てる。中には全紙十数枚継ぎのもあるから(東京学芸大とか新潟大とか?)、昔ながらの仕方では困る面もあるのだろう。そこで学生達はスキャナやプリンタのヘッドの様にワッサワッサと刷毛を動かす。…左右に、糊を塗った裏打紙を持つ役回りが二人。真ん中では刷毛を構えた野郎が卓球選手の様に緊張している。本紙に裏打紙を刷毛手が落とした瞬間、刷毛が上下に動き出す。時には左右の持ち手に力の入れ具合を指示しながら、左手で圧着具合を誘導しつつ右手の刷毛が上下するさまは見事なものである。これで全紙や尺八屏程度のサイズを次々とこなしていく。それより大きなサイズの作品となると、これはこれでパネルの分割やら何やら色々と。

 そう云や昨今の書道パフォーマンスについて、小竹光夫教授が「書道美術新聞」939号(2010.6.1付)の連載記事で苦言を呈していたが、「大作にも付き物」である筈の表装は今、どうなっているのだろうか。そこが少し気になった。~あのブームを煽った日テレに、番組内イベントを総括する気はあるのだろうか。例えば歴代の優秀作品(?)を集めて、十年分を一括展示するとか。



8【再掲】「とめはね」ネタ15 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/12 (Fri) 23:26:27

【再掲】「とめはね」ネタ15
7791 作品と成績評価 苹@泥酔 2010/08/10 21:41

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1281397118/
 先ず、2chで見て驚いた(↑)。何やら大分ひどい事になっているらしい…(↓)。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100810-OYT1T00046.htm
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>全日本書道展に不正出品、大分高を失格に
> 公益社団法人日本書芸院(大阪市)は9日、「第15回全日本高校・大学生書道展」(日本書芸院、読売新聞社主催)の審査の結果、私立大分高校(大分市)の全応募作を失格とすることを決めた。
> 不正な応募作が多数見つかったためで、同校も不正を認めた。
> 同校からは2487点の応募があり、今年7月の予備審査で、篆刻(てんこく)の部で同じ印章が複数の作品に使われていたことなどが判明したという。
> 同校は過去9回、団体賞の最優秀校に選ばれており、過去のケースもさらに調べる。学校側は、「伝統ある書道展を汚しておわびのしようもない」と書芸院に謝罪。不正な出品にかかわった指導教諭を厳しく処分するとともに、再発防止策の確立を急ぐという。最優秀校に選ばれた際は大分県から表彰を受けたこともあり、10日にも県に報告する。
> 同書道展は毎年、全国の高校・大学の生徒や学生を対象に、漢字・かな・調和体・篆刻の4部門で作品を募集、個人賞のほか学校単位の団体賞を選出している。
>(2010年8月10日07時28分 読売新聞)
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http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100810k0000e040052000c.html
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>書道不正出品:私立大分高の全応募作品が失格に
> 第15回全日本高校・大学生書道展(読売新聞社、日本書芸院主催)で、不正出品が多数あったとして私立大分高校(大分市)の全応募作品2487点が失格になったことが分かった。
> 大分高は同展で過去9回、団体賞の最優秀に選ばれ、「書の甲子園」の愛称を持つ国際高校生選抜書展(毎日新聞社、毎日書道会主催)では07年に団体の部で優勝。今年7月の書道パフォーマンス甲子園でも初優勝するなど書道の名門。
> 日本書芸院によると、不正が見つかったのは、同展の4部門のうち篆刻(てんこく)の部。出品した247点のほとんどを、複数の篆刻を組み合わせて一つの作品のように偽装していたという。同高によると、実際に彫ったのは40点だけだったという。
> 7月の予備審査で審査員が気付き、学校側が不正を認めたため日本書芸院は9日、同高を失格とした。同高は同日、日本書芸院に謝罪し、10日には県に事態を報告した。
> 日本書芸院によると、同展は出品作品数に応じて団体の点数が加算される。同高は前回、篆刻241点など計1230点を出品。今回は倍近い作品を出していた。過去の出品作品についても調査するという。
> 学校関係者によると、書道部の顧問教諭は「自分の責任と判断でやった。不正は今回だけ」と話しているという。竹中昭憲・同高事務長は「申し訳ない。顧問の教諭は指導熱心で結果を追い求めすぎるところがあった。任せきりだった学校側にも責任がある」と話している。
> 同高は10日午前、部員に事実関係を説明した。同日夜、部員の保護者へ説明し意見を聴いたうえで11日、顧問教諭の処分や書道部の今後の活動方針などを決める。【田中理知】
>毎日新聞 2010年8月10日 12時27分(最終更新 8月10日 13時44分)
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 この出品点数の多さ、もはや部活動レベルでないのは明らか。もしや苹と同じ手でも使ってたのか?…つまり部活動でなく授業中に書かせたのではないかってこった。
 しかしそれにしては取り組み方が尋常でない。仮に書道選択者を三学年全部で三百人と見積もると、四部門で合計千二百点の出品が限界の筈。尤もこれは音楽・美術・書道それぞれ三百人、すなわち学校規模を九百人と見た場合。六百人以上の出品(600×4=2400)となると、学校規模が千八百人以上なのか、それとも芸術科目の選択肢が少ないのか。いづれにしろ傍目の印象は「かなり無理してるなあ」に尽きる。また授業内で漢字・仮名・調和体(漢字仮名交じり書)・篆刻を仕上げるには丸々一年かかる筈だから、この点も不自然ではある。(めんどくさいから調べてないけど、一体どんな学校ぢゃ?!)

 以下、私事本題。作品と成績評価について。
 苹の場合は在職当時、差し当たっては大東文化大学主催のを標的にした。他に四国大学などの展覧会もあるが特に拘りはない。もし学校に案内が回ってきていたなら、或いは日本書芸院や成田山のに乗り換えたかも知れない。そして何より重要なのは、出品しなくとも全く構わない、一々「やる気」など求めないという事である。だから実際、出品しない生徒も居た。それどころか、出品すれば成績が下がる可能性すらあった。その選択を生徒自身に委ねた訳である。
 どれも授業で扱った漢字臨書課題の提出物である。それを苹が採点した後、展覧会へと使い回す。…やがて結果が返ってくる。中には苹のと異なる評価もある。つまり出展者は事実上、苹の評価と外部評価との平均を「自分の評価として選択した」事になる。すると苹の単独評価と比べて必然的に当該課題の実技成績が上下するが、他の課題は総て教科担任たる苹の単独採点なのだから、たまにはそうした機会があっても構わないだろう。
 無理をすれば余裕が失われる。出来る範囲でやればいい。中には放課後、書道部員でもないのに居残って練習する生徒が散見された。…練習したからと云ってウマク書ける様になるとは限らない、そんな「残酷な事実」まではさすがに教える気になれなかった(練習すれば巧くなるのは確実なのに、旨くなるとは限らないのよね…orz)。~書論には生書と熟書の話が出てきたりする。事によると、書道Ⅲでなら少しは言及できたかも知れない。ところが苹は怠け者(と云うよりは無能の方か)。教材研究が間に合わなかった面もあるから、如何なる評価であれ所詮は眉唾物と云えなくもない。
 さりとて、書道を競技の様に扱われても困ってしまう。イケイケドンドンで煽られたって、生徒は馬車馬じゃあるまいし。…私の場合、むしろ練習する暇があったら勉強してくれた方が嬉しい。自分が何を書いているのか、そこに現前する「今」を(時間的かつ拡張的に)深く知って貰う方が好もしい。その一環に実技の練習があるのであって、下手に技術力や表現力を過大評価すれば、却って近視眼的かつ集団的なナルシシズムか、又は裏返しの自虐的な「五十、六十は洟垂れ小僧」根性へと陥りがちになる。
 ~例えば古典の学習。王羲之の十七帖にも色々ある(あれを書いたのは何歳だっけ?)。それを「とどのつまりはただの手紙やんけ」と知る事から始め、古文漢文よろしく先ず内容から読み始めてもよい(興味あらば森野繁夫の著書を紹介するもよし)。或いは上野本や三井本などを比較する手もある。なんなら日本に伝来した諸本に視野を拡げてもよい(西東書房から好都合なシリーズ物が出てたっけ)。「之」と「足」の草書が紛らわしいのは何故なのか、といった視座からのアプローチは誤字に対する免疫的感覚を研ぎ澄ます。それらをひっくるめての実技。読む事を前提した在り方への反復、大袈裟に云えば永劫回帰。念仏を唱える様にひたすら書いたところで、どうにかなるものでもない(ただし偶々「悟る」事ならあり得るかも?…頓悟であれ漸悟であれ)。かてて加えて必要とあらば、実用書への頽落だって必ずしも芸術と無縁ではない。初めから芸術があったのではなく、所与の書字文化の延長上に芸術が「仮構された」(敢えて「生まれた」とは書かずに置く)のだから。
 …いっそ、展覧会の応募条件に論文審査を加えたらどうなる事やら。きっと膨大な手間がかかるんだろーな。ならば差し詰め、上位入賞者候補を絞るための「足切り」システムを導入するとか(大学入試じゃあるまいし?)。それらを先ず、下請けの審査員達が濾過する。審査員のレベルアップにも役立つ。いい事ずくめじゃんか。

 書き忘れ。~冒頭で「何やら大分ひどい事になっているらしい」と書いた件。「大分」の箇所は先ず、「だいぶ」と読んでからにしてくだちい。(願わくば、「おおいた」を連想するのは後回し。)



8【再掲】「とめはね」ネタ16 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/12 (Fri) 23:29:20

【再掲】「とめはね」ネタ16
7794 作品と成績評価(続) 苹@泥酔 2010/08/11 23:36

 前稿で書いた「外部評価」云々については誤解する向きがあるかも知れないので、念のため補記して置く。
 これを取り入れたからと云って、通信簿(五段階評定)の数値が変わるとは限らない。そもそも苹の期末考査(ペーパーテスト)は悪評紛々で、恐ろしく下手な生徒でも「知識が実技をカヴァーする」例が実際ある訳だから、そんな学者タイプの素質を持つ生徒には「巧く書くだけが能じゃない」と思って貰えれば、後々それだけ間口が拡がるのを期待しても、あながち罰は当たるまい。なにしろ、学者に嫌われたら書道はオシマイなのだぁ。反論ある奴は書道史の本でも抱えて論争を仕掛けてきやがれ。(わくわく♪)
 …それはともかく、実技の痕跡についてはどうか。
 書道とは縁遠いオッサンやオバハンに問う。昔、学校の授業や部活で作品を書いたとする。それ今、あなた持ってますか。とっくに捨ててしまった人が多いのではないですか。ところが何かの展覧会に出して、賞状を貰ったとする。そう簡単には捨てられないのではないですか。自分の子供に「昔こんなの貰ったのよ」と語ったところで、具体的にどんな作品だったか覚えてる訳がない。すると記憶は美しく嘘を吐く。「作品の美しさ」よりも「記憶の美しさ」の方が、何かと好都合な面は多い。金賞とか特選とか、そんな賞状なら捨てられる確率は更に減るだろう。つまり出品料という名のカネを払って、思い出を買った事になるのである。
 記憶を侮ってはいけない。嘘を侮ってはいけない。嘘の中に潜む一片の真実を「欠片のまま」持続させる事の尊さが、やがては神話的な痕跡へと自ら育っていく。それが如何に私的であろうと、育った領分は記憶の中で生き続ける。

(以下余談)
 …それにしても、教材研究は面白い反面ややこしい。例えば、一冊分の知識に十冊分を読み足して一冊分に纏めるがごとき場面は所謂「やっつけ仕事」となるが、百冊分の知識(その実態は所詮「漠然とした記憶」…orz)に確認目的の十冊分を読み足して一冊分に纏めるタイプの仕事は却ってムチャクチャ個性的(?)になりやすい模様。これでも本人はニュートラルになる様に心懸けているつもりなのだが、そのカヴァーする範囲が問題で、巷間では違和感を抱く向きが少なくないらしい。こちとら戦後教育の範疇に収まりきらない領分を含めて「ニュートラルを目指した」のだから、そうなるのは当然と云えば当然なのかも知れない。極端な話、新字体を基準とする領分に敢えて旧字体を持ち込むかの様な。
 そこで更に勉強してみる。…いっそ書道には収まりきらない領分、差し詰めタイポグラフィーなんかではどうだろか。てな訳で書道ディレクションとか云う本を皮切りに(だったかな?)二十年ほど前からおっぱじめたところ、最近入手した小谷充『市川崑のタイポグラフィ』(水曜社)に至るまで、それなりの蓄積がある分だけ余計に「たちが悪い」仕儀と相成った。…当時、カリグラフィーの絡みでは西洋の文献が参考になった。フーコーは『これはパイプではない』とか云う本を出してたし、クリステヴァは~そう、あの中で苹は「エングラム」って言葉を知ったんだっけ。『詩的言語の革命』(勁草書房)第一部P.331の訳注には「脳の神経細胞のうちに残された経験の痕跡をいう」とある(稍や詳しい論旨についてはNo.6538を参照↓)。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=6538&range=1
 このリンク稿を読めば食傷するかも知れない。…昔、苹はこんな文章を書いていた(汗)。

(以下冗談)
 勿論、なんでもかんでも書けばいいってもんじゃない。ふざけた野郎が授業で変な言葉を鏤める例なきにしもあらず。…でも苹とて密かには思うのだ。一度くらい「高擡玉莖、振怒而頭擧、金溝顫懾而脣開」などと書いた掛軸を、誰かの結婚式で贈呈してみたいなあ。(出典は白居易の弟、白行簡の「天地陰陽交歡大樂賦」より。)

「とめはね」其四

苹@泥酔

2020/04/05 (Sun) 06:43:42

8【再掲】「とめはね」ネタ17 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/12 (Fri) 23:32:49

【再掲】「とめはね」ネタ17
7806 【備忘録】続報と雑感【大分】 苹@泥酔 2010/08/19 23:02

●続報
http://mainichi.jp/area/oita/news/20100811ddlk44040486000c.html
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>全日本高校・大学生書道展:不正で失格の大分高、泣き崩れる生徒も /大分
> 不正な出品が判明し、第15回全日本高校・大学生書道展(読売新聞社、日本書芸院主催)に応募した全作品が失格となった私立大分高校(大分市)は10日、対応に追われた。
> 午前中には、書道部の部員約40人を学校に集め、事態を説明した。ショックで泣き崩れる生徒もいたという。同席した竹中昭憲事務長は「『みんなの頑張りはわかっている。不正はしっかり明らかにする』と生徒らと約束した」と話した。今後は個別に生徒と話すほか、要望に応じてカウンセリングもする。
> 同夜には、部員の保護者を対象に説明会を開いた。竹中事務長によると、不正にかかわった書道部の顧問教諭が謝罪。学校側が書道部の活動を当面自粛する方針を伝えると、保護者からは部活動継続を求める声が相次いだという。【田中理知】
>毎日新聞 2010年8月11日 地方版
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http://www.asahi.com/national/update/0816/TKY201008160186.html
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>「とめはねっ!」モデル 大分高校が書道展に不正出品2010年8月16日13時18分
>. 大分市の私立大分高校は16日、昨年と今年の全日本高校・大学生書道展(日本書芸院、読売新聞社主催)への出品で、在校生以外の名を借りて出品数を水増しする不正が見つかったと発表した。同校は、書道部顧問の男性教諭による不正と判断し、停職3カ月の処分にする方針。
> 小山康直校長によると、最優秀賞を受賞した昨年の篆刻(てんこく)の部の出品者名簿に同校卒業生の名前8人と同校の生徒ではない名前25人分があり、少なくとも33点の水増しがあったという。今年についても、出品は1部門につき1人1点がルールで、同校からの参加者数は273人だったのに、漢字940点、かな683点、調和体617点が出品されていたことがわかった。
> 大分高は同書道展で最優秀賞を昨年も含め過去9回獲得し、その功績で昨年、県民栄誉賞を受賞。小山校長は「信頼を裏切った。賞を返上したい気持ちだが、日本書芸院と県の指示に従いたい」とし、日本書芸院と県に同日中に不正の事実を報告するという。
> 同校は、顧問の教諭のほかに、不正を止められなかったとして副顧問を減給10分の1(2カ月)、小山校長を無給(2カ月)とする処分をする方針。今後は第三者委員会を発足させ、書道や美術品などの出展の際には第三者が審査する仕組みを作って再発防止に努めたいとしている。
> 同高書道部は、2009年には日本テレビ系番組内の全国大会、第1回書道ガールズ甲子園で優勝。漫画「とめはねっ! 鈴里高校書道部」に登場する強豪校「豊後高校」のモデルとしても有名。
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http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100816k0000e040069000c.html
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>書道不正出品:私立大分高、最優秀の昨年も
> 第15回全日本高校・大学生書道展(日本書芸院、読売新聞社主催)の篆刻(てんこく)の部で不正出品が多数あったとして全応募作が失格になった私立大分高(大分市)は16日、他の3部門及び昨年の同展でも不正があったことを明らかにした。書道部顧問の男性教諭(51)が在校生や卒業生、他校生の名前を勝手に使い応募していた。
> 同高は昨年の同展団体賞で9回目の最優秀に選ばれていた。主催者に16日、最優秀返上の意向を伝え、大分県にも、最優秀により受けた県賞詞(県民栄誉賞)返還を申し出る。
> また同高は同日、この教諭を停職3カ月、不正を黙認した副顧問の女性教諭(28)を減給(10分の1、2カ月)、小山康直校長も監督責任を問い無給2カ月とした。【田中理知】
>毎日新聞 2010年8月16日 13時36分(最終更新 8月16日 13時46分)
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http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100816-OYT1T00634.htm
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>書道展に不正出品、大分高教諭を懲戒処分
> 大分市の私立大分高校が「第15回全日本高校・大学生書道展」(日本書芸院、読売新聞社主催)に不正出品して全応募作が失格になった問題で、同校は16日、不正にかかわった書道部顧問の男性教諭を顧問から外したうえで、同日付で停職3か月の懲戒処分にすると発表した。
> また、団体賞(高校の部)の最優秀校に選ばれた昨年度の出品作品にも、不正の疑いがあることが判明したという。不正が確定した場合、受賞した県民栄誉賞(県賞詞)の返還について県の指示を仰ぐ方針。
> 同校は今年の書道展で2487点を応募したが、篆刻(てんこく)の部で、同じ印章が複数の作品に使われたことが判明。1230点を応募した昨年度も、台帳で確認したところ、篆刻の部(241点)で卒業生ら33人の名前を使って応募していたことが分かったため、主催者に報告する。
> このほか、不正を防げなかったとして書道部副顧問の女性教諭を減給10分の1(2か月)、監督責任を問い小山康直校長を無給2か月の懲戒処分にする。
>(2010年8月16日15時45分 読売新聞)
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http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100816/crm1008161623020-n1.htm
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>「とめはねっ!」登場校のモデル、実在せぬ生徒名で書道展に出品 大分高顧問教諭を処分
>2010.8.16 16:23
> 大分市の私立大分高は16日、今年と昨年の全日本高校・大学生書道展(日本書芸院など主催)に出品する際、篆刻の同じ印影を複数作品で使ったり、出品していない生徒の名を使ったりするなどの不正が多数見つかったと明らかにした。主催者は、同校が今年出品した2487作品をすべて失格とした。
> 同校によると、今年の篆刻部門に、すべて作者が違う247作品を出品したが、同じ印影を使ったものが複数あった。漢字、かななどの部門でも、書道部員らの試作品に別の生徒の名で出品。団体賞の最優秀校となった昨年の篆刻部門でも、出品者名簿に卒業生や実在しない生徒名があった。書道部顧問の男性教諭(51)が「自分の判断で、勝ちたい一心で不正をやった」と話しており、停職3カ月の処分にする方針。
> 大分高は同書道展の団体部門で9回最優秀校に選ばれ、人気漫画「とめはねっ!鈴里高校書道部」に登場する名門校「豊後高校」のモデルとされる。
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http://mainichi.jp/enta/art/news/20100817k0000m040069000c.html
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>書道不正出品:作品数を水増し 受賞を辞退 私立大分高
> 私立大分高校(大分市)は16日、昨年と今年の「全日本高校・大学生書道展」(日本書芸院、読売新聞社主催)で、在校生以外の名前を使って作品数を水増ししていたことを明らかにした。今年の出品分の一部で不正が分かって全応募分が失格となり、詳しく調べていた。同高は昨年は団体賞で最優秀を受けており、同日、主催者に返上を申し出て認められた。この功績で受けた大分県賞詞(県民栄誉賞)の返上も県に申し出た。
> 大分高は同展で昨年を含め過去9回、団体賞の最優秀に選ばれ、「書の甲子園」の愛称を持つ国際高校生選抜書展(毎日新聞社、毎日書道会主催)では07年に団体の部で優勝。今年7月の書道パフォーマンス甲子園でも初優勝した書道の名門。漫画「とめはねっ! 鈴里高校書道部」に登場する学校のモデルとしても知られる。
> 日本書芸院や同高によると、今年7月の予備審査で、篆刻(てんこく)の部で同高出品247点のうち244点で印影のダブりが見つかった。一度彫った印鑑は他の作品に使えないのに、書道部顧問の男性教諭(51)が勝手に使い回していた。このため、今年の全応募作品2487点が失格となった。
> その後の同高の調査で、今年の他の漢字、かな、調和体の3部門で、部員らが練習用に書いたものを男性教諭が他の名前で出品していたことが判明。また、昨年の篆刻の部では卒業生8人、同高関係以外の25人の名も使っていた。男性教諭が無断で実行し、副顧問の女性教諭(28)も黙認していたという。
> 同展の団体賞は、出品数10点で1ポイントが加算される。同高の出品は08年が647点だったのに09年は1230点、今年は2487点と急増していた。顧問教諭は「点数が加算され、勝ちたいがためにやった」と話しているという。日本書芸院は「現在のポイント制度についても今後(見直しを)検討したい」としている。小山康直校長は「どうおわびしていいか分からない」と話している。
> この問題で同高は16日、顧問教諭を停職3カ月、副顧問教諭を減給(10分の1、2カ月)、小山校長を無給2カ月とする方針を決定。週内に開く理事会に諮る。【田中理知】
>毎日新聞 2010年8月16日 20時49分(最終更新 8月16日 21時32分)
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http://www.asahi.com/national/update/0816/SEB201008160046.html
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>昨年の最優秀賞を自主返納 書道展に不正出品の大分高校2010年8月16日23時5分
>. 全日本高校・大学生書道展(日本書芸院、読売新聞社主催)に2年連続で不正出品をしていた大分市の私立大分高校は16日、主催者側に昨年の最優秀賞を自主返納する意向を伝え、認められた。その功績で受賞した県民栄誉賞(県賞詞)についても県に返すことを明らかにした。
> 同校は小山康直校長名で主催者側に「書道展の伝統に消し去ることのできない甚大な損害を与え、深く深く反省している。再発防止に努め、真摯(しんし)に教育活動を再構築したい」との文書を提出した。
> 県私学振興・青少年課によると、県民栄誉賞については県側は返還を認める方針だという。
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http://www.asahi.com/edu/news/TKY201008160186.html
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>「とめはねっ!」モデル 大分高校が書道展に不正出品2010年8月16日
>. 大分市の私立大分高校は16日、昨年と今年の全日本高校・大学生書道展(日本書芸院、読売新聞社主催)への出品で、在校生以外の名を借りて出品数を水増しする不正が見つかったと発表した。同校は、書道部顧問の男性教諭による不正と判断し、停職3カ月の処分にする方針。
> 小山康直校長によると、最優秀賞を受賞した昨年の篆刻(てんこく)の部の出品者名簿に同校卒業生の名前8人と同校の生徒ではない名前25人分があり、少なくとも33点の水増しがあったという。今年についても、出品は1部門につき1人1点がルールで、同校からの参加者数は273人だったのに、漢字940点、かな683点、調和体617点が出品されていたことがわかった。
> 大分高は同書道展で最優秀賞を昨年も含め過去9回獲得し、その功績で昨年、県民栄誉賞を受賞。小山校長は「信頼を裏切った。賞を返上したい気持ちだが、日本書芸院と県の指示に従いたい」とし、日本書芸院と県に同日中に不正の事実を報告するという。
> 同校は、顧問の教諭のほかに、不正を止められなかったとして副顧問を減給10分の1(2カ月)、小山校長を無給(2カ月)とする処分をする方針。今後は第三者委員会を発足させ、書道や美術品などの出展の際には第三者が審査する仕組みを作って再発防止に努めたいとしている。
> 同高書道部は、2009年には日本テレビ系番組内の全国大会、第1回書道ガールズ甲子園で優勝。漫画「とめはねっ! 鈴里高校書道部」に登場する強豪校「豊後高校」のモデルとしても有名。
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http://www.asahi.com/edu/news/SEB201008160046.html
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>昨年の最優秀賞を自主返納 書道展に不正出品の大分高校2010年8月16日
>. 全日本高校・大学生書道展(日本書芸院、読売新聞社主催)に2年連続で不正出品をしていた大分市の私立大分高校は16日、主催者側に昨年の最優秀賞を自主返納する意向を伝え、認められた。その功績で受賞した県民栄誉賞(県賞詞)についても県に返すことを明らかにした。
> 同校は小山康直校長名で主催者側に「書道展の伝統に消し去ることのできない甚大な損害を与え、深く深く反省している。再発防止に努め、真摯(しんし)に教育活動を再構築したい」との文書を提出した。
> 県私学振興・青少年課によると、県民栄誉賞については県側は返還を認める方針だという。
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http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100817ddm012040040000c.html
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>全日本高校・大学生書道展:大分高、書道展出品数水増し 在校生以外の名で
> 私立大分高校(大分市)は16日、昨年と今年の「全日本高校・大学生書道展」(日本書芸院、読売新聞社主催)で、在校生以外の名前を使って作品数を水増ししていたことを明らかにした。今年の出品分の一部で不正が分かって全応募分が失格となり、詳しく調べていた。同高は昨年は団体賞で最優秀を受けており、同日、主催者に返上を申し出て認められた。この功績で受けた大分県賞詞(県民栄誉賞)の返上も県に申し入れた。大分高は今年7月の書道パフォーマンス甲子園でも初優勝した書道の名門。漫画「とめはねっ! 鈴里高校書道部」に登場する学校のモデルとしても知られる。
> 日本書芸院や同高によると、今年7月の予備審査で、篆刻(てんこく)の部で同高出品247点のうち244点で印影のダブりが見つかった。一度彫った印鑑は他の作品に使えないのに、書道部顧問の男性教諭(51)が勝手に使い回していた。このため、今年の全応募作品2487点が失格となった。
> その後の同高の調査で、今年の他の漢字、かな、調和体の3部門で、部員らが練習用に書いたものを男性教諭が他の名前で出品していたことが判明。また、昨年の篆刻の部では卒業生8人、同高関係以外の25人の名も使っていた。男性教諭が無断で実行し、副顧問の女性教諭(28)も黙認していたという。
> 同展の団体賞は、出品数10点で1ポイントが加算される。【田中理知】
>毎日新聞 2010年8月17日 東京朝刊
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http://mainichi.jp/area/oita/news/20100817ddlk44040390000c.html
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>全日本高校・大学生書道展:大分高不正出品 顧問教諭が水増し /大分
> ◇停職中も指導容認
> 全日本高校・大学生書道展(日本書芸院、読売新聞社主催)への出品を巡って16日、私立大分高(大分市)の新たな不正が判明した。調査結果を発表した小山康直校長は、「著しく損なった信頼を作り直していきたい」と謝罪した。
> 不正は今年の同展・篆刻(てんこく)の部の出品作品でまず発覚。他の漢字、かな、調和体の部でも出品者数273人に対し、作品数が多すぎることを書芸院から指摘され、同高が調査していた。また、昨年の篆刻の部の出品者名簿を調べるうちに、不正が分かったという。いずれも書道部顧問の男性教諭(51)が、名前を勝手に使って出品数を水増ししていた。
> また、小山校長はこの教諭の処分方針(停職3カ月)や自らの処分方針(無給2カ月)も発表。再発防止策として、コンテストへの応募を部活動の顧問任せにせず、校内に設置する第三者委員会に一度持ち寄って、まとめて出品するよう応募方法を改めることを明らかにした。
> 今回の問題で、書道部は当面、コンテストへの出品を控えるほか対外的な活動を自粛し、個人的な練習にとどめる。教諭は書道部顧問から外れるが、生徒の希望があれば停職中も放課後ならボランティアで書を教えることを容認するという。【田中理知】
>毎日新聞 2010年8月17日 地方版
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http://mytown.asahi.com/areanews/oita/SEB201008160037.html
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>書道パフォーマンスは当面自粛 大分高不正、校長が謝罪
>2010年8月17日
> 全日本高校・大学生書道展に2年連続で不正出品していた大分高校(大分市)は16日、不正をした男性教諭を停職処分にするとともに書道部顧問から外す方針を明らかにした。部活動は継続する。
> 小山康直校長が同校に集まった報道陣に約1時間にわたって概要を説明。「申し訳ないの一言。県民や子どもたち、保護者の信頼を根本から裏切った」と謝罪した。
> 小山校長によると、2008年以前の同書道展については、参加者数と出品数に大きな差がなく不正は認められなかった。男性教諭は09年から同展での点数稼ぎのために不正を始めたと見られるという。小山校長は「子どもたちに全く非はなく、本当に申し訳ない。書道を学ぶ環境は引き続き整備したい」と話し、同部の部活動自体は続ける方針を示した。外部から依頼された書道パフォーマンスは当面自粛するという。
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●雑感
 苹の場合はオツムの出来が非常識らしきためか、外部評価の結果「成績が下がる」といった素っ頓狂なケースを初めから折り畳んだ。…こんなの普通、管理職なら「生徒や学校の足を引っ張る教員は要らない」と判断するのが自然だろ。つまり裏を返すと、外部評価は「成績を上げる」ための手段であらねばならない訳だ(ここまでは多分、管理職として「正しい判断」と云えるのだろう)。しかしそれが転じて「成績下降を恐れる」体質へ向かうと、いつの間にか「成績上昇を恐れる」神経が麻痺していく。成績が上がれば誰もが喜ぶかの様に思い込み、やがて時が至ると「バブル経済」状となった成績上昇圧力は一挙に崩壊し始める。
 成績の裏付けが欲しい人々には、共通一次やセンター試験をめぐる外部評価=模試システムが重宝される模様。こうした観点では所謂「ゆとり教育」が一種のデノミネーションかデフレ誘導政策への期待を勝手に誘引するかのごとく作用しつつも、それが成功し過ぎると今度は逆に学力低下だの何だのと叩かれる方向へと反作用しかねない。かと云って、ゆとり時代に詰め込み教育をすれば忽ち問答無用のルール違反となってしまう。いづれにしろ逃げ道は概ね閉ざされ、ルールがルール自身の中に粘菌のごとく逃げ道を探し始める事になるだろう。~しかるに書道では通常、模試の領分を公募展が担う模様(社中単独では段級位を活用するケースもあるが、社中間となるとそれぞれの段級位を為替状に調整する上で、評価レートが不明瞭となりやすい)。

 書道選択者全員が参加すれば、事はもっと単純だったかも知れない。ところが部活動は(相対的に見れば)一種の抽出方式で、しかも抽出対象は成績優秀者に偏る傾向が強い。
 昔、全国学力テストでは正解への「指差し」行為が問題視されたそうな。~教員が「指差し」した生徒を書道部員に見立ててみればよい。ここでの「指差し」は一種の指導であり、後は指導された通り生徒が答案に書き込むかどうか。仮に生徒が素直に書き込んだとする。しかしその人数が少ないと全体の成績は上がらない。そこで教員は熱心に、出来るだけ多くの生徒に「指差し」して回る。
 上記のごとき見立て話は荒唐無稽に見えるかも知れない。しかし、もし生徒達が碌に字の書けぬレベルだったとしたらどうか。いくら熱心に「指差し」して回っても、その通りになるとは限らない。…ふと、昔やった定期考査で枡目方式の回答欄を使ったのを思い出す(この本と稍や似通った体裁↓)。そして想像をめぐらして欲しい。もし国語のテストで、古文のテクストが手書きの原本(または写本)画像で出題されたらどうなるか。
http://www.tankosha.co.jp/cgi-bin/bookdetail.cgi?pc=0000003266-000000
 活字変換と句読点を前提した古文テクストは現代の国語規範と合致する様に仕組まれたものであり、たとい書かれたものが活字依拠の現代文であろうと、本質的には筆文字へと逆変換された時点で「活字的でない」印象を免れなくなる。そうした前提あっての「指差し」指導である。指導したからと云って、それを生徒が読めるとは限らない。だからこそ見方次第では、「指差し」行為自体が指導工作である事を免れる。そこに隙間が生じる。全員参加方式では欠陥が露呈しそうな事でも、抽出方式なら「より本来的な」指導効果が期待できる。~ここまでは質的な領分の話。
 量的な領分となると、今度は「抽出方式から全員参加方式へ」の流れが仮構可能になるだろう。従来は、喩えるところ「抽出方式を全員参加方式に見立てた」。そのリミットは在籍生徒数だった(質的領分では生徒数の下限が成績の下限を要請し、量的領分では生徒数の上限が成績の上限を抑圧する)。ここから先は「全員参加方式を何に見立てるか」。その余地が予め仮構可能でないと、従来やってきた抽出方式の足元が構造的に崩れる可能性だってある。質と量の配分が共に崩れる。量的な見立てが質的な見立てへと波及する。

 審査する側からみればどうか。~審査員は質的領分を審査する。厳密な意味で「採点する」とは云えないかも知れないが、審査員に期待される審美眼は概ね良好に機能する。そこまではあらかた問題視する必要はあるまい。しかし彼らに量的な審査能力があるかどうかとなると、正直なところ苹にはなかなか想像しにくい。
 …いったん視点を変える。
 ベートーヴェンは生涯に九つの交響曲を書いた。ブラームスは四つ。ところがモーツァルトは番号付きだけでも四十一曲だし(ホグウッドの全集録音では七十曲を超える)、ハイドンに至っては百四曲ある。モーツァルトの交響曲《ハフナー》はK.385もK.250もセレナードの改作だった。その後も弦楽四重奏曲やピアノ曲などを改作する例は後を絶たない。リストの《マゼッパ》は超絶技巧練習曲と交響詩が有名だが、交響詩の後半に出てくるリズミカルな音型はピアノの練習曲集に出て来ない。またブルックナーの版問題には弟子のシャルク達が絡む。
 …書家と同様、彼らには弟子・生徒が居た。(ここらで話を戻して、先ず書道側の立場を念頭に置いて書くが、一方では学校と宮廷の違いこそあれ、所謂「お抱え作曲家」といった立場にも視線を向ける。)
 生徒指導が作品制作の側面を持っていただろう事くらいは容易に想像がつく。先生なら誰だって、(程度の差こそあれ)「生徒を自分の色に染め上げる危険」を知っているからだ。そんな脆弱(?)な部分に余所からの圧力がかかると、書家らしくあればあるほど書道教員は、「宮廷音楽職人ハイドン」と「脱・宮廷音楽職人モーツァルト」との狭間にあるかの様な立場を甘受せざるを得ない筈。さりとて、絵画方面ほど露骨ではない模様。レンブラント工房ではどうだったか。董其昌は誰に代筆させていたか。
 こうした妄想がどの程度まで当たっているか、当事者ならどう思うのやら。~これを「××工房」と呼ばず、仮に「××高校書道部」と呼んでみよう。これこそ「団体賞」に相応しい。そう思えてこないか。そもそも団体賞の対象は何か。作品数の水増しを云々するのと、モーツァルトの交響曲の数を拡大して考えるのとでは、何がどう違うのか。
 一つの集団の作品総体と捉える見方を分解すれば、その先には生徒個人の作品が顔を出す(つまり「作品を取り巻く視線の方が変質する」)。ここでは恐らく「集団と個人の峻別」という前提があり、そうした暗黙のルールに違反したから「水増し」だの「不正行為」だのと呼ばれるのだとしたら、分割不能な作品~例えば合作や書道パフォーマンス作品~はどうなってしまうのか。
 ふと、いくつかの古い作品例が思い浮かぶ。画家が四君子や山水などを描き、書家が画賛を入れる様な。他方、「伊勢幸」の三文字を三人の書家(日下部鳴鶴、巌谷一六、中林梧竹)が書き分けた例ではどうか。中には「これは作品ではない」と云う人も居るだろうが、行為の延長上に書道パフォーマンスの来歴を感じ取る場合、江戸時代の書画会に遡って考え直す必要があるかも知れない。



8【再掲】「とめはね」ネタ18 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/12 (Fri) 23:35:53

【再掲】「とめはね」ネタ18
7810 【雑感】集団的背後霊【追記】 苹@泥酔 2010/08/22 20:25

 前稿を読み返すと、書きぶりには若干の不満が残る。あれでは「水増し」の説明が不充分かも知れない。ならばムリヤリ仮構しよう。名前を使われた架空の人物や卒業生の本質は、教員自身ですら束になっても馭しにくい歴史的水準(?)の、とどのつまりは呪われた「書道部の背後霊」だったのだと。(なんだそりゃ?)
 ここで一句。
 「卒業生 貴方も私も 背後霊」
 ~そんな具合に伝統が象られていく。卒業生の側から見れば、逆に恩師の方が背後霊の様な気配を漂わせる事すらあるくらいだ。なんなら恩師の紹介で社中に出入りしてみー。そこには遙かに年上の背後霊がウジャウジャたむろしているし、ともすれば背後霊の間で師匠格・先輩弟子・後輩弟子の関係が成立してしまう。…これって何かに似ていないか。例えば同窓会。そこでは学校単位であれ部活動単位であれ、卒業生を含む「広義の集団」が意味拡張作用と伝統のバランスを自ら取り始める。
 このバランスの前では、現職教員など無力に近い。多勢に無勢と云えば身も蓋もなくなるが、ともかくそこに或る種の前例主義が胚胎する。もし吹奏楽部みたいに定期演奏会へのOB参加が「前例」化しているとして、それと同様の視線で書道の展覧会(特に団体参加の在り方)を見つめたらどうなるか。卒業生の参加は本当に不正行為と云えるのか。ただの「名義貸し」なら一見そうなりそうではある。しかしこれが「工房」状の視線と交わった時、名義そのものが揺らぎ始める可能性はないか。
 勿論、こうした見方には定期演奏会とコンクールの混同がある。ただの演奏会ならプロの世界じゃ余所のオケから(!)助っ人がしょっちゅう参加するけれど、そもそもオーケストラにコンクールなんてあるのかしら(「其六」稿で冗談めかした「人気投票」じゃあるまいし)。ところが今回新聞沙汰になった学生書道公募展には団体賞がある。…当方、そうした在り方が悪いと思っている訳ではない。所詮、ただの振興目的であろう。ただし扱いが大き過ぎた。もし学校側が団体の扱いを誤解していたのでないとしたら、学校や教員は性根そのものが「狡かった」か、もしくは「無知だった」って事になるのかも知れない。~書道パフォーマンス勃興の時節、音楽の先生は警告しなかったのかしら。事と次第によっては、芸術科目の連帯責任を疑われても仕方あるまい。

 世に「去者日以疎、生者日以親」と云う。(文選)
 書道自体も、思い返せばどことなく背後霊に似ている様な気がせぬでもない。それが今はどこかの社中に属し、段位を持ち、展覧会に出品してはせっせと世評の高きを望む人々により占有されているかに見える。そうでない人々との落差は大きい。
 ふと、高校時代を思い出す。~文学部らしき同期生(だったかな?)が、ひとつ「書いてくれ」と色紙を持ってきた事がある。自作の俳句か歌かは忘れた。自分で書くべきだと思ったので断った。意地悪をしたつもりはない。
 このところ日曜昼前のBSを見ると、NHKでは一週分の朝ドラを連続放送した後「俳句王国」って番組をやっている。その題字や色紙を書く裏方役が書家の野口白汀。十数年前は青森の高教研に呼ばれて講演していた。その野口先生の書いた色紙が番組内でズラリと並ぶ。書きぶりが統一されていると読みやすいからそうしているのだろうが、巷間では自作を自署するのが普通らしい。高総文の展示を見ると人それぞれ様々な書きぶりで…正直なところ一見「へたっぴい」ではある。しかし味はある。この「味」を出すのが難しい。喩えるなら作者は料理人で、そこに添削の手を加える行為が調味料って事になるのかも。そもそも代筆者に作者本人の味は出せない。そして調味料を使いこなし得るのが料理人のみであるならば、調味料の選択は料理人に任されねばなるまい。
 この意味に於て師匠は、弟子の個性を「殺す事によって生かす」という自己矛盾を抱える。生かすのは弟子本人なのに、実際は殺されたがる弟子の方が圧倒的に多いらしい。つまり自身を生かす前に「殺されっぱなし」となる訳だ。他方、まだ碌に殺されてもいないのに生きようとすれば、生き返る事はまずない。生きるのと生き返るのとでは、死に方が決定的に違う。その形式的分水嶺を「本来の死に方」(?)から外在化すれば、卒業生が全員背後霊となるのは理の当然。内在的背後霊を内に蔵した外在的背後霊ともなればもう最強、魂魄交々に師匠を呪いまくっては自己へと還る。だからと云って、師匠が取り殺されるとは限らない。ただし悩殺される事はあるだろう。弟子が「私を食べて♪」と添削を迫ったり、或いは師匠が「俺のものになれ~」とばかりに添削して迫ったり。

 中には、添削を拒む師匠も居る。生徒側にしてみれば、これはこれで困る。
 昔風の稽古では、屡々「技を盗め」てな助言が傍から寄せられるらしい。受動的に教わるのではなく、能動的に学び取る。しかしそのためには相応の環境が必要となる。
 この環境が問題で、或る種の「理想的な環境」を外界から隔絶する上で社中や学校が役に立つ。他の世界がどうであれ、師匠と弟子、先生と生徒の間に濃密な世界が展開されていく。それを制度化する手段に段級位や展覧会が組み込まれると、そこに向学精神の資本主義が育ち始める。言い換えるなら、「それ」と「そこ」との場所的同一性が、質的差異を同質化すべく呑み込んで離さない。~昔は場所そのものが適度に離散的だった。書家でなくとも皆が筆で字を書いた。その「皆」が筆を手放すと、相対的に「書家の世界」が外界から隔離されていく。畢竟、ここでは外界が隔離を要請する。
「連れて逃げてよ」
「ついておいでよ」
 ~そんな関係により、外界から駆け落ち同然に核家族化していくのは無理もなかろう。多数の一者が多数のまま、弟子を抱える一者の集合たる多数へと紛れ込む。そうした比喩での核家族。一者は必ずしも孤ならず、クラスター状に一連なりのまま、多数の中へと収斂する。その全体が隔離状態にある。これを書道界に見立てるならば、「水増し」の意味がもう一つ見えてくるのではなかろうか。
 追憶がある。連鎖と伝統がある。背後霊となり遊離して行った何かを引き戻そうとする呪いがある。彼らが外界に出て行くと、内界は「隔離された自己」とのバランスに戸惑う。~外界と内界の等価性を幻視して初めて、従来のバランスはどうにか保てていた。内界で水増しするのも、外界で水増しするのも、そうした影響なくしては起こるべくもない。どのみち総量は変わるまい。察するところ、所謂「水増し」問題はエントロピーの観点から判断する必要がありそうではある。



8【再掲】「とめはね」ネタ19 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/12 (Fri) 23:39:41

【再掲】「とめはね」ネタ19
7828 「とめはねっ!」雑感(其八) 苹@泥酔 2010/09/04 21:28

(No.7810訂正)
 第二段の訂正。
「このところ日曜昼前のBSを見ると」→「このところ土曜昼前のBSを見ると」
 以下本題。


●「うらみ葛の葉」
 NHKドラマ「とめはねっ!」の放送を契機にダラダラ始めた一連の話題(スレッド表示参照)、漫画原作のモデル校となった大分の一件を差し挟むと、微妙に焦点がずれちまってる様な気がする。本題は書道パフォーマンスの方だったのねー(自身すっかり忘れてた?)。この辺、ちょいとばかり補足して置く。
 書道パフォーマンスと云えば、今じゃ映画化までされた「ガールズ」の集団揮毫を指すのが一般的な印象らしい。ソリャもう、どこを見ても女、女、女…。おいこら、そこの野郎ども。いっそ開き直って女装でもしてみやがれ(あくまで冗談でやんす)。とは云え勿論、前に書いた通り応援団だの何だのと、それなりに他のネタを考えられなくはない。しかしやはり女の魅力には敵わない。しかも近年では美少年の所謂「ボーイズラブ」幻想や女装が、「腐女子」達(って云うのか?)から好感されているらしいではないか。むさい中年のオッサンが女装すればただの変態だが、美少年ならまだどうにかなるのかも。
 …そうなのだ。これからは女装の時代なのだ(と敢えて強弁してみる)。昔からそうだった。三島由紀夫と交流のあった美少年なんざ、約半世紀を隔てた今もなお見事に着飾り活躍しているんだし。そしてその前は…と書けば誰でも思い当たるだろう。云わずと知れた役者でござる。差し当たっては歌舞伎の女形。しかしこれを持ち出すと、さすがに素人にゃ荷が重過ぎる。迂闊に手を出そうものなら、伝統の担い手達から「芸をなめるな」と罵られそうだ。

 歌舞伎の演目に、「葛の葉」ってぇのがあるそうな。あたしゃ見た事はないが、元々は人形浄瑠璃らしい。正しくは『蘆屋道満大内鑑』。この中に或る種の書道パフォーマンスがあり、その筋では「曲書き」と云う。~そこで検索したところ、こんなサイトを見つけた(↓)。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~freddy/watching164.htm
 その中に、こんな画像がある(↓)。「十二世仁左衛門の葛の葉」だそうな。これがまた、べらぼうにウマイ。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~freddy/photo/yakusya/12nizaemon/kuzunoha2.jpg
 そんでもって調べてみると、この仁左衛門(↓)てぇのは書の素養が重んじられていた時代末期の人らしい(明治十五年1882~昭和二十一年1946)。この頃は観客もさぞ目が肥えていた事だろう。字を見た途端に興醒めする様では総てぶち壊しである。…先に「べらぼうにウマイ」と書いたが、この程度なら誰でも書けた時代である。まともな書き方なら、古筆の苦手な苹だって書ける。その「まともな書き方」のレベルを、彼ら役者は「曲書き」で維持するから恐れ入る。これを仮に書道パフォーマンスの古典とみなすなら、今の「書道ガールズ」のそれは児戯に等しい。
http://www.kabuki-bito.jp/kabuki_column/actorofmemory/post_158.html
 ところで、この仁左衛門。他方では一家と女中の五人が殺害された件で有名らしい。みな頭を斧で割られていたとの事。なにやら横溝正史の探偵小説に出てきそうな…と云えばいかにも無粋ながら、市川崑監督の映画『獄門島』には、草笛光子が口にくわえた筆で「うらみ葛の葉」と障子に書くシーンが出てくる。あれは仁左衛門に負けず劣らず達筆だった。こうでなくてはいけない。(ただし発句屏風の方は中途半端に下手。市川監督は原作の描写をそう解釈したのだろう。因みに、書家に依頼したらしきテレビ版の方は上手いから全然ダメ。そもそも下手な字で書いてあるから「金田一探偵が読めなかった」って筋書きになるのに、あれを上手く書いちまったら辻褄が合わなくなるではないか!)

 …以下は単なる思い付き。
 もし「書道甲子園」の様な新興イベント(?)に本格的なパフォーマンス部門を設ける気があるのなら、放恣となるのを防ぐための里程標が要る筈。…ここらで梨園と連携して、共通課題に「葛の葉」を用いたらどうなるだろか。もし可能であれば、伝統衣裳は決勝段階(?)で歌舞伎側から借り受けるとか(高価だから無理かな?)。
 こんなの実際にやるのは無茶かも知れんが、たぶん漫画やドラマの中でならどうにでもなる筈。大分ショックを乗り越える上でのヒントになれば…と書いてて気がついた。これって一種のネタバレになっちまうのね(汗)。どのみち苹案が採用される事はないだろう。しかしながら、それはそれ。
 大字揮毫にしろ演劇的揮毫にしろ、見せ場には相応の刺激が要る。見方次第では、そこんとこが厄介となるだろう。と云うのも、所謂「芸術書道」の要請動機自体、実用書道に横溢せる俗臭を払拭しようとする心のはたらきがあるからだ。もし書道展に勘亭流を出品したらどうなるか。変な詩文を書いて出品したらどうなるか。
 いくつかの領分の間に立ち現れる距離感が、「うらみ葛の葉」の背景をなす程度で内々に収束するならまだいい。嘗て鈴木翠軒が「禅牀夢美人」と書いて日展に出品した時は、語句が不穏当との批判が出たそうな。出典が夏目漱石の漢詩と聞いて事は収まったらしい。素人目に映るところ、その意は「見賢思齊」と大差なかろう。しかし「美人」を聖賢と解するのではなく、思いっきり現代的にセクシー美女と読み替えればどうなるか。どう見たってコリャ、褥の中で右手モソモソの描写ではないか。…そう云やアタシ、十数年前に結婚祝いの掛軸にするつもりで「玉臺新詠集」から「繁華應令」ってのを書いてみた事があったんだっけ(ただし贈呈未遂)。私の記憶が正しければ、繁華と男色の縁は深い筈。それを男が男に贈ろうってんだから傍目にゃ冗談キツイわな(たぶん)。題材が「後庭花」でも同じ事が云えよう。「閨怨」の場合も露骨に過ぎて場違いなんだろーな…。(何を書いてるんだ、私は。)
 …ここまで書いた後ではもう手遅れかも知れんが(汗)、なるべく綺麗に纏めよう。
 粋の感覚には、俗臭スレスレの際どい側面があるらしい。それと書が共振する場合は尚更「扱いに困る」筈。西洋芸術が「職人的技術」から発展したのと似通った仕方(?)かどうか定かでないが、ともかく女郎と大差なき世界から這い上がってきた歌舞伎に学ぶ事は多かろう。


(余談)
 「曲書き」ってぇのは、舞台上で障子などに裏文字を書いたり、口や左手を使って書く事を指すそうな。
 それとは関係ないけれど…なんか懐かしいな。授業で昔、机間巡視していると書道選択者の一人が半紙に左手で書いていた。四の五の言わせず右手で書かせるのが手っ取り早いが、それでは指導が月並みになって、教える側としても面白くない。てな訳で、その場で取り敢えず左手で書いて見せた事がある。彼は左利き、私は右利きである。
 …で、どうやったか。先ず適当に頭の中で理屈を捏ねてみた。
 右手で書く時、双鉤法では三本指で把筆、筆管を薬指外側で挟む。その時の筆の角度を左手で擬せばどうなるか。~試しに持ってみた。左手三本指で把筆。しかし普通に薬指で筆管を挟んだのでは角度が左右逆になる。そこで筆の角度を右手把筆と同じ向きに変えてみると、今度は筆管の薬指に当たる箇所が一関節ぶん下になる(つまり、人によっては毛が生えてる箇所)。親指と筆管との接触部分も、普通の持ち方では筆管が爪側に当たり把筆が崩れてしまう。そこで親指を上向きにして把筆し直す。その際、親指と人差し指は平行になる。親指の爪を上から筆管に食い込ませる様に持つと書きやすい。
 これで把筆はどうにかなる。次は運筆の不都合を解決する。
 腕の動きは肩から下の関節運動に順う。~手首の関節は横向きに動く水平軸となる(左右対称)。西洋画をカンバスに描く様な把筆(支那での呼称はゾク管法~「ゾク」の字は手偏に族)は水平軸のままだが、書字の場合は筆管が垂直軸となる様に把筆する。しかしこれでは大きな字が書けない。そこで肩から先の動き全体に垂直軸を仮構すべく、普通は懸腕法で対処する。しかしこの腕法は右肩関節の水平軸運動に制約されるので、どのみち右手運動を左手で擬態するのにはそもそも無理がある。
 ならば提腕法ではどうか。臂の関節は下向きに垂れ下がる。つまり上腕部が垂直軸となる。~この「下向き」の動きを補う手札が昔からある。昔は右利きの人も、竹製や木製の腕枕を使っていた(日本ではどうだか知らぬが)。つまり提腕法を更に枕腕法へと変換してしまえば、肩の左右対称性による影響を臂と枕の二段構えで薄める事ができそうになる。右腕を胸先で安定させ、その上に左手を置くと、左下腕部の皮膚が右腕(=枕)の上でグニャグニャ柔らかく動いて、筆管の垂直円運動がいくぶん容易になる。
 この状態で書いてみると、右利きの私でもどうにかなる。後は生徒の選択と工夫次第(書きにくいなら右手で書いても構わない)。なにしろ彼は左利き。右利きの私より遙かに効率的に、左手の自由が利く筈である。そこがテレビで見る片岡鶴太郎の左手書と決定的に異なる。鶴太郎は左手の関節運動に素直な書き方をする。右手書きの手島右卿は嘗て「左手線」という表現手法で右手運動の自由度を高めたが、鶴太郎はそれを初めから地で行っている訳である。
 後から考えると、あの授業中に即興で工夫したのは、左利きに対する「右手線」の試みだったのかも知れない。今後もし更なる工夫を加える機会があるとしたら、私の場合は「左手線」をより本格的に観察・研究した上で、動きをそっくりそのまま左右反転する所から始める事になるだろう。
 参考書を挙げて置く。駒井鵞静『不滅の書人手島右卿と語る』(雄山閣)、P.132~147の「左手法考」。

「俺妹」其一

苹@泥酔

2020/04/16 (Thu) 22:15:48

4「俺妹」奇譚 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/15 (Mon) 21:39:23

「俺妹」奇譚
 事は旧板No.7861稿の音楽ネタに始まる。調子こいて書道ネタへの拡張があからさまな傍迷惑モード(?)に突入した頃から、ヲタ系アニメ「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」ネタへの仮託が本格化した。そうでもしない限り、話題の生々しさが筆者自身の動揺を抑えきれなくなる。…朝までふざけよう、ワンマンショーで。(←沢田研二のヒット曲「勝手にしやがれ」より)
http://imoshiori.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7348382
 先夜いったんNo.7857~7886の三稿を「とめはね」ネタ(↑)へと連ねたが、翌朝には削除した。こちら「俺妹」シリーズとあちら「とめはね」のどちらに連ねるか即断しにくい。また、その後に続く「批評と臨床」シリーズ(↓)を再掲してから半月以上かけて逡巡したのは、No.7857や大分ネタ新聞転載部分を転載する必要がなさそうに思えたからでもある。しかし音楽に喩えるなら、楽章と楽章を繋ぐ経過句みたいなものかとも。そう思うと今度は、不要と割り切る方が却って不自然な気もしてくる。
http://imoshiori.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7305730
 ともかく前置きの転載はこちらで済ませ、そこから先は学校側関係者にとって受難と映るかも知れない稿を続ける事になる。もちろん私は前々から時折「苹@反日実験人格」名義で投稿してきた通り「学校教育の無謬性を信頼している」ので、何を書いてもさほど影響はなかろうと安心しているし、「なぜ学校は正しいのか」を論証しようとする情熱も未だ喪っていない。だからこそ、傍目には開き直りと映るかも知れない事を堂々と(←ぬけぬけと?)実名入りで書ける。恥知らず、もしくは必要悪とする見方とも一定の距離を置く。判断以前に先ず観察が要るからだ。するとそこから読み取れたのが、暗黙のうちに教員が遅かれ早かれ自らを巻き込む事となる「三つの義務」だった。
・歪曲教育の義務
・基礎指導放棄の義務
・成績改竄の義務
 ここには所謂「あるべき論」などない。単なる観察結果を纏めたら偶々こうなった。それ自体が一つの仕掛けでもある。「あるべき論」を交えれば、これらはたちどころに歪曲でも放棄でも改竄でもなくなるからだ。要はものの見方次第で解釈や判断がガラリと変わる。巻き込まれる前の教員には別の「あるべき論」が胚胎するかも知れないが、巻き込まれた後の~つまり学校教育に適応した教員にとっては教材精選、基礎指導徹底、客観的成績評価と言い換えるのが正しい。
 共立不可能な判断それぞれ、いったん共立可能な事象に還元する所から「判断の成り立ち」を見つめ直して初めて、「判断の型」が恰も所与であるかの様に振る舞う理由までもが剔抉されてくるだろう。そうした立場で苹は下記再掲稿を書いた。恰も学校教育を愛するかのごとく…と形容すれば、逆に「ふざけるな!」と怒鳴られてしまいそうな気がせぬでもないが、それはそれで仕方あるまい。
 なお、久々に読み返して思った。No.7876稿で言及したNo.7743稿(「「見立て」の一例」シリーズ)については後々、一連の流れを全文再掲する方がよいかも知れない。

(余談)
 開設時から「西尾幹二のインターネット日録」の代理打鍵投稿を担当している管理人様が、それとは別に自前の奥様ブログを開設している。…苹は前々から入り浸っている訳だが、コメント欄に非表示投稿できるので重宝している面が少なくない。
 No.7896稿に関連する話では、以前こんな非表示投稿をした事がある(↓)。話の種に、ちょいとばかり出して置く。~因みに、こちら天バカ板(旧板)用に綴り始めた「書家と書道教員の違い」は全部ボツにした。No.7778「「見立て」の一例(其五)」(2010/07/01 19:38)を書き始めた頃の話。
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> 余談スマソ。~取り敢えず、こんなふうに書き始めてみますた(↓)。
>--------------------------------------------------------------------------------
>書家と書道教員の違い
> 今のところ、次に出す「「見立て」の一例(其五)」の副題には「そのまんまコピペ」ってのを予定しているが、これまた書道に絡むとなると大方の予想はつくだろう。臨書の事である。「臨書=コピペ」論という、たぶん傍目には素っ頓狂と映るだろう話を展開してみたい。これでもネット時代に適応しようと四苦八苦しているつもりなのである。そんな頭コチコチ伝統擁護派の書家なんて居るかい(居たら紹介してちょ♪…お友達になりたいわぁ♪)。…尤も、苹は書家ではないが。
> ここ半月ばかり、頭を悩ませていた私事がある。それについて三度目の電話があった。
>「教育庁教職員課の××ですが、校長とも相談したところ…」
>「今回の話はナシって事ですね。」
>「はい。」
> 相手方にハッキリ語らせるまでもない。通知する側の心理的負担は少ない方がいい。「苹」はネット上の匿名だが、相手方は実名も経歴も知っている。最初に接触があった時点で此処=天バカ板の事を通知したし、二度目の電話では「つくる会」や支援板やセレブ奥様ブログにも言及した。~名前を知らずに思想を読む人が居る。思想を読まずに名前を知る人が居る。ならば両方を知ったらどうなるか。知る覚悟はあるか。「四の五の言わずにクソして寝ろ」と怒りたくなる人も居るだろう。「知らぬが花」と云うではないか。
> 二度目の電話で、苹は「それでもよければ全力で取り組ませていただきます」と云った。この「全力で」が問題だ。天バカ墓場に眠る死人を叩き起こすと、何が起こるか分からない。もしかしたら生徒が発狂するかも知れない(大袈裟)。書道の字が読めるなんて、そんな戦前みたいな事があってたまるか(苦笑)。
> てな訳で、本稿のタイトルは上記の通り。以下本題。
>--------------------------------------------------------------------------------
>
> これ自体はどうでもよい。電話があったのは月曜の午後である。
> 問題はノートン。素人にはよく分からぬセキュリティ上の警告が、この十年で初めて出た。なにやらクッキーを辿ってる連中が居るらしい。それを見ると欧字表記で、ネット上では公開した事のない苹の実名の苗字が付いたのが全部(苦笑)。コリャどう見ても今回の一連の動きに関連があるとしか思えない。もしかして、あたしゃ組織を敵に回しちまったのかなあ(泣)。
> 何がどうなってるのか分からない。取り敢えず続報連絡耳。「日録」や奥様ブログについての感想は後日。頓首。
>【2010/06/29 02:57】 | # [ 編集]
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8【再掲】「俺妹」受難曲01 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/15 (Mon) 21:54:10

8【再掲】「とめはね」ネタ20 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/13 (Sat) 21:22:35

【再掲】「俺妹」受難曲01
7857 【正月に】NHKの書道ネタ【続け】 苹@泥酔 2010/11/07 02:04

 NHK「アインシュタインの眼」の次回放送予定は下記の通り。
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『♯118 書道 達人の極意を科学する』
若い世代でブームとなり近年盛り上がりをみせている書道。日本の書道人口は400万以上とも言われている。書道は毛筆を使って字を書く東洋独特の文化。その上達のコツは、「穂先」と呼ばれる筆先のコントロールにあるという。プロの書家がみせる筆さばきのテクニックをハイスピードカメラで撮影するとともに、上手な書をかくための「筆圧」の極意を特殊な圧力センサーで解き明かす。一方、プロの書家による芸術的な作品は、どのようにして生み出されるのか。大胆なパフォーマンスと前衛的な作品で知られる柿沼康二さんに注目し、選び抜いた「文房四宝」(筆・紙・すずり・墨)を駆使して、独自の線を書き上げていく瞬間をハイスピードカメラでとらえる。さらに柿沼さんの書にミクロの眼で迫り、そこに隠された「多重構造」の秘密や、墨の中でうごめく粒子をコントロールする驚きのワザを発見する。
BS-hi
11月 7日(日) 午後 6:45~ 7:29
11月 9日(火) 午後 7:00~ 7:44
11月11日(木) 午前 8:00~ 8:44
BS-2
11月12日(金) 午後 8:00~ 8:44
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 以上、取り敢えず宣伝のみ。どんな内容になるのやら?



8【再掲】「俺妹」受難曲02 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/15 (Mon) 21:57:03

8【再掲】「とめはね」ネタ21 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/13 (Sat) 21:26:27

【再掲】「俺妹」受難曲02
7861 鑑賞授業…雑感 苹@泥酔 2010/11/12 00:36

 NHKの番組と云えば、「名曲探偵アマデウス」が面白い。BS-hi「アインシュタインの眼」書道ネタの初回放送直前も、BS-2ではシューマン《詩人の恋》のを再放送していた。失恋した詩人の歌詞は「僕は恨まない」なのに、伴奏の方は延々と下降する恨み節(苦笑)。こんな解説があると分かりやすさや親しみやすさを通り越して、「音楽の授業もこんな具合ならいいな」とか、「書道の授業もこれくらい言葉で筋道立てて説明できたら…」などと羨ましくなっちまう。ただ生徒の前で書いて見せるだけでは駄目だ。ざっと曲を弾いて見せて「さあ、練習しましょう」とやらかしたり、書いて見せる際の擬音「トン、スー、トン」だけで説明したつもりになるのと同じくらい…いや、もしかすると、先生が弾けるならまだマシな方なのかも。そう云や、兵庫教育大の小竹センセが「書道美術新聞」948号の連載で、「担当教諭は前にいながらも、書道塾に通っている子を次々に指名しては、「今日は**が先生役!」で過ぎていった、いいようのない六年間であった」と、昔の体験を絶望感(?)たっぷりに回想してたっけ。
 弾ける事と、書ける事。~まさか開き直って「弾けますけど、何か?」で済ませる訳にもいくまい。そもそも基礎は技術でも理念でもない。それを基礎と思う人は、実際に演奏したり制作したりする側に限られるだろう。基礎の領分では時間が停止するから、それをアクチュアルな技術や理念に結び付けるための観察や分析を踏まえないと、学ぶ側の方が技術や理念から置いてきぼりを食らってしまう。~だから鑑賞は難しい。尤も、「鑑賞に基礎は要らない」と云うなら話は別だが。
 例えば観察や分析を理念と混同すると、今度は理念の方が「愛すべき曖昧さ」や「茫洋たる霊感」の力を失ってしまう。理念はそれ自体が根源の力であって、作品に触れようとした途端、どこかに霧散してしまうくらいが丁度よい。こんな喩えで構わないかどうか心許ないが~差し詰め戦闘状態の兵士なんざ、銃を構える前に一々「我々は正しい」などと理屈をこねくり回している場合かね。目の前の敵を倒す事に集中するのが当たり前だろ。そして従軍記者もまた、戦闘現場に居合わせたら自分の仕事に集中する(撃ち殺される危険があるにもかかわらず!)。ただの傍観者ではない。傍観者になるくらいなら、さっさと逃げた方がよほど本能的にまともだろう。
 鑑賞の最中、生徒を見ると「授業から逃げている」様に感じられた事が間々ある。特にビデオを用いた時が顕著だった。~今や記憶は殆ど失せているが、あれはフランスの映像作家が書道を題材にしたビデオを見せてみた時だったかな。奥地の老婆が一心不乱に拝んでいる場面でふと振り返ると、或る男子生徒の苦虫を噛み潰した様な表情が印象に残った。…そう云や音楽の先生が出張中の自習課題を一つだけ出し忘れた時、どうするか迷った事があったっけ(この件は前にも書いたが~今にして思えば、いっそ教務部に丸投げすればよかった…orz)。あたしゃ当時まだDVD化されていなかった私物お宝AVを見せる事にした。書道の授業の後始末を指示した後、少し早めに切り上げて音楽の後片付けに向かったところ、素人課題の結果は大失敗と判明。生徒の大多数はビデオそっちのけで、他にはハアハアしながらテレビ画面かぶりつきで見てた例外的男子生徒が一名。
 その時の内容はC・クライバー指揮の歌劇《カルメン》第一幕、NHK「芸術劇場」で放映された際の録画だった(クライバーは聴衆を熱狂させる事と、滅多に録音も演奏もしない事で有名)。面白いと思う人には垂涎の的だが、そうでない人にとっては単に古臭いだけ(?)の異人文化。極端な話、よほど鈍感な指導者でもない限り「これ見て感動しろ」なんて言える訳がない。ただし唯一の例外~すなわち洗脳を除いては。逃げ道を遮断して一つの方向に心理状態を誘導する手法が有効である事は、諸々の先行研究から概ね判明している。…と書いたら、ふと大学時代を思い出した。教育実習の時、模範授業の感想を求められて正直に「アジテーションの才能を感じた」と応えたら、場の雰囲気がガラリと変わっちまったんだっけ。今となっては何故か懐かしい。(あたしゃ褒めたつもりだったのにねえ。)

 …ここらでチョイと一休み。最初2chで見た記事の引用(↓)。
http://www.news-postseven.com/archives/20101107_5045.html
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1289093994/l50
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>中国の小中学生 修学旅行の一番人気は南京大虐殺記念館
>2010.11.07 10:00
>中国の小中学生が反日を学ぶのは学校内だけではない。遠足や修学旅行では、各地の反日記念館を訪れるのが慣例だ。なかでも一番人気は南京事件の際の日本軍の蛮行の史料を展示したという南京大虐殺記念館である。2007年12月のリニューアルで、敷地面積は旧館の3倍の7万4000平方メートルに拡大された。取材で訪れたジャーナリスト・山村明義氏は語る。
>「入り口の正面にはいきなり『300000』と犠牲者数が彫られたモニュメントがある。あくまでこの数字を主張し続けるようです。それどころか、展示の説明文には34万人と記されているケースもあり、さらに水増しされていた」(「東京裁判」では被害者は20万人とされていた)。
>展示物には、明らかに合成と分かる写真などが満載で、まさに“共産党のプロパガンダ”という言葉を彷彿させたという。しかし、年端も行かない子供たちがこういった残虐な写真を見せられれば、無条件に日本に対する憎悪を膨らませることになる。
>「中国の小学校で日中戦争の歴史を教える段階になると、教師は日本軍の残虐行為を涙ながらに語り、感極まって泣き崩れる。子供たちも泣き叫んで興奮し、教科書を黒板に投げつけたり、机をひっくり返したりという集団ヒステリー状態になる。最後は教室が静まり、恍惚として日本憎しの一体感を共有する。これは私の甥が実際に受けた授業の内容です」(中国出身の評論家・石平氏)
>明星大学戦後教育史研究センターの勝岡寛次氏によれば、前述の中学校歴史教科書の教師用指導書には、教室での指導方法を解説したビデオCDが添付され、その中にはこんなシーンがあるという。
>教師「人殺しはするわ、放火はするわ、凶悪の限りだ」(生徒に復唱を促す)
>生徒「人殺しにするわ、放火をするわ、凶悪の限りだ」(生徒は全員で復唱)
>こうなるともはや“洗脳”である。勝岡氏によれば、「教科書には『南京大虐殺を勉強したら、日本の中学生に手紙を出して真実を伝えよう』というテーマ学習まで“ご丁寧”に盛り込まれている」そうだ。
>※週刊ポスト2010年11月12日号
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 これはこれで、実に立派な「鑑賞授業」だと思う。見習ってよいのかどうか、正直なところ戸惑う。
 私の場合、一心不乱に祈る老婆の映像を通して「一体感を共有」させようなどとは思わなかった。そこに授業の根本的な不徹底があったのかも知れない。授業から逃げ出したくなる気持ちはそこそこ忖度できるのに、反面どうした訳かクライバーの《カルメン》を通すと、逃げるどころか「もっと見たくなる」気持ちもすんなり納得できてしまう。ここでいきなり「南京大虐殺を楽しむ」(!)心情を仮構すれば話が倫理面でややこしくなりそうではあるものの、授業の目的達成を前提する場合、どこかに「楽しむ」要素(所謂「自虐」を含む)がないとカタルシス効果は得られまい。そして快と不快は(以下略…カントの『判断力批判』を持ち出すと長くなる…)
 話が洗脳に及ぶと事はいっそう奥深い。ここでは差し当たり、二冊を紹介するに留める。ミルグラム『服従の心理』(河出書房新社)と、苫米地英人『洗脳原論』(春秋社)と。
 …試してみよう。
「人を見たら泥棒と思え。」(復唱)
 …間違えた(汗)。
「書を見たら美しいと思え。」(復唱)

 …話を戻す。
 時間がゆっくり、今にも止まろうとするほどの動きにありありと息づく時、それを退屈と思う人は予め時間の集中から弾かれる。~先月のNHK教育「こだわり人物伝」では、指揮者の佐渡裕が師匠バーンスタインについて語っていた。引用は市販テキストP.17~18より(↓)。
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>「ユタカ、俺と握手しよう」と言われたまま手を差し出すと、彼も手を出して、「できる限り遅いスピード、目には止まって映るほどゆっくりお互いの手を近づけていこう」と言い出すのです。わずか二十センチの距離を、息を凝らし指先に全神経・全精神を集中させ、何分もかけて近づけます。「触るな、まだ触るな!」。お互いの手と手がもう接触するほどに近づいたその時、バッと私の手を握るのです。その瞬間、落雷か高圧電流を受けたかのようにビリビリと衝撃が私の体を貫きました。
> バーンスタインはみんなに向かって「いま俺たちがしたことは手と手が近づくという非常に単純で静かな動きだけだが、その手と手のわずかな空間には極限の緊張感やエネルギーや集中力が生み出されたことを感じたな。これが能で、日本人が特別に持っている才能だ」そして「マーラーの《交響曲第五番》四楽章り〈アダージェット〉も同じことだ。指揮をするというのは、腕を振り下ろしてビートを出すだけではなく、今のように緊張感を持続させて目的に向かっていくこともある。まっすぐ手を動かすという動きの美しさで、マーラーの〈アダージェット〉は指揮できるのだ」と続けます。
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 これが第一回の放送。次回放送ではマーラーsym.6終楽章45小節目以降のスローテンポでリハーサルが紛糾した話が出てくる。…遅い演奏なのだろう。カラヤン、ショルティ、レヴァイン等々、架蔵のCDでは思い当たるだけでもざっと十種類以上がみな速い。遅い演奏はバルビローリ、テンシュテット、シノーポリ。苹はテンシュテットのEMI旧盤が好きなので、バーンスタインを聴いても遅いとは思わなかった。つまり遅い演奏に慣れた耳は或る意味、鈍感なのである。
 バーンスタイン晩年の演奏はテンポ変動が極端に大きい。速い箇所は恐ろしく速かったりする(チャイコフスキーsym.4第一楽章とか)。若い頃のも、例えばCBS(現ソニークラシカル)に録音したブラームスsym.1の最後は非常識に速い。遅い演奏の筆頭格はチャイコフスキーsym.6終楽章。普通なら九分程度の所を、かのチェリビダッケよりも遅く十七分かけて演奏している。しかしそこが却って魅力的だったりする。むしろ普通の演奏の方が難しそうに思える。
 かなり迂回した書き方になったが、要するに~それと似た事をNHK「アインシュタインの眼」から感じた次第。スローモーション映像による細部の拡大は分析的な観察に役立つ一方、実際の揮毫における呼吸とは別の、更なる分析的呼吸を導き出す事にもなる。
 仄聞するところ支那人書家には、日本人書家と比べて遅く書く傾向があるらしい。私の場合は明清調を習った時に実感した。確かに速く書いていた。ただし翠軒流は例外的(?)で、半紙に臨書する際かなり遅く書く傾向があるが、条幅作品では正反対の超高速。この落差が非常に興味深かった。…スローモーションならもっと分かりやすく観察できるだろう。飛燕の様に俊敏な動きを、中にはテニスラケットの振り方などに見立てる向きもありそうではあるが、その要領を先ず超低速の臨書学習で掴み取るからこそ、本格の翠軒流では「見た目の流れに流されずに」体得できるのだろう。

 ところで~番組冒頭に筆圧の話が出てきた。あれも必要に応じて分けて捉える方がよさそう。屈曲頓挫時の筆圧と、屹立集中時の筆圧と。どちらも検査機材のセンサーにかかる筆圧自体は似たり寄ったりなのだろうが、例えば「和」字(蘭亭叙の暗書?)縦画の場合、起筆の屈曲筆圧(筆鋒の開いた状態)と収筆の屹立筆圧(筆鋒の閉じた状態)とでは、接紙面における筆圧の集中度も毫の捩れ方も異なる。各自その辺を録画から読み取るとしたら、横画収筆と縦画起筆を比較する事になるのだろう。~底面から見た捻転の動き(「収筆→起筆」の間の動き)以外にも、注目すべき点はあるという話。
 その場面を示範した先生とは十数年前に一度だけ会った事がある。と云っても、偶々紹介を得て二言三言を交わした程度に過ぎない。どんな話の流れだったか忘れたが、「鈴木敬、新藤武弘、米澤…」と羅列したところ先生は即座に「カホ」と続け、読み方に不安を覚えていた私は「ああ、カホでいいんですか」と応えた。米澤嘉圃と云えば中国絵画。あの先生はどうやら、そちら方面への造詣も深いらしい。道理で番組内、教場に掛けてあった掛軸の一つが李唐の「萬壑松風圖」二玄社複製だった訳である(見間違いでないなら多分コレ↓)。
http://www.nigensha.co.jp/kokyu/jp/p42.html



8【再掲】「俺妹」受難曲03 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/15 (Mon) 21:59:33

8【再掲】「とめはね」ネタ22 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/13 (Sat) 21:31:48

【再掲】「俺妹」受難曲03
7886 二玄社の故宮複製について調べてたら… 苹 2010/12/27 18:35

 ヒマネタ…になるんだろーな、コレって。~以下は産経記事の転載。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101226/acd1012260247000-n1.htm
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>【土・日曜日に書く】論説委員・清湖口敏 日本で「恋人」に会いたい
>2010.12.26 02:46
>  ボストン美術博物館館長ジョン・シルバーは、「快雪時晴帖(かいせつじせいじょう)」に思いを募らせた。「手に入るなら魂を悪魔に売り飛ばしてもいい」「私は王羲之(おうぎし)の真蹟(しんせき)にいまだ接したことはないのだ」-。
> たとえ小説(伴野朗著『流転の故宮秘宝』)の中の話とはいえ、美術館館長にそこまで惚(ほ)れさせたくらいだから、王羲之の「快雪時晴帖」はよほどの秘宝に違いなかった。もとは中国(大陸)にあったものだが、今は台北の故宮博物院に収蔵されている。
>
> ◆いざ故宮博物院へ
> 別件の取材で初めて台湾を訪れた先月下旬、合間を縫うように慌ただしく故宮博物院に足を運んだ。目的はもちろん、写真でしか見たことのない「快雪時晴帖」を実際にこの目に焼き付けることだった。それさえかなえばもう、魂を悪魔に売り飛ばし、取材のことなど忘れても構わないと…。
> 王羲之との出会いは20代の頃に遡(さかのぼ)る。まったくの初学ながら、「蘭亭序(らんていじょ)」の臨書に挑んだことがあった。「蘭亭序」は、書の愛好家なら大抵が一度はその書法に学ぶという、書聖・王羲之の傑作中の傑作である。
> 東晋時代の紀元4世紀を生きた王羲之は、紹興酒の里として知られる紹興の景勝地、蘭亭で宴を催した。その際に人々が作った詩を集め、王羲之自らが序文として書いたのが「蘭亭序」である。潤いを感じさせる伸びやかな書線と、多くの「之」や「一」をみな違った字形で書く変化の妙にいたく感心した覚えがある。
> もっとも、この「蘭亭序」は王羲之自身の真蹟ではない。王羲之の書に魅せられた唐の皇帝太宗は、阿漕(あこぎ)な手段で真蹟を手に入れると、欧陽詢(おうようじゅん)ら当代きっての書家に臨書させた。こうして模写は後世に残ることになったものの、真蹟はといえば、太宗が自らの遺体とともに陵に副葬させたためこの世から消えてしまった。ばかな皇帝もいたものである。
>
> ◆これぞ唯一の真蹟か
> ところが「快雪時晴帖」については、これぞ真蹟だと長く信じられてきた。大陸での国共内戦が激化し共産党軍に追いつめられた国民党政権が、かつては紫禁城(北京)などにあった中国五千年の秘宝を台湾に移送したのが1948~49年である。「快雪-」が模写だと言われだしたのが68年頃(故宮博物院)だから、移送当時、それはまだ真蹟として扱われていた。数十万点の移送文物の中でも特別の宝だったことは、先の小説でも描かれた通りである。
> わずか4行の手紙文にすぎない「快雪-」は多くの所蔵印や賛美の跋(ばつ)にあふれ、清の乾隆帝は「神」とまで大書している。真蹟だと強く信じていたのだろう。もちろん精緻な模写であることが判明した今でもなお、それが至宝であるのは疑いない。
> だから一目だけでも、との思いで訪ねた故宮博物院だったが、無念にも展示期間の関係で思いは果たせなかった。後日、故宮博物院に王羲之の次回の展示予定を尋ねると、来年9月下旬頃から3カ月ほどだとか。羽田空港からの国際便就航で、台北までは確かに日帰り圏とはなった。とはいえ、展観時期に合わせての台湾再訪となるといささかの面倒もなくはない。
>
> ◆法の整備を早く
> 恐らく私だけでなく日本の多くの書道愛好家、美術愛好家はもっと手軽に、日本国内で「快雪時晴帖」を含めた書画や陶磁、玉器などを鑑賞したいと思っているはずである。ただ日本で展示するためには、避けて通れない大きな課題がある。法の整備だ。
> 平成20年夏、東京の江戸東京博物館は大賑(にぎ)わいを見せていた。館内には「蘭亭序」をはじめ黄庭堅(こうていけん)、蘇軾(そしょく)らの書が展示されていた。それらは北京の故宮博物院が所蔵しているもので、それ以前にも上海博物館の書が日本で展示されたこともあった。
> 北京や上海の文物なら許されても、台北の故宮博物院の文物は日本で展示することができない。中国が展示品の所有権を主張し、差し押さえを求めてくる懸念があるからだ。フランス、ドイツなどではそのような事態を避けるための法律を制定している。
> わが国でも同趣旨の「海外美術品等公開促進法案」が先月、議員立法で提案されたが、先の国会で成立することはなかった。日本にとって台湾は、地理的にも心理的にも戦前戦後を通じて最も近しい隣人ではなかったか。日台の交流代表機関である交流協会の畠中篤理事長は今春、「(日台間の)今年最大のイベントは故宮展示を成功させることだ」と、故宮展の年内開催に意欲を見せていた。
> 残念ながら年内開催の夢はついえた。しかし来年にはきっとわが国で、いとしの「快雪時晴帖」に会えるものと信じている。わが国で…。(せこぐち さとし)
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 ちと気になったので、昭和五十七年頃の「出版ダイジェスト」を引っ張り出してみたものの、目当ての記事が見つからない。当時は二玄社が台北故宮博物院の名蹟を完全複製して、大々的に売り始めた時期。…誰かが書いてたと思うんだけどなあ。台北でも展示には通常それを使ってて、真蹟は長期保存のため「お蔵入り」してるって話を。あれはもっと後の記事だったかしら。
 その後も二玄社は着々と複製作業を進めて、第二期(?)では許道寧や李唐など色々なのが出て、暫くしたら上海博物館や遼寧省博物館のも手掛け始めて、遂には広島原爆で失われた王羲之「遊目帖」まで戦前の白黒写真からデジタル複製しやがった(ここまで来ると、死人を墓から叩き起こす様な感じが…)。平成に入った頃は複製を大陸(共産中国)に持ち込んで大々的な展覧会を開催。世界規模で販売してて、今は電子メール経由で注文できる(↓)。
http://www.nigensha.co.jp/kokyu/index.html
 清湖口氏は次回の展示予定を尋ねたそうだけど、「複製ですか本物ですか」の確認はしたのかしら。海外展なら本物が来るんだろうけど、本拠地での展示はどんなものだか。記事を見て「よーし、父ちゃんも行っちゃうぞー」ってなるケースは結構ありそうだからなあ。先ず東京神田の二玄社ショールーム(だったかな?)でゆっくり見てから台湾に行く方がいいのかも。昔はよく日本全国で複製の巡回展やってたっけ(私も第一期の巡回展を見た)。
 因みに、王羲之「快雪時晴帖」の複製はこちら(↓)。
http://www.nigensha.co.jp/kokyu/jp/c02.html

 それより、久しぶりに昔の「出版ダイジェスト」を見てビックリしたのは、名前に見覚えのある人が「複製絵画論(その一)~(その五)」を連載していた事。なんと、若き日の井尻千男(!)。今では保守系論壇で活躍中の拓殖大学名誉教授でやんす。『WiLL』か『正論』か「チャンネル桜」で蘊蓄披露した事はあるのかしら。
・「その一」1187号(S61.12.11付)「小林秀雄のゴッホ」
・「その二」1199号(S62.04.01付)「マルロー“空想の美術館”と複製技術の進歩」
・「その三」1212号(S62.06.23付)「崔白「双喜図」と近代リアリズムの精神」
・「その五」1233号(S62.12.11付)「胸中山水の極北」
 紛失したのか、「その四」が載っている筈の号は行方不明…(泣)。



8【再掲】「俺妹」受難曲04 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/15 (Mon) 22:02:15

【再掲】「俺妹」受難曲04
7870 実技と鑑賞(No.7861補記) 苹@泥酔 2010/11/29 23:55

 講談社『本』2010.12号のP.7~9に、片山杜秀「不器用な子供のための音楽入門」てぇのが載っている(全文転載↓)。先日No.7861で音楽ネタを絡めた所為か、洗脳とは別の方向から振り返りたくなった。
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> ヴァイオリンを習い始めた。幼稚園児だった。一九六〇年代後半のこと。
> 持ち方を教わる。楽器を左肩に載せ、顎でがっちりはさむ。左手を添えなくても落ちないように。肩も顎も痛い。辛抱する。次は弓遣い。右手で押したり引いたり角度をつけたり。そして音階や曲を弾いてみる。音符を読めなくては始まらない。四分音符、八分音符、十六分音符……。ひらがなやカタカナを満足に読み書きできないうちに西洋音楽の記号を覚えた。
> と思い起こしてみると、昔から音楽好きだったのかと自分でも錯覚しそうだ。が、事実は違っていた。音楽嫌いになった。レッスン前日になると風邪を引こうとして裸になった。
> なぜ、そこまで稽古を嫌ったか。人一倍不器用だったので上達が遅すぎ、恥ずかしくなったせいもあったろう。
> 簡単なエチュードをなかなかこなせない。ちょっと指遣いが複雑になると、すぐ挫折する。レミファソとか、レドシラとか、音階のような動きで、あまり音程がとばない曲だと楽なのに。先生は呆れる一方だった。
> しかし、嫌いだったのはやはり不器用のせいばかりでもあるまい。
> 幼稚園の帰りがけ、遊び仲間から「午後は鉄道廃線の原っぱで『コンバット』ごっこをしよう」と誘われる。「ヴァイオリンのレッスンがあるから駄目」と答える。
> そのときの空気がよろしくない。「金持ちぶりやがって、お高くとまりやがって」という感じになる。それが刺さる。
> 正直な話、うちは中産階級も中産階級だった。平凡なサラリーマン家庭である。金持ちとかお高くとまっていると思われても困る。それでも、我が家にだって先の希望はあった。もっと便利な場所の広い家に住もう。月並みな家族にとっての子供の楽器のお稽古とは、つまりは夢なのだ。将来、住むかもしれない一等地の宏壮な邸宅で、青年となった息子が、優美にヴァイオリンを奏で、家族親族、友人知己を魅了する。毎週のヴァイオリンのレッスンは、親たちの思い描く、より豊かに贅沢にという、右肩上がりの未来を先取りする行為にほかならなかった。高度経済成長期によくあった話である。
> とにかく、ありふれた中産階級の夢のおかげで友達関係が悪くなる。かといって親のいいつけには逆らえない。稽古をすればするほど、クラシック音楽への憎悪が深まる。悪循環だ。
> なら、敵でなく味方の音楽はなかったのか。あった。何しろ六〇年代後半だ。TV時代だ。戦争映画や戦記マンガのブームもあった。怪獣や妖怪が一世を風靡した。
> その種のTV番組や映画には、当然ながら主題歌や主題曲があり、BGMの音楽もある。それらこそが、私にとって味方になる、よい音楽だった。そういう音楽の話題なら、友達とのコミュニケーションにも役立つ。
> 中でも、耳について離れなくなった音楽があった。「ゴジラのテーマ」だ。伊福部昭の作曲だ。ドレミで書けば、「ドシラ・ドシラ・ドシラソラシドシラ」を二度くりかえして始まる。ソラシドという、ピアノの鍵盤で言えば四つの隣り合った白鍵だけで弾ける。ヴァイオリンやピアノの教則本の最初級に出てくる程度かと思う。私のような楽器の下手な子供にも弾けた。
> 一方、演奏するのにもっとずっと手間のかかる、七面倒くさいクラシックの名曲が、「ゴジラのテーマ」よりもつまらない。どうなっているのかしら?
> 辛抱にも限界が来た。学校の勉強と両立不能とか何とか、親をまるめこみ、やっとヴァイオリンをやめた。小学校高学年になっていた。
> 楽器からの解放感は、私をかえって音楽に近づけた。今後はただ聴いて楽しめばいい。映画とTVの音楽に取り囲まれ、録音アーカイヴの小王国を作り、満足した。クラシックなんて二度と聴くものか!
> けれど、その決心はじきに揺らいだ。小学校の音楽の授業で、十九世紀ノルウェーの作曲家、グリーグの組曲『ペール・ギュント』を鑑賞させられたときに。
> 既にグリーグは知っていた。ヴァイオリンの稽古のついでに、先生と彼のピアノ協奏曲イ短調を聴いたことがある。えらくつまらなかった。『ペール・ギュント』にもきっと退屈するだろう。が、直後に身を乗り出した。組曲だから、幾つもの小曲が並んでいる。その中に「山の魔王の宮殿にて」というのがあった。
> その曲は、ドレミで書くと「ラシドレミドミ」というメロディを、呪文のように繰り返す。しかも「ラシドレミ」まではピアノの鍵盤で言うと隣接する五つの白鍵を上がるだけだ。ただの音階だ。おまけに、悪魔の音楽だから激しくおどろおどろしいテンポとリズムと音色と音量が与えられる。伊福部昭の「ゴジラのテーマ」と似た種類の音楽に聴こえた。
> これもクラシックなのか。私は惑った。「山の魔王の宮殿にて」のような曲が、他にもあるとしたら、クラシックも捨てたものではない。
> だいたい伊福部昭とは何者なのだろう? 映画音楽家と信じてきた。けれどグリーグだって、クラシックの作曲家でありながら芝居の伴奏音楽を書いているではないか。『ペール・ギュント』はそうだという。すると、映画音楽家とクラシックの作曲家は両立しうるのでは? そういえば、伊福部の怪獣映画の音楽は、だいたいオーケストラだ。ジャズでもロックでもポップスでもなさそうである。もしかしてクラシックなのか。
> 調べ物をした。そうして、伊福部は一九一四年に生まれ、戦前・戦中に『日本狂詩曲』や『交響譚詩』といったオーケストラ作品で認められ、戦後に映画音楽も手掛けるようになったと知った。一九七〇年代半ばの話である。
> やっぱりクラシックだったのか。ヴァイオリンのレッスンを何年やっても登場せず、先生がその存在も教えてくれないマイナーなクラシック音楽の領分があって、それを怪獣映画の音楽として聴いていたのか。
> 私にとってクラシックとは、友達と私とを疎遠にする音楽で、怪獣映画の音楽はその逆のつもりだった。線引きが違っていたらしい。
> 改めてクラシックの門を叩くことにした。最初のうちは「ゴジラのテーマ」や「山の魔王の宮殿にて」と同じタイプの音楽をひたすら探し求めた。ストラヴィンスキーやプロコフィエフを気に入った。
> そうしているうちに、次第に聴き方が細かくなった。音階を上下するような単純なメロディや、簡潔なパターンの執拗な繰り返しといったようなものは、伊福部昭やストラヴィンスキーほどではなく、もっと隠れた具合だとしても、マーラーにもブルックナーにもチャイコフスキーにもベートーヴェンにもモーツァルトにもバッハにも、あちこちに見つけられると気づいた。嫌いだった大作曲家連中も、いつの間にか近しく思えてきた。
> 人には子供のうちに身につく音の好みがきっとあるのだろう。私には、不器用な子供でもすぐになぞれる、音階のような音の並びがいつまでたっても結局いいのだ。本当の趣味はそこからしか広がるまい。いくら大人になっても。
> 雀百まで踊り忘れず。
>  (かたやま・もりひで 慶應義塾大学准教授、音楽評論・政治思想史)
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 …授業は難しい(汗)。
 或る意味、教員が知識を蓄えるのは簡単だが、その知識を生かすのは難しい。生かし方の難しさは当然ある。しかしながら他方には、生かし方を敢えて殺す必要に迫られる事もあるから厄介だ。

(余談)
 先日、こんな読売記事があった(↓)。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20101119-OYT8T00602.htm
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>小学教諭、無免許で授業…都教委4年間気づかず
> 東京都教育委員会は18日、立川市立小学校の女性教諭(56)が、正規の教員免許を持たないまま授業を行っていたと発表した。教諭は同日付で失職した。
> 発表によると、女性は1990年、青森県でのみ3年間有効の臨時免許を取得したが、2006年に都教委の臨時的任用教員に応募。都教委の担当者は免許がないことに気づかず採用した。
> 女性は同年以降、世田谷区1校、国分寺市2校と立川市1校の小学校計4校で勤務し、担任もしていた。
> 今月16日、都教委に教員免許の取得方法を問い合わせ、無免許が発覚。女性は来年度の正教員の採用試験に合格しており、採用時に教員免許を提示する必要があったため、都教委では、女性が取得方法を問い合わせたとみている。
> 都教委に対し、女性は「問題ないと思った」などと話している。都教委によると、児童の授業修了の認定は各校長が行うため、授業を受けた児童への影響はないという。
>(2010年11月19日 読売新聞)
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 青森感覚で見れば奇妙な話である。なぜ無免許ではいけないのか。県教育庁では通常、無免許を承知の上で人材を募集したり、或いは臨時免許を交付して教壇に立たせるロンダリング機能を業務の一部としている。それが青森県では正常な教員採用方式なのだから、東京基準で一方的に使い捨てにされるのは「まともな教員」の方となり、青森側の教員経験者としては到底、納得できるものではない(…おっと、久々に出たぜ「苹@反日実験人格」モードw)。
 なぜ「まともな教員」と断言できるかは、青森県の教員採用試験の願書を見れば分かる。そこにはしっかり、所有免許外で担当できる科目の記入欄が設けられてあるからだ。今はどうだか知らないが、少なくとも数年前の用紙が相変わらずである事は確認した(なんならスキャナで取り込んで、「つくる会」東京支部板に画像投稿しようか?)。総ての受験者はそこに記入したり、或いは記入しなかったりする。
 つまり青森県の教員人事に携わる人々は全員、採用する側も採用される側も、「正規の免許を所有しない科目を担当する事がある」という前提で教員採用し、かつ採用通知を受諾しているのである。それが青森基準の「まともな教員」を根拠付ける。そうでない教員志願者は何らかの原因(=必ずしも当該欄への無記入が原因ではなかろう)で採用されないか、もしくは最初から受験しないからだ。従って、採用された範囲内で「まともな教員」と認知される場合、彼らの集合は(願書から当該項目が削除されていない場合)総て少なくとも一度は受験時点で踏み絵の経験がある事になる。
 よって、記事中の女性が「問題ない」と思うのは当然であろう。~なお、臨時免許の交付件数に関する十年前の新聞記事は下記リンクに掲載した通り(画像をクリックすれば拡大↓)。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_p_416.html
 参考までに、今年あった話題はコチラ(↓)。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_pr_490.html



8【再掲】「俺妹」受難曲05 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/15 (Mon) 22:04:57

【再掲】「俺妹」受難曲05
7875 余談or愚痴。(No.7870補記) 苹@泥酔 2010/12/02 01:56

(以下、追憶。)
 …臨時免許や教員採用試験については、これまで何度も言及してきた。
 無意識の司る日常には、個人レベルも社会レベルも分け隔てなく不可避に、一般には「当たり前」と呼ばれる類の盲点がある。青森県で通用する事が東京で通用しないとは考えにくいし、そのまた逆の思い込みもあるだろう。例えば青森で私立を「お受験」するとなれば、それこそ「金持ちぶりやがって、お高くとまりやがって」の謂か、もしくは余りに現実離れした話なのでピンと来ない筈。辛うじて青森に「お受験」が通用するとしたら弘前の一部地域、私立でなく国立の付属あたりになるのかしら。にもかかわらず情報は概ね都会から発信され、それが当たり前の様に津々浦々へと浸透する。
 東京で通用する事を青森に持ち込む余地はまだたっぷりと残っている。尤も「お受験」を持ち込むには莫大な費用がかかるし、そもそもニーズ自体がない。それと違って「教わる側」でなく「教える側」の、例えば「教員採用試験の廃止」なら今すぐにでも実行できる。たった一言、こう宣言すればよいのだ。「これまで本県では数十年に一度のペースで一部の教員採用試験を実施して参りましたが、いつ実施するか分からない試験に無駄な期待を持たせるのは逆に人的資源の浪費へ繋がると考え、正式に廃止を決定いたしました。」
 そもそも青森県の教員社会には、「教員採用試験を実施しなくても、教員採用試験を受験する事ができる」という面白い常識がある。私は頭がよくないため「どうやったら実施されない試験を受験できるのか」と怪訝に思うが、どうやら総ての教員が表向き納得しているらしいので問題はない模様。書道の試験が実施されないなら国語で受験すればよい。家庭の試験がないなら別の教科で受験すればよい。試験を実施しないのが悪いのではなく、受験しない方が悪い事になるらしい。平たく云うと、臨機応変な転向努力を怠る人間は「潰しが利かない」から無用なのである。教育に学問の専門家は必要ない。
 それと同じ理屈に徹すれば、国語や体育の試験を廃止しても全く問題はなかろう。
 国語が生まれたのは明治時代である。それまで日本に国語はなかった。また国語の前提には文語から口語への移行すなわち言文一致改革があり、その中には国語廃止への流れも含まれる。嘗て前島密は「漢字御廃止之議」を、森有礼は英語採用論を提唱した。そうした流れを踏まえれば、英語教員採用試験の合格者が国語の授業を担当すればよいのであって、なにもわざわざ国語専門の試験選抜を実施する必要はないのである。~他方、体育の場合は通常の教員採用試験とスポーツ特別選考がある。これも一本化するか、もしくは他教科の教員に担当させればよい。そのために臨時免許制度が活用されている。
 教員免許更新制度は今どうなっているのだろうか。正規の免許所有者が対象なのは分かるが、臨時免許には対応しているのだろうか。そもそも教員が担当科目(採用科目に非ず)の正式な教員免許を持っているとは限らない。それどころか現場には、正式の免許を持つ「うるさ型」の教員を疎ましく思う傾向がある。そこで通常は正規免許の質的低下を期待して、正規免許所有者の正規雇用を阻む方式や、他教科の教員免許を主と見なして副免許を相対的に軽視する手法が採られたりする。

 見方次第では別の解釈もできる。国語の枠組みで書道教員を採用するのは、書道の抱える古典的言語領域を国語に取り込む意図があるからではないかと(その代わり実技や専科試験は完全免除だけど)。…で、実際に授業してみたところ、その可能性はない事が判明した。青森県の教育管轄組織では当初から基本的に、書道担当教員の実技レベル維持には関知しない事になっているらしい。
 念のため、旧稿で列挙した証言例を再録して置く。「教育に芸術は必要ない」(佐藤信隆)、「書道は芸術ではない」(金澤道生)、「書道の教員採用試験は実施されない事になっている」「私は授業を見ない主義だ」(横山泰久)等々、どれも当時または後に教頭、校長、市教育長となった教育界の重鎮達から教わった事である。…先程「実技レベル維持には関知しない」と書いたが、たまには管理職らしく指導をする。低いレベルを維持するだけならそれなりに指導を黙認するが、レベルの向上となると断固、容認しない。生徒全員が平仮名を読める様にした時の「読めないものは教えるな」(横山泰久)が典型的である。また苹の作った定期考査問題は、彼らにとっては容認できないほど難しかったらしい。~試しに、当時のと似たレベルの出題を例示してみる(↓)。
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>カントの三大批判を語群から選べ。
> a.唯物論と経験批判論  b.意志と表象としての世界  c.判断力批判
> d.純粋経験批判  e.精神現象論  f.実践理性批判  g.反時代的考察
> h.デカルト的省察  i.存在と時間  j.純粋理性批判  k.イデーン
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 取り敢えず「批判」と付くのを選べば候補は半減する。初めから学んでいないものは除外すればよい。学んだものから出題すべきだと思う人は毎年、国語や英語の大学入試問題を見て「そんな文章は授業でやってない」と難詰し続けるのが宜しかろう。
 これが「王羲之の書を三つ」ならどうなるか。語群は…そう、例えば孟法師碑、蘭亭叙、九成宮醴泉銘、雁塔聖教序、黄州寒食詩巻、皇甫誕碑、集王聖教序、風信帖、十七帖、孔子廟堂碑、蜀素帖とか。そこに図版が絡み付く。時には図版の中に「そのものズバリ」の人名が出てくるケースさえある(「羲之頓首」など)。初めて見る人は難しいと思うだろうが、そもそも高校教科書に出てくる人名・古典名は「書道Ⅰ」から「書道Ⅲ」まで総て金太郎飴みたいなものなのだから、このレベルで逡巡する様では先が思いやられる。
 皇甫誕碑も九成宮醴泉銘も同じ欧陽詢の書風なのだから、それらを一括りに理解できない様では鑑賞もへったくれもない。そこには勿論、読めないまま放置する=字を認識できない状態で猿真似させる弊害もあろう。中国語や漢文として読めるレベルまでは要求しない。字を字として認識できないレベルに生徒の理解力を抑止する教育慣行を問題視しているのだ。私が書道レベルに於て「読める」と表現しているのは精々その程度なのだが、読みやすい模範的古典と読みにくい古文書を混同する連中とは話が全く通じない。中には書字の漢字と仮名を区別できないらしき英語教員も居て、その人は苹の仮名読解重視授業に当て付けての事だろうか、「中国に行けばいい」と軽口を叩いていた。
 同様の体験をした先生(非常勤講師や部活顧問を含む)は日本全国にゴマンと居るだろう。戦後だけではない。戦前から続く話である。

「俺妹」其二

苹@泥酔

2020/05/06 (Wed) 20:56:27

 投稿禁止ワードには「・」を挿入する。



8【再掲】「俺妹」受難曲06 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/15 (Mon) 22:09:05

【再掲】「俺妹」受難曲06
7876 (続)余談or愚痴。 苹@泥酔 2010/12/04 20:54

 もう少し続けとくか…。ただし構想自体はこちら(↓)から始まるツリーの中身と重複するけど。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=7743&range=1
 書道には大概、「へえ、どこの流派?」との条件反射が付き纏う。流派バラバラなのが当たり前で、また傍目にも分からないのが当たり前だと。それが「分かる様に教えてはいけない」との感覚に繋がる。つまり現場ではNo.7861で引用した様な、「担当教諭は前にいながらも、書道塾に通っている子を次々に指名しては、「今日は**が先生役!」で過ぎていった、いいようのない六年間」の方が「まともな教員」に相応しいのであって、現場の先生すなわち「教育の専門家」から見れば、非常識な事を教える大学教官はバカなのだぁ。(教職員の忘年会か何かの飲み会では、口々に「大学教官は現場を知らないバカだ」と不満を漏らしていた。)
 大学の書道教員養成カリキュラムでは表向き、流派の壁には拘らないらしい。どの流派にも共通する基礎があるからなのだろうが、現場の他科教員から見れば、その基礎自体が不要なのだ。…考えてもみろや。例えば流派Aと流派Bに共通の基礎があったら、基礎指導した時点で流派の区別がつかなくなってしまうではないか。しかも、この基礎ってやつが書道らしくない。人名や古典名は歴史の領分だし、可読性は国語の領分だろ。あたしゃ音楽の先生から指摘された事がある。「お前のやっている事は書道でなく書道史だろ」ってね(「だからヤメロ」って意味らしい)。…あたしゃハタと気が付いた。そう云えば義務教育では書道と書写との区別がやかましい反面、それらの陰に国語や歴史知識が埋もれていたのを。先ず埋もれた基礎を除外して、書道と書写の違いを基礎化して、そこから事を始める。
 思いっきり単純化すると、書道が表現芸術であるのに対して、書写は字を整えて書く事である。読む事を含まないから国語ではないし、時系列的知識を含まないから歴史でもない。かてて加えて書道は書写でもない。すると必然的に、書道では国語でも歴史でも書写でもない領分としての範囲内で基礎指導する事が期待されてくる。私が基礎と思い込んでいる内容を総て排除した上で、新たに基礎を抽出(捏造?)する必要が出てくる。
 この理屈が分からない大学教官こそ、バカなのだ。私は教わった事がない。読めないまま、歴史を知らないまま、純粋表現としての書道を教える上での基礎とは何かを。…高教研で一度、「基礎って何ですか?」と訪ねてみた事がある。あの時の相手は宮澤正明先生だったかな(違う人かも?)、返事は「自分で考えろ」だった。これに懲りて以後、バカバカしくも今なお自分で考え続けている。
 念のため強調して置く。これは「まともな教員」になるための踏み絵なのだ。否定は許されない。そんな事をしたら「あんた、管理職に逆らうのかね」でチョン。初めから採用されないってば。中には「採用されてからものを言え」と思う向きもあるだろうが、それって果たして通用するのかね(比較例↓)。
・「社民党から出馬したら当選した。政権に参画した。そこで離党したらどうなるか。」
・「教員社会に準拠したら採用試験合格した。授業した。そこで教員社会に通用しない事を教えたらどうなるか。」
 ここで一つラヴコール。田嶋陽子さぁぁん♪、辻元清美さぁぁん♪(註/冗談です。)

 閑話休題。…少し視点をずらそう。
 見方次第では過去と未来から現在を保守防衛する責務を担う、日本最大の超越的右翼組織が教育界である。従って「現在」が変われば彼らは「変わった後の現在」を保守する事になり、また流動性を保ったままの自己変容義務が生じる結果、右も左もノンポリも思想もなくなる。つまり稍や大袈裟に言い換えると、ドゥルーズ達の云う国家装置や戦争機械などに比肩し得るレベルの純然たる遊牧的「保守機械」が教育界なのである。そして青森県が実施している様な「書家による代理教育慣行」も当然その一環にある。
 嘗て稽古システムを差配してきた師匠達は後に書家と呼ばれる様になったが、継承されたのは概ね技術的側面を中心とする競争であり、それ以外の~例えば漢学などの古めかしい要素は国語側に分岐して行った。こうした事情を踏まえて回顧していただきたい。
 スレッド表示すれば瞭然な通り、本稿は書道漫画「とめはねっ!」を中心とした話題に連ねている。…原作単行本を読むと、今のところ書道の授業場面は出てこない。或る意味では賢明な描写だと思う。授業では出来ない(?)かも知れない指導が、課外活動~部活動など~では可能になるからだ。そうした有様を念頭に置いて、No.7743では同情交々こう書いた(↓)。
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> 地域の教育界が特定の組合と癒着するのは日常茶飯事である。だから或る地域で先生になりたい人は、その地域の教員が多く属している組合に入ればよい。組合は学校外で活動するが、学校内でも活動できる(勧誘機能の面では部活動が主で授業が従)。従って組合の活動費は生徒~ひいては保護者からも徴収できる。生徒は組合の機関誌を購読して勉強する事になるが、地域で自前の機関誌を発行するのは手間がかかるので、上部組織もしくは提携組織たる組合の発行する機関誌を使う例が少なくない。そして通常、部活動では文部科学省の検定済み教科書を使わない。
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 ここでは流派を組合と言い換えてあるが、元々は免疫的補正システムとしての在り方に興味がある。巷間取り沙汰される「日教組による暴走」の類が「教育委員会の無力」と大差ない点では、どちらか一方を難詰する気が自ずと失せるのも致し方なかろう。

 …「見立て」の一例。
 今日の産経記事(↓)を読んだところ、私には学習指導要領が、だんだん学問教育上の不平等条約に思えてきた。~念のため追記する。私はあれこれ観察した結果、もはや学校を学問教育の場とは見なしていない。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101204/plc1012040242007-n1.htm
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>【土・日曜日に書く】論説委員・石川水穂 NPTに不安抱いた三島氏
>2010.12.4 02:42
>  ◆憂国忌で西尾氏が指摘
> 40年前、東京・市谷の自衛隊駐屯地で自決した作家、三島由紀夫氏を追悼する「憂国忌」が先月25日、東京・九段会館で開かれた。鎮魂祭に続いて行われたシンポジウム「日本はどこまで堕落するのか」で、三島事件と核問題の関連に言及した評論家、西尾幹二氏の発言が注目された。
> 西尾氏が着目したのは、三島氏が自決前に撒(ま)いた檄文(げきぶん)の次のくだりである。
> 「国家百年の大計にかかはる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかはらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかつた。沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年のうちに自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう」
> 「核停条約」は、三島事件の9カ月前の昭和45(1970)年2月に当時の佐藤栄作内閣が署名した核拡散防止条約(NPT)のことだ。「不平等条約」は、1922(大正11)年のワシントン会議で、日本の海軍主力艦の保有率が米国や英国の5分の3に制限された軍縮条約を指している。
> 西尾氏は「檄文には、NPT体制に対する三島さんの不安がはっきり書かれている」「NPTを不平等条約とみなした三島さんはリアリストだった」と指摘した。
>
> ◆佐藤内閣は非核を選択
> 中国が核実験を行った1964(昭和39)年以降、日本は核問題で選択を迫られた。政府・自民党の中には、「日本も核を持つべきだ」という意見もあったが、佐藤内閣は非核の道を選んだ。
> 佐藤首相は昭和42年12月の衆院予算委員会で、翌年の小笠原返還に関し、「核兵器は保有しない、製造しない、持ち込まない」と非核三原則を表明した。首相は44年3月の参院予算委員会でも、沖縄返還をめぐり「“核抜き”で米と折衝する」と答弁した。
> だが、日本と同じ敗戦国の旧西ドイツは米国の核を積極的に受け入れた。旧ソ連圏の東ドイツと国境を接し、間近でソ連の核の脅威にさらされていたためだ。
> 西尾氏は最近の北東アジア情勢にも言及し、「非核三原則の中の『核を持ち込ませず』は大きな間違いではなかったか。『今すぐ核を作れ、持て』と言わないが、米の核持ち込みは認めるべきではないか」と問題提起した。
> シンポジウムでは、他のパネリストからも有意義な提案が行われた。評論家の井尻千男氏は「古い冷戦は終わったが、北東アジアでは新しい冷戦が始まっている。自主憲法制定が必要だ」と訴えた。遠藤浩一・拓殖大教授も「憲法改正と平成の保守合同」の必要性を強調した。
> 憂国忌の後も、昭和40年代に日本で核論議が行われていたことを示す資料が相次ぎ発表された。
> 先月26日に公開された外交文書によれば、ライシャワー元駐日米国大使は昭和44年11月の日米首脳会談に先立ち、日米安保条約が破棄された場合、「日本は自衛力増強を余儀なくされ、5年以内に核武装するに至るだろう」と日本側に警告していた。
> 29日には、44年2月、日本の外務省幹部と旧西ドイツの政府高官が神奈川・箱根で、日本の将来の核保有の可能性について協議した事実が明らかにされた。
> 佐藤栄作氏は政界引退後の49年、非核三原則やNPT調印などが評価され、ノーベル平和賞を受賞した。佐藤首相の選択が本当に正しかったか否かは今後も検証が必要だろう。
>
> ◆中朝の核脅威が深刻化
> 憂国忌のシンポジウムで各パネリストが指摘したように、北東アジア情勢は40年代と様変わりしている。
> 中国の国防費は21年連続で2ケタの伸びを続け、海軍力の増強に加え、日本に照準を合わせた中距離核ミサイルを配備している。北朝鮮は弾道ミサイル発射や核実験を繰り返し、韓国・延坪(ヨンピョン)島への砲撃以降、日本全土を射程におさめたミサイルの発射準備を進めているとも伝えられる。
> 米ソ冷戦時代の昭和31年、当時の鳩山一郎首相は日本を核攻撃から守るための敵基地先制攻撃の可否について、こう答弁した。
> 「座して自滅を待つことが憲法の主旨ではない。誘導弾(ミサイル)等による攻撃を防御するのに他に手段がない場合、誘導弾等の基地をたたくことは、自衛の範囲に含まれる」
> 菅直人政権は非核三原則の見直しを含め、中国や北朝鮮の核から日本の国民と国土をいかに守るかの具体策の検討を、早急に始めるべきだ。(いしかわ みずほ)
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8【再掲】「俺妹」受難曲07 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/15 (Mon) 22:13:25

【再掲】「俺妹」受難曲07
7878 (続々)余談or愚痴。 苹@泥酔 2010/12/08 00:22

「なんだ、精々その程度の愚痴か。」
 …そんな幻聴が予感される。前稿(No.7876)で「読めないまま、歴史を知らないまま、純粋表現としての書道を教える上での基礎とは何か」と書いた。或いはここで踏み留まって置けばよかったかも知れないのに、あたしゃ見方次第では変な方向にイッチャッテ、却って泥沼に填る事となる。その辺についても書いとかないと片手落ちになるだろう。(書く必要はなさそうにも思えるが、失敗例として受け止める余地くらいはあってもよい?)
 あらためて、前稿のそれを言い換える。~「読めなくてもよく、歴史を知らなくてもよい、純粋表現としての書道を教える上での基礎とは何か。」

 書道Ⅰの最初の単元で、先ず楷書をやった。
 墨は磨らせなかった(前にも書いたが)。授業時間が勿体ない。でも墨液そのままでは使わせたくない。そこで練墨(薄めて使う濃縮墨液の事ね)を紫紺系や茶紫系や青系など各色ズラリと並べ、生徒各々が気分や試み次第で自由選択できる様にした。因みにブツは書道選択者全員の共同購入扱いで、業者をヒイヒイ苦しめて安く仕入れた。紙も墨も使い放題である(怠けて使わないと損をする)。~この件では購買部の担当教員を含む先生方多数から反感を買ったが、売値と仕入れ値の差額が後援会の予算に組み込まれる事などの事情アレコレは取り敢えず省略しとく…(汗)。
 最初に墨は薄めて使う事を説明してから準備する訳だが、のっけから字は書かせない。少しだけ水墨画をやらせる。題材は墨竹。竹の幹の描き方と楷書との類似性を導入部で利用するのが目的であり、墨の前に先ず水を意識させた。これは昭和五十年代のNHK「書道に親しむ」で、筑波大の今井凌雪先生から学んだ手口である。あの番組で先生は筆に水した後に墨した。すると立体感が出た。淡墨表現では潤渇を意識せざるを得ない。しかも昭和五十年代と云えば当方、最新刊の榊莫山『文房四宝』四冊(角川書店)に魅了された頃である。あの本に載ったブツが手当たり次第に欲しくなった。唐筆の精品玉蘭蕊は当時\13,800、蘭蕊羊毫は\13,000、紅星牌の四尺単宣は\26,000だった。昭和六十年代に同じ単宣が八千円で買える様になるとは思いも寄らなかった(ブツの価格変動を見て先物ヘッジの手口を模索しなかったのは、単に苹が無能だったから)。
 そんなこんなで楷書の授業に入り、ちと非常識なすっ飛ばし方(古典選択制)を取り入れた後で半切1/2サイズ(すぐ後に半切サイズへ移行)に最初の清書をさせる訳だが、この頃は誰もがまだ新鮮な気分を維持しているためか、濃墨から淡墨まで様々な清書の工夫が見られる。尤も、練習前の示範では様々な書風で書き分けた。逆入平出や廻腕法で造像記の臨書をして見せた時はそれなりに驚いていた模様。(その後、行書単元を経て仮名単元に移ると一転、生徒達は途端に「読む」授業で苦吟(?)する事となる。)

 水墨画は後の授業(書道Ⅱ)でも蒸し返した。そもそもの動機は前稿で書いたアレである。絵画絡みなら字に拘らなくてもよかろうと思った。なにしろ書画一致論の裏付けもある事だし。しかしそこには西洋芸術の視点がない。文字性を顧慮しない表現で東洋的に模索しても、西洋芸術の信奉者達には通用しないのではなかろうか。
 そこから先が泥沼でござる。
 書道Ⅱの授業で補助資料として使った記憶のあるテクストの一つに、国安洋『〈藝術〉の終焉』(春秋社)がある。成績評価とは無関係の単なる読書課題だが(一冊全部じゃないよ…P.17以降数頁分のプリントだよ)、それにしては音楽や美術と同じ「芸術科目」の枠組みでの扱いが些か難儀ではある。所詮はミメーシス(模倣)やテクネー(技術)の位置付けを整理するための資料提供でしかない。単純に「書は人だから技巧など二の次」と押し切る向きの少なくない書道に於ては就中、至極アッサリと「藝術に固有の表現と日常生活での表現との違いを無視すると「藝術は難しくない。感じたことをそのまま直接表現すればよい」と言うことになってしまう」(P.22)からだ。これは双方向的意味で危険である。確かに日常書記は難しくなかった。芸術表現も難しいとは限らない。それらが共に「難しくなった」からこそ危険なのである。描写対象としての自然を有しない言語芸術の弱味が逆手に取られる。
 この本は今なら別の面でも役立つだろう。第五章の題は「「パフォーマンス」としての藝術」であり、本文には「パフォーマンスは技術社会に対する反抗の表明であると考えることも出来る」(P.260)、「ハプニングは成果を残さない。その場で演じられる行為がすべてである」(P.263)、「しかし、それ以上に重要なことは、ミニマル的なイヴェントやパフォーマンスに見られるように、意味作用の剥奪を超えて無意味が昇任されていることである」(P.271)などの記述がある。~先日は青森でも、遂に各校の書道パフォーマンスが披露されたそうな(高総文書道部門東青地区展、2010.12.04~5)。これから各地で盛んになるだろう。中には小学生を対象に、かの武田双雲氏を招いて教えて貰った所もあるそうな。
 こう書くと、「その何が悪い?」と思う人が少なからず出るだろう。書道を含め、芸術の無意味をも芸術活動の一環に取り込む事は、後に弘前市教育長となった先生が明言した「教育に芸術は必要ない」とする姿勢に直結するからだ。これを教育界のニヒリズムと見なしてよいのか苹自身は戸惑いを覚えるけれども、少なくとも学習指導要領が無効化へと向かっている事実はありのまま認識してよい。しかも今は朝鮮学校による反日教育が公的に承認(黙認?)されつつある時代である。大袈裟に云うなら、これを中国ルートで懐柔しない手はあるまい。書道を媒介した中国賛美教育を学校教育活動の一環に取り込む場合、パフォーマンスに伴う自己否定は教育活動の正当化と飽和を同時に実現する上で役立つだろう。

 東洋側の可読性や歴史を相対化した上で西洋中心の芸術について調べると、時には稍や不都合とも思える事情が浮かび上がる事もある。お次のネタは『講座 美学』全五巻(東京大学出版会)や佐々木健一『美学辞典』(同)。後者で「芸術」の項目(P.31~)を見ると、「芸術の貴賤」の段に書かれてある自由学芸と熟練的技術との落差が痛々しい。
 支那の場合、芸術は西洋で云うところの自由学芸にも似た高みから予め発展している。西洋が熟練的技術の領分を芸術的に高めていったのに比べると、初めから士大夫の高踏性に依存していた琴棊書画の在り方は日本で道徳性共々いっそう過激な高みへと向かいつつも、支那と違って民間へと円滑に降りていった。そうした意味では経路が正反対である。近代西洋文化を盲信する側から見れば、初めから高踏的だった東洋芸術は或る意味、ありのまま高踏的であり続ける事を許されなかったのかも知れない。この事はおそらく、個人主義の輸入事情とも関わりがある。支那の個人主義は西洋のそれと異なり、道徳性の枠組み自体が所々あちらとも日本側とも相容れなかったりする模様。
 さりとて当然、道徳性にも色々しがらみはある。~先日『WiLL』2011.1号を買ってきた。見るとP.214~215に、こんな事が書いてあった(渡部昇一と宮脇淳子の対談↓)。
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>渡部 戦前は「支那学」と呼んでいたんですよね。中国に阿ったのであれば、戦後の学者が腰抜けだということになります。私は定義として最初に「通史としての“中国”はありません」と断ったうえで書くようにしています。
> ところで、「シナ大陸通史」を研究している人はいないのですか。
>宮脇 通史をやると、相当の大御所でないかぎり、学界では「お前はそんなに偉いのか」と言われます。功なり名遂げた人が最後にやる仕事であって、そうでない人は手を出せないという暗黙の了解があるんです。
> たとえば、宋代史研究者であれば宋だけ。清代史研究者であれば清だけ。満洲はここに入りません。近現代史は辛亥革命以降しかやらない。割り振ったらあとはお互いの領分には口出ししないという、タテ割りになっているのです。
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 この手の「研究道徳」(?)は書道界でも色濃い。書家が学者の様に振る舞うのは僭越だと自己規制するかの様に、また書家同士の上下関係や地位・勢力関係に配慮が欠かせなくなるがごとく、傍目にはどうでもよさそうな(?)分相応の縄張り意識が関与する。それを稽古意識の延長(?)で学校に持ち込むと、今度は外野の方から「学校で教えるのは書道教員でなく書家であるべき」とするかの様な「高踏性への憧憬」がそれとなく期待されているかの様にも見えてくる。
 おそらく学校は、何処の馬の骨とも分からぬ(=書流観念に於て精神分裂的な)書道教員を排除して、書家の権威イメージを利用したい(=書流におけるアイデンティティを保守したい?)。片や書道教員は有象無象の書家と混同されたくない。そこに所謂「合成の誤謬」が生臭くも成立する。

 扨て。
「読めなくてもよく、歴史を知らなくてもよい、純粋表現としての書道を教える上での基礎とは何か。」
 そんな書道は、果たして書道と云えるのか。芸術学に手を出そうと何をしようと、「お前のやっている事は書道でなく書道史だろ」式の批判を免れない点では所詮「焼き直し」に過ぎないではないか。そもそも傍目にはステロタイプの書道イメージがあって、巷間のイメージ通りでないものは既に書道ではない。仮に「純粋表現としての書道」が無理筋もしくは無意味であるなら、残る条件はどのみち「読めなくてもよく、歴史を知らなくてもよい」去勢状態へと帰結するだろう。書道野郎の前にぶら下げた餌が罠である事に変わりはない。食い付く野郎はいったん可読性や歴史から離れる。餌が消化された後はただ一言、「それは糞だ」と突き放してやればよい。糞の身になって餌を思えば食欲はたちどころに失せる。そんなところに罠の美学があってもおかしくはあるまい。



8【再掲】「俺妹」受難曲08 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/15 (Mon) 22:16:21

【再掲】「俺妹」受難曲08
7889 【年が明けても】訂正&改題布告【ネタは引きずる】 苹@泥酔 2011/01/03 14:54

 謹賀新年。管理人の蘭様に閲覧者の皆様、今年も宜敷お願いね。(蘭様のブログ「天才バカ板」はこちら↓)
http://blog.goo.ne.jp/midnight-run_2007/

●No.7878訂正
 以下は「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」3173号(2010.12.25付)より。
http://www.melma.com/backnumber_45206_5061904/
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> 97年、返還前の香港では人民元の交換ができる両替商は限られていた。誰も人民元をハ・ー・ド・カレンシーとは認定しておらず、香港ドルが主流で、ドル、ポンド、円の時代。その僅か4年前の1993年に、外貨兌換券を廃止し、つまり二重通貨制をやめて、人民元に一元化、国際的に通用できるカレンシーを目指した。(それまでは外国人は普通の人民元で買い物ができず外国人だけがつかえる「兌換券」をあてがわれた。交換レートは強制レート、だからあの時代の中国の物価は意外と高かった)。
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 …そう、昔は確かに高かった。世紀末には一万円前後で買えたレベルの新端渓宋坑硯が、昭和五十年代後半に買った時は四万円以上した。たとい間に業者のボッタクリが絡んでいたとしても、そればかりが原因ではなかったのだろう。
 先日No.7878で昭和五十年代を回想し、「紅星牌の四尺単宣は\26,000だった。昭和六十年代に同じ単宣が八千円で買える様になるとは思いも寄らなかった」と書いた。~ここで云う「昭和六十年代」の記憶には、どうやら若干のズレがあったらしい。或いは西暦で云うところの1990年代初頭を指していたのかも知れぬ。…ともかく、安くなってからは高校生に清書用の紅星牌単宣を使わせていた(練習用は国産の機械漉きだったと記憶)。また希望する生徒には、苹のポケットマネーで買い置きしてある「五紫五羊」や「写巻小楷」などの小筆(\250前後)を購入価格そのままで転売した。
 芸術新聞社の『墨』208号P.88によると、手島右卿は弟子の小林抱牛に「筆を売る行為はするな」と厳命したそうな。~因みに苹が教職にあった当時、近所の文具店に並ぶ小筆は和筆ばかりで、安いものは五百円くらいだった。高いものは千五百円程度、別の店には三千円以上する小筆もあった。高価な筆を使いたい生徒は何を使ってもよい。ただし筆は消耗品。いかれた小筆で般若心経や仮名の清書を提出するのは論外なり。成績評価上の自殺行為でござる。
 あたしゃ筆は絶対に通信販売では買わない。当時は車を飛ばして隣県の専門店に行き、現物確認した上で纏めて買った。特に中国製はそう。例えば同じ銘柄でも上海工芸のと蘇州湖筆廠のとでは、その時々で筆の出来が違う。偶々見かけた栗成筆荘「特製双料写巻」(当時\350)の出来映えに驚嘆したりするから現物確認はやめられない。大抵は榊莫山の本で学んだ通り十本以上買うが、出来のよい筆だと「あと五十本は買っときゃよかった」などと後悔する事もあった。
 …と書いてたら余計な事まで思い出しちまった。あれは昭和五十八年頃だったと思うが、通信販売で中国製の小筆を五十本か百本の単位で買ったら最悪の出来だった。これは今も手元にある。そんなもん他人に転売するのは良心が咎めるし、かと云って捨てるのも勿体ない。筆の神様(?)に叱られちまう。
 新年早々、あたしゃ何を思い出しているのやら(嘆)。

●No.7870~7878の改題について
 この際、布告する。
 予定外に長くなったので、近稿を下記タイトルの各話として扱う事にする。…と決めたところ、脳内二次元に棲まう妹が「そこまでするんなら続き書かせてあげるわよ、感謝しなさいよねっ!」と申して居ります。(なんのこっちゃ)
・No.7870「俺の妹が書家になりたいわけがない(第1話)」=「実技と鑑賞(No.7861補記)」
・No.7875「俺の妹が書家になりたいわけがない(第2話)」=「余談or愚痴。(No.7870補記)」
・No.7876「俺の妹が書家になりたいわけがない(第3話)」=「(続)余談or愚痴。」
・No.7878「俺の妹が書家になりたいわけがない(第4話)」=「(続々)余談or愚痴。」
(↑の元ネタが分からない人はこちらを参照↓)
http://www.oreimo-anime.com/
 …要するに本稿では、取り敢えず書道そのものをエロゲー並み(?)のヲタ趣味と見なしている訳である。学校内外から漂う、あの空気/偏見(?)の正体とは何だろうかと、苹は泥酔中もシャツをズボンにインしながら平生しつこく考え続けているのであった。
 ただしBS11での元ネタは元旦に放送終了。いっそ新番組をネタに、「お書家先生の~」もしくは「お爺ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!」にしようかとも考えたが、全然しっくり来なかったので半月前からの構想通りとする。



8【再掲】「俺妹」受難曲09 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/15 (Mon) 22:21:50

【再掲】「俺妹」受難曲09
7896 俺の妹が書家になりたいわけがない(第5話) 苹@泥酔 2011/01/07 20:35

 何をねちねち、昔話ばかり書いとるんだ…と思う人が相当数にのぼるだろう事は容易に想像できる。確かに苹は十年以上前の事ばかり書いておる。それも青森という田舎の実話が少なからず、登場人物には物故者や現役引退組が大勢いる。第一「今の話は出来ないのか」と云われても苹自身が既に引退しているので、踏み込めない面は多い。
 今の話と云えば…この師走(2010.12.18)、長く青森高校で教鞭を執った遠藤雨山先生が死去したそうな。翠心会(千紫会から分派した、鈴木翠軒系の社中)や雨声会(翠心会の会長だった宮川翠雨の地元、青森の社中)の会長で、読売書法展の審査員などを務めた。この場を借りて合掌。(苹が約十年ぶりに顔を出せば迷惑となる虞があるので、お宅への弔問はしないし、例年通り雨声会書作展にも行かない。)
 云うまでもなく、過去と現在は繋がっている。年月が経過したからと云って、さほど変化がある訳ではない。宮川翠雨が去って約二十五年、今度は遠藤雨山が去ったが青森の翠軒流は残っている。代替わりはするが屋台骨は残る。~宮川翠雨が青森高校で教えていた頃、教え子の一人に寺山修司が居た。近年では秋葉原無差別殺人犯の出身校として知られたり(?)はしたものの、県内進学校御三家の地位や、官公庁などの県内エリートに青森高校出身者が少なくない構造はさして変わるまい。

 半年ほど前、苹の身辺に異変があった。某県立高校に芸術科書道の空きがあるので、臨時講師をやらないかという話だった。その顛末は念のため、「西尾幹二のインターネット日録」管理人様のブログでコメント欄に書き込んである(↓)。多くは表示稿だが、中には非表示稿もある。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-932.html#comment
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-924.html#comment
 必ずしも悪い話ではない筈だが、最初の電話があった時から、訝しむには充分な不自然さがあった。…なんでも、こんな条件があるそうな。「難しい事はやらない事。定期考査をやらない事。」(ここで~最近のではNo.7875稿やNo.7878稿を参照されたし。)
 これを聞いた瞬間、苹は警戒モード(戦闘モード?)に入った。如何にして苹の目的を達成するか。なるべく相手を怒らせない。断るとしたら苹側でなく相手側であらねば。最前線(電話相手)は苹の弱味そのもの、すなわち恩師である。その恩師が知らない筈の事を「恩師を相手に」話題としてはいけない。
 …で、当時こんなのを書いたりもした訳だ(↓)。
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> …うわっ、またスパムコメントと判定されちまった(汗)。今度は何が原因かな。取り敢えず分割投稿してみよう(↓)。
>
> 以下余談。その後の話を非表示で。
> こちらにゴチャゴチャ記録しといてよかったのかしら。なんとなく迷惑かけた気がするんで、この際、輪をかけてキッチリ書いときます。
> 先日「2010/06/11 21:00」のコメントで、支援板のカウンターについて書きました。どうやら図星の可能性が高い様です。「県教育庁教職員課のニワ」氏によると、タイムリミットが「6/28前後」の授業開始で、或いは可能なら、その前から出て来て欲しいとやら。因みに本日金曜の段階で、渦中(?)にある筈の弘前工業高校長からは予想通り音沙汰アリマセンです、ハイ。
> そもそも最初に恩師が話を持ち込んできた時からおかしかったんだよなあ。こちらの近所の高校も手配できるとか、その場合は非常勤講師になるだろうとか、臨時講師で行ける高校もあるけど「余計な希望は出すな」とか。そんなムチャクチャな柔軟性なんか、県教育庁にあるものかい。第一そんなに困ってるなら、最初から書道の教員採用試験を実施すればええじゃないか。
> 高校家庭科教員採用試験騒動の後は参院選突入。片や苹の方は、天バカ板にて組合への見立て話をダラダラ書いてる最中。あたしゃ多分、何か得体の知れぬものに巻き込まれたと見るのが妥当な所でしょう。
> 念のため、正確を期します。苹が支援板を閲覧した時のカウンターは以下の数値。東京支部板にNo.494稿を出した日付から始めます。
>【2010/06/25 21:38】 | # [ 編集]
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 東京支部板に出したNo.494稿とは、高校家庭科教員採用試験に関する新聞記事の画像投稿を指す(↓)。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_pr_490.html
 これを承けてネット対策に乗り出したのだとしたら、地方各界のディフェンス能力は青森高校の卒業生と同じくらい優秀って事になるのだろう。そうでなければ、当時既に一年以上「死に板」となっていた支援板のカウンターが一日に何百件も回る筈がない。
 なお、こちら天バカ板での「見立て話」とは、No.7743に始まるツリーを指す(↓)。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_tree?base=7743&range=1

 これが~「強いて云えば」の話にはなるものの、差し当たっては「今の話」となる。十年前と何も変わっていない。基礎指導すれば「難しいからヤメロ」となり、定期考査を実施すればワケワカラン圧力がかかる。所謂「ゆとり教育」時代だった当時の方針が、安倍政権下の教育基本法改正後の今も通用している事が明らかになった。つまり苹にとって、それなりの収穫はあった。私は必ずしも、まだ「時代遅れ」ではないらしい(苦笑)。
 …よくよく考えれば無理もない。日本語の改造を目指した明治以降、書道を内含する書字一般は「国語から追い出されゆく立場にあった」。それが今なお義務教育の国語科書写として(形骸化しつつも)生き残り、高校では芸術科書道として(伝統国語側から見た場合の)歪曲宣伝活動を義務化されているのは不自然じゃないのか。単に古典が「読めない」だけでは物足りないのか、「読める」事を念頭に置いている筈のパフォーマンス書道までもが、今では「萌える男の、赤いキャラクター」へと客体化しつつある(つまり観客が「書く」訳ではない事をも、二重に客体化するのである)。
 そもそも、教員養成系の大学教育が間違っている(以下は反語でござんす)。教員養成系であるという事は、学問教育とは無関係であるという事だ。義務教育と高校教育の現場に大学側が適応しなければなるまい。そこでは組織の論理に見合った教育が基準となるのに、大学側が勝手に真っ当な学問教育を施したらどうなってしまうのか。不適応教員が続出するだけではないか。大学卒業生の就職先たる学校が「書道は読めなくて当たり前」としているのだから、大学教育でもそれに準拠した「教員の卵」を育てるべきではないのか。つまり、大学生を「学校奴隷のバカ」に育てねばならぬのだ。さもなくば就職できないぞ。すぐクビになるぞ。その先を考えろ。勉強したい奴は所詮、自業自得なのだ。それが嫌なら勉強するな。勉強すればするほど就職できなくなるぞ。それでも勉強するほどの覚悟があるのかね。勉強させる事に躊躇を覚えないのかね。(この小段落は「苹@反日実験人格」モードでござる。学校準拠。それ以外は眼中にない。)

 「俺の妹が書家になりたいわけがない」…当たり前だ。書家でなくとも、教養が必要とされた時代があった。教養ある庶民や知識人が、書家になったり、ならなかったりした。総じて云えば、そうした庶民は畢竟、広義の「観客」なのである。その層の厚みが民度を裏付ける。わざわざ書展を見に行かずとも、手書きの百人一首をスラスラ読めたり、品位を味わう程度なら明敏な小学生にでも出来る。出来ないのは稽古の深奥のみ。そうした観客教育を歪曲する学校教育に、どれほどの意味があると?
 あれから半年を経た今日も、苹は繰り返し咀嚼する。「難しい事はやらない事。定期考査をやらない事。」~ならば私は、何を教えればよかったのだろうか。何を期待されたのだろうか。かの恩師は苹を推薦したと云う。恩師は苹の近来十年を知らなかったのかも知れない。そう思えばこそ、苹は苹なりに半年前を納得できるのであった。



8【再掲】「俺妹」受難曲10 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/15 (Mon) 22:26:35

【再掲】「俺妹」受難曲10
7912 【一部訂正】大袈裟に云えば「学閥の話」。 苹@泥酔 2011/01/31 22:42

 これでもせっせと、続きの「俺の妹が書家になりたいわけがない(第8話)」を書いているのだが、「第7話」に「追記」部分を挿入したら調子が狂ったと云うか、予定外に深入りしちまってると云うか…。話が脱線するのは今も昔も苹の悪い癖。そろそろ本線復帰せにゃー。
 そんなこんなで、余談でござる。~先ずは三年半前の古い記事。だから当然、とっくの昔にリンク切れ(↓)。
http://www.asahi.com/national/update/0524/SEB200705240012.html
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>>同窓会、仕事に選挙に「役立った」 高校モデルに分析 
>2007年05月24日17時58分
> 同窓会を、ビジネスや遊び相手探しなどのきっかけにするOBはどれくらいいるのか――。福岡県立修猷館高校(福岡市早良区)の同窓会を舞台にそんな調査をした筑波大大学院の黄順姫(ファン・スンヒー)教授(48)=教育社会学=が結果を分析し、本にまとめた。題して「同窓会の社会学」(世界思想社)。
> 黄教授は、九州大学の大学院生時代から、同校の教育や同窓会の役割に関心を持ち、92年から関係者のインタビューやアンケート調査などを繰り返してきた。
> 20~71歳の卒業生2000人を対象にしたアンケート(回答は721人)では、約6割の436人が「個人的に同窓生と集う」と答え、そのうちの4割が「半年に1回」は集まっていた。
> 音楽やゴルフなどの趣味を通じた付き合いも濃いようで、398人が同窓会関係で「一つ以上のグループ」を持っていた。インタビューでも、破産や離婚などの人生の危機を迎えた時の相談相手に「同窓生を選ぶ」と話したという。黄教授は「同窓生を裏切ることを不名誉と思う修猷館出身なら『信頼できるはずに違いない』という、過剰なまでの安心感が相互にあるようだ」とみている。
> そんな同窓意識は、仕事にも生かされているのか。
> アンケートに、「仕事で同窓会のネットワークを活用した」と答えた人が17.5%。175人は「仕事以外でも役立った」とし、そのうちの約2割が「選挙」を挙げた。一方で、「懇親を深める同窓会を利用するのはよくない」との声も目立ったという。
> 修猷館高校を通じて同窓会への思い入れの強さを知った黄教授は「日本的集団主義が揺らぐなかで退職期を迎える団塊の世代を中心に、ここ数年、同窓会の価値は見直されるのではないか」と予測している。
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http://f35.aaa.livedoor.jp/~masa/c-board358sp2c/c-board358sp2c/c-board.cgi?cmd=one;no=3136;id=
 …嘗て支援板の「地方主導の再幕府化(其二)」稿(↑)で、上記朝日記事を引用した。その事を思い出した契機が産経のコレ(↓)。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110123/stt11012307000032-n1.htm
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>長野高校卒じゃないッスけど、何か文句ありますか?
>2011.1.23 07:00 (1/4ページ)
> 「お客さん、どちらのご出身ですか?」。長野県に赴任して約1年2カ月。行きつけの飲み屋も何軒かできた。のれんを何度かくぐるうちに店のマスターや女将と顔なじみになってくると、冒頭のように出身地を尋ねられるのはどこでも同じように見られる光景だろう。
> だが、長野県の場合はちょっと事情が違う。もちろん「どちらのご出身ですか?」と聞かれるのは同じだが、長野県では、この出身という言葉は「どちらの高校の卒業生ですか?」ということを指すことが多い。
> 長野県に着任して日が浅いうちは、その辺の機敏が分からず、「生まれですか? 東北の山形ですよ」と精いっぱいの笑顔を浮かべて答えていたのだが、マスターや女将は「ふーん」とか「へぇー」とかと応じるだけで、会話がそのまま途切れてしまうことが多かった。
> 同業他社の支局長と会った機会に、このことを話すと「笠原さん、長野で『どこの出身ですか』と聞かれたら、それは『どちらの高校を卒業してますか』ということですよ。長野県人は、出身高校に異様にこだわりますからね」というアドバイスを受けた。
> 以来、飲み会などの会合では注意しているが、これまで赴任したことがある栃木県などと比べると、確かに長野県人の出身高校へのこだわりは強い。支局が長野市にあるため、会合は長野市内で開かれることが多い。このせいもあって、長野市内の高校やその近辺の高校のことが話題に上る。中でも圧倒的に多いのが県立長野高校だ。
> 長野高校は、平成21年に創立110周年を迎えた歴史を有する。高校のホームページによると、21年度の東大合格者は12人で、長野県内でも屈指の名門校として知られている。たまに顔を出す飲み屋の主人の一人が、長野高校の出身なのだが、もう60歳はとっくに過ぎているのに、母校の話題だけで延々2時間近くは店にやってきた同窓生としゃべっているときがある。
> 長野県では同じ高校の出身者だと分かると、親愛の情は増し、飲み会の会話も非常に盛り上げるようだ。知人の女性から聞いた話だが、ある飲み屋で自分の娘が長野県北の県立高校の出身だと、ふと漏らしたところ、注文をしていないおつまみがスッと出てきた。
> 不思議に思ってその訳を店の主人に尋ねると、「あちらのお客さんからです」との返答。たまたま、店に居合わせた客が娘さんと同じ高校の出身だったというのがその理由だ。
> 東京出身で今は長野県内に住んでいるこの女性は、長野県人の出身高校に対するこだわりの強さは聞いてはいたが、実際に自らが体験してしまったわけだ。この女性は「同じ高校の出身というだけで見ず知らずの人間にそんなことをするなんて。東京じゃ、あり得ない話ですよ!」と感嘆していた。
> しかし、長野県の高校とは縁もゆかりもない山形の県立高校を卒業した小生なぞは、そんな恩恵にあずかることはまったくない。長野県内の高校の出身者ではないと分かってしまうと、「ふーん」「へぇー」で終わってしまい、高校に関する話題はそこで打ち切りとなり、その店に居づらくさえなってしまう。
> 長野県人の出身高校へのこだわりは時として、県内の政治的な対立にまで発展しかねない。多くの県議や市町村長の支援を受けた元副知事を破って平成12年の知事選で長野県知事に当選した田中康夫元知事は松本市にある県立松本深志高校の出身だ。
> もともと長野県は県庁所在地の長野市と県中央部の中心都市である松本市との地域対立が激しく、この知事選でもこうした地域感情が交錯したのに加えて、田中氏が長野高校と並ぶ名門校とされる松本深志高校の出身者だったことから、対立感情が増幅されてしまったという見方がある。
> 通常、学閥というと出身大学別でできるのが普通だろうと思うのだが、長野県で学閥といった場合は出身高校のことを意味するのだという。
> どうして長野県人はそんなに出身高校にこだわるのだろうか。ある人がこんな面白い解説をしてくれた。長野県は自然に恵まれ、おいしいお米や野菜や果物が豊富に採れる。冬の寒さが身にしみるが、それさえ我慢すればこんなに過ごしやすいところはない。
> こんなにいい長野県を離れてわざわざ県外に出ていこうという人はそんなに多くはなく、東京や大阪へ出たとしても結局は長野県に戻ってくる。ずっと長野県に居続けた人も、一度は県外に出たがUターンしてきた人も自らのアイデンティティーを確認できる共通の話題が出身高校だ、というのだ。「うーん。なるほどねぇ」と思わずつぶやいてしまった。
> だが、別の見方をする人も当然いる。「要するに長野県人は排他的なんですよ。同じ高校の出身者だと分かると、強固な仲間意識を発揮するけど、そうじゃないと表面的なつきあいしかしようとしないということは、よそ者は容易に受け入れないということなんじゃないでしょうかね?」。もちろん、この人物は長野県出身ではない。どうやら彼も長野県赴任直後に小生と同じような経験をしたらしい。
> まもなく世間は春の人事異動の季節を迎える。人事異動の時期を少し過ぎた長野市内の飲み屋では、店のマスターがこうニューフェースの客に尋ねるに違いない。「お客さん、最近この店に来るようになったけど、どこの出身?」。
> でも酔った勢いで「長野高校卒じゃないッスけど、何か文句ありますか?」なんて軽口をたたいたら、その途端にデキン(出入り禁止)になる恐れはかなり強いと思う。(長野支局長 笠原健)
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 …といった具合に当初、引用記事二つでお茶を濁そうと思っていたら「灯台もと暗し」、今度は青森ネタが出てきやがった。ネタ元は「東奥日報」なので、ネット上では登録しないと冒頭部分しか読めない(↓)。いつもなら紙の方を見て、せっせと…では臨場感が伝わらないな。暗闇の中でニタニタ、光るパソコン画面を見ながらヒャッヒャ云って打鍵に精を出すところだが、そんな時間があるなら件の「第8話」を仕上げとかないと…。
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2011/20110131111712.asp
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>本県教育界人事 八戸高OBを重用?
> 本県教育界でここ数年、「八戸高校OBが重用される傾向にあるのでは」との声が教育関係者から聞かれる。具体的には(1)県教育長が前任の田村充治氏(2006~09年度)、現職の橋本都氏(10年度)と2代連続(2)08、09年度は教育次長が2人とも(3)県庁所在地の代表的な進学校・青森高校の校長が2代連続(07年度~現在)-いずれも八戸高OBとの指摘だ。取材に対し、県教委は「人事において重視しているのは、本県教育のさまざまな課題を克服するための適材適所であること。学歴は関係ない。たまたま同じ高校の出身者が多かっただけ」(白石司教育次長)と話し、八戸高OB重用を否定している。
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 …で、続きの内容はどうするか。久々の「つくる会」東京支部板に画像投稿するのが宜しかろう。
 こちらを御覧下さい(↓)。画像をクリックすると大きくなります。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_r_675.html

 肝腎な事を書き忘れていた。
 あたしゃNo.7896「第5話」で、「官公庁などの県内エリートに青森高校出身者が少なくない構造」云々と書いた。~以下の通り註釈を加える。「青森高校のも少なくないけど、教育界では八戸高校出身の管理職が目立つんだとさ。」

「俺妹」其三

苹@泥酔

2020/05/06 (Wed) 21:05:38

8【再掲】「俺妹」受難曲11 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/16 (Tue) 23:32:42

【再掲】「俺妹」受難曲11
7899 俺の妹が書家になりたいわけがない(第6話) 苹@泥酔 2011/01/13 02:28

 BS-hiで毎週、ドラマ「とめはねっ!」の再放送が始まるそうな(2011.1.13~)。

 先日NHK繋がりでNo.7861を書いた後、話はNo.7870へと脱線していった。…中には薄々勘付いている人も居るだろう。そこには「実技なき書教育は可能か」という視点が含まれている事を。
 音楽教育には実技が入る。先夜偶々NHKのテレビを見たら、「スコラ 坂本龍一 音楽の学校」を纏めて再放送していた。書道の授業もこのレベルでありたいが、現実の学校ではなかなか授業させてくれないらしい。後に弘前高校で音楽を教えた先生は昔、苹の授業について「専門家を育てる訳ではない」と云っていた。とどのつまりは画餅である。実際、あの番組に出演した中高生達は楽器を上手に弾いていた。授業参加者のレベルに合わせて授業のレベルを下げるとなると、結局は底辺層に合わせねばならなくなるのだろう。~因みに当方、巷間の学力低下論争で芸術科目の話題を聞いた事がない。仮にこれを能力別クラス編成に見立てるなら、現実には選抜クラスが部活動に相当するから「授業を形骸化したところで問題はない」とも云えそうではある。
 嘗て高校書道の授業で所謂「難しい事」を教えてみたところ、興味深い事例があった。その生徒は有り体に云って実技ヘタクソ、いつも最低レベルだった。その代わり「難しい事」の定期考査ではいつもトップレベル(他教科でも成績優秀だったらしい)。だから書道の総合成績は常に中間層を維持していた。もしあの授業と定期考査をやらなかったなら、生徒の知的理解力を客観的に評価する機会は予め葬られていた事になる(さもなくば絶対評価の根拠が薄弱となってしまう)。…あたしゃNo.7870で引用した片山杜秀の文章を読んだ時、この生徒を真っ先に思い出した。
 生徒が書家になる訳でもないのに、授業で実技を優先する必要はあるのだろうか。むしろ逆ではないのか。実技は部活動でやればよいのではないか。にもかかわらず授業が実技に呪縛されるとすれば、授業の正体とは何なのだろうか。~この事は芸術科目に限った話ではない。例えばもし授業が受験に呪縛されているかの様に見えるならば、いっそ県立高校を県立予備校に改組した方が効率的ではないかと思えてきたりする(No.7081参照↓)。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=7081&range=1
 「難しい事を教えず」「定期考査をやらない」条件下で、教員が生徒の学力をしかと見定めるのは難しい。また、教えたり試験したりする必要がないのなら、正規の教員を採用する必要もない。すると逆説的に、実技の練習で「授業時間をつぶす」必要が出てくる。
 先日のテレビ番組で、理科の先生が面白い実験をして見せていた。どうしてそうなるのか、平易な説明もしてくれた。生徒達(大人のタレント達)は「授業」に集中していた。これが「世界一受けたい授業」だと云うなら或る意味それもよかろう。総ては教えっ放しである。試験もなんにもない(ゲゲゲのゲ!)。彼ら「生徒」は専門家になる訳ではないのだから、実技や実験は「見るだけでよい」のかも知れない。しかしこれでは授業時間が保たない。すぐに飽きてしまうだろう。そこで練習させるのだとしたら、練習の目的は忽ち「ただの時間潰し」を抱えてしまう。それは教員側の目的であって、必ずしも生徒側の目的ではない。(にもかかわらず教員と生徒が同じ目的を共有するとしたら、この「理想的な状態」は学校を別の目的に向けて変質させずには置かないだろう。)
 上手い生徒と下手な生徒の格差を縮小するには三つの方向がある。一つは上手い生徒が必要以上に上手くならぬ様に学習を阻む事。一つは下手な生徒が上手くなる様に仕向ける事。そしてもう一つは、生徒の学習実態がどうであれ、予め教員側で成績改竄マニュアルを構築し適用する事。私が在職していた時、学校は事実上この三つを苹に求めていた。~前稿末尾で「ならば私は、何を教えればよかったのだろうか。何を期待されたのだろうか」と書いた。期待された中身を分かっていないのではなく、咀嚼が足りないと云ったのだ。私は咀嚼した果てに納得せざるを得なくなるのが怖い。
 もう何年も前から苹は書いておる。教員の義務は、歪曲教育の義務と、基礎指導放棄の義務と、成績改竄の義務であると。…御覧の通り、多分まだ咀嚼が足りない。

 以下、参考までに朝日記事を二つ転載する。
http://www.asahi.com/national/update/0109/TKY201101090326.html
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>先生不在で自習 時間割り組み直し…混乱する教育現場(1/2ページ)2011年1月10日3時0分
>. 教員が産休・育休や介護のために休んだとき、代わりとなる教員が間に合わないケースが多発している。各地では、手当ての付かないコマを自習にするなど現場に混乱が起きている。
> 広島県呉市のある中学校は2010年5月、1年生の中間試験で理科のテストができなかった。
> 理科の教員が4月末から病気休暇に入ったが、代わりの教員が間に合わず、穴が埋まったのは6月だった。その間、空いた時間は自習や他の教科の授業をしてしのいだものの、肝心の理科の授業はできなかった。「学力向上といいながら教師がおらず、授業ができないとは信じがたい」と保護者の一人は話す。
> 中学校では教科ごとに専門の教師が教えるので、代役になれるのは同じ教科の免許を持つ教員だけだ。「特に理数、技術などは免許保有者が少なく、探すのが難しい」と呉市教委は話す。
> 代役が間に合わずに穴が開く状況が最も深刻な大阪府。
> 府南部の中学校で09年の夏休み、校長室に2年の男子生徒が相次いで入ってきた。「新しい数学の先生、まだですか」「マジ、先生、入りませんか。少人数授業でせっかくわかるようになったのに」。欠員を何とかしてほしいという訴えだった。
> この学校は1、2年生の数学で二つのクラスを三つに分けて少人数にし、習熟度別指導をしていた。ところが担当の非正規教員が体調を崩して8月末に退職。少人数指導の態勢が組めなくなっていた。
> 10月にやっと代役の20代の教員が来たが、「理想と現実が違っていた」と1週間足らずでやめ、その後任は結局来ずじまいだった。
> 大阪府東部の小学校。08年度、4、6年生のクラスを担任するベテラン教員や5年の学級担任の若手教員の計3人が、学級崩壊や女子児童グループとの関係などに悩み、次々と精神疾患や胃潰瘍(いかいよう)で病気休暇に入った。2人目までは1~2カ月で代わりが来たが、3人目が09年2月に倒れた時はもう来なかった。いずれも少人数や生徒指導担当の教員が臨時のクラス担任に入ってしのいだという。
>. 東海地方の市立小学校では08年秋、6年の学級担任がうつで休んだ。時間割りを大きく組み直し、担任を持っていなかった生徒指導主任が臨時で担任に入ったが、代役は来ず、3月までそのままだった。卒業式の日。主任は「先生、『ワンポイント・リリーフだ』と言っていたのに、9回まで登板だったね。ありがとう」と子どもにねぎらわれたという。
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http://www.asahi.com/national/update/0109/TKY201101090325.html
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>先生休むと代わりがいない 不足、昨年度は800件以上(1/2ページ)2011年1月10日3時0分
> 教員が産休・育休や病気・介護休暇に入った際、代わりの教員が間に合わないケースが、各地の公立小中学校に広がっている。朝日新聞が全都道府県・指定市の教育委員会に取材したところ、昨年度、全国で約800件に上っていたことがわかった。
> 調査したのは、2009年度に(1)教員が産休、育休に入った際、その当日に代わりの教員が着任できなかった件数と、(2)病気や介護休暇で欠員が出ても代わりの教員が1カ月以上来なかった件数。
> その結果、大阪府を除くと(1)は304件、(2)は486件に上った。
> 大阪府は1年間の合計件数ではなく、毎月1日現在ごとの件数を合算した形で回答した。産育休の代替が間に合わなかったのはのべ66件、病気・介護休暇で代わりが来なかったのはのべ258件。
> 大阪府以外で多かったのは、産育休が北海道29件、横浜市28件、栃木県22件。病気・介護休暇は静岡県78件、大阪市が49件、兵庫県が38件、福岡県が35件、栃木県が30件だった。
> こうした数字は文部科学省も把握しておらず、実数が明らかになったのは初めて。
> 代替の教員は教員免許を持つ人の中から選ばれる。人数の多い50代の教師が退職期を迎える中で、各教委が新採用を増やしたり、少人数教育などのため非正規教員を多く雇ったりした結果、代わりの教員に充てられる「予備軍」の層が薄くなっているのではないか、と文科省はみる。大阪府も「03年度以降、小中学校の新規採用が千人超と拡大したのが最大の理由とみている」と話す。
> 一方で国立大学の教員養成課程は長く入学定員が抑制されていたため、養成が採用の急増に間に合っておらず、需給のバランスが崩れているとみられる。文科省の担当者は「各地の教委は、教員免許を持つ大学院生ら、予備軍になりうる人材を発掘する努力が求められる」と話している。(編集委員・氏岡真弓)
>     ◇
> <調査の方法> 産育休は事前にわかって手当てがしやすいため、「当日間に合わなかったケース」を調べた。一方、病気・介護休暇は急な場合が多く即応が難しいため、「欠員が1カ月以上に及んだケース」を調べた。道府県の件数には指定市の件数を含まない。指定市が教員の人事権を持っているため。
> 大阪府の集計方法では、一つの事例が月をまたいだ場合は複数の件数にカウントされるが、府教委は「そうした事例は少ない」としている。高知県は病気・介護休暇で空席が1カ月以上に及んだケースはあるが、「件数などの資料はない」と回答した。
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 この手の自習に柔軟な措置を講じる場合、そもそも芸術科目は実技偏重の学力低下主義が慢性化している様なものだから、「代役になれるのは同じ教科の免許を持つ教員だけだ」といった理屈が全く通用しない。少なくとも青森の場合は、当該科目が無免許でも臨時免許を活用すればよく、後に知事部局へと移った教員の証言を借りれば「代わりはいくらでも居る」(大瀬雅生)事になる。苹の事例も同様で、県内教育界に不似合いな教育思想の持ち主を除外しても教員補充には余裕がある事を、他ならぬ県教育庁自身が半年前に実証した形と云えよう。「教員採用試験の実施概要は県教育長に委ねられている」(白石司教育次長)事実とも相俟って、何らかの形で意図的に思想選別効果を盛り込めば、教員不足の演出は如何様にでも可能である。
 そうした前提を「知らせぬまま」いきなり採用すると、「理想と現実が違っていた」となるケースとて考えられぬではない。もちろん学級崩壊などに比べれば、或いは「取るに足らぬ」見方の一つに過ぎないのかも知れない。学級崩壊は「教わる側」の崩壊インパクトであり、大方そこから受けるダメージが教員不足を招くのだろう。他方、「教える側」の崩壊インパクトが教員不足を演出したところで「そんなの生徒も保護者も知った事ではない」。崩壊自体に気付かなければ総てが丸く収まる(理想的なのは「教える側」自身が気付かないケース?)。~この事は歴史教科書問題を想起すれば分かりやすかろう。教員自身が歪曲教育に気付かぬどころか、逆に「正そうとする動き」を歴史修正主義(?)と見なし、予め否定的になる。
 苹は青森県教育界の方針を必ずしも否定していない。差し当たっては観察と分析あるのみ。望ましい教員像を明確にしないまま放置した結果、採用希望者側の希望や妄想が勝手に膨らむと、大学の教員養成システムと教育界との意思疎通がうまく行かなくなる点に着目している次第(典型的事例が昨年の家庭科教員採用試験騒動)。…この際「民主党を支持せよ」でも「予備校化を推進せよ」でも何だって構わないから、素直に本音を出しちまえば人材集めが効率化するだろうになあ。それが出来ない理由は忖度できるものの(保護者対策とか?)、もし本当に人材不足となったら…いや、むしろ不況による地元回帰傾向という追い風がある今なればこそ、却って「仕切り直し」がきくのかも知れない。県内教育界の方針に順応できない教員志望者は畢竟、「青森県から出て行けばよい」のだから。

 ところで産経記事(↓)も、読み替え次第では別の意味で興味深い。例えば「新卒切り」のくだりに「嫌がらせ」という表現が出てくるが、当事者にそんな自覚があるかどうか自体、極めて疑わしい。もし自覚があったなら、むしろ「嫌がらせ」をする側が精神的に参ってしまうだろう。彼らの多くは「逆恨みだ」と思うに違いない。そこから事の根深さが窺われる。組織には組織の風土がある。ミートホープにも雪印にも、社会保険庁にも何処にでも。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/110110/trd1101101914014-n1.htm
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>就職氷河期なのに…新入社員半数以上が「退職検討中」の理由 (1/2ページ)
>2011.1.10 19:10
>就職勝ち組でも約半数が退職を意識。一体どういうことなのか ここ数年、「就職氷河期」が続いているのはご存じの通りだが、その厳しい競争を勝ち抜いた新入社員の半数以上が、すでに退職を考えながら仕事しているという驚きの調査結果が出た。一体、どういうことなのか。(夕刊フジ)
> 《2010年度に入社した新入社員の多くが、入社半年の間に仕事に対するモチベーションを下げ、50%以上が辞職を意識しながら働いている》
> 人材育成コンサルタント会社シェイク(東京・目黒)がまとめた「10年度入社社会人の意識調査」で、就職氷河期“勝ち組”の意外な「意識」が明らかになった。
> 従業員規模200人以上の企業に勤務する入社1年目の正社員155人を対象に実施し、仕事に対するモチベーションが「高い」と「やや高い」を合わせた回答は昨年比7・1ポイント減の47・8%。対して、「退職が頭をチラつく」との回答は51・7%と過半数を占めた。難関を突破しながら、新入社員たちはすでに退職を意識し始めているというのだ。
> 「彼らは『青い鳥症候群』ですね」と語るのは、大学生向け就職対策ゼミを主宰する経済ジャーナリストの阪東恭一氏。
> 「厳しい就職戦線で、第一志望の会社に入れる学生はごくわずか。それ以外の大半の新入社員たちは常に『自分にふさわしい職場はここじゃない。もっと自分に合った場所がある』との思いにさいなまれています。常に青い鳥を探している状態なのでしょう。だから、職場で辛いことがあると踏ん張りがきかない。同僚との競争のプレッシャーにも耐えられない傾向があります」
>就職勝ち組でも約半数が退職を意識。一体どういうことなのか 実際、就職ランキングで毎年上位に食い込む超大手企業でさえ、「最初の半年で約400人中80人弱が退職、もしくは退職の意思表示をした」(人事担当者)という。ただ、その動機は「希望の部署ではない」「営業ノルマが厳しい」といったもので、理由自体は10年前と変わらない。それでも、100社以上受けてどこにも就職できなかった学生やその親たちからすれば、ぜいたく過ぎる理由に思える。
> 一方で、新入社員を巧妙に退職に追い込む「新卒切り」が退職に拍車をかけているとの指摘もある。
> 「(昨年)4月以降、新卒切りに対する相談は毎月10件程度と過去最高のペースで増え続けている」と語るのはNPO法人労働相談センター(東京)の須田光照相談員。
> 「買い手市場をいいことに大量採用したものの、業績悪化で一部の企業は新卒切りに走っています。従順で実績が出ていない新入社員をターゲットに、過度な業務の押しつけや嫌がらせで退職に追い込むのです。それが新入社員の異常な退職志向につながっている可能性もあります」
> 一難去ってまた一難というわけか。いずれにしても、日本は歴史上まれに見る“働きにくい時代”になったようだ。
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8【再掲】「俺妹」受難曲12 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/16 (Tue) 23:35:33

【再掲】「俺妹」受難曲12
7908 俺の妹が書家になりたいわけがない(第7話) 苹@泥酔 2011/01/23 15:28

 …うーん、へたこいた。何を血迷ったか投稿直前の推敲で、前稿冒頭に「毎週」の一語を挿れてしもた。この場合「再放送が始まるそうな」の間に「木曜午後二時から」を挿れるか、もしくは「再放送があるそうな」とすればよかった。
 以下、「実技なき書教育は可能か」云々の続きを。

 補足する。~なぜ実技「抜き」の授業を仮構する気になったか。それはネ、実技…と云うより正規の教員採用試験自体が免除されてあるからだよ。(かてて加えて前稿に書いた通り、あたしゃ県内教育界の慣行や方針を頭から否定的に見るのではなく、より深く真っ正面から考察したいのだぁ。)
 今更まともに「書道の」採試を実施されても困る。現に苹は嘗て校長から直接「書道の教員採用試験は実施されない事になっている」と言い渡されたし、当時それなりに適応しようと努力した記憶がある(ただし空振りに終わったみたいだけど…汗)。退職後は県教育庁に問い合わせて裏を取った事もある。その時の返信メール本文全文がコレ(↓)。旧パソコンの受信履歴では日付が「2001/10/26 17:47:21」で、文末の署名には「青森県教育庁県立学校課 課長」との肩書きがある。
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> 教員採用試験に関する知事への提案について、回答します。
> 本県の教員採用試験では、昭和54年度に書道を実施して以来、書道の試験を行っておりませんが、それは次の理由からです。
> 教員の人数は、学校の規模等で決まってきますが、その限られた人数を教科ごとの開設時間数等を見ながら配置していくため、教科によっては、専任の教員を置かずに兼任させたり、非常勤の教員で対応する場合があります。
> 書道については、平成13年度において開設している全日制高校は、分校を含めて70校中51校あります。このうち、非常勤の教員で対応している学校が19校、専任の教員で担当している学校が19校、他の教科との掛持ちで対応している学校が13校という状況です。なお、これらの場合、ほとんどが書道免許所持者であり、免許教科外担任等で対応している学校は1校のみです。
> 教員採用試験で試験を実施する科目については、退職等により不足になる教科科目、各学校の教育課程編成による需用見込みを勘案して決定しておりますが、書道については、書道専門の教諭がいない場合でも、他の書道免許所持者が担当しており、学校として不具合がないことから、書道専門の教員を採用して欲しいとの要望はほとんどありません。そのようなことから、書道の試験についても昭和55年度以降実施していないものです。
> しかしながら、本県全体を見た場合、書道担当教員の高齢化が進んでいるため本県の書道教育の次代を担う人材が不足していることは否定できません。
> また、学校完全週5日制の実施、新学習指導要領への移行により全体的に授業時数が減少することから、教員配置のあり方(例えば教科によっては複数校を兼務することの可能性など)を含め、教員採用試験における実施科目を今後さらに検討していくこととしております。
> 最後に、返事が遅くなってしまいましたことについてお詫び申し上げます。今後ともよろしくお願いします。
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 その後、試験があったのは2002年の夏だけだから、実態としては「正規の教員採用試験自体が特例措置」って扱いになるのだろう。…問い合わせがあれば特例措置を検討するのだろうか。そうではあるまい。ただし木村県政から三村県政に移った2003年頃、ネット上の「知事への提案」窓口は閉鎖されたと記憶する。
 ここで興味深いのは、「免許教科外担任等で対応」する事が可能な点や、「書道専門の教員を採用して欲しいとの要望はほとんどありません」との記述から読み取れる状況~すなわち「教員が不足しても要望がない場合は試験を実施する必要がない」と考えているらしき点。しかも前提には「学校として不具合がない」との判断がある。これらを前稿の朝日記事と照合すれば、私が「教員不足の演出は如何様にでも可能」と判断する根拠がお解りいただけるだろう。
 ところで、なぜ苹は臆面もなく「今更まともに「書道の」採試を実施されても困る」などと言い放てるのだろうか。これでは恥知らずと思われても仕方あるまい。

 …先日、こんな記事があった(↓)。
http://www.daily-tohoku.co.jp/news/2011/01/18/new1101180903.htm
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>「生活態度悪い生徒は」中学校で試験問題出題(2011/01/18)
> 青森市教育委員会は17日、市立三内中学校で昨年、生活態度の悪い生徒の個人名を生徒に答えさせるなど、不適切な試験問題を出題していたと発表した。市教委は生徒、保護者らに陳謝するとともに、再発防止のため、18日に臨時の市立小・中学校長会議を開き、再発防止への指導を徹底するとしている。
> 市教委によると、不適切な問題は昨年11月から12月にかけて実施した2学年の2学期末試験の保健体育で出題。授業の準備ができていない生徒1人の名前を答えさせるなど、2題で生徒の個人名を挙げさせたという。
> 問題は学年主任の女性教諭(48)が作成。生徒名を挙げさせたことについて「生徒の態度を改めさせるため」としたものの、不適切だったとして2学年の生徒に謝罪したという。
> 市教委の月永良彦教育長は「誠に遺憾であり、名前が挙げられた生徒、そして全ての生徒の心を傷つけてしまったことに心からおわび申し上げる」と陳謝。再発防止のため指導を徹底するとしている。
> 市教委は近く県教委に報告する方針で、女性教諭の処分については県教委が検討する。
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 詳細は地元紙「東奥日報」の紙面で読んだが、めんどくさいので一々打鍵転載はしない。
 …それにしても、高校の芸術と違って中学の保健体育に定期考査があるのは一見「羨ましい」話である。そもそも苹が定期考査を実施できたのは、「専門家を育てる訳ではない」発言をした件の音楽教諭(教科主任)が「定期考査をやらないか」と発案してくれたから。これには大いに感謝している。ハッキリ実名を挙げて褒め称えたいくらいだが、たぶん今も現職なので迷惑がかかると困るだろう。~因みに「代わりはいくらでも居る」発言の大瀬先生は高校教育現場から県教育庁生涯学習課を経て知事部局へと移った(=教育現場を離れた)ので実名を挙げた。今後もし現場に戻る事があるとしたら、次は管理職としてであろう(苹は管理職を実名表記する事にしている)。また、彼らの発言に疚しい所がある訳でもあるまい。苹は彼らの考え方を尊重しているので、今後もチクチク支援する予定である事を、重ねて此処に表明する(だから「苹@反日実験人格」ってキャラも「あり」なのw)。
 「難しい事」を教えてはならず、定期考査も実施してはならない授業など、苹には全く興味がない。~在職当時、苹の趣味は教材研究だった。考査による実証研究を禁じられたら「飼い殺し」になるのは必定である。にもかかわらず定期考査を実施したらどうなるか。考査の中身を形骸化せざるを得なくなるではないか。定期考査が不要な筈の科目を担当する教員は事実上「生徒に勉強させてはいけない」。それが成り行き上、もし必要に迫られて「勉強らしくない」出題を工夫せざるを得ない羽目に陥るのだとしたら。
 どのみち見方次第ではあろうが、この女性教諭を必要以上に責めるのは少しばかり酷ではないのか。成績の底上げに無意味な出題を利用せざるを得なくなる傾向は、保健体育も芸術もさほど違いはあるまい。
 だからこそ、難しい。「難しい事」を教えて初めて定期考査が成り立つ筈なのに、何を試験したらよいのか戸惑う身にもなってみろ。…ここで苹はハタと気付く。「難しい事をやるな」と「定期考査をやるな」は、連動して初めて成り立つ「教員救済策」だったのだと。さすが恩師、苹への不気味な温情がある(?)。定期考査をやらなければ、難しい事を教えずに済むのみならず、無理な出題を工夫する心労からも解放されるのである。しかしそれでも別の疑念は残る。ここから先は、皺寄せが総て実技の領分へと「のしかかる」からである。

(追記)
 …と書いた数日後にABA(青森朝日放送)のニュースをネットで見たところ、どうやら不適切出題の比率自体は微々たるものだったらしい。この動画は暫くの間、まだ閲覧可能な状態にある。もうじき消える筈なので、興味のある人は速やかに閲覧していただきたい。(苹は動画の保存方法を知らないのである。)
http://www.aba-net.com/news/index.html
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>弘大教授が不適切出題を分析
>2011/01/21(金) 18:16
>三内中の問題用紙を弘前大学教育学部教授で保健体育科教育法が専門の清水紀人教授に見ていただきました。==詳細は動画をご覧ください==今回の試験内容について清水教授は評価の観点やバレーボールと器械運動の実技を問う45問と、ボーナス問題の5問で構成されていると分析。ボーナス問題のほとんどが保健体育の問題として不適切と指摘しました。
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(「第8話」に続く)



8【再掲】「俺妹」受難曲13 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/16 (Tue) 23:39:27

【再掲】「俺妹」受難曲13
7913 俺の妹が書家になりたいわけがない(第8話) 苹@泥酔 2011/02/05 22:30

(以下は「第7話」末尾に追記した箇所直前の、「皺寄せが総て実技の領分へと「のしかかる」からである」を承けて。)

 苹には常に、「実技指導への懐疑」が付き纏っていた。
 書教育から、流派の影響を可能な限り排除したらどうなるか。~これも当時取り組んでいた教材研究の一環である。先ず教科書に載っている古典を授業で扱う点は、どの高校でも同じだろう。しかしながら、先生の書風や社中には相応の違いがある。その影響を古典指導から遠ざけられないものか。つまり古典自体と古典指導を峻別するのである。
 ここで諸々の臨書手本が役に立った。同じ欧陽詢による楷書碑銘の臨書でも、松本芳翠と松田雪柯と柳田泰雲と上条信山と手島右卿と青山杉雨と小暮青風と(以下略)では皆「書きぶりが異なる」様に、「古典との懸隔を前提してこその臨書」という視点を抜きにしては古典そのものの位置があやふやになる。他方、そんな或る種の避け難き「開き直り」の中にこそ、書風分岐への可能性/沃野は開かれている。そしてそれを自己滅却する点に於てのみ、古典は自己を「無」へと誘う事が可能になるのだとしたら。古典との語らいを現場に立つ教員ただ一人に背負わせて何がどうなるのやら。もちろん一者が複数の書風で臨書し分けるのには限界がある。にもかかわらず教員の技倆に於て可能な限り実在の滅却を徹底しようとする場合、教員の質的自己限定という一種の「不在環境」を前提された生徒側にしてみれば、まともに学ぼうとすればするほど「独学へと逃れ出る」しか手がなくなってしまうではないか。教師と生徒の宿命的距離を露骨に反映する根源的契機が古典臨書に宿るとしたら、古典それ自体は入口と出口の双面で「危険な誘惑」をはたらきかける神となるだろう。そして「そうなるのを媒介する」のが、生徒にとっては最初の「古典」となる教師自身に他ならない訳だ。
 ここでの古典的存在は、学ぶ場面で予め微分的になるのと同時に、学ばれなくなる瞬間を得て初めて積分的に埋もれつつ歴史へと組み込まれる。その状態を指して、通常は古典と呼ぶだろう。つまり過去の「学び」からは切り離されている。古典そのものを学ぶのではなく、古典についての解釈を教養として学ぶのだから、もはや古典そのものは「学び」の中にない筈。しかも、そんな解釈へと至る「歴史の発掘」は再発見という「学び」を前提するがゆえに、これはこれで別の微分的宿命を免れない。そこに「学ぶ側としての古典」と「学ばれる側としての古典」の違いがある。自分の書いたものが「学ばれる」という恐ろしさを手本は常に指し示すが、その手本が古典臨書である場合はどうなるのやら。そこに何か恐るべき錯誤が潜んでいるのではないか。
 百年くらい前までの古典はどうだったか。今ほど厚かましくは、書道界を跋扈していなかった筈である。古典を指し示す恐ろしさの前に、先ずそれを密かに噛み締める師匠が居ただろう。初めから軽々に古典を与える事などしなかった。自分の書いた手本を与えた。なればこそ、師匠が弟子を呪縛するという弊害もあった。その所為でもあるのだろうか、「古典があれば師匠は要らない」と思いたくなる瞬間が私にも昔から間々あるし、その度ごとに師匠の影は背後霊の様に付き纏う。「師匠が私を捨てたのではない。たぶん私が師匠を捨てたのだ。」…こんな感覚を傲慢と思う刹那、今度は古典の魔の手が伸びる。捨てた筈の師匠が既に自分にとっての古典となっている事を度外視したまま、いっそうの高みを目指して巷間に流布されてある古典にばかり目を向けていると、「師匠という基礎」を喪失した古典がやがて師匠と私の一方または両方を呪い始める。
 これを仮に、近代学校教育共々「芸術科書道の起源」に見立てると、お次はどうなるか。

 教師を最も身近でリアルな古典と見る「ヴァーチャルな姿勢」なくして、アクチュアルな歴史的感性は陶冶できまい。そんな環境を図らずも書の内外で過剰に体感してしまったのが明治時代の知識人。ここでは日本、支那、西洋それぞれの古典が恰も「書の様に」学ばれるべくして迫り来るのだから、時代に翻弄される夏目漱石達の心情たるや、たまったものではなかったろう。尤も、文学が書の内側から静謐に崩壊していく体験は次の世代へとジワジワ受け継がれていったのだろうが、そうした在り方を当時の新世代書表現(碧梧桐、蒼海、八一など)に看取るのは、ともすれば深読みの度が過ぎる事になるのかも知れない。~いづれにせよ、我々現代人の依拠する教育的系譜については今更、敢えて論じ直すまでもなかった。拙自身その手の論説を読んだ事がなかったせいか、そう思い込む事で「考えるのではなく、先ず謙虚に学ぶ」という伝統(?)に準拠しようと努力してきたからである(見方次第では単なる自己洗脳w)。
 過去の教育から古典を掬い上げ、古典から教育を再生し、結果「二重に過去を喪失する」。…こうした仕組みを苹なりに言い換えた一側面が「基礎指導放棄の義務」には内在する。既に古典は金科玉条と化しているのだから、支那や日本のそれらを「錦の御旗」であるかの様に扱う風潮には逆らえないし、また余計な事を考えてもいけない。近来百年の間に硬直した古典信仰が思考停止を常態化し、ついでにじわじわと過去の教育を形骸化しつつ、果ては古典を心像上の墓場か博物館へと送り込むのである。
 そんな教育、津々浦々の高校書道教員に心当たりはないだろうか。古典を崇め奉り過ぎていないか。自分にも書ける筈の、極端に基礎的な手本(時代によって変化するが、差し当たり戦前の例では『尋常小學書キ方手本』レベルか、もう少し上までの範囲)の示範を、それが義務教育の領分に隔離されているのを口実に、自ら放棄してはいないだろうか。古典や書道そのものに、なにものかの責任転嫁を強いてはいないか。謙虚だの審美だのといったモラルに託けて、生活に潜む伝統の痕跡を忘れるための建前としていないか。~斯く云う苹は身に覚えがある。碌に「生活の書」の指導をしてこなかった。総ての生徒が昔風の平仮名を読める様に指導法を工夫するだけで精一杯だった。その先に「生活の書」がある。熨斗袋や手紙文が初歩の「生活的」実用書道だと思ったら大間違いで、あれほど難しいものはないのかも知れない。なぜならそこには、既に「過去との訣別」が盛り込まれてあるのだから。「鬼っ子」となった実用書は毛筆から硬筆を経てワープロに遁走し、古典は実用書から芸術書作品へと憑依場所を乗り換えた。今や抜け殻となった実用書に、実技含みの半「歴史教育」を試みるとあらば、どう考えたところで「俺の鬼子が難しくないわけがない」。にもかかわらず正直なところ、実用書は平凡であればあるほど易しい。「易しい」事と「難しくない」事は、内実に於ても同一だろうか。平易と安易とではニュアンスも指示内容も異なる様に、そこにはやはり相応の「微分」があるのではないか。
 なにも殊更に難しく考えようとしているつもりはない。…小学から書塾に通っていた。中学からは独学を始めた。高校入学三月前の新年試筆(半切を横にして王献之「地黄湯帖」を中字で全臨)を捌き、最初の授業で吸い取り紙に使っていたところ、件の恩師がヒョイと取り上げ「お前が書いたのか?」と一言。その頃の記憶に遡っている(念のため説明。吸い取り紙は半紙清書に名前を書く時、手が汚れぬ様に大筆で書いた字の上に敷くのよね)。初唐三大家の楷書授業に入る前、私は何を学んできたのか。古典が基礎だと云うならそれでもよい。しかし私にとって、古典は断じて基礎なんかではない。基礎以前の基礎がある。また恩師が「古典」だったのは、恩師が古典を臨書していたからである。恩師は古典への窓だった。そこに独学との差異がある。古典は予め、二つの顔貌を持っていた(うち一つは学習指導要領上、基礎とならざるを得ない様に仕組まれていた)。
 進学塾や予備校に通う多くの学生が知る様に、今や「学び」を塾のみならず学校でも繰り返す構造が既にある(本末転倒?)。しかしながら塾、学校、独学などに付帯するリファレンス(指示対象)としての古典が媒介者(司祭や教師など)の役割を透明にしていく過程では、教える側にとっての古典もまた授業の前では希薄とならざるを得ない筈。そこでは古典「抜き」の教育、言い換えるなら「授業という名の主張」がそれぞれに独立もしくは差異化を唆し、やがて古典そのものが「創作」の名の下で形骸化へ向かうための道標となっていくだろう。古典を隠れ蓑にすれば、流儀準拠型の臨書指導が可能となっていく様に。確かに生徒は古典の図版を教科書で「見る」のだが、それが任意の流派へと収斂していくのであれば所詮、古典は単なる学習スローガンに過ぎなくなるではないか。これは「古典から基礎へ」の流れであって、「基礎から古典へ」の流れではない。つまり古典は流派の「外側」にあるのではなく、むしろ流派の「内側」を根拠づけるために存在する結果となる。
 所与の基礎、すなわち生徒にとって最初の「古典」となる諸々の基礎から見て、通常の意味で云うところの古典は元来、最も根源的な違和感を象る筈ではなかったか。古典は近寄り難き「特別の流派」としての過去に属する以上、それまで学んできたものとは違う、もっと幅の広い怪物として立ちはだかる存在ではなかったか。にもかかわらず古典を基礎であるかの様に教えるのは、それこそが歪曲教育の極みではないのか。高校で古典を教える前に、義務教育でどれだけ基礎を身に付けてきたのかを、予め審定すべきではなかったか。碌な基礎もないまま古典を学んでどうなる。初唐三大家の楷書を学び始めたばかりの生徒が懐素の自叙帖を練習する様なものだろう。そこに草書の基礎はない。基礎がないという事は規範がない。草書の字形が他の書体とどんなふうに関連するかを視覚的かつ感覚論理的に翻訳できぬまま模倣したところで、まともな応用が可能になるとは思えない。
 煎じ詰めれば、「実技の領分へとのしかかる」皺寄せ自体が基礎の空白域を直撃する。基礎をめぐる学習の、手本(古典を含む)と人間との連関。そこに体験上の空白域がある。嘗ての領分を義務教育で埋め立てるかの様でありながら、当の義務教育自体が基礎の形骸化を促進するシステムとなって体験の欠如を支えている。一方で塾を否定したかと思えば、一方では未履修問題が露見した時の様に困惑してみせ、表向きの体裁が片付いた後は概ね元の木阿弥となる。
 この手の空白域は通常、極めて見えにくい体裁で学校教育にも民間私塾にも取り込まれてあるし、そこには断絶とおぼしき要素も絡む。或る私塾、或る学校で学び続けると気付かないのが当たり前となる要素が「先生の同一性」である。同一だからこそ断絶が可能になる。~以下、その辺に触れて置く。

 或る高校で人事異動があり、他校から書道の先生が転勤してきたとする。
 地域毎のローテーションには時折、書風の同一性が概ね保たれている事がある。例えば青森方面では鈴木翠軒系、弘前方面では比田井天来(桑原翠邦)系、八戸方面では木村知石系の影響がある様に。隣県では木村知石系と広津雲仙系の影響が強く、他には石橋犀水系などもあった。地域毎に土着の書風があるのは全国どこでも普通である。取り立てて、どうと云う事はない。
 さて。~書道の先生が転勤してきた。書道部では様々な競書雑誌で学ぶケースが少なくない。青森なら『北雲』、弘前なら『北門書道』、八戸なら差し詰め『書人』といった所か。そこで一つ出題をば。それまで『北雲』を使って教えてきた先生が転勤先で『北門書道』を使う場合、この学校の書道部では何が起きるだろうか。雑誌にはそれぞれ手本の図版が載っているから練習に支障はない。問題は具体的な指導の場面で顕在化する。新しい先生に添削できるだろうか。そもそも使う筆が違う。…何十年か前、『北雲』地域の文具店に行っみた。すると玉川堂の筆が並んでいた。剛毛の面相筆が多かった。同じ頃、『北門』地域の文具店にも行ってみた。すると文宝堂の様々な筆が並んでいた。羊毫が多かった。実際に指導する場面では一々筆を指定しないが、それなりのレベルで清書するとなると筆の違いは大きい。普通の月例手本を真似るのではなく、古典臨書手本を真似る場合は些か事が面倒だ。翠軒系と天来系とでは、筆遣いの違いが明瞭になり過ぎる。生徒にしてみれば、「同じ古典を臨書しているのに、どうして指導される中身がこんなに違うの?」となるのが自然だろう。
 書塾の場合、こうした問題は起こらない。先生が同一だからである。ゆえに会派毎の断絶も見えない。そこでは他の会派の書きぶりを知らずに済む。出来上がった作品を高総文などの機会に鑑賞するのと実際に他の書流で書いてみるのとでは、「学び」のインパクト自体が根本的に異なる。有り体に云えば、社中それぞれに「古典の独占」が常態化しているのである。それを隠蔽する事により「古典としての同一性」が保たれると見るならば、学習プロセスに組み込まれた洗脳効果はやがて学習対象の独占/分裂を所謂「包含的離接」の状態へと至らしめ、これまで本稿で述べてきた構造そのものを別の場所で組織し始めるだろう。
 …註釈する。以下は宇野邦一『ドゥルーズ 流動の哲学』(講談社選書メチエ)P.149の説明。
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> ここで「包含的離接」と呼ばれているのは、ドゥルーズが他の書物でも繰り返している奇妙な論理のことである。「離接的概念」は「選言的概念」ともよばれ、概念の外延が重なることなく、全く分離していること、AかBか、生か死か、男か女か、表か裏か、といった、ふつう相いれないとみなされる概念の組み合わせをいう。それゆえ「離接」は、必然的に排他的であるしかないのだが、ドゥルーズ=ガタリは、分裂症者にとっては、「生者あるいは死者であり、同時に両者なのではない」というような状況または論理が成立していることに注目している。
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 そこに「古典」の影がある。A流かB流か、といった概念の行方が古典の名の下に統合されているにもかかわらず、同時に「流派それぞれ」の両者ではない。~論より証拠。多分そうとは意識していないのだろうけれども、一部の社中には独自に流派始祖の臨書手本を自家出版する例が見受けられる。社中内での配布だから外部には漏れない。つまり自社大御所の遺作(?)を内輪で独占する形が、対外的には一種の秘儀と化すのである。他の流派がこれを学びたいと思っても容易には手に入らない。すると鑑賞と学書機会の独占状態が公教育の書道を揺さぶる。学書の窓口としての古典は解釈者たる師匠を予め失った形で切断され、消化不良状態となったところに一人の解釈者が華々しく(?)登場、日々粛々と教壇に立つのである。
 「第5話」で少しだけ雨声会書作展に触れた。~二十年ほど前、ふらりと会場に寄ってみた。当時、遠藤先生は青森高校の書道教諭であった。そこに同僚らしき人が来て、こんな会話をしていた。
観客「書家だか先生だか分からんな。」
遠藤「先生だよ。」
 あの時、観客は何故そう思ったのだろうか。意地悪く見れば、今も昔も公教育は社中の寄生場所となっている。なにも日教組ばかりが寄生しているのではない。また作品制作は表現であるが、表現が必ずしも教育の範疇に留まるとは限らない。その事を指して観客は行方としての在り方~すなわち「書家」と対比したのかも知れないが、そればかりではない実態を踏まえると「教員の教員たる所以」が如何なる状況下にあるか、苹は思い出す度たじろぐのである。此処を御覧の方々は、気が向いたら存じ寄りの国語の先生に訊ねてみるがよい。「先生は今、どんな文学作品を書いているの?」と。
 文学作品を発表せずとも国語の指導はできるのに、書道の作品を発表しない書家は書道教員と見なされないケースが往々にしてあり得る。果たして国語教員は怠けているのだろうか?…この違和感、お分かりいただけるだろうか。演奏しない音楽学者は音楽家でないかも知れない。音楽評論家が必ずしも音楽家ではない様に。その前提が「鑑賞」する側にある。ならば書道~ひいては書教育に今、どれほどの「鑑賞」が保たれているのやら。
 先般「第6話」で書いた事を繰り返そう(↓)。
「先日NHK繋がりでNo.7861を書いた後、話はNo.7870へと脱線していった。…中には薄々勘付いている人も居るだろう。そこには「実技なき書教育は可能か」という視点が含まれている事を。」

(「第9話」に続く)

「俺妹」其四/「教組再考」其一

苹@泥酔

2020/06/17 (Wed) 20:03:51

8【再掲】「俺妹」受難曲14 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/16 (Tue) 23:43:20

【再掲】「俺妹」受難曲14
7920 俺の妹が書家になりたいわけがない(第9話) 苹@泥酔 2011/02/19 02:14

(承前)

 「第7話」では、こうも書いた(↓)。
「ところで、なぜ苹は臆面もなく「今更まともに「書道の」採試を実施されても困る」などと言い放てるのだろうか。これでは恥知らずと思われても仕方あるまい。」
 古典ばかりでは書が保たない。古典を宿した解釈システムとしての書流を媒介しないと、古典の見方、書き方ひとつ覚束ない。その書流を地域密着型の土壌で整流する役目を、県教育庁の教員採用担当者は担っている…とも云えよう。そしてそこには「××地域は××流がベースだ、余所者は入ってくるな」といった判断や危惧が潜んでいても実務上おかしくはなかろう。ところが教員採用試験は地域の伝統を破壊してしまう。喩えるなら外国人参政権ならぬ「余所者参育権」を前提に試験するのであるから、内側からの黒船は教育既得権を持つ側から見ればコリャ確かに厄介だ。
 こちらでは中学国語科書写の未履修が実感レベルで前々から当然視されていたし、何年か前は十和田市近辺での実態調査が毎日新聞で報道された(指導要領準拠の中学校は皆無だったそうな)。見方次第では、書写指導を代行する役割が土着の民間書塾に期待されているかの様でもある(八戸方面では「日本習字」系列の塾が好感されていた)。かてて加えて全国規模の未履修問題が発覚したところ、高校世界史と違い「国語の枠内にある」事がネックとなって、「文部科学省からは地方自治体に強く指導できましぇん」とのヘタレ状況が露呈。事ここに至っては、もはや上からの義務教育改善には期待できそうにない。ならば従来通り書教育の側が独自に、塾依存型の選択的「中高連携」方式を採り続けるしかあるまい。
 複数の高校書道教員が指導する某社中には、何人かの小中学校教員が所属していた。また別の社中は主宰が元教員で(中学?)、現職の市教育長が祝賀会に招かれたりもしていた。教員経験者が塾を束ねて初めて現実的な小中高連携効果が生まれるとしたら、唐突に正規の採用試験を実施してしまった場合、こうした仕組みに属さない書風の教員が地域を浸食し調和を乱してしまう可能性がある。そうなるのを阻止すべく(?)、予め教員採用の迂回ルートを常態化して置けば、どうやら法律上はコネ採用も無試験もクリアできる事になるらしい(現に、外部からも書道教員側からも殆ど問題視されていない模様)。…あたしゃ先年こう思ったものだ。「教員採用試験汚職で一騒動とは、大分県の教育界ってぇのも結構バカなんだな。賄賂はどうだか知らないが、初めから教員採用試験を実施さえしなければ、堂々と「仕方なくコネ採用」「同情するならカネをくれ」で押し通せたのに。」
 高校書道教員採用試験が実施されない理由を「書教育側の利点」から考察すれば、苹のオツムでは概ね上記の通りとなる。~もしかすると、あたしゃ少なからぬ先生方から叱られてしまうかも知れない。ただしそれが「余計な事を暴露するな」との意味合いでないのなら、拙稿が邪推である理由をハッキリ説明していただかないと、こちとら今のところ納得できそうにない。

 それらを踏まえての「実技なき書教育は可能か」である。
 実技指導を撤廃すれば、流派の影響は根絶できるだろう。しかし苹は流派を悪しき旧弊とは捉えていないし、それどころか基礎以前の基礎と深く結び付いた必要不可欠な指導領域とさえ思っている。昔の御家流がそうだった。その後は明治の国定手本時代となり、間もなく甲種と乙種に分岐した。甲種は長三洲や日高秩父の顔法だったが学びにくいため、巻菱湖の平易な書流が乙種になったと聞く。~因みに幕末期の市河米庵が顔眞卿の多宝塔碑ベース(谷中の本行寺にある市河寛齋の墓銘や、出版物では千字文など)で書いている所を見ると、初期国定手本は江戸の唐様二大勢力に範を採った事になるのかも知れない。やがて甲種は顔法を脱して鈴木翠軒などが書く様になるが、乙種は一貫して菱湖の影響下にあった。翠軒揮毫の教科書には孟法師碑の影響が指摘されている(伸びやかさの面では伊闕仏龕碑の方が近い?)。
 当時の文部省は古典そのものをではなく、初学に相応しい古典を総合的に咀嚼した書家に手本揮毫を委ねた。孟法師碑と寸松庵色紙を単純に組み合わせただけでは調和しないし、現在だって義務教育の平仮名に古筆の影が見える訳ではない。そうした所にも漢字と仮名それぞれ限界はある。~ただし例外的なのは戦後翠軒系の小学生向け手本。義務教育レベルで「基礎以前の基礎」の書風差が顕著になると、これはこれでややこしい。現に菱湖系の小学生だった苹は、翠軒系の同級生を見て驚いていた。差異は微細であるより顕著な方が却って分かりやすいし学びやすい。日下部鳴鶴の書風が学びやすいのも同じ理由による。執筆法と絡む諸々の差異は確かに顕著だが(廻腕法の流行、水筆の製法変化など)、鳴鶴流の基礎が予め若き日の菱湖流に根差していたからこそ、その上に浮かび層をなす水準での差異はすんなりと受け容れられた。むしろ北碑の影響は副次的であって、活字に喩えるなら明朝体とゴシック体ほどの違いしかない。それと似通った差異を針小棒大に捉える高校書教育の近視眼的「芸術性」に、苹は昔から欺瞞の臭いを感じてきた。
 古典に傾倒し過ぎると盲目になり、(既に学んである筈の?)基礎をはぐらかしても教育の目的・目標は損なわれない気がしてくる。そんな感覚を百年くらい維持すると、基礎どころか「基礎以前の基礎」を忘れても表層の表現には相変わらず古典的体裁が保たれているから、教育上の問題にはならないかの様に思えてくる。言い換えるなら、この手の累次的「盲目品質」指向が古典受容過程の差異を統合する上での仮想軸となってくる。もはや芸術的でない基礎は必要なくなった(=教材の精選)。それゆえ新時代の書表現を目指した第一世代にとっては旧来の基礎が既に身に付いている故か、「捨てるべき領分」の方が優先的(?)に「芸術上の問題」たり得た。…こうした話題は余りにも多過ぎて、どの本で誰が書いていたか一々思い出せない。総じて云えば、確かこんな意味だった筈。色々なものを学ぶ。すると表現する上では、学んだうちの余計なものが邪魔になる。どんどん不要なものを切り捨てて行ってこそ、最後に本当の表現が残るのだと。これはこれで、創作表現上の要諦にはなるのだろう。しかし「色々なものを学ぶ」教育段階にもそれが通用するとは限らない。にもかかわらず、書道教員の大半は広義の書家を兼ねている。
 多くの先生方は週一、二時間の限られたカリキュラムの中で、実用書道の中核部分(熨斗袋やポスターの書き方などの表層部分ではない)を捨てざるを得なかったのではなかろうか。書表現以前の中核部分を学べば字が読める様になるのは当たり前で、それを踏まえた上での表層学習が幕末や戦前との歴史的連続を担保した筈である(元々の読める範囲で書くのではなく、新たに読める様になった古典語的書記様式/歴史的範囲まで拡張して書く)。なにも十把一絡げに「指導していない」と決め付けるつもりはない。しかしながら、基礎陶冶が部活動でなく「授業で」達成されていたかとなると些か心許ない。現に~繰り返すが青森では、例えば横山泰久校長が十数年前「読めないものは教えるな」と英語畑の立場から(?)基礎指導放棄による文盲化を奨励していた様に、個々の教員が望まなくとも「職務上」歪曲教育せざるを得なくなるケースがある。
 ここでの歪曲教育扱いは結果論に過ぎない。授業担当教員自身、歪曲それ自体を意図している訳ではあるまい。教わる側が指導内容の欠如を他の領分からの連想で補う結果「歪曲された理解」に至るのであるから、誤解も歪曲も所詮は生徒側の自己責任…と云えなくもない。例えば音楽の先生が「兎追いし、かの山♪」と教えたところ、生徒の方では「ウサギの肉って美味しいの?」と思ったとする。音楽で国語を教える必要はあるのか。書道で国語を教える必要はあるのか。そんな発想で峻別すれば、国語的領分に仮構された畑違い(?)の歪曲責任など敢えて論じるには及ばぬまま、いとも簡単に仮構性自体が蒸発してしまうに違いない。

 ここらでそろそろ、真打ちの比田井天来に言及しよう。先ずはネットから拾ってみる。筆者は比田井和子氏。
http://www.shodo.co.jp/tenrai/tenrai/tenrai_a.html
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>今はあまり語られないが、比田井天来が一生の仕事として精力を傾けていた事業がある。それは「漢字整理」である。
>天来は大正十年から、古典の全臨集「学書筌蹄」を発行したが、このシリーズの特徴は、天来みずから碑帖解題、釈文、語注、字説を書いていることにある。臨書原本には、活字と異なった字形がひんぱんに登場するが、その変遷の過程を明らかにしようとしたのが「字説」である。書体にはその書体独自の歴史がある。一般に親しまれている活字は、実は篆書の字形を機械的に直訳して作ったもので、いたずらに複雑で書きにくい。歴史の中で、ふだん書かれてきた楷書体(筆写体)こそ書きやすい形であり、それを標準にすべきだと天来は考えていた。
>その上、活字はいたずらに数が増え、複雑になってしまった。そこで、現在ほとんど使われていない漢字や、ほかの字で代用できる漢字を整理し、複雑な漢字は唐時代の書きやすい楷書体に改めようとしたのが、天来の「漢字整理」であった。漢字こそが、東洋の文化を統一する基盤となる。中国、朝鮮半島、日本の人々の文化的精神性を一つとするのは漢字である。その漢字をすべての人にとって、書きやすく美しいものに統一しようとしたのであった。
>書学院に、「愚公帖」と名づけられた書類の束がいくつか残されている。王羲之や顔真卿、鄭道昭の拓本が一字ずつ切り離され、細長い紙に、字書の順に貼り付けられている。書の古典に見られる美しく書きやすい字形を集めて、漢字整理の資料にしようとしたのである。しかし、あまりに遠大なこの計画は、完成を見ずに終わった。
>昭和十三年十月、癌が再発した天来は、死期が近いことを予感したのだろう。息子、南谷にこう言った。「おれが書家になったのは一生の不覚だ。書道のことはおれでなくてもやれる人はいくらでもあるが、漢字整理の仕事はほかの者には決してできるものではない。」また、あるときは、南谷を枕もとに呼び、完成まで生きられるように、成田山へ行ってお札をもらってくるように言いつけたという。
>天来にとって、書は文人の遊びではなかった。それは、すべての人と共有すべき財産であり、すべての人を豊かにすべき文化であった。書道史の中で、長い年月をかけて美しく、そして書きやすく発展した漢字を、現代社会に役立てることこそが、みずからの使命であると、天来は感じていたのである。
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 寺子屋から書塾に至る教育システムの系譜を、苹は社中の在り方に見取っている。片や学校教育は明治になって新たに導入されたシステムであり、その特徴をベンサムやフーコーはパノプティコン(一望監視施設)から窺った。~しかるに社中が学校教育に寄生する場合、起源を異にするだろう両者は如何にして折り合いを付けるのか。この点について少しばかり、先日の「第8話」で触れた次第。
 天来は初期の展覧会世代に属する。日下部鳴鶴達が同好会(明治27年~)や談書会で文墨の交わりをする前から幕末風の書画会は盛んに行われていたが、西洋近代の展覧会形式が導入されて以降、サロン風の交流は徐々に形を変えて技術競争含みの場へと変貌を遂げて行った。そうした中で審査システム等々の紆余曲折(…内紛?)があり、やがて天来が大日本書道院の展覧会を開催するに際し、単独審査システムの導入に至る(昭和12年)。社中それぞれの内輪ならともかく、各家各派が一堂に会する場での単独審査は珍しい。古典研究に書画会を利用したのが鳴鶴なら、所謂「包含的離接」状の可能性や毒性を展覧会の場で剔り出したのが天来、と云えそうではある。(今も合同審査が普通である所を見ると、やはり単独審査には相応の問題があるらしい。)
 上記引用で気になるのは、「書道のことはおれでなくてもやれる人はいくらでもある」という部分。見方次第では古典に依拠した審査の普遍性を信頼していたかの様で、しかも古典評価の背景には(古典に依拠した表現以前に…と云ってよいか否かは保留するとしても)「漢字整理」への眼差しがあった。古典咀嚼の多様性なら、各家に任せて置けば黙っていても勝手に発展してくれる。しかし既に活字の毒が総身に回ってしまった識字層(国民)の近視眼的誤解となると、これを解きほぐすのは一種の「思い込み」が相手となる分だけ余計に難しい。そんなふうに見ていくと「学書筌蹄」は臨書集であって臨書集でなく、一つの臨書例ではあるが「臨書手本ではなくなる」。つまり一義的に書き方を学ぶのではなく、見方を学ぶために臨書例が具示される事になる。もちろん手本として学んでも一向に構わない。しかし例示の目的は必ずしもそこに帰結する訳ではない。
 同様の、突き放した客観性を意図して書かれた臨書集は数多あるだろう。それを手本と見るのは学習する側の勝手である一方、こうした帰依傾向を逆手に取って分類し直した一つが、或いは上条信山の提唱した意識的臨書区分なのかも知れない(写実的臨書・印象的臨書・表現的臨書)。ただ~苹が見た時のそれらは紛れもない「上条信山の臨書」であり、同じ事が天来の臨書にも云えた。専ら天来の臨書だけ見ていれば「師匠の同一性」は保たれ、外部との比較による差異化・多様化・複眼化が「学書対象の同一性」を内側から解体する事はない。ここでの同一性は至純の公器であって、その内側で任意の表現へと沈潜していく努力は常に至純の持続を生書と熟書の両方に担保するからである。
 ところが苹の場合は違った。高校入学前から雑音まみれな上、授業に際しては尚更マズイ事に、雑音を雑音と有り体に認識していた。そこに至純はない。~初めて雨声会書作展を見に行った時、雪景をくぐり抜けると水波紋の様な宮川翠雨の書線が鋭く映え、門人一丸となった「翠軒流」全体が至純の空気を醸し出していた。新年そのものが至純であったと云ってもよい(会場の青森市民美術展示館は善知鳥神社の真っ正面にある)。…なんでもかんでも手当たり次第に学ぶと、至純の淡雪は掌に触れた途端に消えてしまう。雪塊を鷲掴みにするのとはワケが違う。斯く云う苹は当初から、必ずしも感覚的ではない領分に於て「鷲掴み」派だった(芸術上の領分では「鈍感」とも云う…)。そこに予め自分の限界を感じていた。卒業式が間近に迫った二月頃、高校の書道室で「私は書家になれないと思う」と呟いたのを、多分かの恩師は覚えておられない筈。
 書塾と学校との懸隔は初手から矛盾に満ちている。部活動が書塾に近いのは納得できるとしても、授業の方はいかがなものか。私事ながら~今にして思えば、大学二年の秋から書き始めた卒論予定稿(未完、破棄)のタイトルが「書法の概念と人間の分裂」だったのも、根底には同一性批判が無自覚のまま横たわっていたのだろう。様々な古典を学ぶ授業が程度の差こそあれ結局は分裂的なのに比べて、部活動や書塾では師流との同一性に依拠した臨書や「創作」の指導がなされる。ともすれば過度の授業が部活動の邪魔になる可能性だって考えられぬではない。それも授業での実技偏重傾向や多様化傾向が強いほど、同一性への凝集力は妨げられていく。ならば天来が嘗て「漢字整理」に取り組んだごとく、授業でも実技を脱して可読性や異体字の問題を優先したらどうなるか。文字表現を実技の肉体性や行為性からいったん理念性へと囲い込み、No.7837「別の十年。」稿やNo.7613「場所の喪失(其二)」稿で試みた視点を含む「深層構造と表層構造の関係」として捉えたらどうなるか。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=7837&range=1
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=7613&range=1
 しかしながら、所詮こんなものは余計なお世話だろう。わざわざ畑違いの学問分野から見慣れぬジャルゴンを持ち込まなくとも、実用書体で書かれた字が包括的文字意識の下に読めるのは昔から当たり前だった(=基礎以前の基礎)。だから国語(習字)の枠を離れた後の書道で一々取り上げる必要がないのも当たり前だった。
 二つの「当たり前」のうち前者が破綻しても、後者に属する指導法の伝統を保守しさえすれば「書道らしさ」のイメージは変わらずに済む。~師匠が手本を書き、生徒は黙々と理屈抜きに練習する。しかも今はご丁寧に、手本も古典もあらかた教科書に載っている。後は昔ながらの指導法を繰り返せばよい(それが伝統だ!)。…そう云えば先日、腹を抱えて笑った言い回しが「書道美術新聞」951号(2010.12.15付)に載っていた。以下は小竹光夫教授の連載より。
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> 「僅か二つの回答を準備しておけば…」という発言で場を去った政治家もいたが、極論すれば、書写の教師は次の三語を語れれば授業実践できる。(当然、揶揄的な言い方であるから、くれぐれも信じたり、不愉快になったりされぬよう…)
> ①はいっ、教科書の*ページを開いて!
> ②よく観察してから練習!
> ③書けたら持ってくる!
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 …と引用した直後に苹は立ち尽くす。本稿では塾だの学校だの同一性だのと長々書いてきたが、なんの事はない。最もシンプルな解決策が実は、笑うに笑えぬ上記の指導法にあったのだと。

(「第10話」に続く)



8【再掲】「俺妹」受難曲15 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/16 (Tue) 23:47:35

【再掲】「俺妹」受難曲15
7934 俺の妹が書家になりたいわけがない(第10話) 苹@泥酔 2011/03/10 20:23

(承前)

 天来晩年の目論見は明らかに国語寄りである。それも英語国語化論だの活字だのに籠絡された国語ではなく、書字の伝統に即した基本の整理という意味での。そうした基礎を前提して初めて、指導法の小竹パロディ(「第9話」末尾参照)が真っ当な軌道修正へと向かい始めるだろう。そもそもあれが噴飯物なのは指導法に難があるからではなく、指導法を生かすための前提が最も深刻な形で不毛となっているからである。そうでなければ伝統的指導法(稽古とも云う)が長年、有効であり続けた筈がない。元々シンプルなものを端からゴチャゴチャいじくり回しても碌な事にはなるまい。どんなに大坂城本体の守りを固めても、二重堀を埋め立てられた後では役に立たぬ様に。書写・書道にとって国語の領分は漢字と仮名の二重堀であり、そこにこそ書風以前の同一性が宿る。しかし~だからと云って、そのまま放置する訳にもいくまい。
 今は気儘にゴチャゴチャ書いている苹だって、いつも理屈っぽく指導してきた訳ではない。或る生徒が職員室に(書道準備室じゃないよ)仮名臨書の半紙を持ってきた。あれこれ難点を指摘して、出来るだけシンプルに(笑)こう指導した。「読める様に書け」と。…周囲の先生方には、どう見えただろうか。「くずした字が読める」事それ自体が根本的に理解できなかったのではなかろうか。書道準備室で朱筆をとらずとも指導はできる。そんな事実までもが異質に見えたのなら尚更、小竹パロディの方が指導法としてはいっそう正しく見えた事だろう。指導法は変えずに、指導する中身を変える(統制する)のだ。すると中身に応じて指導法の解釈が変わる。指導内容と指導方法の衝突を回避するには、どのみち変質が避けられなくなる。
 苹の場合は実技の練習に入る前に四時間ほどかけて、先ず仮名字源を理詰めで教えた。字の形から草略過程を読み取る上で、「何故こんな字形になるのか」に至るまでをシステマティックに教えようとした。「読める理由」が分からずして「読める訳がない」。それを踏まえての「読める様に書け」である。読める字は正しい字の歴史的範疇にあるが、美しい字が正しい字であるとは限らない。その範囲を極端に狭めたのが義務教育の国語科書写。極度の自己研鑽を積んだ教育畑から見れば、国語教育の範疇を逸脱した書道は存在そのものが元来「まともな教育ではあり得ない」のである。…想像してみるがよい。或る優秀かつ模範的な教員が完璧に教育漢字や常用漢字を記憶し、かつ厳密に準拠しながら指導を徹底する姿を。書写体の許容範囲は社会的事情の領分に即しているが、必ずしも教育的事情の領分には親和しない、とも解釈できる。そんな間隙を突いたのが、長野県の高校生によるビデオ作品「漢字テストのふしぎ」であった(↓)。
http://www.jvc-victor.co.jp/tvf/archive/grandprize/tvfgrand_29a.html
 仮名字源がそもそも漢字である以上、指導される漢字字形に予め歴史的な変形生成原理が担保されていないと草略を理詰めで理解させる事は不可能である。にもかかわらず一律に「戦後教育的」イデオロギーの下で漢字を制圧すると、現場で指導する身には好都合(?)らしいが~仮名との絆を蒸し返す行為は所謂「教材の精選」、ひいては学習指導要領に反するかの様に見えてくるだろう。つまり義務教育における草略指導は行書にのみ適用される規格であって、草書や平仮名への適用は教育規格外=反則となる。
 その他、こんな例もあった。~草書の授業後、或る生徒との対話中に「器」字の草書を板書して試してみた。四隅の点が何かの草略である事をヒントとして与えたら、彼は即座に正答した。そこで苹が補足。今の活字では中の部分を「大」と書くが、書写体の楷書では「大」が草略されて「工」の形となり、更に草略して草書の「Z」型になると。この程度の事は書道教員なら誰だって指導できる。書風の差異もへったくれもない、純然たる「文字認識の同一性」の話である。しかしそんなあれこれが、管理職を含む他科教員には「難しい事をやっている」と映るらしい。なにしろ同じ畑の書道教員からでさえ、「難しい事は教えるな」との注文が来たくらいである(しかも退職後十年を経て…「第5話」参照)。
 こうした領分では、実技そのものが相対的に希薄となっていく。それではマズイらしい。希薄になってはいけない事情が国語側にも書道側にもある。よって書道教育は結局どう転ぼうと「国語的であってはいけない」様に、どこからともなく予め仕向けられていく事になる。

 見方の基準を国語から芸術に移せば国語が淘汰され、芸術扱いして構わないものを国語と見なせば芸術が淘汰される。従って国語科書写側には芸術との接続因子を衰弱させる必要が生じ、また芸術科書道側では国語との接続因子をリセットするかの様な指導がなされたりもする。~後者についてはネット上、こんな記述(PDFファイル↓)が参考になった。筆者は岩手大学の玉澤友基教授。以下、「はじめに」から引用する。
http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/bitstream/10140/3048/1/arfe-v68p71-79.pdf
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> 高等学校においては,書道専門の教員が指導している場合が多く,小・中学校とは問題を異にするが,「書写で学習したことを忘れなさい」というような指導をされたり,かつては「概念崩し」という言い方で,書写の学習の否定とも取れる指導がなされている場面も見かけた。「書写能力向上」が「漢字仮名交じり書」の必修化と共に指導要領に盛り込まれたが,実用的な読み易い文字を書くことと,個性的で多様な芸術表現の文字を書くことは矛盾と対立を持つ二つの文字の学習が含まれていると言ってもよく,問題点が整理されないままである。学習指導要領改訂に向けての論議の中でも,「書写能力の向上」「小・中学校の国語科の書写からの一層の円滑な接続を図ること」が課題として挙げられている1)。
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 「書写で学習したことを忘れなさい」は聞いた事があるが、「概念崩し」なんて言い方があるとは知らなんだ(忘れてた?)。苹の場合は先日No.7876(「第3話」扱い)でこう書いた。「…あたしゃハタと気が付いた。そう云えば義務教育では書道と書写との区別がやかましい反面、それらの陰に国語や歴史知識が埋もれていたのを。先ず埋もれた基礎を除外して、書道と書写の違いを基礎化して、そこから事を始める。」
 そして、こう続けた。
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> 思いっきり単純化すると、書道が表現芸術であるのに対して、書写は字を整えて書く事である。読む事を含まないから国語ではないし、時系列的知識を含まないから歴史でもない。かてて加えて書道は書写でもない。すると必然的に、書道では国語でも歴史でも書写でもない領分としての範囲内で基礎指導する事が期待されてくる。私が基礎と思い込んでいる内容を総て排除した上で、新たに基礎を抽出(捏造?)する必要が出てくる。
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 国語ではないが国語らしく、歴史ではないが歴史らしく、書写ではないが書写らしくもある曖昧な領分で、つまるところ二律背反的な「三竦み」状態にある。三つの否定と三つの肯定は背反関係にありながらも否定側に落ち着くかの様に見える一方、そうした否定の中に潜在する自己矛盾を三つの肯定に向けて受け流す。…よく出来たシステムだと思う。総てが内側で堂々巡りするのだから、敢えて「外」に目を向ける必要がない。しかも外来要素を取り込む手法自体が「三竦み」の文脈に呪縛されるとなれば、脳科学だろうが何だろうが「怖いものなし」である。中心にある書道は常にシンプル。それ以外の要素は非接触のまま書道の外で勝手に呪縛し合えばよい。云わば書道は、強靱な縄目の縺れに保護された「台風の目」となって自ら君臨する事になる。
 国語や歴史などの「縄目」側から見れば、書道はいつも獄中にある。ただし囚人は必ずしも脱獄したがらない。それどころか今は、娑婆で生きていかれない老人が刑務所に安住の地を求め犯罪に手を染める時代である。学校の芸術監房に投獄されて以来、「書道は芸術ではない」とする倫理的(?)な人々をも或る意味「従えてきた」気がしてならない。もし書道が本気で芸術扱いされたなら、美術や音楽と肩を並べねばならなくなってしまうではないか。実際そんなレベルが求められていないからこそ、書教育では獄中の生存権(市民権?)が逆に保障されているのに。…中には牢獄に喩えるのを不適切と思う人も居るだろう。ならば生活保護にでも喩えてみようか。生活保護を受ける公務員が給料を貰うのだ。自立してはならないから生活保護を受けさせ、また事実上「自立するな」と命じた形の管理責任あるがゆえに公務員として飼育する。生活保護を止めても公務員の身分を剥奪しても、どのみち困るのは学校である。高校なら芸術科書道を廃止すれば済む(所詮は芸術科工芸と同じ選択科目なのだぁ)。しかし義務教育の国語となると、未履修問題での手口を繰り返すには更なる熟慮が必要となろう。
 「縄目」との接触を避けたがる何かが、学校のカリキュラムには予め潜在している。教科・科目は一種の縄張りと化すがゆえに、互いの領土を侵犯せぬ空気を尊重して初めて「無関心の調和」が成り立つのだ。ただし前提はあくまで「暗黙の諒解」すなわち常識の側にあり、その常識が仮に間違っていると皆が薄々勘付いていても、「調和を乱す事なく」是正するのは難しい。同じ「書写/書道」の内部ですら「概念崩し」による分岐へと向かいがちになるのは前掲の通りである。
 ここで一言、書道畑でない読者に念のため断って置く。
 「概念崩し」とは、学習指導要領などを破壊したり歪曲したりする事を指すのではない。むしろ話は逆で、書写と書道それぞれが学習指導要領上の教育概念に束縛される事を指している。すると真面目な教員は両者の違いを強調する余り、なるべく親切に分かりやすく教えようと二項対立的に扱い始める場合がある。その結果「白か黒か」「善か悪か」といった図式で理解(誤解)した生徒は書写と書道を別物と考え、教わった通りに両者の分断を「正しい」と思い込むだろう。やがて彼らの一部が長じて学校の先生になると、(初めに理解した通りのままなら)すぐさま誤解と分断の連鎖が始まる可能性が極めて高い。…或いは「誤解が先か、連鎖が先か」といった前後関係などをも含め、いっそう拡張的または集約的なイメージの下、これらを言表作用の「鎖列」(組み込み、アレンジメント、アジャンスマン)と呼んでみる手もありそうではある。
 以下の批判はガタリ『分裂分析的地図作成法』(紀伊国屋書店)P.67~68の記述。書写/書道や国語、歴史等々と絡めて読むのは些か論旨飛躍の度が過ぎるかも知れないが、示唆的である事に変わりはなかろう…と苹は今のところ思って居る。(哲学畑の側から見て、妥当性ありや、なきや。)
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> しかし彼らは、実際どこから、社会的個人を言語という事象に還元できるという考えや、さらに言語という事象を二項化可能すなわち《デジタル化可能》なシニフィアンの連鎖に還元できるという考えを引き出すのだろうか。この点に関して、ポストモダニストは何も新しいものをもたらさなかった。彼らは構造主義のきわめてモダニズム的な伝統の中心に位置しており、その構造主義の人文科学に対する影響力は、アングロサクソンのシステム論に最悪の状態で受け継がれていかざるをえなかったように思われる。これらのすべての理論のあいだの隠れたつながりは、それらの理論が――還元主義的な概念によって特徴づけられ、情報理論とサイバネティックスの初期の研究によって戦後すぐにもたらされたものとして――潜在していたことの結果であるように見える。それらの理論がコミュニケーションと情報の新しいテクノロジーから引き出し続けてきたさまざまな準拠は、あまりに未熟で使いものにならなかったので、それらに先行していた現象学的研究よりもはるか以前にまで、われわれを引き戻してしまった。
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 そうした状況にあればこそ、書道の実技指導方法は小竹教授のパロディそのままでも充分に通用した。もはや書字はデジタル化の時代にそぐわない。文明開化以降の各時代、それぞれの「現代」から過去を隔離する必要が増大しつつあった。その沸点が活字側で~今やワープロ/パソコンを経由する一方、なべて書字側の常識は氷点に到達する。
 書字側のシニフィアンがシニフィエから見放される事に不都合はない。理解する上では差し支えも差異もない活字、すなわち別のシニフィアン体制と二股を掛ける事が可能になったからである。そうした意味で、日本語におけるシニフィエは、それぞれのシニフィアンから相応の自由を得たらしい。選択的たらざるを得ない審判、過去を裁く自由に文字言語の表層像を委ねつつ、やがてシニフィアン自体が内なる過去/来歴を浄化し始めた。云うなれば「書字の歴史の粛清」である。かてて加えて現在のシニフィアンは、過去を喪失/隠蔽した上でのニヒルな行為的復元、例えばパフォーマンス書道(揮毫行為の集団的アレンジメント)と「その鑑賞」(?)をも俄に取り込みつつある。傍目には「読めない」方がいっそう書道らしく「割り切れる」のに、中途半端に読める事が何を隠蔽するか、或る意味そちらの方が恐ろしくもある。~読めた時点で思考停止し、書との同一性を読まずに済ませてしまう自分が居るのではないか。書表現を見た時点で思考停止し、言葉との違和感を払拭できずにいる自分にむしろ開き直っているのではないか。シニフィエを求めた途端にシニフィアンの罠へと填る「書表現なき書表現」が、ここでは自ら過去/来歴としての文学的「読み方」を黙殺し始める。書道が活字側のモダニズムとポストモダニズムに幽閉された形、と云ってもよかろう。
 モダニズムは活字媒体を通して、学問的・進歩的・理性的なイメージをさんざっぱら振りまいた。その文脈を反省的に継承(批判?)したのがポストモダンの領分らしいが、どちらも(おそらくは当然ながら)輸入前=過去の書字文化を用いて語られる事はない。そんな具合の乖離因子が百年よぼよぼ言葉に関与し続けると、今度は書道の方が「シニフィエを必要としないシニフィアン」の領分でも生き残れる事を文化防衛的に自己証明せずには居られなくなってくる。するとそれまで潜勢していた絵画的要素を誰もが字面~すなわち意識の表層へと引き戻し、通俗的には「読めなくても鑑賞できる」との誘い文句を恥じらう事なく正当化し始めた。芸術書道より実用書道・教育書道の方がなんとなく格下であるかの様に思えるのは、そんな呪縛が既に伝統と化している事を示唆するのかも知れない。
 明治の開国以来、影響は学校の授業で遍く露呈し、書道は徐々に芸術へと封じ込まれていった。~なお、ここで云う「芸術」は旧来のそれ(広義には占星術・農業・漁業などを含む)でなく、西洋から輸入された翻訳概念としての「美術」(旧称)を指す。(詳細は佐藤道信『〈日本美術〉誕生』(講談社選書メチエ)P.38を参照。)
 云うまでもなく、大学進学者の殆どは書道と無縁な分野に進む。それならそれで進路拡張性なき「書道のための書道」ではなく、日本文学や中国文学、言語学や芸術学、哲学などへの拡張を前提した書教育(識字教育)を取り戻せばよい。ところが学内では高校学習指導要領上の名目が「芸術科書道」であるせいか、狭義の「芸術」からの逸脱を許さない雰囲気が瀰漫している。本稿冒頭で「指導法を生かすための前提が最も深刻な形で不毛となっているからである」と書いたのには、そうした経緯が関与している点に留意されたい。
 嘗て書道は国語と一体であった。やがて国語教育そのものがモダニズムの温床となった。国語が書道を「きたるべき無縁死」へと追い込んだ。書道側も多分それを素直に受け容れたのだろう、「国語科書写とは違う」と教える様に仕向けられたのを逆手に取ろうとしたらしい。学習指導要領にある「国語との接続」だって何の事はない、平たく解釈すれば昔話を読み聞かせる様なもので、話が「おしまい」で閉じられた後に書道の授業が始まる。そこから先の世界に書道は生存の希望を見出した。書道モダニズムは「芸術」にひきこもる。国語モダニズムは新時代を迎える。両者は離婚したのに同居した。…離婚後に出来た子供は今や高校生、つまり思春期でござる。芸術くんが国語さんに手を出すと、芸術くんは非行少年の扱いとなるのかも知れない。
 非行少女と呼ばれて。(…ん?)
 国語さんは親子共々、モダニズム教団に属する信者である。「書道くんは分派した異端者なのよ! もう交際しちゃいけません!」と文科省高校の先生から指導されていたのに、桃色の二人は十数年前、苹の授業に唆されて愛し合ってしまった。昔々の愛の妙薬…それは死の毒薬ではなかった。国語さんは「トリスタン…」と囁き、書道くんは「イゾルデ…」と応える。~ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』(河出書房新社,1994)P.153には、こんな事が書いてあった。「二つの主体の叫びは、こうして、強度のさまざまな位階をのぼりつめ、窒息する意識の頂点にまで達する。ところが、船の方は、水の、死の、無意識の、裏切りの線、途切れることのないメロディーの線を追い続ける。」
 死を前提した生存。「過去を歪曲する義務」と共にある生存。だからこそ生き残れたのだとするならば、例えば「公教育に社中は必要か」とする問いにも相応の錯視が要求されねばなるまい。それが仮に隣の黒船、中国「本土」からの圧力に屈する必要をも証し立てる結果になるとしたら、将来の日本が中国の属国になるのは致し方あるまい…と思って構わないか否かは固より知らず。
 果たして十数年後となった今、爛れた関係を結んだ生徒達はまともなモダニズム路線もしくはポストモダニズム路線へと復帰できているのだろうか。擱筆にあたり自己批判しよう。苹は多分、教育規範上の犯罪者であったのだ。~ところで、ワーグナーの楽劇《トリスタンとイゾルデ》第三幕に曰く、
「船はまだ見えず。」

(了)



4【再掲】教組再考01 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/08/30 (Tue) 23:34:08

【再掲】教組再考01
7743 「見立て」の一例 苹@泥酔 2010/04/20 22:15

 今BS11に、かの有名な寺脇研が出ている。…それはともかく。

●本論
 組合に所属しない教員は信用されない。言い換えるなら、普通は教員への信頼自体が組合への信用で担保されるので、組合に属していない教員はモグリ扱いされても仕方がない。さもなくば、傍目には胡散臭き事この上ないからだ。彼には何の裏付けもない。履歴書で喩えるなら、履歴欄そのものが空欄かつ「賞罰なし」の状態に似ている。出身大学や勤務履歴に意味はない(所詮「お前もか」で終わり)。それに比べれば「××組合」の威力は確実に名刺代わりとなる。現に多くの人が古来こんなふうに発想してきた(↓)。
「あの人、先生なんだって。」
「へえ、どこの組合?」
 組合に属し、しかも教員であるという事は、その先生がただの組合員ではなく、人脈や実力などのパラメータの中どれか一つ以上が、組合の指導者レベルと近い位置にある事を客観的に意味する。そして大抵の場合は慣行上、組合の掛け持ちはしない(できない?)。いったん組合に入ったら、その組合に死ぬまで所属し続けるのが普通である。
 地域の教育界が特定の組合と癒着するのは日常茶飯事である。だから或る地域で先生になりたい人は、その地域の教員が多く属している組合に入ればよい。組合は学校外で活動するが、学校内でも活動できる(勧誘機能の面では部活動が主で授業が従)。従って組合の活動費は生徒~ひいては保護者からも徴収できる。生徒は組合の機関誌を購読して勉強する事になるが、地域で自前の機関誌を発行するのは手間がかかるので、上部組織もしくは提携組織たる組合の発行する機関誌を使う例が少なくない。そして通常、部活動では文部科学省の検定済み教科書を使わない。
 教育の主導権が組合側にある事は日本国中どこでも昔からの常識だし、学校側もそれに配慮するのが当たり前(=伝統)である。そこで学校側は正規の授業を実施しないか、もしくは授業の形骸化や歪曲を推奨して組合教育を敬遠する。平たく云えば「組合はお荷物」なので、本気で敬意を払っている訳ではない。どちらかと云えば蔑視対象に近い。しかし学習指導要領で決められている事なので、「教えたくない側」の学校と「教えたい側」の組合との間で調和が保たれてきた。
 繰り返す。学校側の本音は「教えたくない」のである。だから組合が学校教育を代行する。…思うに、誰もが先入観に囚われているのではないかしら。例えば教職員組合が学校の枠内だとか、会社の組合が会社の枠内だとか。そんな古めかしい思い込みは通用しない。組合は別組織なのだ。…想像してみよう。例えば、フジテレビの社員がライブドアの社員を兼ねている状態を。日本の有権者が、韓国の有権者を兼ねている状態を。ここではフジテレビや日本が「学校」に相当し、ライブドアや韓国が「組合」に相当する。

●傍論
 「そんなバカな」と思う人は少なくなかろう。
 底意地悪く、何度も執拗に「組合」と言い換えてきた。中には「組合への嫌がらせか?」と思う人も居るのではなかろうか。そんな事はない。私は離脱した今でも「組合」を愛しているのだから。…と云うのは正しくないな。もしかしたら私は、その「組合」を動かしてきた思念の方を理念的かつ限定的に愛しているのかも知れない。複数の組合が存在する理由には、それぞれの「組合」が理想とする「中核的な何か」の差異が含まれる。しかし~その「差異」自体を私が愛しているのだとしたら、これは差異を挟む両者に対する裏切りを意味する事にもなろう。
 ここらでチョイと、アニメ声で一言。
「やめてーっ! 私のために争わないでーっ!」
 …閑話休題。
 「組合」が学校教育に寄生しつつ実質的な教育支配を目論むのは、その「組合」にとって健全な行為なのかも知れない。余所の「組合」に既得権益を奪われてはならない。寄生の実態とは教育上の権益の事であり、とどのつまりは「布教する上で有利な立場にある」ってこった。しかもそこには入札に相当するシステムがない。入札制度を取り入れると学校が破綻してしまう。そんな事は学校側も「組合」側も望むまい。もちろん入札の仕組みは整っている。ただ「やりたくない」から「やらない」だけの話、とも云えよう。ここでの不作為は罪ではないし、不作為と思考停止は似ている。仕組みが整っているのは、仕組みが理念的領分に留まるからだ。そしてシステムがないのは、システムが現実的領分に留まるからだ。
 …では、私も暫く思考停止する事にしよう。
 以下、思考停止の合図となる呪文を唱える。

「組合は、社中や流派に似ている!」



8【再掲】教組再考02 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/09/01 (Thu) 20:55:00

【再掲】教組再考02
7750 「見立て」の一例(其二) 苹@泥酔 2010/05/11 22:28

●展開
 苹の属した事のある「組合」はさほど多くない(そもそも「組合」とは呼ばれていない)。そもそも属していたと云えるかどうかすら定かではない。~例えば、A高校の生徒がB組合の先生の授業を受ければ、その生徒はB組合に属した事になるのだろうか。そうではあるまい。しかしA高校の部活動XでB組合の流儀を学んだ場合、そこから先は徐々に判断が揺らいでくる。と云うのも先生転勤後、部活動Xが後釜先生の所属するC組合の傘下となるケースは多いのだ。そしてこれを学校本位制で見る場合、BだのCだのといった「組合」はXを媒介した為替のごとき変換システムにより整序される。もしかしたら、学校における本来の「組合」はXの方なのかも知れない。組合が社中に似ているのか、それとも社中が組合に似ているのか。(或いは、似ていないのか。)

 前稿の語句を入れ替えていくと、大体こんなふうになる。
--------------------------------------------------------------------------------
> 流派に所属しない教員は信用されない。言い換えるなら、普通は教員への信頼自体が流派への信用で担保されるので、流派に属していない教員はモグリ扱いされても仕方がない。さもなくば、傍目には胡散臭き事この上ないからだ。彼には何の裏付けもない。履歴書で喩えるなら、履歴欄そのものが空欄かつ「賞罰なし」の状態に似ている。出身大学や勤務履歴に意味はない(所詮「お前もか」で終わり)。それに比べれば「××流」の威力は確実に名刺代わりとなる。現に多くの人が古来こんなふうに発想してきた(↓)。
>「あの人、先生なんだって。」
>「へえ、どこの流派?」
> 流派に属し、しかも教員であるという事は、その先生がただの××流ではなく、人脈や実力などのパラメータの中どれか一つ以上が、流派の指導者レベルと近い位置にある事を客観的に意味する。そして大抵の場合は慣行上、流派の掛け持ちはしない(できない?)。いったん流派に入ったら、その流派に死ぬまで所属し続けるのが普通である。
> 地域の教育界が特定の流派と癒着するのは日常茶飯事である。だから或る地域で先生になりたい人は、その地域の教員が多く属している流派に入ればよい。流派は学校外で活動するが、学校内でも活動できる(勧誘機能の面では部活動が主で授業が従)。従って流派の活動費は生徒~ひいては保護者からも徴収できる。生徒は流派の機関誌を購読して勉強する事になるが、地域で自前の機関誌を発行するのは手間がかかるので、上部組織もしくは提携組織たる流派の発行する機関誌を使う例が少なくない。そして通常、部活動では文部科学省の検定済み教科書を使わない。
--------------------------------------------------------------------------------
 これなら傍目にも違和感はなかろう。事によると「どこに問題が?」と思うかも知れないが、こちとら必ずしも問題だと思っている訳ではないし、強いて挙げるなら開き直って「組合に見立てる手口自体が問題」とも云える。流派と社中が違う様に、多分それらは組合とも違うのだから。
 書道方面の有名な例では「謙慎」という会派がある。どちらかと云えば(苹には)西川寧や青山杉雨の印象が強く残るが、あそこには上条信山や殿村藍田など「別の流派」の人々もまた所属していた。~雑駁には、複数の流派(社中)が「より包括的な」一つの社中を構成する例と云ってよかろう。
 その反対に、一つの流派が複数の社中に分裂(?)する例は数多い。何らかの仲違いで分裂した場合は互いの交流がなくなったりするが、そうでない場合は複数の「地域的」社中が同じ流派同士で連合して「より総合的な」社中を構成したりする。
 ここでいきなり話を飛ばして~「新しい歴史教科書をつくる会」が分裂して「日本教育再生機構」が出来たケースではどうだろうか。元々は一つの保守系団体だった。そして日教組の場合は穏健なグループから過激なグループまで、やや変な言い回しになる点は扨て置き「守備範囲が広い」。日教組と民主党が似ている様に見えるのは、そうした印象の影響もあるのだろう。
 嘗て賑やかだった文部省と日教組の対立は一見、学校の運営精神をめぐる覇権闘争だったかの様に見える。或いは労使間闘争を偽装していたかの様でもあるが、その焦点には常に子供達が居た。~時には文部省の手口がソ連の圧政に見え、日教組がアメリカ臭く見えたりもしたのだろう。或いは日教組がソ連で文部科学省がアメリカ。ならば差し詰め子供達は「朝鮮半島やベトナム」って事になるのかいな。「子供達を戦場に送るな」のスローガンで「学校を戦場にした」のは誰でしょね。(ここで空耳一声…「どこが非戦闘地域で、どこが戦闘地域か、そんなの私に聞かれたって分かる訳がないじゃないですか。」)

 こうした「組合」状と云えそうな組織諸々の「間」に、実のところ「非戦闘地域」状の空白地帯は現れる。また「組合」らしさが薄まるほど組織の役割は透明になっていき、それが偶々「非戦闘地域に見えるだけ」の空気感を醸し出していくから始末が悪い。「どこが(=場所が)」ではなく、「それが(=状態が)」戦闘地域なのか非戦闘地域なのか自体、そもそも場所をクローズアップすればするほど「分かる訳がなくなってくる」。
 判別基準は「戦闘状態」。その中には休戦状態も含まれる。すると場所が状態の幅を丸ごと呑み込み、場所それ自体が「状態の隠れ蓑」と化す。
 例えば「戦闘状態」を教員採用試験の「実施状態」に置き換えると、「平和」な状態では試験を実施する必要がない。よって廃止状態となり、そのまま続けば「今後も実施される事はない」。にもかかわらず試験を実施する場所がある。場所があるから状態も担保される。また「休戦状態」は「いつ戦闘が再開されるか分からない」という意味を含む「非戦闘状態」であるから、教員採用試験の場合も「いつ実施されるか分からない」含みを残した廃止状態であり続けて構わない。
 意図の有無は確認できないが、昨年の教員採用試験で印象深い事例があった。~岩手県は日本で唯一、高校書道のを毎年実施している県である。数年前に珍しく「実施しなかった」時は新聞紙上やや大袈裟に「岩手ショック」と呼ばれた。数ヶ月前、その岩手の試験結果記事を見た。昨年の試験では確か合格者ゼロだった。
 試験を実施しても、採用しない事ができる。そこに宿る拡張可能性は、或る意味おぞましく思えるほど大きい。~因みに青森県では、これまで総ての高校芸術科目で試験を行わなかったのが、今年どうした訳か美術の試験だけは実施するそうな。音楽や書道での試験に関する対応諸々を観察し続けない限り、これが何を意味するかは全く分からない。と云うのも、実施意思が試験の実施如何を統べるとは限らず、むしろ実施事実や採用事実により生成する様態の方が優先して、実施意思を遡行的かつ客観的に形成するからである。(これを書くのには別のジレンマが伴う…たぶん見方次第では「新しい歴史教科書をつくる会」発足時の根本動機批判とも隣接する筈。)

「教組再考」其二

苹@泥酔

2020/07/04 (Sat) 04:24:35

8【再掲】教組再考03 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/09/03 (Sat) 19:41:56

【再掲】教組再考03
7769 「見立て」の一例(其三) 苹@泥酔 2010/06/09 23:59

●嘘
 「学校に学問は必要ない。」~先生なら、きっと誰もがそう思っているだろう。にもかかわらず「そう思わない様に」、可能な限り本気で振る舞っているだろう。…学問は人生だ。しかし偶々そう呼ばれる羽目になった「かたち」の一つであるから、人生が学問である必要も、また学問が人生である必要も全くない。そんなものが学校に必要だとしたら、学校が崩壊するのは当たり前じゃないか。てめえの人生くらい、てめえで責任を取れ。
 …てな大見得を切った直後に、ここは一つ「誰も責任なんか取れませんてば」と開き直ってみよう。結構、あたしゃ本気で書いている。責任は「取らされる」ものである。勝手に「責任を取った」気になられても困るだろう。つまり責任それ自体が或る意味「排他的」である事に矛盾はない。だから責任はいつも相変わらず押し付けがましい。義務と責任が互いに何かを「なすり合う」、そんな滑稽さを仮に「責任」と呼ぶならば、そうした責任が人生のユーモアもペーソスも丸ごと引き受けるのは、傍目に見るところ~却って意外なほど自然な在り方に思えてくる。
 そこで多分、便利な仕組みが両者を仲介する事になる。寝惚けて居ようが疲れていようが「義務と責任」なめなめゴックン呑み込んで、したたか酔っ払って居ながらも実は醒めている様な、そんな仕組みが実際は相互の排他性を円滑に保守し続けるのかも知れない。敢えて偏見含みで言い募るなら、学校では所謂「日教組」がその役割を期待されているかの様に。もちろん相手が必ずしも「日教組」でなくたって構わない。そんなものは何処にでもある。むしろ肝腎な点はそうした仕組みの宿命にあり、対象よりも宿命の方に「義務と責任」が宿る。もし日教組を画一的に非難するつもりなら、学校も教員もまた画一的に、同じ非難に曝されねばなるまい。

 嘗て高橋史朗先生は、埼玉の教育委員になる際「つくる会」の副会長を辞した。教科書採択に関わる立場が教科書を作る立場を兼ねるのはモラルに反するって事らしい。…確かに問題はあるのだろう。法律上の義務と、社会的な責任と。
 拡大解釈すれば「つくる会」も「組合」的な性格を内包するだろうし、扶桑社本に猛反対する側から見れば、辞任後も依然として「特定の組合と癒着する卑劣漢」であるかの様に映った筈。現に高橋委員は教科書採択の場から退席した。そこまでする必要があったのかと、薄ら甘く構えれば~稍や疑問に思わぬでもない。
 選挙に立候補する人も大抵は、それまでの職場を辞してから出馬するらしい。よくよく考えると不思議な面はある。他国の自治体には議員が無報酬の所もあるそうな。この場合、本業の仕事をしないと干上がってしまう。抱えるスタッフやシンクタンクの問題もあろう。しかしよほど歪な風土でない限り、「仕事が忙しくて議会に出られません」とは誰も云うまい。
 ふと、或るケースを仮構したくなる。~「組合活動が忙しくて授業に出られません。」
 組合活動が授業と無関係とは限らない。授業に活用するための教材を作成するため、日々の努力を重ねている人々が少なくないらしい。先日その一例が新聞沙汰になった(↓)。さすがに授業放棄してまで組合業務にのめり込む人は居ないだろうが、ここでは組合活動の一成果が文部科学省や教育委員会の方針と衝突した形となっているらしい。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_pr_488.html
 その産経記事によると、浜教組の当事者は斯く語る。「資料集の1つとして作成した。自由社の教科書を使わせないようにしたわけではない」と。…これはこれで一理あると思う。新たに採択された教科書の内容が不充分だと思ったから、彼らは自前の資料集を作成したのだ。対抗する教科書を作成したのではない。しかし反面、事態を冷静に見ようとすればするほど、何か納得できない感覚が残るのではなかろうか。そもそも教科書と資料集の違いは何なのか。そこに独特の「嘘」が隠れているのではないか。

 先日、奥様ブログにこう書いた(抄録↓)。
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> 連休モードで『WiLL』2010.6号の感想余談。
> 前号に引き続き日教組批判が続いてますが、このところ教育は或る意味、もしかしたら「嘘との勝負」なんじゃないか、との記憶が蘇り始めています。こう書くと変な話になるけれど、とどのつまり実質的には「嘘を吐く」のが教員の仕事ではないかと。
> 過ちは正せばよい。しかし嘘となるとそうは行かない。嘘は人格そのもので、嘘を否定したら人格が嘘になる。だから嘘を教えるのは仕方がない。嘘から逃れようとする態度を覗き見られるのは恥ずかしいが、となると嘘を隠蔽しようとする態度の方はどうなのかしら。そう考えるなら、何かすると結局は「単純な日教組批判」に終始しそうではある。そこんとこが盲点めいていて何やら空恐ろしい。或いは「ありのまま」単純で構わないのかも知れない。が、そうでないのかも知れない。
> むしろ厄介なのは罪の方で、この観念を取り込んだ時から日本人が籠絡され始めた気がせぬでもない。そうした意味で、日教組の先生方から正しさのニオイが漂ってくるのは、教員として健全な姿と云えるのかも知れない。通時的かつ共時的には、人質共同体の相互自縛とでも云うべきか。
> 過ちと嘘と罪と悪。~先ず本を読む前に考えて自分を捏造し、本を読んでは自分を失い、本を忘れて自分を取り戻し、取り戻した嘘に更なる自分を観るとしたら、「本を読む時期を択ぶ」ってぇのも一つの見識ではあるんでしょうかねぇ。なんか「ただ怠けてるだけ」って気がしないでもないけど、こちとらそんなにたくさん勉強できるものかい。
> 「わたし教える人、あなた勉強する人」ってんで組合活動に没頭する状況は、授業を日雇い先生(臨時講師)に外注するシステムとどこかが似通っている様に思えます。(この辺をそこそこ発酵させてからでないと、天バカ板で予定してる続きの稿は書けない様な気がするなあ…orz)
>【2010/05/03 06:18】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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 こうした自己懐疑から成る自問自答がやがて、その立場にあった身ならではの観察経験と重合しつつ、「他者をも振り返る」ための材料となっていく事になる。



8【再掲】教組再考04 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/09/05 (Mon) 23:15:46

【再掲】教組再考04
7772 「見立て」の一例(其四) 苹@泥酔 2010/06/18 20:39

(承前)

 嘘は必ずしも虚偽ではないらしい。嘘の共有により共通感覚が磨かれたり、連帯の強化に役立つ面もあろう。問題は、それを「嘘」と見なす側の方にあるのかも知れない。そこが難しい。相手側から見れば、こちらの方が「嘘」になる。そして勿論、それくらいの事は誰でも知っている。
 要は、「そう思うか否か」の組織的な違いにもよるのだろう。例えば苹は教職員の人事異動に関する業務を「ご苦労様」と労いたいが、これとて見方を変えれば「壮大な民業圧迫」と云えなくもない。~学校で教員が足りなくなる。校長が県教育庁を通して手配を頼む。すると教育庁内の所轄が人材派遣業としての姿を現す。普通なら、民間の派遣業者は関与しない。教員採用試験を実施する場合も、しない場合も。
 ただし、派遣業の役割を担う「何者か」なら居る。ただ業者の体裁を取っていないだけの話で、そうした零細な何者か(以下、便宜上「彼」と表現する)を通して人材を紹介して貰う。すると彼の知る範囲内で、彼は人材を県教育庁に紹介できる。そして彼は結構、現場のニーズを知悉した職場~すなわち学校で働いている場合が多い。…これを或る会社の求人に見立ててみる。職業安定所なんか必要ない。会社が自前で調達できる。と云うのも、社員に人材の紹介を頼めばよいのだから。つまり社員たる彼は、通常業務の他に人材派遣業務をも担当する事になる。それだけ忙しくなる。通常業務が疎かになるかも知れない。しかしその通常業務自体が「疎かであってよい」ならば、会社は平然と社員に人材派遣を頼む事ができる。その反対に「疎かであってはいけない」業務の場合、会社は職業安定所や自前の採用試験を必要とするだろう。
 「彼」とは何者だろうか。一者だけとは限らない。実際に動くのは一者でありながらも、その一者「たち」を組織が抱えているなら、「彼達」は組織内で「組織されざる集団」としての潜在的機動性を担う事になるだろう。それが学校では臨時講師採用のメカニズムとなって、自己防衛的に増殖し始める。~都会で取り沙汰されている教員不足は「必要な教員」の不足であって、学校としては恐らく自覚的でないまま、法律に定められた総ての教員を必要としている訳ではない。この時点で、必ずしも必要とされない彼らは潜在的な「組合」分子の素養を既に蓄えている。
 「其一」で纏めた構図を言い換えると大体そうなる。「学校側の本音は「教えたくない」のである」と書いたのには、そんな背景がある。しかも厄介な事に、それ自体すら組織の責任に帰結するとは限らない。責任を取れる何者かは何処にも存在せず、仮構された責任を引き受ける筈の「法人」的存在ですら、そうしたリスクを敢えて見限る事はない(これも一つの「責任の取り方」ではある)。

 …先日、奥様ブログにこう書いた(抄録↓)。
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(以下余談)
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100507/stt1005070254001-n1.htm
 今日の産経「正論」欄は、「嘘」に纏わる話題を含むアレコレ(猪木武徳↑)。このところ書き散らしてきた事を考え直すにはお誂え向きのタイミングが有難かった。暫くは投稿に間を置くつもりだったのに、これを読んだら気分がコロリと変わっちまったじゃねーか。(ついでに歪みまくった挙句の上記妄想が金魚の糞の様に付いてくる。)
 猪木先生は嘘と真理を対置する。それが真っ当に過ぎるから困る。なんだか不条理が条理へと引き戻されていくみたいだ。もっと理不尽でもよさそうな気がするのは何故だろうか。仮にその理不尽が所謂「ブルシット」の線へと逃れていくのだとすれば、嘘の分裂(ブルシットとの峻別)は「嘘そのものにとって」脅威となり得るだろう。そして仮に猪木先生の指摘を正しいと認めざるを得ないならば、逆に嘘そのものは減数分裂的な在り方を内包する事によって、「理性を約分する」可能性と共に新たな振り子運動を開始するだろう。理性と言葉との距離自体に消尽する「余計なもの」は、今や苹の脳内で反復運動を加速しながら、理性も言葉も呑み込むブラックホールへの変容を遂げつつあるみたい。するってぇと、先生の云う「余計な言葉」とは、言い換えるなら、苹の幻視する「反復運動」の総体でもある事になるのかしら。
【2010/05/08 00:11】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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 …ここで云う「反復運動」とは、どうやらプラトン的な意味で云うところの「対話」にまで遡って考える必要がありそうだ。しかしながら現職教員に、それをする余裕はない。教員を多忙にすればするほど、教員は別の民間的存在へと近似していく。ここでは教員の自己崩壊により満たされる=流動する結果自体が、教員の終末論的義務を引き受ける(ただし「学者」は、必ずしもその限りにない?)。

(以下、当該産経記事全文引用)
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>【正論】国際日本文化研究センター所長・猪木武徳
>2010.5.7 02:52
> ■「余計な言葉」があふれ出ている
> 政治家の演説、予算委員会での質疑応答、記者会見でのやり取りを聞いていると、知りたいことをなかなか率直に語ってくれないので、欲求不満に陥ることが多い。イメージのわかない抽象的な表現に終始するだけでなく、質問をはぐらかすような返答には、ときに苛立(いらだ)ちを覚える。
> 言葉の軽さは、民主制社会のひとつの特徴のようだ。このことは、独裁専制政治では、独裁者の言葉と一挙一動に(ときには咳(せき)払いや視線にさえ)人は敏感に反応するようになるのと対照的だ。
>
> ≪魂の抜けたような≫
> 権力を持つもの、権力の近くにいるものは、言葉遣いに慎重になる。かつては京都の人々の婉曲(えんきょく)的で柔らかな言葉遣いは「京都人の技巧」あるいは「京都文化の特質」だとされたものだ。しかし、近年、政治、行政、経済の中心が東京に移ってから、東京の人たちの言葉遣いに、昔の「京都人」に近いものを感じるのは筆者だけではあるまい。権力の近くでは、人は用心深くなるものだ。
> 一方、デモクラシーの下では、市場経済と同じく、いま、ここで、人々に強く訴えかけられるか否かが競争の雌雄を決する。思弁的ではなく、実際的、商業的な分野の言葉が重要になり、思想よりも感情そのものを捉まえる言葉が勝利する。そして魂の抜けたような言葉が累積して行くのだ。
> この「死んだ」言葉の横行は、一般に官僚出身議員(衆参両院83名にのぼる)の増加ゆえかと思ったが、必ずしもそうではなさそうだ。官僚出身の政治家が質問をかわす技術には驚くが、共通感覚で語る議員も少なくないからだ。
> なぜ政治家の言葉が空疎に響くのか、特に深く考えることはなかったが、最近たまたま読んだ本によって、まさに「目から鱗(うろこ)が落ちる」ような思いを味わった。
> 原題は、On Bullshit。ブルシットは直訳すれば、「牛の糞(ふん)」であるが、その意味は、たわ言、ナンセンスということになろうか。著者は米国プリンストン大学のハリー・フランクファート教授である。デカルト研究を専門とする著名な哲学者だ。
>
> ≪「嘘」よりも強力な敵≫
> 同書は小冊子であるがなかなか鋭くて面白い。まず、哲学者らしく「ブルシット」と言う概念を定義し、その応用可能性を検討する。大事な点は、「ブルシット」を「嘘(うそ)」と峻別するということだ。嘘つきは、故意に誤った発言をするが、「ブルシッター(たわ言をいう者)」は真理には全く無関心なのである。「ブルシッター」は主に聴き手に好印象を与えることに終始し、聴き手を味方につけることにのみ関心を持つ。
> 嘘つきは真実を隠すが、そのためにはその真実を知っていなければならない。しかし「ブルシッター」は自分自身の主張を押し通すことにのみ熱心なため、真理を知る必要を感じない。したがって「ブルシット」は、真理にとって、嘘よりも強力な敵となるのだ。
> 正確さ、確実さを徹底的に追求したデカルトの研究者だけあって、論理の展開は厳密だ。著者はこの本のあとに「真理について」という著作を公にしている。
> フランクファート教授の指摘で重要なことは、人が言葉として発するものの中には、嘘でも真理でもない、第三種、すなわち「ブルシット」という範疇(はんちゅう)があるということ、そして現代社会がこの「ブルシット」に満ちているということである。
>
> ≪問題の所在も自覚されず≫
> この議論は現代日本の政治にも多くの示唆を与えてくれる。最近の「普天間問題」についての首相の発言を聞いても、事態の真相を知ることはできない。「嘘」を言っているわけではないが、「真実」を語ってくれるわけでもない。あらゆる方面への配慮で塗り固められた「ブルシット」が、飛び交っているだけなのである。
> 無念なのは、首相自身が、そうした対応の何処(どこ)に問題があるのかを自覚していないことである。自分は謙虚で誠意に溢(あふ)れた人間だと思い込んではいないか。この思い込みは、「嘘」よりも始末が悪い。それはちょうど、「自分は正しい」と思い込んでいる頑固者のほうが、偽善者よりもはるかに困った存在であることに似ている。偽善者は、少なくとも、善が何かを知っており、あたかも善意の人の如く振舞うことができるからだ。
> 政治でもメディアでも、そして社会生活のあらゆる場面で、タブーや、口にしてはならない言葉が増えてきた。それは言葉を慎むことによって、心の行儀をよくしようという期待から生まれた動きであろう。だが結果としては、嘘でも真実でもない「ブルシット」の横行という事態を招いている。「ムチの一打は傷をつくらん、舌の一打は骨を砕かん」という。真実そのものを述べることは、時には残酷となる。したがって言葉を選びぬくという気持ちは常に必要だろう。しかしいまの日本の政治には、真理でも嘘でもない「余計な言葉」ばかりが溢れだしたという事なのだ。(いのき たけのり)
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8【再掲】教組再考05 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/09/07 (Wed) 20:56:50

【再掲】教組再考05
7778 「見立て」の一例(其五) 苹 2010/07/01 19:38

●書家と書道教員の違い
 別ツリー(ツリー表示参照)のNo.7775に再掲した旧稿で、「常識への信頼が時代に取り残されるうち、そこにあった筈の常識は徐々に非常識へと変わっていく」と書いた。この点を補足して置く。
 苹が書道の基礎と見なしているものは、所謂「芸術書道」と呼ばれている領分ではない。ここを読み違えると根本的な錯誤をきたす。そもそも芸術書道は高校芸術科で「これから学ぶ領分」なのだから、とどのつまり絶対に「基礎ではあり得ない」のである。よって、嘗て教育書道とか実用書道と呼ばれていた領分を可能な限りコンパクトに纏め、なるべく分かりやすく圧縮指導する必要がある。
 今はやや曖昧になりつつある様だが、両者は昔から書店で峻別されていた。芸術書道は美術の棚、教育書道と実用書道は実用書の棚に並んでいた。実用書はペン習字の本ばかりを指すのではない。毛筆だって立派な実用書の範囲内だった。その何冊かが今も手元にある。どれも昭和三十年代から五十年代にかけて出版された本で、実際に書店の棚(古書店に非ず)で見かけたものばかりである。その中には草書や変体仮名が含まれ、毛筆による平易な書翰の手本には便箋や葉書の他に巻紙もあった。これら総てが実用書。熨斗袋や履歴書も実用書。だから芸術書道のコーナーに並ぶ訳がない。苹が最初に学んだのは皆この類であり、どれも中学時代には一通り目を通していた。ただし必ずしも「書いて学んだ」のではない。あたしゃそれほど熱心ではない。見れば読める様になる。ただそれだけの事に過ぎない。しかし基礎を振り返って考え直そうとする時は必ず参照する書物達である。例えば鈴木翠軒(国定手本甲種筆者)と西脇呉石(国定手本乙種筆者)の「芸術作品」に共通する線質が見られる点を考える時、先ずそうした基礎を振り返る所から始める。
 基礎を難しいと思うのは、芸術書道しか見た事のない人が殆どではないのか。そこに「常識への信頼」は成り立たない。常識教育を排除すれば、常識が身に付かないのは当然である。そして常識教育は大抵、家庭教育の領分であった。だからだろうか、昔は多くの子供が書塾に通っていた。かの福田恆存の父親だって東京電燈を馘になった時、子供相手の書塾を開いて生活していたそうな。恆存が浦和高校に入学した年である。
 以下は別の例。宇野精一博士米寿記念対談集『書香の家』(明治書院)P.37~38より。
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>宇野 小学校時代のことで特筆すべきことは、小学校の一年のお正月、だからもう二年になるときですが、親父がぼくに習字を習わせた。その先生というのは、田口米舫という先生です。この先生は米フツ(草冠に市)を非常に尊敬していましてね。先生のお父さんは東大の昔の医学部の教授だったらしい。ぼくが通ったのは駕籠町四十四番地というところなんだ。
>石川 つい最近まで駕籠町と言っていましたね。
>宇野 ぼくは電車で通っていたのですが、駕籠町の一つ白山寄りに「原町」という電車の停留所があった。その原町で降りて、ちょっと入ったところに先生の家がある。そこへ一週間に一遍通いました。先生がお手本を書いてくださって、一週間かかってそれを書いていく。「千字文」を四字ずつ書いていく。一枚の半紙に二字だから、二枚書くわけだ。それを一週間お稽古して、先生のところに持っていく。先生が見て、よければ「次」と言い、悪いと「もう一度」と言われる。先生の前で新しいのを書くんです。だから、筆と墨と紙を持っていかなければいけない。
> それはかなり長続きしまして、中学の四年までやりましたね。さすがに中学の三年ぐらいのときに千字文も上がったんですよ。たった一週間に四字ずつだから、二百五十週かかるわけだな。一年五十週としても五年ですよね。まともにいけばそうだけれども、夏休みや冬休みは休むから、中学の二年か三年までかかったんですよ。楷書が終わってから、篆書の真似ごとをやったり、隷書の真似ごとをやったりしていましたが、中学五年になったら、習字なんかやっていられなくなった。こっちは必死で受験勉強をしなきゃならなくなってやめちゃったんだ。
> 高等学校に入ったら、寮に入ったでしょう。寮に入っていちゃできないわ。おまけに弓引いているから、できないというのでやめちゃったの。いまでもそれは残念ですけれどもね。
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 こうした先生を何と呼べばよいのだろうか。やはり書家になるのだろうか。書道家ではピンと来ない。先生は先生である。猫も杓子も先生と呼ばれると言葉の意味がひん曲がってくるが、ここでは真っ当な意味での先生。書道家となると妙に芸術家くさくなるし、書家となると意味は少し拡がりそうだが、どのみち似たり寄ったりの印象が残る。そして書家が「作品を書く人」に限定されてくるなら、作品を書かずに指導ばかりしている人を書家と呼ぶのは似つかわしくないって事になろう。或いは「作品を書く」頻度にもよる。たまに、例えば何かの記念に作品らしきものを書く程度でも書家と呼べるなら、十年に一度のペースで書いたって構わない筈である。しかし今時そんなのは通用しないだろう。やはり先生は先生だが、しかしながらこの場合、学校で教えた訳ではないから書道教員ではない。にもかかわらず、この先生は後の碩学に基礎を教えたらしい。
 書家は作品制作に呪縛されているかの様に見える。誰もが書きたがる。書かせたがる。周囲も書家をそんな人々と頭から決め付けている節がある。すると嘗ての先生の影が薄くなる。基礎の前では流派の影が薄かった筈なのに、基礎を見ずに流派を見る様になっていく。~流派を見るには何が必要か。ここで作品の出番がやってくる。そこまでは苹にも忖度できる。

 さて。
 学校で教えれば書道教員と云えるのか。「作品を書く」事との相関関係はどうなるのか。国語教員が書道の授業を受け持てば、それだけで書道教員に「なる」のか。もし書道教員採用試験に合格した人を書道教員と呼ぶのなら、青森県や東京都には一人か二人しか居ない計算になる筈である。
 更にややこしいのは、前に何度も書いた通り「教諭は居ないが臨時講師・非常勤講師ならウジャウジャ居る」場合。例えば都立高校の書道教員122名の内訳は専任教諭1名、兼任教諭1名、非常勤講師120名と聞く。そして青森では書道担当教諭の殆どが国語教員採用試験か何かの合格者であるから、実質的には県教育庁が書道専門の実技試験やペーパーテストや面接などの一切を免除する形になっている。つまり高校芸術科書道は中学国語科書写の延長であると同時に高校国語科(など)の延長で構わないとも云えるだろうし、そこに生じる実質の穴を埋める上で、民間の社中による外部訓練(研修?)への委託を重視する形、とも云えそうではある。
 しかるに苹の場合、独学を除けば社中らしき組織との(過去の)関係は三つほど。うち二つでは殆ど「段級位」のプロセスを経ておらず、専ら作品制作ばかりであった。昔それなりの賞を貰った記憶はあるものの、一つはどうも「お情け」臭いし、一つは展覧会自体のレベルが格段に低い(苹の入賞がその証拠)。残る一つでの展覧会出品経験は殆どないが、段級位の方は高校卒業前に所謂「師範免許」の取得レベルまでは行っていた。…つまり確実なものは何もない。あるとすれば教員免許くらいだが、それも更新制導入でどうなるものやら。後は総て独学で、こんな具合に蘊蓄を垂れるのが関の山ではある。
 教職を離れて十年。そうした意味では隠居の勉強とさほど違いはあるまい。この十年間の勉強や思索があらぬ方向へと靡いているのなら、そんな勉強は県教育庁にとっても学校にとっても殆ど評価対象とはなるまい。それゆえ此処=天バカ板を閲覧する方々は、予め自前の判断や先入観を優先するに越した事はない。なにしろ苹は、必ずしも組織的判断が正しいとは思っていないのである。もし組織への準拠を前提するつもりなら、苹の勉強成果を真に受けると歴史の猛毒が閲覧者の身を滅ぼすかも知れない。(…と書いてはみたものの、さほど間違った事は書いていないと、自分では思ってるんだけどなあ。)
 以前、幕末か明治初期の木版本に「書家便覧」てぇのがあるのを雑誌で見た。それに比べれば「書道教員」という言葉は格段に新しい。まるで前衛書道の様な、得体の知れない雰囲気すら感じられる。特に戦後、そんな印象が強くなって行った。幕末期の唐様から明治へと至る「刷新された実用書」の雰囲気は皆無となり、戦前から昭和四十年代に至る帖学系の艶めかしさも徐々に希薄化して行く。どちらかと云えば元気なのは明治以来の碑学系や明清調で、そこに大字・少字数と近代詩文書が交わって、更なる戦後書道イメージが培われてきたかの様な。そのせいか屡々こんな意味の戒めを見かけた。「国語科書写教育では芸術性よりも基礎を」云々。…なんとなく分かりそうな言葉ではある。ところが「基礎とは何か」と自問すると、これが実に分かりにくい。芸術書道との対比だけは際立つが、それ以外のイメージが弱体化しているのを感じる。
 なぜだろうか。~実用書道を見た人の誰もが読みにくい、或いは読めないと語る姿を苹は学校で観察してきた。そればかりではない。他校の書道教員に宛てた些細な連絡FAXを短く済ませようと候文で書いた時…だったかな。偶々その中身を見た同僚(つまり書道教員ではない)はどうやら、苹がふざけていると思ったらしい。畢竟、それが書体であれ文体であれ、実用書が基礎を含まない訳ではない。そしてそれは予め「読める字」である筈だからこそ実用書道だった。しかし今は「読めない」実用書道と芸術書道とが混淆し、なおかつ芸術が新たな実用の領域たるデザイン性やパフォーマンス性に向かって逃走しつつあるかの様に見える。

 嘗て、書は政治的文化でもあった。
 ならば以下、必ずしも「見立て」の度が過ぎる訳ではなかろう。一々細かく、対照可能な筈の語彙を抽出するまでもない。しかしながら一つ挙げるとするならば、例えば選挙で諸々のパフォーマンスをする。マニフェストをデザイン(?)する。ただし言葉の中身は「読めない」状態で構わないかのごとく在りながらも、やはり読まれる方が望ましいらしい。また~政治的な言葉には批判が付き物だが、中には批判を嫌う政治風土もあろう。餅は餅屋と云う。
 …ここで仮に、「文化に政治を巻き込むな」とする視点を取り入れてみようか。王羲之も顔眞卿も蘇東坡も王鐸も、一面では政治家や軍人だから論外。バレンボイムがサイードと対話したり、イスラエルでワーグナーを演奏するケースはどうか。サルトルやチョムスキーが政治的に振る舞うのはいかがなものか。西ドイツのシュミット首相がピアノを弾く。皇太子殿下がヴィオラを演奏する…おっと、その前に別の例もあったっけ。嵯峨天皇は今じゃ書家みたいなものだ。
 文化を去勢する事が教育に求められていると仮定するなら、そこに旧来の基礎があってはならないのかも知れない。ドゴールのごとき教養を踏まえた、一面「鑑賞者」的でもある視点すら、今の受験教育や職業教育には邪魔となっているのかも知れない。もし巷間「基礎を基礎でなくする」教育が望まれているのだとしたら、そうした「校内政治」下の要請は内実自体が根本的に疑わしく思えてくる。



8No.7775は支援板の再掲 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/09/09 (Fri) 20:47:11

No.7775は支援板の再掲
 ここでいったん註釈を加える。「【再掲】教組再考05」稿、すなわち旧板No.7778「「見立て」の一例(其五)」稿の冒頭で触れたNo.7775稿について。
 当方、殆どの旧板投稿は番号と日時を保存していない。そこで引用箇所を頼りに昔の草稿用ファイルを参照したところ、「追憶(支援板に書いた旧稿より)」稿がNo.7775に相当すると判明した。以下に全文を再掲する。(直前稿のNo.7772と直後稿のNo.7776は、どちらも本板で再掲済み。)
 因みに、支援板の初稿は今も閲読できる(↓)。
http://f35.aaa.livedoor.jp/~masa/c-board358sp2c/c-board358sp2c/c-board.cgi?cmd=one;no=1953;id=
 当時の拙稿は総て、二つのツリーに集約してある(↓)
http://f35.aaa.livedoor.jp/~masa/c-board358sp2c/c-board358sp2c/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=1838;id=
http://f35.aaa.livedoor.jp/~masa/c-board358sp2c/c-board358sp2c/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=4233;id=
 トップページはこちら(上の方↓)。ただし今は廃板状態。猥褻な荒らし画像ばかりなので、よい子は見ちゃダメ。~肝腎の支援板は三年ほど前、余所(下の方↓)に本格移転した。其所のタイトルにある「桜子系」という文言は、嘗て2chで「女臣」と呼ばれ独立スレが立つほどだった伝説の論客に因む。
http://f35.aaa.livedoor.jp/~masa/c-board358sp2c/c-board358sp2c/c-board.cgi
http://www2.ezbbs.net/02/hou/
 閑話休題。以下本題。では再掲。



追憶(支援板に書いた旧稿より)
(補記)
 先日ちょっと奇妙な動きがあったのを契機に、嘗て「板が消える前に」と保存して置いた文書ファイルを今、所々気分次第で読み返している。…あれからもう三年半が経ったのか。これ(↓)を読むのもホント久しぶりだなあ。
 …もしかしたら昔と比べて、今の方が苹の頭は劣化しているんじゃないか?
 脳内テープ早送りの回春願望と云えば身も蓋もないが、取り敢えず余計な事は考えぬまま転載して置く。なお「>>」を付けた小段落は、雑誌からの引用を除く他の箇所が、当時あった管理人様からの返信引用部分である。

(以下再掲)
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> 「嗜み」に仕掛けられた罠
> 苹@泥酔 - 06/11/10(金) 0:23 -
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>●菅原伝授手習鑑
>>芸術家庭体育は「時間」でいいと思いますよ。そもそも「嗜み」だし、寡聞にしてこれらの科目で「赤点」をとった人は見たこと無いし。
>http://dokuhen.exblog.jp/
> いきなり話題を変えて福田逸…この先生って、端から見ると少しヘンなのかも(汗)。ブログ(↑)を見ると、理事のくせに「つくる会」への言及が一切ない。ちと無責任じゃないかと思いたくなる。ところがどっこい、顔の見える場所では言うべきツボをしっかり押さえている模様(先日の内紛でも、無責任な態度を取っていた訳ではないらしい)。単にブログには書かないだけで、毅然たる姿勢は全然ブレてない。演出家が自分に余計な役を振らないのみならず、余計な演出をも遠慮してるらしい点なんか見事に抑制が効いている。「なんでもホイホイ演出する」タイプの見苦しさは微塵もないのだろう。
> その福田先生のブログを見てると、実はかなり頻繁にガクッとくるのよね。鑑賞経験の共有が前提となっている話が多いにもかかわらず、そうでない相手にも分かりやすく表現してくれるのが却って歯痒い。前に「玉男」とかなんとか云う人の話が出てきたけれど、こちらは数年前のNHKドキュメント番組でしか見た事がないし、他の話も浄瑠璃なんかとは無縁な身にはアレだし。でも他方では見た事がないからこそ、別の切り口から話をこじつけられる私が居る訳で…(汗)。
> 前置きが長くなった。以下、本題。
>
> 上記ブログを見て勝手に煽られた私は先日、衝動的に景山正隆校注『菅原伝授手習鑑』(笠間書院)を注文した。…それまで全く興味がなかった訳ではない。しかし実物を見た瞬間、「こりゃ難儀だゾ」と思ったのは確かなのよね(汗)。古文は苦手だけど読めない訳ではない。問題は「調子が分からない」点にある。そこで私は切羽詰まって、恰も変態が使用済み下着をクンクン嗅ぐ様な気持ちで別の本を引っ張り出す。…図版は鈴木翠軒の書。脇には「昭和四十一年国立劇場出陳」とある。以下に解説を転載してみよう(芸術新聞社刊、『墨』67号、P.14)。
>--------------------------------------------------------------------------------
>> 翠軒先生御夫妻の、歌舞伎や文楽への愛着は頗る深いものがあった。大の吉右衛門贔負で、又浄瑠璃の竹本春子太夫や三味線の鶴沢清六との親交もあった。吉右衛門の鏡獅子を見て帰るなり、門人が待つ二階に上って、半切横に朱線を引いて一気呵成に、良寛詩「雨晴雲晴気復晴……」と破体の作品を物されたこともある(第一回個展出品)。胸中常に書作への情熱が滾っていたのである。
>> この「寺子屋の段」作は新築の国立劇場の要請に応えたものである。漢字かな交じりの表現は日本独自の書境である。遒勁な筆致を駆使した見事な行草体は、大小、疎密、濃淡鮮かな手練を見せて流動し、日本的抒情を盛り上げている。筆を揮ってその胸中に、菅秀才に代る小太郎のいたいけな命をめぐる惨しくも悲しい劇場風景が次々と展開したのであろう。劇中劇の人となってクライマックスを完璧に演出している。
>> この作を見ていると、技術であって技術でない書の美のあり様を教えられるのである。
>--------------------------------------------------------------------------------
> 十九年前の本を読み直すと、買った当時は気付かなかった事があれこれ気に懸かる。~歌舞伎も文楽も浄瑠璃も能も見た事がない私が、仮に真似して同様に書くとする。臨書では太刀打ちできないから、なんなら自前で書いてもよい(…創作?)。すると忽ち、肝心要の「真似の対象」が見つからない事に気付く。そこには真似すべき「経験の束」がないからだ。ここでの書は舞台であり、音楽であり、顔であり、響きであり、そうしたものを束ねる台本の再現であり、にもかかわらず再現とは程遠い「今」そのものでもある。つまり書には形がない。書かれる前であれ後であれ、どのみち或る種の形を欠いている。そこには予め蓄えられた中から突如として象られる形があるだけで、形が形を象る訳ではない。臨書は多分「形を真似ぶ」様に見える筈だが、ここでは誰もが「経験の形」に変換されたものを蓄える訳だから、書き散らされた形骸を「臨書」と呼ぶ姿勢は時に甚だしき誤解を生む。
> 形を形に変換する経験は稽古によって蓄えられるが、この手の稽古がもしも「嗜み」と隣接するなら、「嗜み」とはきっと恐ろしいものなのだろう。「人生に赤点はない」では済まない。そこが恐ろしい。「貴様は俺の表現に赤点を付ける気か」と師匠に凄む生徒の姿を思い浮かべてみれば分かる。…絶縁にも「赤点はない」。絶縁そのものが赤点であるとも云えそうだが、そうした絶縁をも一つの表現と見なすなら~そもそも赤点付与システム崩壊後の赤点など成り立つ筈がない。そこで多分、こんな解釈が成り立つ。
>>寡聞にしてこれらの科目で「赤点」をとった人は見たこと無いし。
> 採点を放棄すれば「赤点は出ない」。指導放棄の結果が「採点放棄」の形で表現された「採点」なのだとすれば、採点可能な領分をも予め放棄した枠組みに絡め取られた授業は一体どの程度まで許容されるのか。~形骸化の手法は既に判明している。基礎を予め排除した上で「応用だけ徹底すればよい」。ここでは「応用する才能」と「基礎を発見する才能」との混同・転倒が赤点防止システムとなる。それを「授業と部活動の棲み分け」システムで混同・隠蔽すれば総てが「丸く収まる」。
>
>
>●ウソを教える自由
> 或る夏、私は駅ビルに立ち寄った。御無沙汰である。あそこは県内でも都会的な方ゆえ、目当てのレコード店「新星堂」がある。…着いたら驚いた。目的のテナントは消え、代わりに古本屋が入っている。店員に尋ねたところ、春が来る前に引き払ったらしい。
> 覗いてみると、或る書道絡みの本に戦前の文検過去問が載っている。それを見て合点がいった。今も昔も出題傾向は大差ないが、基礎の方は「一々問うまでもない沈黙の領分」であり続けているのだなと。…要するに、出題の水準が低下している訳ではない。だから出題の水準が問題なのではない。ならば問題は奈辺にあるか。基礎の有無を問われない教育慣行が権威たっぷりに反作用すると、基礎の有無が日本文化の底辺を断ち尽くす~つまり出題自体の意味を別のものに変えてしまうのだ。常識への信頼が時代に取り残されるうち、そこにあった筈の常識は徐々に非常識へと変わっていく。非常識が常識となる一方、元の常識は「常識のまま信頼され続ける非常識」となって自明性の隙間に潜り込む。なんなら「建前の中に本音が潜り込む」と云ってもよい。
> 元来、建前と本音は対立項ではない。本音の中の建前は時に矜持となるし、建前の中の本音は時に倫理の姿をあられもなく曝け出す(本来なら~非常識を前提せざるを得ない老子的観点に於て、儒教的にはどのみち「恥ずかしい」事となる筈)。建前は本音の前に脆弱であってよいし、本音もまた~建前の前では己が脆弱さを曝してよい。それを恰も善悪の対立であるかのごとく雁字搦めにしてしまうと、今度はそうした対立・分断戦略自体が第三の軸となって、本音と建前それぞれの拠り所を背後から支配する様になる。ほんの少し煽ってやるだけでよい。後はそれぞれが勝手に自滅してくれる。ここには如何なる古典的道徳観も存立し得ない。建前が本音の隠れ蓑になった時点で、本音は建前から追放されるべき「サタン」に仕立て上げられる(喩えがしっくり来ない…「サタン」の代わりに「恥部」と表現する場合もそう…汗)。
> それを敢えて正当化の根拠として持ち出すなら、革命的暴走を踏み止まらせる保守の精神には初手から居場所がなくなってしまうのではなかろうか。学校は常に革命の連鎖に呑み込まれ、堂々巡りを繰り返しては~事ある毎に改革や保守の双方を統べていた筈の漸近線から均等に遠離る。
>
> 「読めなくてもいいんです」てな具合の台詞を聞いた事はないだろうか。またもや書道の話である(汗)。前に書いた通り~開国前後と戦後処理期間の二度「芸術」扱いされた際、書道は他律的動機と自発的服従行動との隙間でその都度はぐらかされ、徐々に習字から切り離されて行った。なんなら「習字からの解放」と捉えてもよい。戦前の習字は軍国教育に加担した咎で教育禁止となったが、CIEへの陳情戦術を「芸能科」扱いに切り替えたところ、国語科書写よりも早く学校教育に復帰できる事になった。従って建前上、書教育はどのみち国語から芸術へと離脱せねばならない。と云うより、ここでは離脱するのが「正しい」。書に「精神修養」神話が纏わり続ける限り、その領分を追放もしくは形骸化する事が戦後教育における絶対善となるからだ。とどのつまり~国語は日本精神の伝達手段であってはならぬ。書は予め西洋芸術の論理に支配させればよいし、国語は数多ある地域言語の中の一つとしての「日本語」であらねばならぬ。建前上「主体とならない」母語選択肢の様々な言語とは見かけ上「平等」でありながら、そのくせ他方では朝鮮語や英語の優位を保障可能にする隙間そのものであらねばならぬ。そうした位置に国語を置き直す事が、ひいては日本語の歴史的可塑性を「よりいっそう柔軟なものにする」。
> 国語の中には芸術が含まれる。一つは「芸術科書道」の形で独立させ、他方では「芸術科文学」の余地を国語の側に引き留める。するとやがて、書と文学との絆は自ずと断ち切られていく。教員が自発的に断絶競争を過熱させるから、わざわざ「お上」が余計な指導力を発揮せずとも国語改革プログラムは支障なく達成される筋書きって訳だ。
> 差し当たっては二つの効果が期待できる。一つは国語の非‐文学化。一つは国語の国際化。~前者は日本語の文化的地位低下に役立つ。文学は国際的に認知された芸術であらねばならぬ(?)ので、敢えて「日本語の枠内に留めて置く」必要はない。ここに「翻訳されてなんぼ」の世界が現出する訳だが、書が絡むと事は厄介になる。書は大昔から総合芸術の屋台骨として機能してきた(支那における詩書画同源)。それを日本側で換骨奪胎した歴史が取り敢えず千年。その後、更に西洋文化をも取り込み始めてから大東亜での敗戦に至るまで、ざっと三百五十年は経過した計算になるのかな(バテレンとの接触以後と見積もった場合)。そうした「書字文化」頼みの文学史を丸ごと踏み潰すためには先ず、歴史的文献を「読めなくする」ための口実が要る。「国語を潰しても文化は残る」との信仰を植え付けるには、国語を軽視するための「日本文化信仰」が過激になればなるほどよい。
> そこで「国語の国際化」を逆手に取る。戦前のは「アジアと西洋の架け橋」を念頭に置いた国際化方針だったが、そちらの目論見は敗戦でオシャカになった。残るは「国語を他の国際語に組み替える」方式のみ。日本文化から国語を除外し、改竄された「国語」で日本文化を表現する。その試みは既に英語教育側で実践中。国語が日本語である必要はない。漢字が読めなくてもいいじゃないか。そもそも漢字は中国語が元祖だろ。欧米から見ればムチャクチャ難しい「悪魔の文字」だから、国際標準への適応を目的化するなら「英語を国語にする」のが最も手っ取り早い。
> いっそ国語教育に「読めなくてもいいんです」を持ち込んではどうか。そこまで来れば後は日本語を「芸術科文学」に組み込んで、国語の枠組みには英語を振り替えてやればよい。日本語はコアな日本文化信奉者のやる「嗜み」だから、「何年勉強しても英語を話せない」アレをそのまま導入してしまえばよい。仕上げは「芸術科書道」と同様に形骸化してオシマイ。方法次第では覿面に「赤点が出なくなる」だろう。そこに「嗜み」の罠が潜んでいると思う。
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「教組再考」其三

苹@泥酔

2020/07/26 (Sun) 04:53:05

8【再掲】教組再考06 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/09/11 (Sun) 19:01:09

【再掲】教組再考06
7781 ぼくたちの失敗(?) 苹@泥酔 2010/07/11 09:59

 こんな書き出し(↓)で始めたら途中で気持ち悪くなって、先に進めなくなってしもた。へたこいたー。(orz)

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 先年、鳩山首相の言葉が美しく響いた。命を救いたい。愛のテーマ。なぜ国会で感動的なBGMを流さないのかしら。ネット選挙の解禁云々より、そっちの方が先だろう(?)。言葉に痺れて失禁する女性議員が居てもおかしくない。そこには確かに理想があった。ただし言葉が現実の裏付けを持っていたかとなると些か心許ない。もっと映画の様に美しく痺れさせてくれたなら、こんな画像(こっちの方は舞台か…↓)に或る種の白々しさを覚える事もなかったのではなかろうかと思う瞬間さえある。
http://dokuhen.exblog.jp/10309447/
 鳩山首相は美しい(たぶん)。気のふれたハイフェッツ(?)を思わせる眼差しが伝説的ヴァイオリン並みに雄弁だったなら、限界ギリギリどんな服装であれ、さぞ似合って見えた事だろう。実は海外ブランドからの痛罵があった(との報道で有名になった)数日後、あたしゃ不覚にも話題のカラフルなシャツが無性に欲しくなったのである。「あんな服なら着てみたい」と本気で血迷った。奥方趣味らしき露骨な「ハートマーク付き」よりは抵抗が少ない。つまり~大袈裟に云うと、痛罵が反語的な美を引き出したのだ。ここでは言葉と書表現との間に虐げられた「隠微な関係」のごとく、過剰もしくは異常な美へと向かう麻痺作用を言葉が辛うじて引き戻す。そうした意味に限ればの話だが、長らく日本人が忘れていたものを、ともかく鳩山首相は反語的に幻視させてくれた様な気がする。しかし残念な事に、マボロシはすぐに消えてしまった。こうした点でも鳩山首相は、素人目に映る書芸術と何かが似ている様な気がする。(…念のため断って置く。私は褒めるつもりも貶すつもりもない。ただ感じた事に忠実に描写しようと心懸けただけである。)

 コピペは美しい。(…いきなり、なんだ。素っ頓狂に。)
 言葉を殺すには、読めなくするだけでよい。書けなくする必要はない。結果は後から付いてくる。その「結果」は恐らく予想以上に効果が大きい。言葉それ自体の実用的感性を殺す事により、「読めない」状況への後方支援効果が派生する。つまり「読めない」事と「考えられない」事は相補関係にあり、より正確には「考える事」の質的差異により、それぞれの「欠点らしく見えるもの」が背後で補填される。従って或る意味、考えられないからと云って読めないとは限らないし、読めないからと云って考えられないとは限らない。そしてまた見方次第では、この壮大な実験場が学校であると云えなくもない。
 美しければ、読めなくたっていい。考えるな。感じるんだ。
 …私は「嘗て、書は政治的文化でもあった」と書いた。政治も言葉も大差なかろう。そして恐らく言葉が政治を取り戻す時、そこにもれなく信頼が付いてくるとしたら―。そうしたプレゼンテーションの場として選挙が有効活用される姿を思い浮かべる際、この国民的儀礼の肉感性が時に最大のリアリティを発揮する事がある。青森ではそうだった。一般的には「津軽選挙」と呼ばれる。その進化形が隣の岩手で胚胎し継承発展を遂げたと妄想するなら、これに勝る現実は存外なかなか想定しにくくもある。
 企業は社中に似ている。「会社だから当たり前だ」などと云わずに我慢して貰いたい。それは一つのムラ社会が背伸びしようと藻掻き苦しむ姿でもあるのだから。経営者にも首長にもリーダーシップが求められる。一面には或る種の「売り込み」を内含する場合もあろう。企業合併に取り組む経営者達を、たまには脳内で「この売国奴!」と罵ってみるがよい。国家売買の自由を保障するシステムの有無が企業との質的差異を表象していると見る場合、逆に企業売買の保障システムを破壊すれば、もしかしたら国家と企業は平等に振る舞えるかも知れない(別の見方をすれば、とどのつまりは「失業者=難民」システムの遊牧的構築ってこった)。
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 …どうしようか。このまま続けると後味が悪そうだし、するってぇとやはり「「見立て」の一例(其六)」稿は最初から書き直す事になるのだろう。どっちみち選挙前には仕上がらないので、このまんま取り敢えず出して置く。
 それにしても、小泉チルドレンの後は小沢ガールズで、今度はカンカン娘の出番かい。あたしゃ勝手にそう呼んでるけど、菅首相がカンカンになって怒るという、かの伝説の「イラ菅」姿を連想すると却って逆効果になっちまうのかな。
「やわらちゃん、がんばってー」(裏声で棒読み)

 ところで、今回は参院選と相撲とサッカーが重なるらしい。いつ何処に書くか迷ってたけど、ここらで一つネタを出しとこう。
 …相撲賭博とは懐かしいな。そう云や青森でも昔やってたっけ。あれは公務員社会「総掛かり」の恒例行事となっていたのかな。かれこれ三十年くらい前の話なんで記憶が薄れてるけど、あれをやめようって話になった時は確か地元紙「東奥日報」の一面記事に載った筈。もちろん学校でも毎回みんな楽しくやってました、ハイ。
 胴元は事務室になるのかしら。今の様なコピー機はなかったから記入用紙は青焼き。それを先生方が持って行って、誰が勝つか予想して記入するの。~まだ千代の富士は頭角を現して居なかったのかな。北の湖が腹の上にのっけて土俵外に出す。貴乃花が小兵の強さを見せつける。若三杉が若乃花になる頃だったかしら。輪島は顔も技も精悍だし、芸能人の高田みずえと結婚したのは…アレ誰だっけ(若島津?)。高見山のモミアゲは特徴的だった。丸八真綿のテレビCMで「二倍二倍」って云ってた。そのCMの流れるコント番組「欽どこ」では見栄晴人形が不気味に面白かった。場所の終わりは恒例のガイジン語「ヒョーショージョー」が派手に満場を沸かせ、学校内の賭博もまた大いに沸いていた。あれは賭博と云うより人間関係を円滑にする娯楽だから、誰も問題になるとは思っていなかった筈。今の相撲界だって、まさか本気で悪かったとは思ってないだろ。おまいらガンガレ、学校社会、公務員社会が味方になってやる(…とまで書くとさすがに大袈裟過ぎるか…今じゃ精々「惻隠の情」程度にしかなるまい)。
 舞の海を育てた高校教員(眼鏡をかけた相撲部の…)は、年齢から見る限り~たぶん賭博時代を俯瞰的かつ冷静に知っている筈。あそこの高校ではどうだったのかな。もう少し苹の演ずるキャラを抑えて、当時の事を尋ねてみりゃよかった。そこんとこが残念だぁ。苹には先見の明がなかったのね。



8【再掲】教組再考07 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/09/13 (Tue) 22:49:15

【再掲】教組再考07
7782 【蛇足】相撲と稽古と書道と授業 苹@泥酔 2010/07/14 23:16

 相撲ネタと云えば、すぐさま連想するのは稽古。~稽古ネタについては嘗て支援板に出した「骸の微笑」連載稿の後半で言及してあり、そちらへのリンクはNo.7581で既に張ってある。
 今回のネタでは、セレブ奥様(「西尾幹二のインターネット日録」管理人様)のブログにコメントした旧稿から、三つの関連箇所を抜粋して置く。うち二つは非表示稿。どれもコメント欄への書き込みとしては長過ぎるかと思い、取り敢えず非表示とした稿である。

●「2008.06.27 (23:16)」非表示稿より
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> 皇室に書道ってのはいかがなものか。桑原翠邦が御進講役を務めたのは今上陛下か殿下か忘れたけど、今はともすれば「時代が違う」って事になりかねない。…あたしゃどうしても学校書教育を連想してしまうのよね(汗)。
> 書道と云えば流派に稽古。そこからの脱却が学校教育の目的でもあった。各派バラバラでは困るので、国民教育としての整合性を持たせつつ効率よく全国に行き渡らせねばならなかった。だから教科書は国定となったし、甲種・乙種の選択肢も揃えた。そこから先を流派各々に委ねればよい。国定教科書は単なる基礎に過ぎなかった。
> 書教育禁止の占領時代が終わると皆が正規教員採用を自粛、書教育は流派への丸投げで補った。…この半世紀間に毒が回る。CIEに示した書教育解禁の方便が「書は芸術」だったもんだから、国語との分離が学校教育の前提になっちまった。大正時代以降の日本文化軽視傾向に輪を掛けて「読めないほどヘタクソ」な字との区別がつかなくなり、十把一絡げに「達筆で読めない」と見なしても恥ずかしいとは思わなくなった。恥と鑑賞眼を同時に失えば自ずとそうなる。流派側では「書は芸術」との理屈・前衛感覚で西洋と比較したり、反動的に支那一辺倒となったりした。昭和五十年代以降は日展のボスが「読めないのは当然」と諦め、伝統書とは別の「読める書」(漢字仮名交じり書)を提唱、平成元年度版の学習指導要領で本格導入と相成る。
> そんな状態の書道を皇室に持ち込めばどうなるか。
> ~あたしゃ妄想するね。学習院の先生はどうだろか。真面目にアカデミックな前衛左翼で、しかも教育熱心なら最悪かもよ。漢字書道アカデミズムは支那偏重が当たり前でプライドも高い。理論家なら西洋の美学・芸術学に準拠するだろう(政治方面のマルクス主義導入と似た様なものか)。教育熱心なら学習指導要領に盲従するかも知れない。例えば国語科書写と芸術科書道は違うから、その違いを強調して教えるとか。…中学と高校で先生の縄張りが違うと、指導要領に明記してある「国語科と芸術科の接続」がよく抜け落ちる。この「接続」条項から抜け落ちてるのが実は「古文書学の基礎」なんだけど、そっち方面はなぜか見向きもされない。国語教員は活字中心の近現代国語に過剰適応してるし、書道教員は可読性分裂症に罹患してる。それらの相互呪縛関係にとって古文書学は傍迷惑以外の何物でもないのだろう。
> こうした事は勿論「昔の天皇家の帝王教育の仕来り」とは無縁だから、差し当たって懸念すべきは学習院の「学校性」の方なのかも知れないなー。文科省が学習院を牛耳って、外務省が宮内庁を牛耳って、あともう一つあれば傍目には「三位一体の皇室包囲網」って事になる。(ちと軽口の度が過ぎるか?…汗)
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●「2008.10.13 (00:43)」非表示稿より
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> それと似通った事が書道の授業にも云える。稽古と授業が喧嘩する。やがて誰かが稽古と授業に真贋の区別を持ち込もうとし始める(ご親切なこった…)。稽古が真で授業が贋。つまり既に勝負がついている。授業は所詮「かりそめ」に終始すべきものとなるが、カリキュラム上それでは済まされない。そこで稽古型の人材を登用するタイプの教育偽装が全国規模の常識となってくる。爾来半世紀以上が経過。
> この手の状況は三島存命時代の方が生々しかった筈。…こう云ってはなんだが、理屈の通らぬ大学紛争も別の文脈で見ればどうなる事やら。あれは授業・講義に対する「稽古の反逆」だったのではないか。稽古に理屈は要らない。ただ関係があればよい。しかしそれ自体は教養の有無や真贋と無媒介な限り「どのみち日本的なまま」で、たとい西洋的理論武装がなされていたとしても、一皮剥けば中身は稽古型の人間関係のまま底流し持続する。中には理屈で負けた腹いせ(?)に研究室を襲撃する輩も居た様だが、これも「学問抜きの稽古型」を念頭に置けば行動の説明がつきそうではある。
> 一方には芸術~例えば相撲があり、そこに至るための「かわいがり」が実行されるとする。芸術的な実行の果てに死を迎える事があったとするなら、「美しき死」は稽古の側にいかなる作用を齎すのだろうか。「秘すれば花」か。だとすれば沈黙はそれなりに美しくあらまほしき筈。
> 沈黙した自衛隊員が一方で美しく、なおかつ「秘せられなかった点で無様」な三島も、死を以てすれば忽ち美へと環る。本人の意思に反すれば反するほど、後には何も残らない。しかし既に実行は「なされた」。ここに(或いは?)美の均衡と相殺がある。
> 多くの人は「相撲の授業」が贋で「相撲の稽古」が真だと直観するかのごとく振る舞うだろう。三島先生の特攻授業が生徒=自衛隊員の沈黙により贖われ、稽古の破綻が授業へと転倒する。あくまで勝手な想像でしかないが~彼らは三島の行動が唐突であればあるほど「胡散臭い先生だナ」と直感したかも知れない。リアルタイムで現場を体験した先生方や学生達は実際どうだったのだろうか。
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●「2009.03.13 (00:05)」表示稿より
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> ところで当方、昨年は支援板にて社中と稽古の関係、人材派遣業の教育界参入などに言及してましたが、今年は組合活動と社中の共通点について考えとかないと。この点を詰めないと日教組批判に関する見解がブレるし、そもそも私に何か云えるかどうか自体が怪しいし。「なんとなく批判」の危うさは教育委員経験者の奥様がよく御存知の筈ですからね。そうした意味でも奥様ブログは好都合な筈なんだけど…ま、いいか。
> どっちみち拙稿は長文になります。ただ、四年を経ても殆ど深化していないのが痛い。組合活動の排他性に土着的伝統の影を感じると、益々『江戸のダイナミズム』続刊が待たれる。~多くの人が社中という近代的方便を無視して流派意識に還元するのも「無知ゆえ」ではない筈。日本では支那の「幇」に匹敵する社会維持システムが江戸時代に発達していた様だし、後はそれを西洋の型に見立ててイデオロギーを組み込むか、もしくは型自体を西洋のイデオロギーに見立てて文化障壁の変質を目論むか、或いはそれ以外か。…この点に深入りすると「日本人のタブー」に抵触する様な気がする。
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 この表示稿を出す必要はなかったが、こちら天バカ板で一連の「「見立て」の一例」稿を出すにあたり、構想を練り始めたのが大体この時期、という事ではある。

 前稿で出した相撲の話題は予定外だった。~仄聞するところ相撲でも落語でも、余所で稽古するケースはそれなりにあるらしい。ところが書道では必ずしもそうではない模様。系列化した社中のアレンジメント(ガタリの『分裂分析的地図作成法』邦訳では「鎖列」とも翻訳していた)に於てのみ凝り固まる組織が多く、逆に見ればそれだけ系列各々が分散的に振る舞う、とも云える。そうした意味では社中の在り方それ自体が一種の防波堤として機能しているかの様でもあり、他の社中が破綻しても書道が生き残る上では殆ど影響がない。
 ところが相撲界の場合、プロの世界はほぼ完全なピラミッド型であるらしく、なおかつ底辺層からの人材発掘は低年齢層に絞られるケースが多かった模様。大抵は中卒か高卒。大卒は珍しい。そこに割り込んだのが留学制度を利用した外国人力士の発掘余地。そしてこれらを所謂「選択と集中」の図式に重ねると、その後の~つまり引退後の在り方が些か不透明となっていくだろう。
 支えてきたのは所謂「タニマチ」、そして地元の後援会。そこには出身校を含む地域社会の支援構造も含まれるだろう。支援の層は厚い方がよい。それを弱体化させたのが青森の場合「約三十年前」からの動向だと見なすなら、その影響は概ね世代交代を経て徐々に顕在化していくと見るのが妥当だろう。力士や関係者の出身地が何処であれ、既に潜在的な環境上の毒は全国規模で慢性化しているのかも知れない。相撲界の本格的復興には、相撲界を離れた在野の方々から忌憚なき意見が寄せられねばなるまい。

(追記)
 念のため、政治家についても触れて置く。~余程の底意がない限り、政治家はバカではない。それを単純にバカ扱いする有権者の方が、逆に政治家から操られているのだろう。そうした意味で、有権者は政治家に対して最低限の畏敬と恐怖を保ち続けるべきである。そして勿論、云うまでもなく鳩山首相も菅首相もバカではない。私の場合は差し当たり、希薄な帝王学と過激な愛国心を妄想した上で、それぞれの宿すだろう双方向的意味に恭しく恐怖する。



8【再掲】教組再考08 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/09/15 (Thu) 23:51:14

【再掲】教組再考08
7784 【蛇足】相撲と稽古と書道と授業(其二) 苹@泥酔 2010/07/19 23:02

 今夜もまたまた相撲ネタ。(ちと…しつこい?)

 地方に行く機会が、力士には沢山ある。新弟子候補を観察したり、指導したり、地域の名士や関係者と交流したり。中には所謂「暴力団関係者」も含まれるだろう。もし巷間の言い回しが、昔の侠客とヤクザと暴力団を総称する傾向にあるのなら、そこには言葉のトリックが隠れているだろう。
 先日、教育書道と実用書道と芸術書道に言及した。これらの混同と似ている面が感じられる。単純に「書は芸術」と割り切る様に「暴力団は悪」と割り切れば、「教育書道と実用書道」、「侠客とヤクザ」の画一的排除がそれぞれ可能になるだろう。~徳川最後の将軍を警備した侠客はお払い箱となった。戦後の混乱期に警察共々、不良日本人や不逞鮮人から国民を守ったヤクザ達の功績(?)も、今となっては昔の話である。そちら方面の事情に疎い苹とて、そのくらいの事なら少しは想像がつく。
 極端な話、もし「教員は暴力団と付き合うな」となったら、家庭訪問は暴力団と教員の「黒い関係」となる可能性があろう。昔の教え子が暴力団員となったのを、教員が見捨てずに居たらどうなるか。廃業した力士達を、親方や昔の仲間達が見捨てずに居たらどうなるか。力士は教育者でもある事、角界が教育者個人を超えた所で連鎖システムを担っている事を忘れると、「昔の関係」の蒸し返しは逆に総崩れの原因と化すだろう。しかし無論、だからと云って古い体質の悪しき側面をも守り続ける必要はあるまい。協会そのものに古い歴史がある訳でもなし。犯罪に目が眩んで「相撲の伝統」と「相撲界の伝統」を混同すると、ますます話がおかしくなっていく。…先日、ひょんな事(↓)から「春秋園事件」をネット検索して居て、そんなふうに苹は思い始めたのであった。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_pr_525.html

 今の相撲協会は一つ。書道に喩えるなら日展みたいなものか。しかし日展は展覧会であるから、差し詰め相当するのは所謂「本場所」になるのかいな。従って日展を牛耳る主導体制が「教育体制を含め」一本化されている訳ではない。ただし「部屋」に相当しそうな社中ならワンサカある。そしてそれらが時には日展と二股をかけるかのごとく、読売・毎日などの各新聞社主催展覧会でそれぞれ協力しつつ指導的役割を担う。(…尤も、読売系と毎日系は水と油の関係ゆえ、呉越同舟の場所は日展くらいしかなかった筈だが。)
 畢竟、相撲界と暴力団の関係を云々すれば「伝統の蒸し返し」が避けられなくなる。歴史には大抵そんな側面がある。しかも皮肉な事に、そこからは賭博などの個別事件が存外スッポリ抜け落ちやすい。暴力団でなくても賭博は出来る。ならば「きりのない話」でイタチゴッコを続けるより、さっさとスケープゴートを裁いてみせる方が宣伝効果は抜群、という事になるのかも知れない。歴史の階調なき「白は白、黒は黒」型の判断を組織に押し付けたところで、どの面下げた組織が伝統的関係を清算できると?
 組織なくして相撲は取れない。どのみち「相手のある事」である。そうでない事例を巷間では「一人相撲」と云う。対戦相手が居て観客が居る。そこが書道と違う。もし敢えて共通点を挙げるとしたら、それは観客が神である場合のみであろう。ゆえに相撲道それ自体は孤独な内面の錬磨たり得るが、おいそれと相撲道を云々する事は、逆に相撲や相撲界のリアリティを破壊しかねない危険行為ともなり得るだろう。

 ここでボヤキの一言。
 苹は書道が大好きだが、「書道」という言葉は大嫌いだ。いっそ「習字」に戻してしまえばいいのに。書道を新興の「書道界」から解き放つ手段としての可能性(方便とも云う?)を教育システムに還元する上では有効な筈だが、しかし~それをやると多分、書道を好む人々から芸術的(?)な文句が来るだろう。
 …思えば、鳩山首相は美しかった。首相になってから学んだ「軍事の基礎」にあらためて感動した経験を国民の前で披露してみせた。あの時の無様な姿を、苹はついつい「書道と習字との懸隔」に見立てたくなる。…感動が美しい。学習や発見が美しい。こうして「美」は知らず知らず丸々と太る。やがて美しき「大きな羊」は屠殺され、料理され、誰かに貪り食われるとも知らずに。

(追記)
 以下は増田孝『書は語る 書と語る』(風媒社)P.6~7より。
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> もちろん今でも、手紙などは必ず筆で書くという方もいるでしょう。それはそれで結構なことですが、だからといって日常的にノートもメモも日記も家計簿も、すべて筆で書くという人はおそらく存在しないでしょう。繰り返しますが、そこが近代と前近代との最大の差なのです。今となってはもうこの大きな溝を埋めることはできません。いま書家が作品と称して書いているような「書」や、書道塾で習う「書」は、同じような文房具を使用していながら、過去に日本の文化を形作ってきた実用目的で書かれた書とは異類のものに成り果てていると思います。
> 戦後生まれた「書」というものは、たとえば画廊やリビングルームの壁面などを飾るための「書」の作品を想起してみてください。内容としては万葉集などの古歌や、あるいは宮沢賢治の詩などや、あるいは和室の床の間などに掛けるために漢詩などを書いたとしましょう。その書からどれほど古代万葉人や近代詩人の感動が伝わってくるものでしょうか。仮に伝わってきたにせよ、それはあくまで「作品」としての厚化粧を装ったよそ行きの「書」に過ぎないのであって、その書から書いた人の素顔を見て取ることは容易ではありません。しょせん、それが書いている人の生の言葉ではないからです。それとは反対に、相手に意思を伝えるという実用に裏打ちされた手紙の書には、その実用性ゆえに「人」が表れやすいものなのです。
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 こうした側面で、苹が高く評価する最後の世代の代表格は鈴木翠軒。特に書翰が見事。
 増田氏は屡々テレビの鑑定番組に出演しているので、その担当領域が創作的でない事は皆様お分かりになるだろう。もし上記引用箇所に反感を覚えるとしたら、その時点で貴方は「書家と観客との断絶」を前提した上で既に「観客を啓蒙=籠絡する側へと回っている」のかも知れない。歴史の証言=古文書とは関係のない、全く新たな表現を模索するかの様な身振りに於て古典の「表現」を人質としながら、そのくせ「読めなくても構わない」というデザイン指向の感性に於て「前衛性と保守性との混同」に目をつむる。
 王羲之や鈴木翠軒の書翰は実用書道の領分にある筈。それを過剰に読み替えると、そこから先が芸術となる。~そんなふうに捉えると、嘗て「教育に芸術は必要ない」と明言した管理職の直観にも、或る種の信憑性を孕むべくして、好意的な解釈が可能になってくるだろう(ただし管理職本人の真意は皆目不明)。
 念のため附記。~苹の場合、元教員としての自戒余地は予め解除されてある。以下にその証拠を示す。「2001/11/15 9:44:47」の日付で貰った電子メール(↓)で、苹は既に(教員経験者としての心理的制約なき)一人の「県民」の立場で書く事を許諾されているのである。従って苹は「県民からの貴重な意見」であり続ける事を目指して、これからも屈託なく生涯あれこれ書き続ける所存である。
--------------------------------------------------------------------------------
> ×× ××様
>  知事への提案(高校芸術科書道採用試験)について、貴重なご意見をいただき
> ましてありがとうございました。
>  前回、教員採用試験における実施科目については、今後さらに検討していく旨
> 回答しておりますが、今回××さんからいただいた提案についても、県民からの
> 貴重な意見として、検討の参考とさせていただきます。
>
>                    青森県教育庁県立学校課  課長 水木
> 洋
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8【再掲】教組再考09 ( 苹@泥酔 ) New!!
2011/09/17 (Sat) 19:35:15

【再掲】教組再考09
7830 蛇足「其二」補記、並びに備忘録 苹@泥酔 2010/09/12 16:06

 今夜は短く、No.7784(「【蛇足】相撲と稽古と書道と授業(其二)」稿↓)で書いた相撲ネタ部分について補足する。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=7784&range=1
 …読み比べると、それは拙稿よりも遙かに説得力のある内容だった。差し当たってはリンクにて紹介のみ(↓)。相撲や暴力団の歴史的背景、敗戦直後の状況等々に興味のある人は是非、御覧いただきたい。
http://www.endanji.com/?p=378
http://www.endanji.com/?p=380
 因みに此処の管理人様=蘭様は、下記見解を「天バカ板」ブログにて表明している。
http://blog.goo.ne.jp/midnight-run_2007/e/058f872b4ed0129fee5f7f8f6b5e7f94

(付録)
 これだけではやはり、余りにも短い。本題とは関係ないけど、気休めに取り敢えずフォーレのパヴァーヌでも(↓)。
http://www.youtube.com/watch?v=udwWw2AsN88
 そう云や昨日は、アメリカで起きた同時多発テロと同じ日付だったんだなあ…。合掌。

(更に追記~備忘録)
 …まだ書き足りない(苦笑)。こんなのが産経に載っていた(↓)。五分割してあるのを纏めて転載。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100911/plc1009110736004-n1.htm
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>【昭和正論座】東大教授・西義之 昭和53年6月13日掲載 (1/5ページ)
>2010.9.11 07:34
> ■政治団体なのか日教組
> ≪総評議長との兼任が原因≫
> 日教組は学校の先生の団体でもなく、労働者組織でもなく、政治団体ではなかろうかとの印象を与えたのが、今度の札幌の日教組大会だったようだ。のっけから槙枝委員長が中道政治批判をやって物議をかもしてその印象を強めた。
> それが何がわるい、公明党がヒステリックに反発するのがおかしいという意見もあろうが、場所が場所である。日教組は総評の一部であろうが、日教組大会は総評大会ではない。そしてその槙枝氏は大会後の感想として、反主流派(共産党系)の政治主義は遺憾であったと言っているのだから、なにがなんだか分からない。ご自分がはじめたことではないか。
> 共産党系の人たちは、槙枝氏の発言にすかさず食いつき徹底した公明党批判を展開したらしいが、大学や高校などでも、学校側がたとえば「学園祭も重要なる教育の一環である」などと発言すると、さっそく言葉尻をとらえられて「そう思うならもっと予算補助をしろ」と執拗(しつよう)に突き上げられるのを私は連想した。
> それはさておき、根本は槙枝氏が総評議長と日教組委員長を兼ねているところに、政治主義傾斜の度を深めていく原因があるのではないかという感がつよい。
> 昨年の社会党内の主流派・反主流派の抗争のさい総評議長は活発に動いたことが伝えられているし飛鳥田氏引き出しにも槙枝氏は大活躍したらしい。なぜ政党レベルの問題に総評議長がとびまわるのか? もし自民党の総裁選挙などに、土光経団連会長や永野日商会頭があんなに派手に介入・斡旋(あっせん)したら、総評や共産党などは待っていましたとばかり、政財界の癒着ぶりを見よと大キャンペーンをはったにちがいないと思われる。
> 私ははじめ、槙枝氏は社会党員なのか、一党員として動いているのかなと好意的(?)に考えてもみたが、たとえ一党員でも総評議長であることにはかわりはない。そして総評議長の顔が、こんどの日教組大会でもあざやかである。社会党は総評・政治部だというカゲグチがあるが、日教組も総評・政治部にならないように願いたいものである。
>
> ≪無秩序な教育現場≫
> 教育問題も政治から逃れられないことは分かるが、主任制反対の理由づけとして、主任制の導入は勤評と同じく上からの管理体制の強化であり、かえって教育現場に混乱をもたらしているから-などといわれるが、現状はまったく逆であることが多くの人の目に映じている。つまり主任制によって教育現場が混乱しているのでなく、はじめから混乱している現場であり、学校長も教頭もアタマからばかにされている無秩序な現場であるからこそ、主任制で一層いきおいづいて混乱しているのだろう。
> 教育指導のうまく行っているところほど、主任制は空気のように受けいれられているらしい。「主任にやっと手当がついただけで、前と変わりありません」という声が私などにはきこえてくる。
> 主任手当の拠出状況が報告されたことがあるが、この拠出運動には暗い側面を感じてしまう。
> むろん自発的に拠出している人もいるだろうが、もともと日教組はいったんはいると、なかなか抜けられない組合なのである。自分の考え方と運動とのあいだに違和感を感じて、やめようとした人がいかに執拗(しつよう)な引きとめ、あるいは届けの受理妨害、不受理作戦、さらにはやめる理由をみんなの前で言えとかのいやがらせにあうことはときどき聞くところである。その陰湿さからの類推であるが、この主任手当拠出運動に暗黙の圧迫はなかったのか、村八分をほのめかす「説得」が行われなかったのか、いささか気になるものがある。主任制という制度を持ちこんだほうが悪いのだというのは言いわけにならない。
> 日教組への加入率が年々低下していることも、この組合の体質とかならずしも無縁ではあるまい。テレビで札幌の大会の模様が流されたが、マイクに向かってかみつくようにしゃべっている先生方、飛びかう烈しいやじをきいていると、これでは気の小さい先生方は泣き寝入りだなという気がする。うっかりやめさせてください、拠出はどうもなどと言える雰囲気ではない。新任の先生の組合加入の少なくなったのは管理側のしめつけばかりではあるまい。大会をテレビで見るだけで怖気(おじけ)づいてしまうだろう。
>
> ≪悪循環のくり返し≫
> 加入率が低下し、組織に危機感が出ると、内部の政治主義は一層はげしくなり、対立が激化する。主任手当拠出運動などという自己破壊的な作戦に傾斜し、それが逆に、また加入率を低下させる。悪循環である。
> 突拍子もない連想だが、私は太平洋戦争を思いだした。事態が悪化すればするほど、陸海軍の対立は深まり、自己破壊的な作戦を矢つぎ早やに出すことになる。政治論争に火をつけたのは自分であるのに、政治主義がつよすぎると歎(なげ)いてみせる総指揮官である。
> 教育問題はいまないのだろうか? なるほど学級定員をへらす運動がそれらしいが、これが大会でじっくり論議されたふうもない。槙枝氏はこの運動貫徹のため、ストも辞さないと語っていたが、ストという政治戦術をとるほどのことかどうか? こんな要求でストをうてば、自壊作用を一層早めるだけであろう。学級定員削減は、先生の労力軽減のためなのか、教育効果を上げるためなのか? その双方だとしても、お金がなければどうにもならないこんな問題でストをうつ前に、すべきことはまだたくさんあるような気がする。
> 学校給食をはじめとする雑務整理、越境入学、過密・過疎地域の対策など。なぜある学校だけ定員ぎりぎりにふくれ上がるか、をもっと論ずべきだろうし、教授法の改善の問題はもっと重要だろう。私の知るかぎり、定員以下の過疎校や少人数の私学でも、かならずしも教育効果が上がっているわけではない。単に画一的にクラス定員をへらせばいいという問題ではなかろう。
> そして先生の力量を高めるために構想されている新教育大学には、逆に、現職の先生の入学拒否をきめている教組もあるらしい。今度の大会で一つ明らかになったことは、皮肉にも公明党がこれまでどういう理由か、日教組と協力関係にあったことだろう。(にし よしゆき)
>                   ◇
> 【視点】昭和53年6月の日教組大会で、総評議長も兼ねる槙枝元文委員長は主任制反対闘争などを訴える一方、一部野党の右寄り中道路線を強く批判した。日教組内部は相変わらず、主流派(社会党系)と反主流派(共産党系)が激しく対立し、教育問題は置き去りになった。
> 西氏は「日教組も総評・政治部にならないよう願いたい」と皮肉たっぷりに批判し、「学校給食をはじめとする雑務整理、越境入学、過密・過疎地域対策」「教授法の改善の問題」などを論ずべきだとした。最近も、日教組出身の輿石東・民主党参院議員会長は「教育の政治的中立はあり得ない」と述べている。日教組の政治団体としての本質は変わっていない。(石)
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